■漫談家・寒空はだかウェブサイト 窓口 紹介 予定 趣味(旧作邦画) 2008年以前の日記
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2009年2月某日 G7良いとこ一度はおいで、酒はうまいしネエチャンはきれいだ
アカデミー賞で「つみきのいえ」「おくりびと」、ともに受賞。
中川昭一財務相、ローマG7後の泥酔会見で二転三転しながらも大臣辞職。
「大臣!一番印象に残った場所はどこですか?」
「いずこも忘れ難く善し悪しを決めるのは困難ですが……、ローマです!
無論ローマです。今回の訪問は永遠に忘れ得ぬ想い出となるでしょう。 」
2009年3月某日 アダチ流珈 琲
下高井戸駅北口のマーケット裏に“two-three”という、「絵に書いたような」
マスターが、ひとりでやっているコーヒーの店がある。私はこの主人を開業前から知っ
ていて、その達者な芝居に、何を隠そう、にわかファンになったのだが、途端に舞台
を劇場からカウンターの中に移してしまった。
神保町シアターで映画「小三治」のモーニングショーを観終わり、下北沢ザ・スズ
ナリで“Duck Soup”の昼公演観劇までの時間を利用して、初めてその店へ行って
みようと思い立った。神保町から下高井戸へは電車で1本である。きちんと場所を把
握して来なかったが、駅から1分と、ウェブサイトには案内されていた記憶があるか
ら、じき見つかるだろう。陽射しの暖かい散歩日和だ。
小1時間経過、……いまだコーヒーを味わうことなく、かわりに美味しい鯛焼をく
わえた私が、にぎわう昼下がりの商店街をきょろきょろしていた。開店してまだ日が
浅いからか、尋ねた人も首をかしげるし、交番も役に立たない。駅前の商店街の案内
図にも出ていない。駅を中心に4方に向かって、小さな店がひしめいている。
その間、わざわざ新規会員になってまでネットカフェで場所を確認したのに、なお
発見できずにまた同じ路地を戻る。もっとも、ネットで調べたおかげで、前半30分は
間違った名前で訊いて回っていたことを知った。かくて、無駄に下高井戸駅前の道に
明るくなっただけで、すごすごと、世田谷線の客となる。
翌日、午後、下北沢での打合せの後に、再度、下高井戸駅に降り立つ。もう何度も
通った「北口れんが通り」、あるはずの場所にあるはずの店がない。1軒改築中の店
があるのだが、ひょっとして早くもつぶれてしまったのか。あきらめかけて、気にな
る中華そば屋でラーメンを食べ、せっかく昨日会員証を作ったのだからと、もはや幻
と決めつけている店のサイトをチェックすると、ブログが今日更新されている。
すでに黄昏の、れんが通りへ戻ってみると、忽然と店が現れたではないか。暖かい
光が、さみしい路地にこぼれてきている。昨日今日で10回は、大袈裟ではなく、この
前を通り過ぎているのに気付かなかった。路面店だが看板がない。昼からやっていた
はずだが、おそらく美容院かなんかと勝手に思いこんでいたのだろう。とにかく、大
きなガラス越しに、コーヒーショップの幸せな雰囲気が映って、ようやく私にも幻の
店が見えるようになった。
まだ30過ぎだろうが、あごひげとパイプの似合う男が──パイプをくわえたのは見
たことがないけれど──、私の来訪に少しだけ驚きながらも顔をほころばせた。彼は、
彼の落ち着いた低音の会話にうっとりする女性客を相手にしながら、とても美味しい
コーヒーをいれてくれた。背後で7時を指した柱時計が9回鳴った。また折にふれて
お茶を呑みに来たいが、次回もまた、入口を見つけられない気がする。
2010年4月1日 公にできないが「今、腹案を持ち合わせている」
四十五にして、息子ほど年齢の離れた青年に指図されながら、修業をする日が来た。
月並な感想ではあるが、運命はどう転ぶか、わからないものである。高校三年の秋、
馬生師匠という落語家が亡くならなければ踏込んだかも知れぬ険しい道。義経曰く、
鹿が越す坂ならば、馬も越せぬ道理はない。人生の一の谷。しばらく日記もお休み。
