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[ものぐさ枕2005]
  2004年より、ジオシティーズ内に開設した、寒空はだかサイトの日記コーナー「ものぐさ枕」
  「ものぐさ」+「草枕」、無精者の旅日記が、名づけの由来である。



 1月 
2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2005年1月1日 (土) 今年もよろよろ

例年通りモロモロ積み残したまま、なしくずしに新年突入。
年越しイベント「モロモロ大王国」は肝心のカウントダウン、
秒読みのタイミングをはずしていきなり、12時になる。
早くもトホホな予感の2005年である。
この先まだ365日もあるかと思うと気が重いねえ。
今年のご来光は武蔵新田で拝む。
年賀状配達の出発式というモノに遭遇する。
局長と郵政協力会(そういうのがあるのね、外郭団体ってやつか?)の偉い人の挨拶、
もちろん、配達員のやる気をそぐ冗漫な挨拶。
「さあ年は明けた!死にものぐるいで配れ!以上!」
それだけでいい。
帰宅すると文化放送では大竹まことの少年ラジオ、
見事に正月色がない。すごいな。
さて、なにはさておきおめでたい、お正月はいいもんだ。
……年賀状の続きを書かねば。


2005年1月5日 (水) ヨキミセサカエル

なぜに初日の出を武蔵新田で拝んだかというと、そこに千鳥郵便局があるからで、
酉年の賀状の消印が鳥がらみだと楽しかろう、という理由である。
ポストでなく局までわざわざ足を運んだのは、少しでも早く届けたいというホトケゴコロ。
それにしてもだ、技術はどんどん進歩しているはずなのに、
年々処理が遅くなってると感じるのは私だけか?

何度目かの千鳥詣での帰り道、武蔵小山駅前の「ペット・サウンズ」に立寄る。
森さんという名物店長で有名なレコ−ド店、
寒空はだかの「俺様と私」をいきなり5枚も仕入れてくれた奇特な店である。
それだけでも楽しげな品揃えがうかがえようが、かくいう私は初めての訪問なのだ。
チョビヒゲの店長は私ごときの突然の訪問に喜んでくれてありがたいこと。
ところが、この店はこの25日限りで、再開発のため、いったん店じまいなり。
もったいないなあ。新譜以外は20%オフ!行ってみてちょうだい。
2階で歴史を振り返る展示をやっていて、
そこで、戦前の日本にいたガイジン・バートン=クレインのSP盤を聴く。
名前だけは知ってたんだけど、どこで見たんだったかなあ。
ふちがみとふなとも、カバーしてるらしい、とてもゆくゎいなバートンさんだ。


2005年1月6日 (木) 揺り頭から墓場まで

下北沢・CLUB Queの新年会ライブに出演。
店長の二位さんとはもう10年以上のつきあいになるらしい、
当時まだ彼は下北沢屋根裏にいた。
私はというとまだ浅草にも縁がなく、お笑い畑にもほとんど露出してない頃だ。
司会をダブルオーテレサの植木君と、グリップの権田君が勤めているのだが、
植木君のタキシード姿が似合うんだなあ、
別の衣裳にしておいてよかった。
浅草へ移動、まつり湯の流れの呑み会に加わる。
私の公式プロフィールには、
「下北沢のロックキッズから浅草のジイサマバアサマまで」
としてあるのだが、まさに今年もそんな1年なのであろう。


2005年1月7日 (金) 「囃されたら踊れ」

あろうことか、私は「家元」の隣に座っている。
酒席のオマケとして参加している私の隣にあのヒジがある。
しかもその雲の上の人は、東京タワーの歌をナマで聞くハメになるのである。
寒空はだか、もって瞑すべしである。


2005年1月8日 (土) タスキがあると良かったな。

吉祥寺高架下の新星堂DISK INNでインストアライブ。
ま、要は新曲のキャンペーンである。
とはいえ、みかん箱の上ではなく、ステージはあるし、もちろん屋根もある。
40人くらいの人は集まってくれたのではなかろうか、
おかげでハクがついた。ありがとうございます。
サイン会にも列ができたので私は非常に御満悦。
店側もたいして期待してなかったろうから、こっちは気分がいいぞ。
浅草ヨーロー堂の時は立派なイベントフロアがあったので安心してやったのだが、
ここは専用スペースとはいえ店内のイッカクだから、
人だかりができないと大道より悲しいことになるのだ。
30分立ちっぱなしの皆様、御礼申上げます。
なつかしい顔もあり楽しいひとときであった。


2005年1月9日 (日) テレビだもの

TBSのドラマ「タイガー&ドラゴン」を見る。
賛否両論あるだろう、否の側にしてみれば、
「あんなもんじゃない」という部分がひっかってしょうがないであろう。
あんな落語家達いないもの。
もちろん大ネタを前座見習いが寄席でかけることもありえない。
(定席ってよりは特選会って感じだったから問題ないか。)
でもね、刑事ドラマだって、医者のドラマだって、
あんなこたあないんだね。
西部警察だと割り切ればいいんだ。
落語家のドラマだととらえてはいけないのだ。
やくざが見知らぬ世界に首をつっこんだってハナシなのね。
美学にしばられすぎたり、人情ものにするのもいやだもの。
そしてあそこに昇太師匠がいる、ってことが大事なんだなあ。
「大トリ」とかって明らかに困った表現はさておき。
「今後もシリーズにすればいいのに」、と言われた、なるほど。
でも、落語の筋をテレビに食われたら、
あっという間に安っぽく消費されちゃうかなあ。

あの番組で落語を聞きに来る人が増えるかどうかは疑問だけれど、
それを利用できなかったらもったいないな。


2005年1月10日 (月) 上手な年の重ね方

下北沢のラカーニャで、さねよしいさ子見て、
渋谷のラママへuedandを見に行く。

ショーロクラブの笹子重治(ささごしげじ)さんの熟練ギターにのせられて、
声もよく出て文句なしのいさ子さんであった。
2回目はもっと良かったんだろうな。

急坂をせっかく登ったにもかかわらず、地下への階段を降りねばならない、
理不尽なラママ、久々に行ってみたらあの古いマンションが立派になっていて驚く。
外壁の化粧直しで一見キレイだが、なかはボロボロだぞ、きっと。
ラママ名物・新人コント大会には出演したことない私、
ムーニーさんのノベルティアーチストマーケット以来、出てないんだなあ、多分。
ちなみに新人コント大会、見に行ってた頃は、まだ鶴亀団とか出てた、……古い話だ。
アルバム「俺様と私」のブックレット中の私の写真を撮影した、
植田信(うえだまこと)さんのバンドがuedand。
結成19周年!
イイ年して続けているロックバンドはいいなあ。
ここまでやらないと出ないカッコよさというモノがある。


2005年1月11日 (火) 一億人のハナ声

たとえ歯を磨き忘れて眠りに落ちることはあっても、
外から帰ったら手洗いと鼻うがいは必ず実行しているのだ。
この商売、カゼひいたなんて、一番恥ずかしいことだから。
にもかかわらず、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、セキまで出はじめる。
最初は花粉症かなと思ったのだが、どうやらかかったみたいだ。
鼻うがいなんか、痛くてできないなんて人もいるけれど、
慣れれば気持ちいいくらいのもんで、勢い良く水を吸い込むとね、
勢い余って飲み込んじゃったりするわけだ。
……それか?
昨夜、うっかりノドをスルーしてしまったんだが、
それで体内にウイルスをとりこんだか?
下北沢CLUB Que、出番が近づくにつれて体が重くなる。
それでもステージは喝采のうちに終わり(さすがだね)、
ボーッとした頭で最後までつきあう。
舞台で発散するというか、お客にうつすというか、
降りたらカゼなんか治る、って時もあるんだがなあ。
あしたのラジオ出演(収録)はハナ声だな、こりゃ。


