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2011年正月 謹賀新年

おめでたきこともなき世をおめでたく  低杉贋作


2011年1月某日 ♪今は もう 映らない ディスプレイ

 正月早々、愛用パソコンのディスプレイがついに事切れた。
 1996年製、三菱ダイアモンドトロンRD17GX2。人間で言うといくつになるの
だろう。
 彼は物置き同然の狭い部屋の真ん中で、抜群の威容を誇るブラウン管のモニター
であった。17インチ、重さ約20キロ。
 もともと5年ほど前に、もっと古いマック純正機種の代替品として、只で我が家
に下げ渡されたれたものである。去年の暮れから、点いたり消えたりを繰返し、お
別れの近い事を知らせていたが、最後まできれいな色で現役をつとめあげた。おつ
かれさま。
 仕方が無いので秋葉原、さすがにもうブラウン管に固執するつもりはないので、
液晶の手頃な中古品を物色。が、予想された難関に突き当たる。パソコン本体が古
すぎて、今時の液晶モニター達とは繋がらないのであった。
 この両者を仲介する変換アダプタ(3列15ピン→2列15ピン)、秋葉原中、方々
探し廻る。ようやく、1軒のジャンクパーツ屋の足下に転がっているのを見つけた。
 かくして今、目の前にはソニーの17インチ液晶がある。
 VAIO PCVD-17SM2A、4500円也。
 21世紀問題から11年後、前世紀の巨大なブラウン管の陰で暗かったキーボード
に、天井からの光が射すようになった。
 めでたく2011年のパソコン初めである。

 PowerMac 7500/100
 内蔵メモリ384MB
 MacOS 8.6

 電子メールのやりとりをして、ホームページの管理をして、住所録、ネタ等の情
報を記憶して充分事足りている。但し、OSを上げないと、見られないウェブサイ
トは増えている。
 旧年中、たまに立ち上がらないことがあったので、外板をはずしてそっと掃除機
をかけたら元気になった。本体は、まだ当分は大丈夫そうである。ただ問題は……。
外板プラスチックの劣化であって、脳味噌より先に頭蓋骨が崩壊しそうな様子であ
る。いよいよという時は、木製のキャビネットを作って納めてみよう。


2011年1月某日 摩訶瀬成雪氏の映画な生活

 冒頭、いきなり淡島千景が、不倫相手の仲代達矢に首を絞められ、虚空をつかん
だ腕はやがて力無く落ちて電話器にぶつかり、ベルの音。(白と黒)
「♪ジャングル、ジャガー、ジャンプ!」豹柄のビキニスタイルの丹下キヨ子が、
ナイトクラブのフロアショーでワイルドに歌い踊る。(初恋カナリヤ娘)
 前作から変わって主役となった、大衆演劇の役者・三木のり平と八波むと志が息
のあった達者なカラミ、森川信は、こんなのどうです、と義太夫版ウエストサイド
物語を演じてみせる。(続 雲の上団五郎一座)
 戦前、リアルタイムのモボモガ達を活写、我が郷土の名士、ヘンリー大川こと
大川平八郎は明朗に歌い、若き藤原釜足とデブの横尾泥海男が追いかけっこ。(音
楽喜劇 ほろよひ人生)
 ラピュタ阿佐ヶ谷が徳川夢声特集、神保町シアターが喜劇映画特集、東銀座のシ
ネパトスは小林桂樹追悼。幕の内弁当のような三本立1200円は浅草名画座。
 というわけで、我が人生史上、おそらく最も映画館に足を運んだ月となった。本
数の多寡を自慢するのは野暮の極みなれど、折角の機会なので、列挙。