■後日記 まあ、「鹿が越す……」のくだりに無理があるし、あまり出来が良くない
が、エイプリルフールのサービスである。
2009年4月某日 はだかだったら何が悪い
くさなぎ剛さん、公園もとい公然Yセツで逮捕。
確かに犯罪だけれども、テレビ各局、神妙な顔で伝えるようなニュースではない。
笑って済ませば良いものを。「陽気が良くなってくると……、」という風物詩的ニュ
ースではないか。警察の過剰な対応を批判すべきが、権力と戦うマスコミの矜持だ。
鳩山邦夫にあんなに怒られる筋合いもない。地デジに今加入すると、くさなぎ剛の
全裸を公開、など活用すれば、普及促進に一役買えるのだ。日本郵便の隠蔽体質に比
べれば、見習うべき御開チンである。「赤坂サカスッ!」
2009年4月某日 浅草東洋館の舞台より
♪公園のフェンス越しに夜の風が吹いた
……よほど夜風が気持ちよかったんでしょうねえ。夜空ノムコウから、塀の向こうに行きかけました。
スッポンポンのS、もろ出しのM、あそこのA、ぽこ……、まあいいですけど。
でも酔って裸になっただけですから、そんなに神妙に伝えるニュースじゃありません、
笑ってにこにこ読めばいいのに、
「陽気が良くなってくると、あぶない人が出てきますね、
赤坂では露出狂が出現、いよいよ春本番です。」
そういう風物詩的な、季節モノのニュースなんです。
パチンコ屋の駐車場で忘れ去られる子供の話題を聞くと「あ、夏が来たな」っていうのと一緒です。
だいいち、もともとは騒いでうるさくて迷惑っていう苦情でしょ、
実際の裸を見たのは、警察官とインタビューに答えてた外人だけでしょ。
あの、外人なんかは喜んでたんですから、
それを警官が無理矢理拉致してって、公的権力だけで国民的スターの裸体を楽しんだんですよ。
許せない隠蔽工作です。
もっとひどいのは鳩山邦夫総務大臣。
自分はアルカイダの友達の友達のくせに。
すぐトーンダウンしてしまいましたけど、
地デジのシンボルなのにけしからん、って、
地デジのシンボルがついでに自分のシンボルまで出しただけの話です。
今こそ普及促進のチャンスですよ、今加入すれば、草弓剪君の裸が見られます、
っていえばみんな入るのに。
聞いた話ですけど、もっと問題だったのは、家宅捜索したら、
本人のテレビは未だにアナログだったという……。
2009年5月朔日 インフル、はいってる?
猫も杓子も新型、新型って新しいものをもてはやす風潮が気にいらない。
いよいよ国内にも感染者か、ウィルスが侵入か、というニュースの中、豚インフル
エンザという名称は、患った側も情けないので、もっと強そうな、
「せめてもっとかっこいい……、虎インフルとか」という、巻頭言をアップしておい
たら直後に「インフルA」と呼称すると、WHOの発表。時代の速度についてゆけな
い前世紀の7500/100寒空はだかだ。「今」はもう「さつき」になりにけりである。
2009年5月某日 キヨシロー逝く
神様、役立たずだぜ。
2009年5月某日 ♪おざわわ、おざわわ、おざわわ
風が通り抜けるだけ。
「え?オザワ、キレイに映ってなかったの?……後はヨロシク!」GEE.OZAWA
♪オザワ村中で一番、野暮だと言われた男〜
「小沢さん、辞意は献金問題のせいですか?」
「それに関しては、ノーコメント、に、しまつ……、あ、言っちゃった。」
2009年5月某日 ♪チャラ〜ラ〜ララ「政界の世襲から、不実ゥがお送りします。」
なぜ世襲するかというと、商売だからだ。儲かるからだ。王様だって、領民という
お得意さまを引き継ぐから、王という職業が成り立つのである。代議士なんて面倒な
仕事、ずいぶんと儲からなければ、子供に継がせようと思う親はいるまい。子供も継
ぐまい。
「私は政治屋ですから、金は儲けますよ、皆さんから巻上げますよ、そのかわり、い
い夢も見せてさしあげましょう。」
そう言ってくれれば文句はないのである。
「なんか二代目、比べると頼りないなあ……。しょうがない、台の上に載せちまえ。」
それはセッシュウだ。
2009年5月某日 阿房烏