2005年1月12日 (水) さすがにこのパンパンがとは言わず

移動の途中で小腹がすいたので、通りがかりの、有楽町の高速下のパン屋、
というよりベーカリーって感じの売店で買おうとするも人の姿がない。
ショーケースにはおいしそうなパンが並んでいるのに。
吹きっさらしの中しばらく待って、誰もでてこないからガラス開けて、
「すいませ〜ん」と言うたれば、仏頂面の女店員が出てきてしばし無言。
ふつう「いらっしゃいませ」とか「お待たせしました」とか
言うもんだろうと思って待ってたら、開口一番、
「なんでしょうか?」
ばあああああかもおおおおおおおおおおおおおおん!
久しぶりに脳内の何かの回路が直結した。
「客に向かってなんですかってのがあるかッ!」
「なんでしょうかと申上げたんです」
ケンカ売ってるとしか思えない的外れな丁寧な物言いに電圧上昇。
「寒い中待ってた客になんでしょうかもないだろ。」
「道を聞かれるのかと思ったんです。」☆☆☆
こっちがバカになりそうになったが、買わずに帰るのはもっとシャクなので
デニッシュチョコとあんドーナツを注文する(かわいらしくてすまぬ)。
値段も言わずに代金を要求するわ、
釣り銭があるにも関わらずカネを渡した時点で「ありがとうございました」という攻撃に、
久しぶりにコントロールできない罵詈雑言を怒鳴るハメに。
もしこの店が放火されることでもあったら、実験好きの小学生か私だと思ってもらっていい。


2005年1月13日 (木) 対岸の彼女

ことあるごとに、「こんな有名人とも知り合いなのよ」ってこと書いて、
読者諸君に自慢したくなるのであるが、先方が偉いだけで、
こっちはたいしたことないわけである。
自分に自慢できる物がないから他人にすがろうとする。
野暮の骨頂であり、慎まねばならぬ。

しかしだ、くり返しラジオから流れてくる名前がつい嬉しくて、書く。
うちのコンポーネントはもらいもので、
すでにCDとテープデッキはオシャカになり、
ただのラジオ付レコードプレーヤーになりさがっているのだが、
(モジュラーステレオってやつだ、古い表現だね)
10年前に譲ってくれた、その元の持ち主が直木賞をとった。
なんかこう、我がことのように晴れがましい。
いまや、連絡先もわからんから、おめでとうも言えないのだけれども。
(こう書くと意味深だが、そういう関係ではないのね。)
ん?おめでとうも言えない?
……、それはもはや知り合いじゃないってことか?
遠い向こう岸であることよ。


2005年1月18日 (火) 「同じ記番号」

あいかわらずニセ札騒ぎは続いているが、
ホンモノのお札だって、ただの紙切れにはちがいないわけだ。
原価数十円の物を「1万円」と思いねえ、って決めたにすぎない。
受取る側が1万円の価値を認めれば葉っぱだって1万円だし、
国家が保証したって、俺は信じない、って人には支払えないわけで。
それにあらためて気づかされたね。
ニセ札つかまされたらババひいたと思って、誰かにつかませればいい。
市中をまわっているとすれば、ニセでも立派に通貨として機能していることになる。
銀行の調査をすりぬけて日銀までいっちゃった札もあるというのだから。

だいたい問題なのは、
おカネを、じかに取り引きする機会の増える年末に新札を発行し、なおかつ、
いっせいに交換するだけの量を用意してない日本銀行だ。
日銀の職員の給料を、押収したニセ札で払ってやれば、
ことの重大さがわかるだろう。

ひょっとすると通貨の流通枚数を水増しして、
デフレからインフレに転換させる、巧妙な政策だったらえらいぞ小泉。


2005年1月22日 (土) いまも隠しているネタがある

三菱自動車の「いまも乗ってくれている人がいる」ってコマーシャルを
初めてみた時には、ずいぶん思いきったことを、と笑ってしまったのだが、
今考えると生ぬるい。
登場する自動車が煙をふいたり、タイヤのはずれた車がかたわらを通り抜けて、
それでも乗ってくれている、ってんじゃないとねえ。
NHKも最近は番組のCMがやたらに多くて閉口するのであるが、
そんな宣伝に時間を裂くより、
門前払いをくう受信料徴収員の姿を映して(水をかけられる海老沢徴収員)、
「いまも払ってくれている人がいる」。

浅草東洋館、いつもおんなじことしゃべってるなあ、と反省しつつも、
無難なネタをくりかえしてしまう。
「いまも見にきてくれている人がいる」、
肝に銘じる冬の昼下がりであった。


2005年1月23日(日) 21世紀まで続くとは思わなかった

そもそも私と浅草のかかわりあいは、たかだか6年くらいのものである。
忘れ去られた街でありながら、その漠然としたイメージは人々の中で強烈にあるために、
寒空はだか=浅草の人、という虚像ができあがっている。
そりゃあ確かに年間50〜60日は東洋館の舞台には立っているけども、
もはや浅草で演芸の修行も生活もできる状況にはない。
あれは98年の暮れ、木馬亭で「浅草21世紀」なる演芸興行が行われているのを知った私は、
新人コーナーの出演者募集に応募した。
芸歴に浅草が加わる楽しさ、そして演芸人としての幅を広げるため、
アサクサという響きへの郷愁と憧れ、そしてなぜ今、浅草に行くの?という話題性。
いろんな思惑はあるけれど、決定打はというと、偵察のつもりではいった閑散とした劇場で、
バアサン姿で奮闘する橋達也座長のキレのいいコメディアンぶりであった。
極めつけの、カラダをはった「転び」と「しゃっちょこだち」、
そんな人のいる舞台に加わりたかったのである。
鼻につく話ではあるが、事実だ。

私の出ていた頃はホントにガラガラの客席だったのだが、
座長の意地は実を結び、客足も伸びて、ついには昨年末、芸術祭の大賞をとってしまった。
最近カオを出してなかったんだが、お祝の気持ちをあらわしに木馬亭を訪れる。
ゲストの歌い手のお客も多いとはいえ、曇り空から雪もちらつく日に、場内は大入り満員。
なにより、メインの「軽演劇=コメディ」の厚みと熱気が格段に良くなっている。
……というようなことをペーペーの私ごときが書くのは失礼きわまりないのであるが、
しぶとく生き続けている浅草の底力に嬉しくなってしまうのであった。


2005年1月27日 (木) ホラホラ、これが僕の骨だ

経済制裁って簡単に言うが、
かつて経済封鎖されたゆえに、日本はアメリカへ宣戦布告せざるをえなかった、
という考えかたもあるくらいで(支持するかどうかは別として)、
相手はますますヘソを曲げるんじゃあるまいか。
経済制裁に対して報復をはかる、それを口実にアメリカがイラクから矛先を変える、
そんなシナリオを期待している合衆国の思うつぼって気がするなあ。
コメを弾頭に積んだミサイルを打ち込むってのはどうだ。

スギ花粉が猛威をふるう前に、淡路町の耳鼻科へ行く。
一昨年からお世話になっているが、それまでは毎年、
春先のフタ月は廃人同様だった私が、点鼻薬のおかげでとてもラクになった。
鼻炎カプセルを出番前にのんで、途中で声が出なくなって往生したこともあったね。
医者に行くのは相当にめんどうくさいけれど、こればっかりは商売にかかわる。
「さあそこで」、これがセンセイの口癖、……だあれもわからんわなあ。
ベランメエ調の、しかもソフトな声、しゃべりをナリワイにする私が嫉妬する語り口だ。
花粉症に悩む人は、淡路町と耳鼻科を検索してみるとすぐわかるけれども、
木曜の午後にしか診察がないので、おすすめともいえないのである。


2005年1月29日 (土) ハイライトへの冒涜である

漫才の夏子、といっても男性二人組なのだが、
ジャックポットと改名して、久々に東洋館に出ている。
常々、コンビ名は一発検索できるものがいいと言ってるんだがなあ。
それはさておき、楽屋でその片割れ、小林あずまが吸ってるハイライトを見て驚いた。
パッケージにでかでかと警告文、そのせいでデザインも少し歪んでいる。
和田誠デザインの、ピースと並んで洒落たパッケージが台無しだ。
前田隣師匠の言い回しを借りれば、「非文化人」のすることだ。
デリカシーがなさすぎる。