喜劇駅前飯店/森繁のペテン王/初恋カナリヤ娘/次郎長意外伝大暴れ三度笠/極
楽大一座アチャラカ大当り/続 雲の上団五郎一座/続・拝啓天皇陛下様/ほんだ
ら剣法/嫁入婿取花合戦/東京キッド/大笑い江戸っ子祭/腰抜け女兵騒動/日本
一のホラ吹き男/裸の大将/ぶらりぶらぶら物語/白と黒/黒い画集 あるサラリ
ーマンの証言/江分利満氏の優雅な生活/敵は本能寺にあり/手をつなぐ子等/音
楽喜劇ほろよひ人生/吾輩ハ猫デアル/スラバヤ殿下

 快楽亭ブラック師匠のような邦画観賞の大家には足下にも及ばない私は、「東京
キッド」と「スラバヤ殿下」以外、初見である。
 1本だけ観た洋画新作が「ソーシャルネットワーク」。
 多い日は1日4本、7時間、映画館の暗がりで現実逃避。
 特に1960年代、都電が走り、詰襟の大学生がいて、インターネットも携帯電話
もない、素敵な東京。東宝マークを真ん中に「TOHO SCOPE」と画面に広がれば、
沢村いき雄が、堺左千夫が、藤木悠が、立原宏が、有木山太が脇を固める。
 この後も、高田文夫先生推薦「次郎長三国志 海道一の暴れん坊」、砂塚秀夫み
ずから製作の「毘沙門天慕情」と、しばらく名画座通いはやめられない。

 それはさておき、学生割引やシニア割引には証明書を見せろと言われるけれど、
レディースデー、つまり女性割引に「証拠を見せろ」とは言わないのは、片手落ち
ではあるまいか。


2011年2月某日 ♪黒いほし白いほし仲良しさん

 押収の携帯メールから動かぬ証拠、相撲界、八百長認める。
 まあ、警察も、ホシをあげたり、おとしたりでメシ食ってますからね。

 おまけ。星ガアリマセン、勝ツマデハ。


2011年2月某日 あんなカレー煮な

 スクリーンでは、白黒の雪村いづみが電気アイロンをかけている。コードは天井
から下りてきている。つまり、白熱電球のソケットの横にコンセントがついている
のだ。(1958年東宝・岡本喜八監督作品「若い娘たち」池袋・新文芸坐)
 ああ素晴らしき哉、1960年代前後。
 阿佐ヶ谷駅の北口には、そんな時代を連想させるセットのような細い路地が残っ
ている。「冨士ランチ」という定食屋は、まさにその頃の映画の中に迷いこんだよ
うな店である。カウンターと、テーブル2卓というこぢんまりとした店、コックさ
んが1人で、てきぱきと客の注文をさばいている。内装はずいぶん時代がついてい
るし、忙しい時にはカウンターの隅に片付けきれない食器が積んであったりするが、
厨房はぴかぴかに磨かれている。脂っこい料理がメインなので、体調の良い時にし
か行かないが、今日は食べられそうだ。名画座・ラピュタ阿佐ヶ谷で、飯田蝶子が
還暦にして初主演の「家内安全」(1958年東宝・丸林久信監督)を見終わって、
次のレイトショーの開場まで30分。夕食に、カレーライス500円を頼んでみる。
 小さなカレー鍋、冷蔵庫から出したカレーを足して火にかける。求めていた山吹
色である。私はインドカレーだのタイカレーだの、スパイシーな、本格的なカレー
が苦手なのだ。スプーンがコップに入ってなくてもいい、グリーンピースが載って
いなくてもいい、そこまでは求めないが、あの、ボンカレーのようなカレーが食べ
たかったのだ。手料理のカレーの良さともまた違うのである。小麦粉を使っている
とかいないとかは、味オンチなのでわからないが、美味しく食べた。また来るべし。
 再び戻った映画館、今度映写されているのはセーラー服姿の女子高生。修学旅行
で来た東京の自由時間、主役の5人のうち1人は、旅館に帰らず落語家の家の玄関
に座り込んで弟子入り志願。もちろん、最近の、落語をモチーフにした映画ではな
いのである。応対している師匠は、なんと三遊亭小円遊師匠(アズヒムセルフ)。
笑点のなよっとしたイメージではなく、噂に聞く本来の侠客っぽい姿。一緒に出て
くるのが小きん(つば女師)、小痴楽(梅橋師)、木久蔵(木久扇師)。
 1969年大映東京、弓削太郎監督「ある女子高校医の記録 失神」
 南美川洋子主演のシリーズ第3作、タイトルこそ大袈裟だが、第1作のような危
ないシーンもなくて肩すかし(2作目は見ていない)、ところが教頭役の殿山泰司、
大活躍。彼が主演ではないが、主役と言ってもいいくらい魅力満載。坂本頼光監督
「サザさん」ファンにはたまりませんな。