先日、「アホ」と鳴くカラスに初めて出会った。日暮里芋坂上、線路を見下ろす崖
上の諏方神社。幼少の頃から、漫画などで「アホー」と鳴くカラスの理解に苦しんで
いたのだが、ようやく納得した。5mばかり先で軽快に「アホッアホッアホッ」と、
よそを向いて歌っている。私から目をそらす角度がなんだか思わせぶりで、馬鹿にさ
れている気がする。
先代金原亭馬生師匠も高座で「あほ、あほ」と鴉の声を表現していたが、なるほど
御近所にいたわけだ。ただ、馬生師の「あほ」は「あ」にアクセントがあった。平成
のカラスは「ホッ」と語尾が上がって、あまり悪意を感じない。
その「あほがらす」の神社を今度は見上げながら、上野発の一番電車で一路北へ。
無駄に冷房が入って風邪をひきそうだ。栃木県の宝積寺駅で、古びたディーゼルカー、
烏山線に乗換える。「今月開催するDM展」の告知DMを出すために、間もなく山あ
げ祭を控えた、終点・烏山駅へやってきた。情報に添えたイラスト、マスカラスとド
スカラスに絡めて「烏山」という消印で出そうという企てである。7年前の午年用の
年賀状を馬に因んだ消印で出すため、ここから更にバスで奥に行った馬頭郵便局を訪
れる途中、立寄って以来の烏山である。いつのまにか、烏山町から那須烏山市になっ
ていた。
開いたばかりの郵便局の窓口で烏山局の消印を押してもらうように頼み──そうし
ないと宇都宮東支店の消印になってしまうのだ──、ミッションは終了。午前中は滞
在可能なので、ヤシコバチャンが以前、同人誌に書いていた、滝に行ってみる。ほん
の1駅手前にその名も「滝」という駅があるのだ。その間約3キロ。平行して道路が
あるのを往きに見ているので、ぶらぶらと歩くことにする。瑠璃色のアゲハチョウが
先導してくれる。市の鳥は、文字通りカラスらしいが姿は見えず、代りに線路端の田
畑に、ウグイスとカエルの声が響く。どちらかというと、鴬山である。
「ホケキョイ」という半端な鳴き声の方を向くと、枯れ枝の先に、生まれて初めてウ
グイスの姿を見つける。つい先日まで、メジロをウグイスと間違っていたのだが、紛
うことなきウグイスだ。角度が悪いので、1歩下がろうと振り向いたら、もういなか
った。
滝駅から川沿いにちょっと下った所、こんな所に滝などあるのかと思った途端、忽
然と開けて滝が現れた。落差は30mくらいだが、それなりに斜度と幅があるので見応
えがある。絶え間なく落ちて行く水を呆然と、寝不足もあって呆然と眺める。乗って
いる時には気づかなかったが、滝の上をエンジンを震わせながら列車が走って行った。
■ちょうど1年後、当日のメモを元にこの文章を書いた。1つだけ意味不明の記事、
「カモフラージュ アジサイ」
11:44、滝駅発の列車で帰る、とある。
2009年6月某日 ♪辞表でゆくならハトヤ・マ
ハトの祭。
2009年6月某日 ♪濃い人よ是が私の一週間の仕事です
月曜日
700枚の葉書を携えて東上線の坂戸駅からバスで15分。川が、はすっかけに下を
流れる珍しい交叉点の先に、鳩山郵便局。民営化で集配局から配達センターに格下げ、
そのまま出すと「坂戸」の消印になってしまう。「鳩山」の消印を窓口で大量に押さ
せるのは不憫ゆえ、料金別納の表示に、兄弟鳩の皮肉をこめる。
夜、代官山でLASTORDERZをメインにWORLD HAPPINNESS前夜祭2。
淡谷三児さんと安斎肇さん中心の中年パンクバンドに田口トモロヲさん加わり、老
練ストーン。
火曜日
記憶がない。疲れがどっと出て、寝たり起きたり。午後の陽射しにあふれる銭湯を
独り占め。
水曜日
田辺駿之介さんの講談会にゲスト出演。上野広小路亭は力んで出来の悪いことが多
いのだが、この晩は良し。しかもこの会ならでは、の、失礼にも新ネタも披露。気分
よく打上の席、出演した女流前座さんが三人三様で面白い。
木曜日
渋谷円山町、栗コーダーカルテットと渋さ知らズオーケストラのジョイントライブ。
仲をとりもつ川口義之さんの陣中見舞に手ぶらで行くと、差入がわりに前説をやるは