プログラムづくりの参考にと、アンケートなるものを東洋館サイドがとりはじめた。
あまり演芸場のすべきことじゃないなあ。
最前列のお客が、書きながら見ている。
いいことを書かれようが悪いことだろうが、気持ちのいいものではない。
演芸場では、舞台で受ける反応以外の感想に影響されるつもりはないので読まないけど。
だいいち、そういうものを書く人が好む演者と、その逆とがあるはずだ。
声なき声が抹殺される可能性もあるわけだ。
やんわりと不快感を伝えてはみたものの、
よりよい番組を組む、ってプラス思考の動機だから困ってしまうのだ。
誰か「アンケートなんて不粋なことをするな」と書いてくれないかなあ。
協会が組もうが劇場が組もうが、自分の感覚を信じて番組を決めるのが一番である。
仮にお客の気持ちもわからない人が組んでいたなら、もちろんそれは問題外なのだ。


2005年1月30日 (日) 絶滅危惧単位

東洋館千秋楽。
三本目という浅い出番とはいえ、反応の薄い客席にあえなく撃沈。
坂本九のマネでもイマイチだったもんなあ。
観客の反応を丁寧に待って(←不本意ながら)、流れないようにしてるにもかかわらずだ。
ネタがいつも同じになっちゃうせいもあるとはいえ、
きのうまでウケてた、今席からの時事ネタでもノーリアクションのところを見ると、
こりゃもう合ってないんだ、今日のお客の趣味とリズムと。
まあ最終的には東京タワーの歌で帳尻は合わすんだけれども。

節分を控え、食料品の店頭で豆の量り売りをしていたのだが、
マスの横の短冊に「2デシリットル150円」としてあって、
生まれて初めて実際にデシリットルが使われているのを見た。
小学生で習った時から、全く縁のない単位で、
なぜこんなこと教わるのか、当時から疑問だった。
そのデシリットルが、今ここに生きていた……。
デシリットル単位のマスがあるってのも驚きである。
1合マスより少しお得ってことね。



 
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2005年2月1日 (火)高山のギター職人でおなじみ

合併で高山市が日本一大きな市町村になって、東京都に匹敵する広さだという。
地元の事情などおかまいなしの旅人としては、やっぱりさみしい、というよりつまらない、
名前が消えてゆくのは。
しかも四国中央市だの伊豆の国市だの、あきれけえっちゃうような名前に変わったりして、
そんな現実にふれたくないためだけの理由で、旅に出たくなくなるじゃないか。
だいたい私はいまだに「さいたま市」って名前だって認めてないのだ。
あら、今調べたら岩槻もさいたま市に編入だと?
岩槻ったら由緒正しき城下町なのに。
私の苗字と同じ名前の村が福井県にあって(寒空村じゃない)、
念のため検索したところ、……すでに南越前町になっていた。
そのうち命名権を企業に渡すとこも出てくるぞ。
ソフトバンク市とか味の素市とか。
群馬県の大泉町周辺の合併話は流れ、一方、太田市には編入があって大きくなるようだが、
ここは一つ、新たに北ブラジル市ってどうだ。これなら私も納得だ。


2005年2月2日 (水)ワタシをオトナにした人

右奥歯がいたんだので歯医者に行く。
痛くはないけど傷んではいるのだ。
東武線の五反野駅前にあるS歯科は小さいながらも、
夫婦、そして娘さんを含め、3人の名医がそろっている。
小学校の頃からお世話になっているから、治療中泣叫ぶ私の姿も知っている。
そりゃあもう当時、歯を直しに行くのなんざこれ以上ない恐怖だったから、
待ち合い室で待ってる間の、あの暗〜い気持ちは忘れらんない。
壁にかかった果物の静物画がまた妙に陰気に感じられて、
果物の油絵は、いまだに好きになれない。
ムカシは痛み止めの麻酔の注射がまた痛かったっけねえ……。

あれはいつの頃だったか、久々に行ったら敬語を使われて、
こっちも大のオトナになってるから、客に対して当り前の接し方とはいえ、
違和感をおぼえて恐縮したことがある。
ありがたいことに私の会にも足を運んでくださるので、一番古くから私を知るお客だ。

「お忙しいから」というヨイショとは裏腹に時間のある私は、
話し込むほどヒマもないS歯科を後にして、綾瀬駅まで散歩。
散歩して楽しむには殺風景なトコロだが、月曜日に仕事する食い物屋の場所を確かめに行く。
告知するだけのデータを採取したから情報を載せるが、詳しくは確認をよろしく。


2005年2月9日 (水)勘定板

笹塚のハンバーガーショップでトイレに入ったら、
「離れたら自動的に水が流れます」と書いてあり、
御丁寧に同様のアナウンスがくり返し流れる。
しかもその横には「節水に御協力を」と書いてある。
そんなものまで自動にしなくてよろしい。
いくら便利な世の中でも、自分でやるべきことがある。
もし流さないヤカラがいるのであれば、
流さない限りドアがあかないシステム、ってのがスジだろう。
第一、どう離れたととらえられたか、
勝手に何度も水が流れた。どう節水しろと言うのだ。

釣銭でもらった500円玉をしげしげと眺めていると、
どうもニセモノくさく思えてきた。
うかびあがるはずの500がすりきれて見えない。
しかも渦中の平成13年製だ。
でもATMもわからないくらいなら問題ないなあ。
国にたよらなくても、立派に通用する貨幣が作れるのである。
首相曰く「民間でできることは民間に」
郵政より、財務省の民営化のほうが簡単そうである。


2005年2月16日 (水)とりとめなし

未明の地震は、東京でもケッコウ揺れたらしいが、
ちょうど電車で帰宅の途中で気づかなかった。
何度か気を失いつつも久々に朝まで打上げ、そして今日の寒さのせいか、
ちょっと頭が痛い。
夕方までそ〜っと過ごす。
渦中のニッポン放送を昼前から、ビバリー、のってけ、塚ちゃんと流しっぱなし、
キャニオンが系列ってこともあろうが、番組ごとにaikoの「三国駅」をかけている。
ほっといても売れる曲より、売れてない名曲にスポットライトを……。
わが青春の駅は東武線のせんげん台という駅で、当時は駅前にパチンコ屋しかない、
寒風ふきすさぶ駅であった。
通学路には喫茶店の1軒もなかったが、途中の自転車屋では、なぜかレコードも売っていた。
どちらも輪っかには違いない。
その隣の駅、大袋(おおぶくろ)の、とある倉庫の二階によばれて今月20日にオンステージ。
地元といえば地元なんだろうが、高校時代の同級生はほとんどつきあいないんだなあ。
なんにも知らない地元のお客と、わざわざ遠くから来る私のお客と、
う〜む、濃い会になる予感。
夜、栗コーダーカルテットのコンサートを見に住吉の江東公会堂へ。
打上げはおふくろの味、ってな売りの居酒屋、親戚のウチに来たような店内。
安くて旨い宴とあいなる。今どき割り前が2000円をきった。


2005年2月20日 (日)♪バネ、バネ、倉庫の二階に行かねバネ

埼玉県越谷市、村田スプリング製作所様の「倉庫の二階」でソロライブ。
18歳の女性タレントがみんな持ち出してカラになっちゃったらしいんで、
催し物をしたいという主催者のオファーで実現。
なんでも「寒空はだか1時間」というチラシを地元でまいたら、
「我慢大会ですか」と言われたそうである。わはははははははは。
……我慢大会ですぞ、ヒトによっては。
わざわざ遠くから来てくだすったお客様と何のしがらみか地元から参加のお客様を前に、
演芸場モードのネタと、わりと最近やらないネタと、主催者K志郎氏のリクエストの間を、
微妙に渡り歩く。カラオケなしのクチ三味線1本!
主催者が喜んでくれたからいいや、私は楽しかったっす。
どう考えても持ち出しの企画なので、せめて歌を作ってプレゼントしてみました。

♪村田スプリング製作所の歌(メロディは なんかありがちな進行で)

世の中なんでもバネ仕掛け のびてちぢんでまたのびる
カネじゃ買えないモノがある でもバネではずまぬモノはない
喜びも悲しみもバネにして 荒波越しがや 村田スプリング