2011年3月某日 御安心なく

 3月12日4時30分現在、寒空はだかは無事。皆様の無事も祈る。


2011年3月某日 ふと思いつき

 援助物資のすき間に、音楽のCDや、落語やコメディのDVDを。プレーヤーも
一緒ならなおよし。
 もちろん、良い物をね。


2011年3月某日 大地震から13日目。

 東京にいる限り、申訳ないが、今現在、特段の不自由はしていない。
「被災地に優先的に物資を供給するため」、コンビニエンスストアの棚には空のス
ペースが目立つ。本来、それぞれの小売店があった上での便利なよろづ屋であるか
ら、この非常時にコンビニが物不足と言うのは、当然の事だろう。ただ、祝儀袋や
「御仏前」があるのに、「御霊前」が品切れであったことに、事の重大さをあらた
めて思い知らされた。


2011年3月某日 浅草東洋館の舞台より

演芸場、ここ東洋館は、このさなかでもやってます。
でも浅草も人出が少ないね、場外馬券売場が休みだから。
阪神と小倉で(競馬は)、やってんですけどね、東北、関東では発売中止だそうです。
こういう時ほど、募金替わりにちょうどいいのに。
もめたのはプロ野球で、結局、開幕が遅くなったんですけど、
偉かったのは大相撲ですね、いち早く自粛を決めてました。
悩まずにすんじゃった。
悪運強いですね。プロ野球は、やらないと困るんですよ、
……失業中の力士の収入源がなくなっちゃいますからね。
どんな時でも、人間、ギャンブルは別らしくて、
あの日、地震直後、みんな店を閉めてましたが、パチンコ屋は、やってたね、
お客が平然と腰掛けてレバー握ってるの。
「こういう時は出そうな気がする」って心理は分からないではありません。
「カクヘン(確変)が来そう」って、……来てるのは地殻変動だ。


2011年4月某日 震州不滅

「東日本大震災から1ヶ月」ってラジオで言ってたが、大地震の発生から1ヶ月で
あって、震災はまだ真っ最中である。言葉尻をとりあげるのは大人気ないが、言葉
で意識も変わるものだ。
と打っているさなか、ラジオで警戒速報、しばらくして長い初期微動から長い揺れ。

 被災地に送る義捐金は、「募金」。使ってくれ、と差出す血液は「献血」。
 「募る」か「献(ささ)げる」か、使い分ける意味はあるらしく、逆にすると、
献金にボケツ、やはり印象がよろしくないようで。


2011年4月某日 だからさ、聞きとれないよ もっと大きな声で
                   (♪地下鉄にのって/猫)