めに。無論、この祝祭に参加させてくれようという川口さんの慈悲、急な話で却って
良かったか、絶妙のネタ運びに気分よく満場の喝采を浴びる。
金曜日
四谷コタン、吉例、好田タクトさんと弱つとむさんと東京ガールズと私の4組の会。
始まって以来の不入りも、ツボを得た反応に、始まって以来の上出来。肉じゃがのよ
うな仕上がりの寒空はだか。具の角はとれてしまったが、うまく煮えた。ぐずぐずの
手前、味の染みたところを召上がれ。
土曜日
吉祥寺でミクニヤナイハラプロジェクトの舞踏色強い芝居を観賞。息をもつかせぬ
展開が緻密に進行して驚愕。言葉に節をつけて伝えるのが音楽であるが、言葉につけ
られた体の動きに高揚。たまたま、笠木泉さんと稲毛礼子さんという知合いが出演し
ていたから観に行ったのであるが、動く言語を持とうとしなかった私に、己の身体と
限界まで戦う演者達の姿が、まぶしい。
日曜日
とまあ、火曜日以外は精力的に出したり入れたり、薄味の私にしては、珍しく知己
に囲まれ、はしゃぐ毎日を過ごす。日曜日に宝塚記念をはずした以外は、当りばかり
の1週間であった。
2009年6月某日 東よくばる
私を総裁候補としてからかう気はおありですか。
2009年7月某日 ♪「ウォーウオ、その先はドーナッツ」
7月になって、子連れ自転車3人乗り解禁だの、エコポイント開始などというニュ
ースが騒がれる中、私にとって一番の打撃は、地元・千駄木駅前のドトールとミスタ
ードーナッツ、両店鋪の同時閉鎖である。今日は別の、アドリアという喫茶店に行く
つもりで前を通りがかったのだが、青天の霹靂(梅雨空だけれど)、我が仕事場分室
が、6月末日の昨日で閉店という貼り紙を見て愕然。1週間前に寄った時には気付か
なかったが、財布の中に残っていたレシートには、その旨書いてあるのに気付く。
クーラーなしという、非常に環境に優しい私にこそエコポイントをくれるべき、と
いう話はさておき、これからの夏、しかもソロライブを控えた時期に、安直に涼める
スペースが消えたのは痛い。もともと千駄木駅前は喫茶激戦区で、この2軒が消えて
もコーヒーを出す店はいくらもあるし、用途によって使い分けてきたが、字を書く作
業に適した机の高さ、ほどよい混み具合、それを備えた場所を失ってしまった。これ
は痛い。ドーナッツとミラノサンドが食べられなくなるのも残念。
食事代より喫茶店にかかる経費の方が、特に夏場はかさむ私である。だからといっ
てクーラーを我が家に導入するくらいなら、喫茶店に涼みに行く。夏の暑さ、それを
結局クーラーという手段で解決するとはいえ、行動を起こして解決に行く、ここが寒
空はだかの偉いところだ。それも面倒くさければ、部屋でのびていれば良い。
根津のモスバーガーもやめてしまったし、我が家至近のジョナサンも去って久しい。
道灌山通りのルノアールも、つい先日撤退。谷根千ブームの中にもかかわらず、チェ
ーンのコーヒーショップがほとんどない、それは素晴らしい街の力であるが、一杯の
コーヒーでねばるタイプにはつらい我が街になってしまった。
たまにしか書かない日記、こんなことより他に、舞台の感想などを書けばいいので
はあるまいか。いやいや、そう思われた貴方こそ、今すぐ、近所に、フランチャイズ
の没個性な店を開店されたし。
2009年7月11日 寒空はだか 於 ザ・スズナリ「ザ・俺なり」1
開演の時間は、あっという間にやってくる。舞台後ろの大黒幕(おおぐろ)裏の暗
がりで、オープニングの曲を待っている。薄く流しているBGM、映画「アニーよ銃
をとれ」のサントラが丁度、“There is no business like show business”
にさしかかる。
CD「俺様と私」収録の1曲目、杉ちゃん&鉄平演奏のサロン風「東京タワーの歌」
をきっかけに、シモキタ演劇村発祥の地、ザ・スズナリの舞台に第一歩を記す。
茶沢通りを隔てた向い側の北沢タウンホールには栗コーダーカルテットが出演、同
じく舞台袖から出てくる頃だ。加藤千晶さんは吉祥寺MANDA-LA2で、“水中、それ