2005年2月21日 (月)愛知県では、国府宮(こうのみや)のはだか祭り

実家へ寄ったついでにマツダに頼まれた資料を探す。
大学オチケン同期の彼は、今や業界では私より有名なので、
私など「マツダさんの同級生の」という接頭辞で紹介されたりするのだが、
友人の妹みたいな位置付けであるな、恋におちたらどうする。
物色のついでに映画「の・ようなもの」のビデオを久々に見る。
若手落語家群像を描いた(陳腐な表現ですまぬが)、もう20年前の森田芳光監督作品。
高校生にして、すでに落語かぶれだった私は 友人のミスミ君に、
これ見たら今すぐ落語家になりたくてしょうがなくなるぞ、
と言われたが、当時は見なかった。あぶないところだった。
主人公の出船亭志ん魚(しんとと)の彼女の家、最寄りの堀切駅は私の家から東武線で1本、
通学に使った、床が板張りのクリーム色の電車も出てくる。
学生時代にもどった気分で画面をながめてしまった。
若くして落語の道どっぷり、というダサダサの青春をドライに焼付けた名作である。
80年代の女性ファッションとかメイクは、もう目をおおうばかりだが、
時代を超越する秋吉久美子のイイ女っぷりも良い。
落語趣味の引力圏外の「タイガー&ドラゴン」レギュラー化の前、これも見とくといい。
ただ、あの頃にリアリティがないとのめりこみにくいだろうなあ。

映画と変わらない無骨な隅田川鉄橋を電車はゆっくり渡る。浅草東洋館の楽屋に顔を出す。
東洋館のゴッドファーザー前田隣師匠がかけもちでいないのは淋しい、しんととしんとと。
立川左談次師匠が頭をかきながら高座を降りてくると、
続いてはトリの東京ボーイズの師匠方、
送り出す舞台袖に寒空はだかがいる。


2005年2月22日 (火)ディーゼル規制 餃子ゼロに

『ディーゼル規制 餃子ゼロに』(yahoo news)

えッ!餃子ゼロ?

よく見たら粒子ゼロだった。


2005年2月25日 (金)元帳

浅草東洋館昼席、十年一日とは言わないまでも、
おんなじネタをかけている自分が情けないが(東京タワーの歌は別として)、
それでも今日はイイ出来である。
ちゃんと客席と呼吸を合わせたから。
立ち位置を若干後めにして、客席の前から中央に目線をやるように変えてみた。
舞台が高くて客席がフラットだから、客席後方を見るクセのある私だと、
前半分をないがしろにするカタチになるから、参加したい客をおいてくことになる。
これでは客席があたたかくなるはずがない。
なんかエラそうだしね、あんまり下手(したて)に出ないから。
見た目につまらないオーラが出てるのも、自分でわかるんだなあ。
最後、東京タワーの歌で手拍子をさせるのは、次の出演者を迎えるため、
ちぢこまった観客のカラダをほぐす、苦肉の策である。
私のせいで、次の出番に拍手が少なくなるのは困る。

夜は中野ゼロ視聴覚ホールにて、「新作無法地帯」。
若手新作落語家と若手一人演芸家の一騎討ちの会。
私は雰囲気にのりきれず、難破。
きっちりカッコよくきめるつもりがぐずぐず、いらんこと言いすぎ。
お膳立てがちゃんとしてないと実力が発揮できない温室育ちなのねえ。


2005年2月26日 (土)2・26 お客に反旗、……未遂

例によって重たい土曜日の東洋館に苦戦。
客が悪い、と心にもない強がりを書いてみる、
昨日、殊勝なことを書きすぎた。
……お客のせいにできれば私はもっと大物になっている。
大丈夫、おアトの出番はマジックの伊藤夢葉先生だ、
ちょっと私がウケなかったからって心配ない。
その夢葉先生に誘われて軽く呑む。
独演会を明日に控えた三遊亭好二郎さんも一緒とは、
独演会を明日に控えている人のお客さんの手前、口がさけても言えないのであるが、
独演会を明日に控えている本人の日記ページにも書かれていたからまあいいか。
このくらいで芸の粗くなる人ではないだろう。
私も用事があるので明るいうちにきりあげて、
冷蔵庫の中のような浅草の街を後にする。


2005年2月27日 (日)荷でアリンス

ひきつづき東洋館、日曜日。
中トリ(休憩の前)の前の出番なんて、大抜擢だ。えらいプレッシャーだ。
東洋館は色物の劇場なので定席で落語がトリをとることはない。
中トリだって、今席は今日だけなのだ。
シャイで小粋な立川左談次師匠がその役をつとめる。
私がウケなかったり、あんまり野暮なコトやって、そのために昨日まで古典をかけている
左談次師匠が漫談で高座を降りるようなことがあれば、そりゃもう私は仮死状態だ。
ヒトケタ台の気温とはいえまぶしいくらいの青空に、浅草東洋館客席は8割以上埋まり、
私の前の宮田陽・昇(よう・しょう)はギャンギャンウケている。
このふたり、非常にオーソドクスなネタをやる若手漫才師だけれど、最近いいのよ。
ネタの作り方とそのこなし方がわかっている。寄席演芸としてオススメだよ。
ヒトのコトより自分のコトだ。
出囃子がなってセンターマイクにむかって、あとはもう無我夢中で全く覚えてない……、
なんてヒヨッコじゃありませんから、ギリギリのかけひき、綱渡り20分、きっちり逃げ切る。
東京タワーの歌もなるべくサラリと。江戸前で。
「あの町この町」にのって高座に上がった師匠が、マクラから落語に入った時、
ようやく肩の荷が降りたのだった。お客様にも感謝である。


2005年2月28日 (月)♪帝都を後に颯爽と

そういうわけで無事2月の東洋館は千秋楽。
よって青春日記も終わりッ!
せっかく、青臭く臆面もすてて心情を吐露したにもかかわらず、
サイトへのアクセス数は増えなかったなあ。
メディアを手に入れると、つい、いらぬ主張をしたくなる。

寝台特急の「あさかぜ」号と「さくら」号が今夜の列車を最後に廃止される。
情緒的にはどんどんつまらなくなって、もはや汽車旅の魅力なんて幻といっていいのだが、
現実の厳しさをわかった上でも、この廃止はかなり寂しいことなのよ。
落語家でいえば、あさかぜ=志ん朝、さくら=志ん生が消えた、に等しい。
それだけの由緒と栄光のある列車と名前なのだ。
「さくら」の方が列車自体は若干新しいが、名前は戦前にさかのぼり、
はじめてできた特別急行についた名前が「富士」と「櫻」だったそうである。
「あさかぜ」は元祖ブルートレイン。
百間先生の時代はさらに遠くなりにけり、だ。(※本来は「間」じゃなくて門ガマエに月)
氷川きよしの「初恋列車」がヒットしてるけど、夜汽車に もはや実用性はないんだな。
それにしてもあの歌、パロディソングとしか思えない作り方である。詞も曲も。
「俺様と私」にはいってても違和感あるまい?