 電柱(架線柱)が風を切る音や、レールのきしみをのせて、薫風が窓から電車内
に爽快感を運ぶ。何年かぶりに、当り前であるはずの幸せ、「春」が帰ってきた。

 ほんのちょっと汗ばむ季節になると、たいして混んでもいない時間帯にも、すぐ
に空調を入れる鉄道会社の無責任な過剰サービスを苦々しく思っていたのだが、目
下の電力不足の、思わぬ恩恵である。
 窓さえ開けば、電車は走る限り風が自然に入るのだ。この調子で、なるべく冷房
を使わないでもらいたい。夏は暑いから薄着で外出するのだ。人一倍暑さにも弱い
私だが、わざわざ冷房対策に羽織るものを用意するのはごめんこうむる。電車10両
のうち、弱冷房車1両というのがそもそもの間違いで、強冷房車を1両用意してくれ
れば、あとは弱冷房車で良いのだ。冷え性の私に合わせろ、というのは勝手な言い
分だが、夏場にがちがち震える状況、というのはあきらかにおかしい。
 最寄りの千駄木駅を走る地下鉄千代田線に新車の投入が始まった。外装、内装、
設備、どれをとっても一々気に入らないのだけれど、唯一誉めてあげたいのが、近
頃のはやりと逆行して、両車端部を除けば窓が開くというところだ。1人で開ける
のに骨の折れる大窓をやめて、以前のサイズに戻しているのも、ありがたい。まる
で、電力不足を予見していたような慧眼である。

 開かない窓は窓ではない。ただの透明な壁である。


2011年4月某日 計画的非難

 計画停電に計画的避難。原発の被害自体、計画的災害だったのだ。
 サラ金に借金に来る人に、「ご利用は計画的に」というようなものか。


2011年5月某日「こっちでは、うんと電気を無駄遣いしてやろうと思って……」

 大阪、上方落語定席、天満天神繁昌亭昼席に1週間出演。
 昨年に続いて2度目なので、勝手がわかるだけ前回より気楽だが、初めてではな
いから、ウケないと面目がない。それなりに評判が良かったから今回の出番がある
わけで、結局、より一層のプレッシャーの中、楽屋入り。
 幸い、三味線のまなみ御姐さんと新子御姐さんのコンビは昨秋と同じだし、浅い
出番の吉坊さんと生寿さんは顔見知りである。他の師匠方はお初だったが、皆さん
気の良い方々で、前回同様、居心地の良い楽屋であった。もちろん、キャリアの上
の落語家さん達と一緒にいるのは姿勢にも居場所にも気を使うから、東洋館の楽屋
のように間抜けな顔はしていられない。
 東京の寄席と違って、この席には、自分の出番が終わっても、なるべくトリまで
帰らず残る、という不文律がある。次に仕事が控えている人は当然そちらへ行くし、
別に私も従わなくても叱られはしないが、かえってそういう決めがあって助かった。
 ちなみに、繁昌亭の楽屋は畳敷きの大部屋1つ、壁の二辺に並ぶ「化粧前」、つ
まり出演者の使う鏡の前に名前が貼り出してあって、色物芸人には、「色物」と1
つ割り当てられているので、不安定ながらも領土は確保されている。
 週の前半はお客の入りが今一つであったが、私の舞台はまずまず。調子をあげて、
中日には無駄な力の抜けた一番の出来。案の定、慢心して翌日はぼろぼろ、それで
も途中から立直って、終盤の「東京タワーの歌」では、前日以上の笑いがとれた。
 さすがは落語の席なので、お行儀良く想像力のある観客だから、東京言葉の演者
いうハンディはあっても、落ちついてやれば笑いはとれる、そう分かってはいるが、
ついつい肩に力が入ってしまう。
 千秋楽は大入りの客席を前に、ゆっくり丁寧に納めて──中日の出来には及ばな
かったが──無事終了。夜、吉祥寺で桜井明弘さん主催の会があるので、出番の後、
すぐに新大阪駅へ。達成感を味わう余裕なく、御贔屓さんから差入れてもらった神
戸牛弁当を名残として、のぞみ号は、無表情に東京への途を急ぐ。

【プログラム】生寿/吉坊/米平/はだか/三扇/小春団治/(仲入)
/そめすけ(ものまね)/仁福/三象/きん枝


2011年6月某日 この一定のメド野郎!