は苦しい”は西荻窪でソロライブ。春風亭昇太師匠の活躍する椿組、花園神社テント
芝居「新宿ジャカジャカ」は今日初日。そんな今宵、寒空はだかのシモキタジャンジ
ャカをあえて選んでくれた生贄が、あっけらかんと何も大道具のない素舞台の向う、
客席の雛壇から、暖かい拍手をふりそそぐ。はだかの俺様、高支持率。その中を、ゆ
っくり舞台中央へ進みでる晴れ姿。ニセムーンウォーク付き。
入念にチェックしてもらったマイクから拾われる私の声が心地よく響く。
「終演の時期は、これは私の専権事項ですから、しかるべき時期に私が判断します。」
観客、スタッフ、申し分のない御膳立てをしてもらって、私の一人舞台、はじまり、
はじまり。
2009年9月某日 首班指名を16日に控え、まとまらぬ自民党
主犯指名だったら、迷わず麻生太郎と書くのだろう。
2009年9月某日 幻覚な家庭
ラフレッサという、外観は瀟洒だった喫茶店が本町4丁目にある。ここのケーキと
美人外国人ウェイトレス目当てに立寄ると、テレビに映し出される、今まさに保釈さ
れて湾岸署を出てきた酒井法子嬢。
同行のK月氏、「本物のドラマみたいですね。」
堂々とした態度、さすが、らりっても女優である。8ならびのナンバーをつけた車を、
上空からカメラが追いかける。
ひとりになった私は、日本橋から、傾きかけた陽の似合う神田多町界隈を抜けて淡
路町方面。
轟音に空を見上げると、秋の高い空に数機のヘリコプターがホバリング、どうやら
件の車は首都高速都心環状線に入ったらしい。まるで、カツオの居所を知らせる海鳥
のようである。目を地上に戻すと神田の広い交叉点、上野の方に向って、警官とスー
ツのいかめしい男達が点々と、大通りを見張っている。この通りは、博物館や美術館
に向う、皇室と国賓がよく通るのだ。
信号機の機器箱に警官が鍵を差し込むと、ほんの数十秒、大通りががらんと空いて、
黒い車列が悠然と辷ってゆく。歩道側の窓に、銀髪の皇后陛下の気品ある横顔が映る。
ほんの数秒後に通りがかったた人は気づかないだろう。何事もなかったように、再び
往来がはじまる光景は、ドラマ以上に非現実的なひとときである。
2009年9月某日 早起きはサンコンと僕
小さな名画座「ラピュタ阿佐ヶ谷」、今月のモーニングショーは雪村いづみ特集。
週替わりで「娘十六ジャズ祭り」「東京シンデレラ娘」という井上梅次監督のミュー
ジカル仕立のバックステージ物に続き、本日は趣が変わって、1954年松林宗恵監督
作品「月の光 トラン・ブーラン」。
白黒の荒れた画面に揺れる鐘の「新東宝映画SHINTOHO」マーク。高校教師の
小林(小笠原弘)は、雨宿りに入った行きつけの食堂で、偶然、マレー戦線で部下だっ
た佐々木(加東大介)と、十余年ぶりに再会する。二人が思い出すのは、“日本語学
校の先生として現地人に慕われる、おニブな小林伍長”に恋心を抱く17才の娘ベルダ
(雪村いづみ)のことだった……。
よほど資料の少ない作品なのか、プログラムにスチール写真の掲載がなく、先述の、
回想シーンへ導入するエピソードは、実際の作品とは違う設定が掲載されている。ど
こで撮影したかは知らねども、まだあか抜けない“トン子”の顔が密林にとけこんで、
マレーなまりの日本語をあやつり、達者な演技。ラストまぢか、部隊は突然の転進で
2人は別れ別れ、思いをとげられず、小林のトラックを追いかける雪村ベルダが切な
い。
見終わってロビーにいたら、不意に雪村いづみさんが姿を現す。突然の事に、賞賛
の声をかける間もなく、彼女はレストランへと消えて行った。思わず、傍らにいた映
画館のスタッフに「本物?」と尋ねてしまったが、「本人?」と言うべきであろう。
ちなみに「東京シンデレラ娘」では雪村の相手役、後のウルトラ警備隊のキリヤマ
隊長・中山昭二が、「雨に唄えば」の「ブロードウェイバレエ」を目一杯意識したス
テージで、華麗にダンスするシーンが観られる。あの方は元ダンサーだったのだ。
「バンドワゴン」の「トリプレッツ」を真似て、高島忠夫とフランキー堺が赤ン坊に