 
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2005年3月3日 (木) 大きなお世話

♪少し白酒召されたか 暴れつかまる里谷多英
ま、ひなまつりってことで。ヌケはよくないけど。
プロ野球の試合結果、「ソ2−1広」、ソってどこ?
ってソフトバンクのことだと理解するのにまだ時間がかかる。
日ハムとの対戦だと日ソ戦になるのね、昔のバレーボールみたいね。
あ、日ロってパターンも既にあるのか。

愛知万博の開会式のために、名古屋城のシャチホコが地上に降りたそうである。
名古屋港名物のシャチホコ型の観光船「金鯱号」はついぞ見ぬうちに引退してしまったが、
常滑沖で空港建設の労働者輸送をしたあと、
一昨年、日本海を渡って韓国は珍島の近所で余生を送っているらしい。
海の神様カムサハムニダ。
……万博期間中に戻ってこないかなあ。
キッコロ、モリゾーじゃなくて、シャチコとホコゾーだろう、やっぱり。
トトロの家は予約で既に春季は満杯だそうだが、
ホントはどの程度、みんな行く気があるのか、万博に。
自然との共生の前に現代社会との共生は大丈夫か。
白川の高速下の仮設住居は撤去されたとのことだが、都市との共生は難しかったんだな。


2005年3月5日 (土) 煙と芝居と杉並

高井戸のゴミ焼場の煙突が、澄んだ高い空に白い煙りをたなびかせている。
己の吐いた煙の影が、白い壁をつたってゆっくりと下へ降りてゆく。
浜田山の駅を出た100円バス杉まる君は、住宅をぬって左へ右へ。
小柄な車体の最前列のシートに座っていると、
バスに乗っているというより、ワゴン車の助手席で現場へ向っている錯覚におちいる。
手元に地図帳が欲しくなる。
別に用があって乗った訳ではないので、混んできたから用のある客に譲って途中下車。
忘れられた空間、「阿佐ヶ谷住宅」、ウルトラQの時代の東京郊外が未だにそこに在る。
平屋〜4階建てが立ち並ぶ古い団地、おそらく築40〜50年くらいだろう。
テラスハウスの扉が木製というのは、かなり古い。
はずれにそびえる給水塔には見覚えがある。
もう15年近く前、芝居の世界でボーヤのような存在だった頃、
良く借りていた稽古場がかつてこの近所にあって、たびたび来てい……、まだあった。
私が死んだら納まる墓が、また近いことを思い出し、散歩のついでに探してみる。
山門を入るといかにもお寺という重厚な本堂がデンとあり、横に墓地がある。
入口に手押しポンプがあって、井戸から水を汲みあげる。子供の頃、これが嬉しくてね。
イソノ波平の先祖がチョンマゲ姿でポワンと浮かぶ、サザエさんの1シーンを思い出す。
そういえばザムザで友人の出ている劇団が公演中だ、線香臭い体でパールセンターを抜ける。
ぽっかり広がる青空の下、受付のメガネ美人が気持ちよさそうにタバコをくゆらしている。
もう始まっていた。杉並の空にタバコの煙が消えてゆく。


2005年3月7日 (月) ジョーバン画報

先月はじめて一緒になった「赤いプルトニウム」というTVで売り出し中の女流漫談家の、
「茨城県民はGPSがなくっても筑波山のカタチで位置がわかんだかんな」
に私は唸ったのものだが、車窓の筑波山は、
平野のまん中に腕組みをするかのごとくそびえたまま、他所物には黙して語らない。
線路の両側には泥田が広がり、武士達のシカバネが折り重なるように散らばっている、
……かのように見えるレンコン畑だ。
レンコンせんべいにレンコンどら焼、土浦の人の心にはいつもポッカリ穴があいている。
茨城名物放射能、プルトニウムよりもっとおそろしい杉花粉。
杉林と言う杉林は真っ赤に染まり、
筑波おろしにのってとびたつ機会を今や遅しと待ち構えている。
もちろんターゲットは南、首都圏だ。
38度線、坂東太郎こと利根川をはさんで対峙する取手では、
レンコンの穴に杉花粉をしこたま詰込んで、発射準備完了。
北は北でも北関東おそるべし。
電車は空襲を避けるためか室内灯を非常灯に切換えてトリデ付近を通過する。
(最近は消えないのが増えたね。)
閑話休題。水戸駅のはずれで、ED75というプレートを掲げた機関車がポツンと1両。
一人で悩むな、ED。


2005年3月26日 (土) なかなかミソがつかないね

愛知万博、予想の半分以下の入場者数、人気のトヨタ館でも2時間待ち。
中部国際空港の開港時の、レストランの待ち時間の方が長かった。
混乱のないおかげでマスコミの喜ぶ不祥事ってのが出てこないね。
満員のリニモで、チカン多発、……愛・痴漢博、なんちゃって。ボツ!
東洋館向けに万博ネタ考えてみるも、全くあそこの客は興味無さそうだ。

大阪万博の「月の石」にくらべるとマンモスは地味かなあ。
動くわけじゃないしなあ、トヨタのロボットと合体させて動かせばいいんだ。
だいたい、アポロから35年たってんだから、火星人くらい陳列できなきゃ情けないだろう。
あのエキスポ70に私も連れていってもらったが、我が家は行列してまで見るよりも、
空いてるところをイロイロ見て廻ったので、アメリカ館もソ連館も見ていない。
太陽の塔の中には入ったな、でものぼらなかったわー、たしか。
この親にしてこの子ありというか、ね、現在の私の性向も納得であろう。
あの時、万博のチケットを拾って連れてってもらう夢を、実際訪れる前に見たのだが、
その会場はなぜか地元の商店街のようなところであった。
覚えている一番古い夢がこれかな。う〜む、夢のないハナシだ。



 
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2005年4月6日 (水) 安全なる飼育

メール打ちながら歩いている人は、まわりがよけてくれると思っている。
前をたらたら歩かれると、後ろから飛び蹴りをくらわせたくなるが、
そんなことすると、明らかにこちらが処罰の対象となる。
路上喫煙ほどは、世の中の気に障らないらしい。
メールを打ちながら歩いても無事というのはつまり、安全な社会だということである。

東武に続いて、被害者は出なかったものの、
JR西日本でも遮断機が上がったまま電車が通過したらしいが、
システムの問題以前に、
電車はよけてくれない、ってことがあらためて新鮮に思えたのである。
踏切っていうのは電車のためにあるんであって、
横断する人や車は、他人の土地を通らせてもらってるだけなのね。
理不尽だがそうだったんだなあ。
もちろん、不幸にも犠牲になった方を悪く言ってんじゃない。
私だって信用するもの。
ただ、しまらなければ電車が走れない、というシステムでないかぎり、
踏切がある以上、そこに安全はありえないということなのだな。
線路を横切るものの安全は保障できない、というのが鉄道の本質なのだ。

結論。歩行メールに飛び蹴りもやむなし。


2005年4月7日 (木) 「手頃な店だな」

NHKラジオで村上アナウンサーが、
「オペラの敷居をどんどん低くする」って表現をしていて、情けなくなってしまった。
敷居を低くしたらめりこんじゃうのだ。
「敷居が高い」の反対は「敷居が高くない」である。
ハードルじゃないんだから。
最近のNHKラジオには不満が多いのだが、曲の扱いのひどいこと。
曲名言って紹介しといて、ワンコーラス終わる前にフェイドアウトしたりする。
ただのクッションがわりに使うのは失礼この上ないし、気持ち悪い。
……NHKのど自慢方式か?

本郷は向丘一丁目のバス停の前に、
趣味の悪い、コンクリ製の大きな布袋様の立っている寺がある。
ここの墓地は桜の古木が空をおおい、桜の天井を作っている。
花越しに淡い光が地面に注ぎ、墓地全体が映画を見るようなライティングの中、
はらはらと花びらが散る。
気が狂うかと思うほど美しい光景なのだ。
あしたは花祭りだし、絶好の花見日和、特に午前中の光線が良い。
もっとも宴会は開けないけれども。


2005年4月10日 (日) そんなんでね

ついに実現、ナニワの超ナンセンス漫談家、テント師匠と共演である。
しかも、浅草まつり湯4周年記念イベントなのだ。
小泉政権とどちらが先に崩壊するかと言われてきたがどちらもしぶとく続いて……、
などということは口が避けても言えないけれども、
演芸担当のカラダをはってきたブッキングの集大成が今日の番組。
畳敷きの大広間に集まったお客さんは、ほとんど浴衣でなくて普段着、
ということはこの催し目当てということである。
なぜかハッピを着ることにウキウキしている桂出丸師匠の紹介でいざ出陣。
ん〜、嬉しいんだが、私の心は千々に乱れていたのであった。
テント師匠の漫談は、あらゆるパターンのナンセンスを、
ギリギリまでムダをそぎおとしてスキなく構築されている。
そう見えないかもしれないがそうなのだ。
私なぞ、なにやっても、マネをしているように思えてゆくのであった。
寒空はだからしいオリジナリティって何?
迷いをたちきれないままのらりくらりと東京タワーの歌突入。
かわって登場のテント師匠は、そのレパートリーを出し惜しむことなく、
たんたんとお客の脳細胞を破壊してゆく、シナプスをほどいてゆく。

楽しい打上げ、せっかく色々ハナシに花が咲いたにもかかわらずほとんど忘れてしまったが、
テント師匠は漬け物、すっぱいものとか苦いものは嫌いだそうである。


2005年4月12日 (火)冷し中華はじめますか?