 このコーナー、ずいぶんさぼっていて申訳ない。一定の時期が来たら書くのだ。


2011年6月某日「踊れん哉」

 はっと目覚めたら、心臓がどきどきしている。フレッド・アステアの楽屋に通さ
れて、ソファに腰掛けている彼に、自分がファンであることを伝えようとするが、
緊張して、出演作のタイトルの1つすら出てこない。──冒頭でシルクハットが競
りにかけられている映画……、なんだったっけ、「シルクハットの大親分」?──。
もとより、夢だからといって英語を流暢に話せるわけでもなかった。

 東武線の上り、区間快速電車の最後部に乗ると、車両が折れそうな程の急カーブ
を、悲鳴のようなきしみをあげながら曲がって、終点の浅草駅に到着する。プラッ
トホームも端の方は湾曲していて、ドアの前には大きなすき間ができる。係員が置
いた渡り板を踏んで、反対側で出発を待つ特急電車との間に挟まれた狭い歩廊を、
突き当りの改札口に向かってゆっくり歩きだす。
 戦前にできたデパートの2階にある駅は薄暗く疲れきっているが、長旅の終着駅
にはふさわしい。会津田島から4時間10分! 私は1つ手前の北千住から乗ったばか
りだけれど……。好きな駅なので、用もないのに訪れる。
 すでに客のいなくなった快速の車内は、ボックスシートの間を縫って、青い作業
服姿の係員達が清掃整備に精を出している。それを横目に、人影もまばらなホーム
を所在なく歩く私の口から、小さくこぼれる歌。キザで恐縮だが、
♪I'll go my way by myself,……
ただし、歌詞はうろ覚えだからほぼハミングだ。思い浮かべているのは、MGM映
画「バンドワゴン」のワンシーン。大陸横断特急の着いたニューヨーク・グランド
セントラル駅のホームを歩く、落ち目の映画スター、トニー・ハンター、演じてい
るのがアステアで、なりきっている私は身の程知らずもいいところだが、誰も見て
いないから、許すべし。

 すっかり忘れていたが、学生の頃、私はダンサーにも憧れていたのだ。名画座で
観た、ジーン・ケリーに射抜かれた。初めて観た作品が「踊る海賊」だったので
──ジュディ・ガーランド特集だったのだ──、ダンスに憧れたのか、女たらしに
憧れたのかは定かでない。フレッド・アステアの華麗さが分かるようになるのは、
少しまた大人になってからのことである。

 新宿スペース107で、杉原てつさんと共演のレビュー集団“ROUGE”の胸踊るショ
ウを観て、自分もダンサーに憧れていたことを思い出した。そうだ、私はダンサー
にもなりたかった。なぜなろうとしなかったか。1つ致命的な問題があったのだ。
それは……、運動が嫌いだったからである。哀しい哉、体を動かす事が好きではな
かったのだった。


2011年6月某日 三国同盟

 脱原発はいいのだが。ドイツ、イタリアに続け!……とはちょっと言いにくいか。


2011年6月某日 最後に何が勝つ? KAN

♪信頼ないからね〜。

 1国の総理をカメレオンに例えて揶揄する人がいるが、それは失礼である。カメ
レオンなら、少なくとも被災地でハエ退治にすぐ役立つのだ。
 ……などと書いてから、念のためネット検索してみたら、「カメレオン総理」と
いう人が出てくる「クレヨン王国」という童話があるそうで。クレヨンかんちゃん?


2011年7月某日 日本の夏、金色の夏

「銀色夏女」という見出しを一応用意しておいた。おそれいりました。

「ちびっこでも、すごく せいのうが いいんだぞ!」
            ──渡辺茂男著「しょうぼうじどうしゃ じぷた」より
 これ以上ない波乱の展開、延長戦、ワンバックのゴールに続いて澤が同点を決め
るという見事な流れ。準決勝戦の勝利すらその日の夕方まで知らなかった、にわか
仕込みで面目ないが、惜しみない賞讃を贈ろう。
 とはいえ、私も日本人、判官びいき、沈むアメリカチームの中、ワンバックの毅
然とした態度にも心を打たれるのであった。