扮して踊るナンバーも楽しい。そして、「娘十六……」と「東京……」の2本で共演
する新倉美子(しんくらよしこ)の美しさに舌を巻くのであった。
2009年9月某日 夫婦円盤
国連で二酸化炭素25%削減を主張して喝采を浴びる、というのは、かわぐちかいじ
の漫画をみるようで痛快である。惜しむらくは、あんな大きな政府専用機でアメリカ
へ飛んでいる点で、せっかく幸夫人同伴なのだから、UFOに乗せてもらえばもっと
地球に優しかったのだ。
2009年10月某日 ♪地球の裏にも朝ァが来るゥ〜
ブラジルといえば、地球の裏日本である。2016年のオリンピック開催地が、リオ・
デジャネイロに決まってしまって、ほっとしている。東京に決まってしまうと、来て
ほしくない、やるべきではない思いと、でも近所で行われる興奮とがせめぎあって、
精神的にバランスがとれなくて面倒である。なにより、南米初、という感動的事実に
勝るものはない。
リオ五輪 日輪ほどの暖かさ 寒空
2009年10月某日 踊るキチガイに見るキチガイ
「センセーには、歌って踊れる有島一郎といった役どころを……」
これ以上私の心をくすぐる口説き文句があろうか。発端からプロの手口で、予定を
きかれた。内容を聞く前に、さしあたって予定が空いていることを伝えておいたら、
次に会った時には、世紀の公演への出演を告げる特報チラシが、ザ・スズナリの我
がソロライブで配付されていた。
大日本プロレス×シェイクスピア第2弾、「ロミオvsジュリエット」。
格闘技に疎い私だが、歴史上の人物として名前くらいは知っているグレート小鹿
さん(試合は出てないが現役)の率いる大日本プロレス、売りは血まみれ「デスマッ
チ」。他のプロレス団体のことは不勉強にも知らないのだが、夏の終わりに新木場
のリングで観戦した彼らの試合は、力まかせの勝負ではない、「間」と「呼吸」で
組み立てられた、わくわくするショーであった。
その時、この愛すべき輩に惚れ込んで企画を立ち上げた「ロミジュリ」プロデュー
サーのヤシロ女史は、私の様子を「ハダカさん、結構、冷静に観てるの」と、もう
一人の首謀者・ササ奇亭氏──冒頭の口説き文句とチラシを作った男──に語って
いたが、一見冷静なのはプロのエンターテイナー達への敬意なのだ。こちらとして
も「お客さん」には、なれない。不敵な笑みを浮かべて、拳を握りしめていた筈で
ある。蛍光灯の束に突っ込んで流血する様は確かに凄惨だが、元来その、他人の痛
みはあまり感じない性分なので。
とにかく、彼ら大日レスラーへの愛だけで、無償の愛どころか持ち出しの愛で、
当日を迎えたプロジェクト。もちろん、持ち出しの愛のいくばくかは私も頂戴する
わけだが、狂言まわしとしての使命の重大さに嘔吐寸前。普段、自分と観客との関
係だけで無責任に舞台を勤めていると、もう一極、他の演者をくわえた多角形の空
間に、ついてゆくのは大変なのだ。しかも、レスラー達は、役者顔負けの芸達者と
きている。勘のいい彼らは、限られた稽古時間でセリフも覚え、ツアー4連戦最終
日に組まれた、この芝居仕立に臨んでいる。
開演時刻、19時過ぎ、照明が落ち、緊張感に満ち満ちたレンガ造りのホール、
リング中央に毅然と立つ、久保田安紀さんの荘厳な歌声で、悲劇は開幕。
さて内容はというと、会場の赤れんが倉庫のある横浜市を舞台に、お上の規制を
原因に袂を分かったプロレス団体、引き裂かれた悲劇のタッグパートナーとして、
ロミオとジュリエットを描く。そのストーリーに沿って、体を張った試合が展開さ
れて行く。レスラーたちのミュージカルシーンあり、私と花組芝居の役者である女
装した美しき八代進一丈が歌い上げるシーンあり。「ボクデス」コハマ氏のパフォー
マンスあり、そして天使役で登場する、ミゼット遺産・ミスターブッダマン氏。
クライマックスは、メインイベント、ロミオ葛西純vsジュリエット“黒天使”沼澤邪鬼
「LOVE of MADNESS ポイズンデスマッチ 時間無制限1本勝負」。
画鋲まみれになって、蛍光灯の破片を浴びて、そのうえ折畳み机を上に敷かれて、