冬に戻ったような寒さの中、夜来の風雨で散った桜は、
皮を剥がれた白ウサギのような姿でこごえている。
桜のようにぱっと散るなどというが、現実はむずかしいものであるな。

さて中国の反日暴動。
大使館の窓に五星紅旗(=中国国旗)を貼れば、投石はされずにすむ。
国旗を燃やされないようにするために、日の丸のまん中に星5つを加えてみよう。
歴史教科書問題ったってねえ、結局近現代まではやらないうちに1年が終わるんだよね。

抗議のために私は、とりあえずしばらくシウマイは食べないことにする。
ギョーザはなあ……、王将は京都だから食べても良いこととする。
今こそ田中真紀子が外務大臣に返り咲いてオヤジさんの威光と押しの強さを発揮する時だ。


2005年4月16日 (土) 高田渡さんを悼む

ラジオニュースで「『自衛隊に入ろう』や……」というアナウンサーの声にドキリとして、
そのまま息が止まりそうになった、大袈裟でなくてね。
同じ舞台を踏ませてもらったったって、こっちゃあ一介のファンに過ぎないわけで。
高田渡さんと、川柳川柳師匠の二人会、その緩衝材みたいな役回り、
できたかどうかは別として。
昨年の8月の終わりの二晩、渡さんの間近で過ごしたんだ。
川柳師匠がホントに渡さんのことを気に入っちゃって、終始ゴキゲンだった。
今頃悲しんでるだろうな、師匠。
打上会場の安居酒屋で(槙君ごめんね)、私はテーブルの角をあてがわれて、
その両側にメインのお二人だ、光栄だが緊張だ。
かたや「自衛隊に入ろう」(歌ってないけど)、こなた「♪朝だ夜明けエだ〜」である。
むろん険悪なムードなんかじゃなくて楽しい打上だったが、
会話がムダにこじれないように、その緩衝材はほぼ果たしたと自負。

みんな吉祥寺の「いせや」と三条堺町の「イノダコーヒ」に向かってるかな。
ちょうど4月30日から吉祥寺のバウスシアターで、
映画「タカダワタル的」のレイトショー公開が決まっていたところなのである。
スターパインズのソロライブ、途中で抜けてもかまわないよ。


2005年4月20日 (水) 陳謝。

早ェなあ、メッキがはがれるのが。
ネット放送2219.jp(ニンニンちくび)、好評につき、二度目の出演、サンザンの出来。
しおしおのぱあ……。
見た人には素直に謝りますわ。
魔法のかけかた忘れちまったい。
フマジメにもホドがある。演芸界のミセリと呼んで頂戴。
クニには帰んないけど浅草には行くし。
春のツアーに暗雲たちこめるなあ、こりゃ。
御安心なく……。


2005年4月25日 (月) だから私はネタにする

翌日の名古屋に向けて事務所に泊り込み、仮眠から目覚めてTVのスイッチ入れたとたんだ、
「踏切で脱線転覆事故」のヘリからの映像。事故発生20分後のことである。
NHKはアナウンサーが乗り合わせていたこともあり、他社に先駆けて特番状態。
ネタづくりもそっちのけでブラウン管に釘付け。
あらためて思ったのは、テレビというメディアの無責任さである。
紙媒体とちがって残らないから、入ってきた情報を裏もとらずに右から左に垂れ流し。
先に流した情報の間違いに訂正なしだ。
発生1時間は踏切事故が脱線の原因と報道し続けていたのだ、踏切なんかないのに。
地図見りゃすぐわかるし、ましてヘリ飛ばしてんだ、電話取材の近所の人もそう言ってた。
ひどいのは運転士のコメント発表してた局もあるぞ、車掌のまちがいだろうけど。
午後1時にJRが発表した見取り図が間違いだって指摘した局もなかったな。
私の一番の関心事はどこに先頭車があるのか?
夕方になるまで、全部の車両が露出していることになっていたのである、
JRの発表を鵜呑みにして。
どう見てもマンションにへばりついた無惨な姿は1両目ではなかった。
平日の昼間、じっと見てられる人も少なかろうが、
多分たくさんの人が、同じことを思っていたはずである。
専門家との電話のやりとりを、検証せずに生放送でそのまま流すのも意味がない。
全くかみあってないのに電波にのせるのは、緊迫感の演出にすぎない。
列車の旅番組を放送延期だそうだ、興味本位の事故の実況中継のほうが余程不謹慎である。
それじゃ明日、私がネタにしないわけにはいかないではないか。


2005年4月26日 (火) 名古屋 落ち穂拾い

名古屋、今池のTOKUZOにて、アルバムで世話になってる杉浦哲郎君ゲストにソロライブ。
例によって言い忘れたフレーズいろいろ。

「……ネタがオーバーランしてしまいました。」
「なんでもムダに大きい名古屋なのに、地下鉄(東山線)だけせせこましい」
「名古屋駅は名駅、名古屋港は名港、じゃ、名古屋人はみんな名人か?」
いちばんもったいないのは、
「ワンダーホイールって……、セロテープみたい。」

和菓子老舗の両口屋が万博に便乗して「みどりの妖精」という暴利な土産を出した、
これがまあグロテスクなモリゾーで、キッコロに至っては、まるでダニだ。


2005年4月30日 (土) 御来場感謝

今やホームグラウンド、つっても1年ぶりだが、STAR PINE'S CAFEのソロライブも7回目。
せっかくライブハウスだから、音楽モノのゲストを入れることにしていて、
今回は歌手、さねよしいさ子さんである。
コミカルな要素のない歌い手が演芸会に出るのは、観客側にとって迷惑な場合も多いのだが、
ここまで圧倒的にイイものなら文句なかろう、という私のワガママな人選である。
会場にあっていれば、許してくれるはず、と自分のお客を信頼しているしね。
もちろん、浅草の演芸場で独演会するなら別の路線だ。
バックにはピアニストの杉浦哲郎君と新進ギタリストの清水富之君、
最後には私を入れた4人で東京タワーの歌、というもうお客さんに甘えまくった構成、
いやあ、すみませんなあ。
あ、しかも高田渡さんの曲を今池TOKUZOに続いて歌うという、
野暮を承知で、好きなことをやってしまった。
あんまりこっちのやりたいことしてると、見てるほうはさめたりするのよねえ。

RCサクセションのトランジスタラジオにのせて、演芸人の名物フレーズを列挙する歌の中、
「林家亭小虎!タイガータイガー、じれったいがー」って旬なネタ入れるの忘れた。
これがホントはオチだ、たしか、たぶん。
かえすがえすもくちおししし。
あと、もうおなじみ、ハモる「♪ふたりの甲子園」、こいつはすっかり失念、やり忘れた。
リハーサルで2回も合わせたのに。



 
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2005年5月2日 (月) 「夢の中でいいアイデア浮かんだんだけどね」

明け方に、ストーリー性のある、わりと壮大な夢を見た。
起きるなり筆をとったものの、もったいないことに、なかなか全体は覚えてないのよねえ。
ハイライトシーンは、追っ手におわれる私が、
天までのびるイントレ(工事用の足場)のカベを昇る、踏み外せば命はない、
このへんからジブリテイストを帯びてきて、
天上では「ストレンジャーインパラダイス=韃靼人の踊り」が流れている。
格子状に広がる雲上の通路を伝ってなおも逃げてくんだけど、あとは忘れた。
追っ手はもともと知り合いの芸人だったのに、いつの間にか銭形警部の顔になっていた。