■後日注記 7月17日、女子サッカーワールドカップ決勝、アメリカにPK戦の末、
日本優勝。


2011年7月某日 いまはただ雑音だけの道具なり

 24日正午、我が家のテレビは映らなくなる。
 地上デジタル対応にしないと「テレビが映らなくなりますよ」と宣伝しているけ
れど、テレビが映らなくなるのではなくて、番組が映らなくなるだけなのだ。
 今月、テレビを点けた記憶は、女子サッカーワールドカップの決勝のPK戦くら
いなので、電波を止めるというなら、見てやらないだけの話である。日々の情報は
ラジオで充分であり、名画座通いで娯楽も満ち足りている。
 全国で何十万台というテレビが映らなくなるというのは、またとない節電効果で
もある。
 それよりも、どこか1局くらい、ぬけがけで、電波を止めなければ、そこは占有
率100%になるのに。テレビ東京あたり、うっかり、電波を切り忘れるというのは
いかが。
 というわけで、地デジ化ではなくて、完全「非デジ化」宣言である。正午の時報
の瞬間、地デジカなどというおとなしいマスコットにかわり、角をつけた大滝秀治
「ヒデジカ」が叫ぶ。
「う、うつらんっ! お前のテレビはうつらん!」


2011年7月某日 中国四千年の穴

 どうせ埋めるなら、もっと深く掘った方が良くないか。否、あまり深く掘ると、
何か前に埋めたものがでてきてしまう可能性がある。
 とにかく頭をつぶしてとどめを刺す、というのは、マムシじゃないけど、やっぱ
り勝手に電車が暴れたと知らしめたいのだろう。


2011年8月某日 不安院

 少なくとも、原子力「安全」庁という名前は、おかしい。


2011年8月某日 大問題、誤算送り火

 逆転逆転、また逆転。京都対陸前高田。最終日まで、結果はわかりませんぞ。

 禍根を残さない為には、多少セシウムが出ようが、燃やすしかあるまい。もし、
燃やすのが不安ならば、中国に倣って、現場の横に埋めるがよい。
 まず、大地震被災地の松だからといって、一地域の風習に過ぎない五山送り火で
燃やすという発想が浅はかだった。それを一遍でも受入れた保存会も柔軟すぎた。
そのうえ、横槍を入れた京都市がまた間違いだ。千年の都、京都の伝統行事に、い
かな千年の災難とはいえ、他所者の薪をくべる理由はありや。有職故実。しきたり
に固執しない古都に、なんの魅力があろう。


2011年8月某日 菅内閣総辞職表明

「お客さん、カンバンですよ!」
「……カンバン?菅の番……、俺の番か?!」
「いつまで居座る気ですかッ!」


2011年8月某日 海江田バンリソウリじゃ、漫才師みたいだもの。

 大変失礼ながら、野田首相、ドジョウというよりは、カバに似ている。
 というわけで。
「誰がカバやねん!……どろソーリ。」
というネタを思いついたのだが、関西地方でないと、おそらく分からないのである。
吉本新喜劇、原哲男さんの、オリバー「どろソース」のコマーシャル、実は私も見
た事はない。


2011年10月某日 かかと割れ月兎も跳ねる十三夜  寒空

 かかと割れて、秋の深まるを知る。


2011年11月某日 今日のひとごと

 メールソフトの設定を、いい加減なまま放置しているので、ブラウザメールでや
りとりをしている。それも未だにIE5.0なので不具合が生じているが、それはま
た別の話。
 メール本文の作成に、どんなに時間がかかろうがかかるまいが、発信作業は、あっ
けなくも一瞬だ。
 送信ボタンをクリックする。
「メールは送信されました。」
と表示が出る。
 送信されました……、「できました」と云う意味で「されました」と表現してい
るのか知らぬが、なんだか他人事の様ではないか。送信を指示したのは私だが、送
信したのは御前(ヤフー)だ。「送信しました。」と、潔く責任をとってもらいた
いものである。
 ──などと常日頃、偉そうに思っていたら、うっかり文章の完成前に、ミスタッ
チで発信してしまう。暴発である。
「メールは送信されました。」
 今度こそ共感した。



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