3メートルの高さから体当たりを食らう。ウィリアム・シェイクスピア原作を、デ
スマッチレスラーが演じるとこうなるのであった。
楽屋で、他のレスラー達がモニターを見守る。輪の一番外の私は、その光景も含
めて、胸を突かれる。常軌を逸した気違い沙汰に、感動するとはいかなることか。
踊るキチガイに見るキチガイ。そんな宴に参加できて光栄な日であった。
2009年10月某日 寒空百景
開場前、からっぽのライブハウス新宿LOFTは、「あれっ」と思うほど小さく見
えた。ところが開演後、満員のフロアを舞台から見ると、とても大きく見えるので
あった。
1ヶ月に渡る“DRIVE TO 2010”、今宵は鈴木慶一プロデュースナイト。
慶一さん率いるムーンライダーズと、栗コーダーカルテット、それに私という、
恐縮至極のラインナップ。壁を隔てたバーコーナーのステージには、
「水中、それは苦しい」「ダンボールバット」「東京タワーズ」「ダブルユース」。
かつて小滝橋通り沿いにあったロフトには出演経験がないけれど、歌舞伎町に移っ
てからは1度ある。KERAさんのザ・シンセサイザーズのゲスト、せいぜいほんの
4、5年前だと思っていたが、調べたところ2000年だったことが判明、少しめま
いがした。その日の構成は多分、今晩やる曲とあまり変わらない気がする。怖くて、
何を演ったか、記録をチェックするのはやめた。
幹事役のサエキけんぞうさんの紹介で、第一“奏”者・寒空はだか登場。立って
観てもらうほどのものではないけれど、腰掛けるものもないから勘弁しておくれ、
そのかわりこちらも、ダレ場なく鞭打って30分駆け抜けましょう。後に控えるスタ
ー達に、胸を張ってバトンを渡せるように。
私のファンには目新しいものはなくて申し訳ないが、代表曲を歌い上げ、ラスト
は「バカの壁」、大拍手を背に楽屋へ戻る。続いて栗Q、バーステージでも観たい
バンドが出るけれど、ムーンライダーズのアンコールでセッションがあるから気が
抜けない。ライダーズをよく聴くようになったのは古い話ではないが、バンド界の
錚々たる重鎮と、かたや結成間もなくからの長いお付合いの栗コーダーカルテット、
この人々と同じ空間で同じ曲を演じる日が来ようとは。「温和な労働者と便利な発
電所」。不調法な部分は笑顔で誤魔化す。
私と栗Qが去ってアンコールの締めは「スカーレットの誓い」、私がムーンライ
ダーズで初めて聴いた曲。自転車キンクリートという劇団のカーテンコールで、印
象的にかかるのがこのナンバーであった。
打上で、我が音楽人脈の原点、栗Qの川口義之さんと、出会いから20年近い歴史
を振返り、感慨ひとしお。あの頃の私は箸にも棒にもかからなかったが、フォーク
にはかかるようになったか。まだ夜の明けぬ4時、最後まで残った、ダブルユース
の面々と、ロックの殿堂を後にする。
2009年10月某日 アタ棒だじょ
日本人である前に、いや人間である前に、江戸ッ子でありたいと思っているので
ある。オラ、産まれは埼玉県だども。気質の問題であって、江戸ッ子的行動原理、
価値基準に従いたいものだ、と日々思っているんだべ。
1億国民、全て江戸ッ子かたぎになれば、25%の温室効果ガス削減など、わけな
いのだ。やせ我慢は、環境に優しい。
2009年10月某日 イムジン河を渡らずに別の川を……
初めて買ったLPレコードはザ・フォーク・クルセダーズの編集盤。松原団地駅
東口の、やすなレコード店、私は中学生であった。無論、フォークルの活動してい
た頃はまだ小さかったから、知っていた曲は「帰って来たヨッパライ」だけ。しか
し、胸をしめつけられるような前奏から加藤和彦のビブラートのかかった声で始ま
る「青年は荒野をめざす」の衝撃、血が湧いた。そして、物事を別の角度からいじ
くるやり方を、収録された曲達から学んだのだ。
加藤和彦さん命を絶つの報、悲しい気持ちと裏腹に、とても発表できないネタが
色々と生まれてしまった。破廉恥きわまりないが、それこそが、フォークルが私に
授けたパロディ心のたまもの、いや、なれのはて、なのだ。加藤さんの死を悼む。