JR福知山線(宝塚線)の運転再開は、新型保安装置(ATS-P)の導入が条件らしいが、
大事なのはちゃんとした運転のできる運転職人の養成と、
ちゃんとした運転のできるダイヤを作ることであって、それさえできてりゃまず安全だろう。
ある程度以上の高度な装置、その、スピードが出過ぎたら自動的に失速するなんて、
そんなシステムが常に正しく働くなんて私は信じられん。
おかげで山陽新幹線の運転手が居眠りするんじゃないさ。
「夢の中でブレーキかけてたんですけど……」
JR西日本大阪支社長の新年度の訓示は、安全よりまず「稼ぐ」が先だったそうで、
そこ行くとね、東日本はね安心よ、もはや運賃収入あてにしてないからね、
車体を見る限り、広告のために電車走らせてるだけだからね。


2005年5月4日 (水) ついてっちゃいけないタイプ

人間はすべからく二つの種類にわけられる。
筆記具が知らないうちに消えてゆくタイプと、集まってくるタイプだ。
なまじ私のように用意が良くて調子がいいと、気前よく貸したっきり戻ってこない。
親切に貸してるわけじゃない、どう、「用意いいでしょ」ってカッコつけが裏目に出る。
自分で使って、ひょいっと置き去り、ってのもよくある。
元来、忘れっぽい。しかし、なくしたことは忘れないのだ、あとでちゃんと思い出すのだ。
これは精神衛生上非常によろしくない。幸せになれないタイプであるな。
で、いるんだな、出所のわからんものたくさん持ってる人が。
あきらかに生物学上優れている、金運って別に運じゃなくてその人のバイタリティであるな。

レッドクリップがシンボルの銀座伊東屋、文具のデパート、
ここ行きゃなんとかなるって店だ、だから欠品してると衝撃も倍だが、最もアテにしている。
ゴールデンウィーク中の閉店間際、閑散とした店内、顔見知りの店員もいない。
特価品の紙、ハガキ大、ちょっと使えそうな100枚パック。
でも見本として表につけてある紙の厚さから考えると明らかにおかしい。
50枚がいいとこだ。
一人しかいないレジの年配の店員に尋ねてみると、イチベツして「100枚ですよ。」
まちがいに確信持って私はレジを後にし、今後の展開をあれこれ考えて楽しむわけである。
それにしても、見本の厚みからして間違いに気づかない店員、
そこが天下の伊東屋の用紙売場ってのがとても哀しい。
翌日クレームの電話を入れるも、たいしてゴネるでもなく、
残り50枚を持参するというのを断って配送にしてもらう、う〜ン、やはり金運はないねえ。


2005年5月5日 (木) 結局ひとり王将で餃子を喰らう

佐伯新君から届いた芝居のDMに「ボク待ってますから」と、ボールペンで一言。
待ってますから、って、それじゃ行かないわけにはいかんじゃないか。
最近、知り合いの芝居もすべて無沙汰をかましているので、他の人には悪いのだが、
その、コメントがどうにもすておけなかったのよ、みなさまごめんなさい。
このイイ天気の3日間、どこへも遊びに行かなかったってのも大きい。
別にわざわざ混んでるゴールデンウィークに出かけるこたあないけど。
しかも2000円だと、いまどき。
とにかく、なんかこの出かけずにはおれない立夏のたそがれ時、
あいかわらず休日はゴーストタウンの駒場東大前に久々に降り立つ。
アゴラ劇場は、だいぶ前に五反田団見て以来かな、隣が更地になっている。
オールツーステップスクール#03「メイキング・オブ・チェーンソー大虐殺」
別にここで内容紹介するのも面倒だし、見に行けって主旨で書いてるわけじゃないけれど、
面白かったのね、感心してしまった。
センスのよいエロチシズム、映画見てるような感じだった。
映画なら成立するこの雰囲気を、毎回舞台上で表すのは大変だと思うなあ。
笠木泉さんが良かったなあ、って、あれが笠木さんだよなあ、多分、
会ったのずいぶん前だからなあ。……会ったことあったよな、たしか。
心地よい夜風に気をよくして、池ノ上通って下北沢まで散歩としゃれこむ。
シモキタをブラブラ歩いて、誰とも出会わないというのもさみしいねえ。
それでも貼り出されたポスターには、知った名前ががちらほらと。
ふるさとは休みだし、今頃は魚民か、えん屋か、貧乏ロッカーならジャンプ亭かぴあぴあか。


2005年5月6日 (金) TBS タイガーアンドドラゴン 第4話 権助提灯

宮藤官九郎、あざやかなり。
これガイジンにも通用するのとちがうか。
往年のTBSドラマのテイストも残してる。
林家亭どん兵衛も違和感なく見えてきたし、久しぶりにTVドラマを面白く見ている。

東京地下鉄の広報誌、メトロニュースがリニューアルして、タイトルもTOKYO SPEED。
表紙は先月に続いてCMキャラクター山田優。
ホームで見かける、手の届く程度にキレイなシロウト女性だから良かったのに。
いつの間にかアイドル予備軍がハバをきかせてたけれども。
内容もなんか利権のにおいのする、ミニ東京ウォーカーみたいな感じ。
制作は博報堂だと。
すでに去年から ぴあ に編集は委託されてたんだけど、まだ地下鉄の広報誌らしかったな。
広報部が自分で情報発信しなくなったらもうおしまいである。
洗練されればいいってもんじゃない。
あえて、鉄道会社が作る必要のないものをわざわざ出すのも増収対策の一環なんだろうが、
どうも腑に落ちない。現場への愛と誇りが感じられない。
現場と企画制作サイドが離れちゃうとJR西日本みたいになっちゃうぞ。


2005年5月8日 (日) 母の日

やらなくて叱られたことはあるが、
できなくて怒られたことはない。
偉い母親である。


2005年5月9日 (月) ハマのなりゆき

袖すりあうような大田区の下町、せま〜い線路敷を快速特急は120キロで疾走してゆく、
と書くつもりだったのに、高架化工事のためか押えぎみ、
とはいえ京浜急行の沿線の家屋には覚悟がみえる、
線路際に建ってるからには突っ込まれるのも折込済みか、あまり頑丈な建物は建ってない。
一方、当の京浜急行はアクロバチックな、奇想天外なダイヤ作りで有名だったのだが、
それを支える職人っぽさも感じられるのだ、レールの間隔も広くて安心感がある。
今日から導入の女性専用車、京急は6本しかない、痴漢が少ない安心な電車なんだなあ……、
東武や小田急は最後尾なのに京急は先頭車、……痴漢をとるか事故をとるか。
てなことを考えてるうちに乗換えた電車はトンネル抜けて、日ノ出町駅にすべりこむ。
日曜日は場外馬券売場に向かって混雑する野毛の大通りも今日は平穏、横浜にぎわい座へ。
柳家喬太郎独演会に出演。
う〜む、今日の坂本九は似てなかったなあ。いらなかったな。
にぎわい座だと無難なネタのラインナップにになるところ、
今夜はお客に気を使いつつも自分本位の展開、
高座にATSはないが、ぎりぎりのブレーキングで終点まで駈けぬける。


2005年5月10日 (火) Wa・ショイ! 堀ちえみ/詞 鈴木博文 曲 白井良明

高麗橋の三越大阪店はついに閉店したしまったようだが、百貨店の元締め、
ハシミツこと日本橋三越は、重厚な石造の威容を中央通りに誇っている。
と言いたいところだが、いまや、角に面した新・新館と再開発の巨大ビルにはさまれて、
三井本館とならんで肩身が狭そうである。
キッコロとモリゾーの垂れ幕、三越は愛知万博を応援しているのことだが、
遠い国の出来事のようであるな。え、もう始まってんの、って感じじゃないか?
日本橋三越本館は、今はやりのライトアップではなく、古色蒼然とした、
線状に電球を配した古めかしい電飾であって、夜になるとわびしさ満点、
私はとても好ましく思っている。
ちょうど、ジュディ=ガーランド主演「若草の頃/Meet me in St Louis」のラストシーン、
セントルイス万博のたそがれ時、建物に一斉に灯がはいって満場の観衆が歓声をあげる、
その100年前の電飾そのままである。
まだ昼間だから電球は消えたままだが、かわりに大提灯と、とりどりの名入り弓張提灯、
入口脇には神輿が鎮座している。
まもなく神田祭なのであった。
日本橋室町から神田にかけての界隈は老舗が軒をならべたり、
古き良き東京のかすかな名残りをとどめているのだが、いかんせん土日は死んだ街であって、
お江戸日本橋亭の近所なんか夜はオイハギがでそうである。
その週末、この時ばかりは祭でにぎわう……、といいなあ。