2009年10月某日 ヤレ、ホンニサ
羽田がハブだとか、いや成田とか言ってるが、ハブっていったら伊豆の大島だろう。
2009年10月某日 桂米朝師匠、文化勲章選出
川柳川柳師に、軍歌勲章を。
2009年10月某日 江戸ッ子よりシャイな立川文都師、逝く。
未明の新橋駅前、小1時間だが、文都師匠と2人、シャッターが開くのを、缶チュー
ハイを呑みながら待っていたことがあるのだ。大阪から談志一門に入る、という、
特殊な環境を過ごした方である。誰よりシャイでおせっかいやき、江戸前の浪速ッ
子、文都師。病死の報を見つけ、落胆。
「──そんなんアカンでホンマ、なあ、はだかちゃん。」
今でも、ボヤキが聞こえるのだ。
2009年10月某日 たまげたわー
今月は仕事の本数は少ないものの、朔日の大日本プロレスを始めとしてどれも印
象深く、内容もバラエティに富んで楽しい舞台であった。私事でも、なにかと忙し
い日々となり、折角の行楽シーズンも物見遊山に遠出する機会には恵まれなかった。
そのような中、いちばん驚いたのは、10月19日、新宿ロフト。
ケラさんのシンゼサイザーズのゲストで登場した、ケラさんの妻、バスガイドに
扮した麗人、女優の緒川たまきさんが、寒空はだかの「東京タワーの歌」を、にこ
にこ歌う。そんな話は知らずに客席に居合わせた私はのけぞる。ぽかんとしている
観衆の外縁で呆然と、現実味の感じられない光景を、指と指の間から覗くばかりで
あった。
2009年11月某日 千駄木短信 世情/中島みゆき
夕やけだんだん上の名所、怪しい健康食品店、長命源、姿を消す。
谷中銀座商店街の中程に、100円ショップが開店。古き良き商店街の面影は確実
に滅びつつある。
団子坂下のドトールコーヒーとミスタードーナッツの後に、サンマルクカフェが
オープンしたのはありがたいけれど、以前のような、ドトールとミスドでの、客の
棲みわけができないのは難点。
喫茶アドリアには変化なし。建物は創業以来のものではなかろうが、もうじき50
年という歴史をまったく感じさせない、変哲のなさが良い。この御時世、主張のな
い空間は、それだけで贅沢である。今日も、可も不可もないイージーリスニングが
エンドレスで流れている。が、おかみさんにとっては、このCDでなければならな
いようなのだ。選択肢がないのではなく、変えたくないのだ。
千駄木駅前のNTTの土地に、通信機械を詰込んだ「巨大ビル」の建設計画。そん
なものは出来ないにこしたことはないが、反対の幟や横断幕に、「いらない」と書
かれていることに違和感を覚える。「迷惑」ならわかる。
道灌山下の丁字路、2階建ての1階部分の薄暗い抜け裏ミニ飲食街と、ダルマ理
容室を含む一角が、ついにマンションになる。
根津あかぢ坂下、長らくそのまま放置されていた貸本屋の跡が更地になっていた。
膨大な古典まんが達はどこかに引取られて行ったのだろう。澤の屋旅館の外観が、
以前の安っぽい公共の宿的風情、万博の頃の雰囲気を払拭していた。
谷中バス停前のカヤバコーヒーが9月に店を再開したのだが、未だ足を踏み入れ
ていない。先代の思い出に上書きして消してしまうのが怖いのだ。勝手に歌を作り
ながら挨拶にも行かないというのは、失礼極まりないのだけれども。
私は「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者」なのだ。
千駄木に部屋を借りて、はや18年。道灌山下から大給坂上に移って、まもなく
5度目の更新を迎える。
2009年某月某日 正念場倶楽部
今後の失言を期待して、あらかじめ一言。
「暴言ダム基地」
2009年12月某日 私の望むものは
恒例、今年の「字」、発表。「新」。
昨年が「変」。私は、新しくなったり変わること、を求めていない。「良くなる
こと」、これが私の願いである。
2009年大晦日 ゆくウシくるトラ
冷や汗をあつめて早し年の瀬戸 寒空
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