愛知万博の入場券、東京の金券屋では品薄、八重洲、神田と10軒まわってあったのは2軒。
定価4600円のチケットが、1軒は4000円、1軒は4200円であった。


2005年5月12日 (木) 愛知万博 晴れのち雨 降り出してからは肌寒し

「中になにがあるの」
「……、ヤマガアリマス」
スイス館の前で尋ねるオジサンに、異国の青年は答えていた。(アクセントは「ヤ」ね。)

9:00の開門前に列を作る愛知万博西ゲート、
とびかう言葉の語尾は圧倒的に「しとる」「もんで」「かんわ」、
地元民しか来とりゃせんのだわ。
開場直後のマンモスは早い者勝ちで見られるというので、まず行ってみると成程、列もない。
上野動物園のパンダ舎のようなところ、動く歩道からガラス越しに眺める冷凍マンモスは、
鼻の欠けた頭部のみだがさすがにホンモノの重みがある。見る価値がある。
前足は いらないな。かわりにギャートルズのオヤジが欲しい。
開場の10分後には目的を達成してしまった。
平日だから会場内はジイサンバアサンと小中学生ばかり、
……あれ、観光客の中にガイジンさんを見ないぞ。関係者らしき人達すらあんまりいない。
案内表示に外国語併記が少ないと気になってたんだが、これで十分なんだなあ。
コンパニオンやボランティアスタッフなる人達は愛想いいけども(そりゃそうだ)、
運営スタッフの対応が悪すぎるなあ、バイトなんだろうけどコンビニなみだ。
4時間ちょいしかいられなかったので、混雑する企業パビリオンエリアは素通りしたが、
全く期待しなかったグローバルハウスブルーホール(オレンジホールを見たかったのだ)、
SONYの巨大スクリーン、案外楽しめた、きれいであった、あのまま世界旅行でいいのに。
もう少し全体的にやる気を出そうよ、まだ間に合うから、と思いつつ瀬戸ゲートを後にする。


2005年5月13日 (金) 古いヤツだとお思いでしょうが

マウスが断線したらしく、ポインタが左右にしか動かなくなった。
常に一番上にあって落ちることを知らないという、エンギは良くても、商売上は不適当。
1週間ほどタブキーとコマンドキーを駆使すると言う不自由なことになり、
かわりに、キーボードのみで操作する方法をいろいろと開拓することができた。
もちろんこのままでは精神衛生上非常によろしくないので、なにはともあれ秋葉原へ。
どこで何売ってるのか皆目わからない、ここはまず寄らば大樹の影、駅前のソフマップへ。
さてここで説明せねばならないのであるが、
ウチのパソコンはOS8.6を積んだパワーMacの7500/100という旧式なので、
キーボード・マウスの接続端子はADBという、若い店員は知らないようなシロモノなのだ。
ということに改めて気づかされたのである。
そんなもの普通の店にないらしい。ジャンク屋にもないぞ。
半身不髄のマウスというのが、あのベストセラー、サンワのコンフォート、の黒。
店頭に並ぶマウスの大群、数少ないMac対応のモデルも端子は大概は平べったいやつ、
そうそうUSBっていうのね、あやうく似てるからPS-2端子のを買いそうになったわさ。
その時点ではMac専門店があるのを知らなかったから、秋葉原中探しまわるハメに。
これはあれかね、ベータのビデオデッキを探すようなもんなのかね。
直管30Wの蛍光ランプ探すようなもんかね。
LaOXのマウスコ−ナーにはなかったが、最上階のMacフロアでようやく発見。
全く選択の余地なく、同じコンフォートのライトグレー、2,814円也。
あとで覗いたソフマップのMac館、ほぼ同じ値段で置いてあったが、
このマウス2つ分で中古のiMacが買えるのね……。
よし、今度モニターがいかれたら、思いきってiMacにグレードアップだな。


2005年5月15日 (日) ♪なんだカンダの明神下で〜エエエエンエン

用事のついでに、ちらりとだけ神田明神をひやかす。
もう夕方だから、宮入と、帰る神輿合わせても五町会ぶんくらいしか見てないけれど、
ワッショイというかけ声は入口の茶店、天野屋の神輿だけだった。
確かに、なんかセイヤとかのほうがカッコよく思えたこともあったが、
今、私はやはり、ワッショイがいいなあ。
荒っぽさと威勢のよさの違いではあるまいか。
来週末は三社祭……、ってことは思いっきり東洋館の出番と重なってやがる、
浅草中混雑するから行くの面倒だ。
街には人が出るけども、演芸場には入んないんである。

愛知万博より、見物のガイジンさん多かった。


2005年5月16日 (月) 幸吉はもう食べられません

久しぶりの五月晴れ、日暮里の銀行へ。駄菓子問屋街も今は昔だ。
帰り道、谷中銀座商店街、かなりのジイチャンがやってる古いそばスタンドに寄る。
早朝から始まって昼過ぎには閉めちゃうから、店の前素通りばかり、
しかも地元であまり外食しないし、気にはなってたけれど食に対して冒険しないタチなので、
千駄木に住んで13年になるが初めての入店。西岸良平「三丁目の夕日」の世界だ。
心の中でいつの間にか「孤独のグルメ」(久住昌之/谷口ジロー)の主人公になっている。
値段なりにおいしいかけそば200円。
谷中銀座の中には喫茶店がないから、その役割も果たしているようである。
肉屋でコロッケ買ってかじりながら、心地よい風の中、上機嫌に不忍通りを渡る。
こういう飄々としたサマをわざわざ書くのが、いやらしいところ……。
ただこのくらいがギリギリの陽気で、これ以上気温が上がると、
私のサーモスタットは作動する仕組みになっていて、およそ4ヶ月は使い物にならなくなる。
浮かれ気分のあまり、小田急ロマンスカーの前展望をわざわざ、ネット予約。
少し早めに相模の国へ。グリーンホール八起寄席。
相模大野駅前の女子高生の中には未だにルーズソックスもいるという、
文化遺産を守る町、乱立する商業ビル群を出外れると、バックには丹沢の山々。
立川流の歩く百科事典・立川談之助師匠に呼んでもらって談慶師匠真打披露の会、
共演に文都師匠、開口一番が千弗君と楽屋にブラッC君。
打上は噂通りバカウマの焼肉八起、地域寄席を400回にわたって主催しているエライお店。
おみやげに肉をもらってありがたいが、電車の中が少ゥしニンニクくさく……。
ん?高座の出来が気になる?
内容にについて能書き垂れてない時は、上々だったと思えばよろしい。


2005年5月17日 (火) 五月のうたたね

夕方、というほど遅い時間でもなかったと思うのだが、ついウトウトっと、
横になって眠りに落ちる、気持ちよく。
どんな夢を見てたか忘れたが、ハッと目がさめると部屋は薄暗い。
しまった!今何時だ?5月半ばで暗いとなると……。
祈るような気持ちで時計をたぐりよせると、午後7時、ギリギリ間に合う。
上野広小路亭、三遊亭好太郎師匠の独演会のゲスト出演、出番は8時。
身だしなみ持ち物チェック、衣裳ケースを急ぎ手にして7時10分ロケットスタート。
地下鉄千代田線湯島から狭い歩道を、ボールを抱えたラガーマンの気持ちで走り抜け、
予定の楽屋入り時間の5分前、7時25分、舞台袖の好太郎師匠に無事、着到の挨拶。
独演会のタイトルは「好太郎の五月のうたたね」。
まさにうたたねでドタキャンになるところであった。
今回、前座の三遊亭橘つき君を含めて、出演者全員千駄木在住、
観客にも御近所が多いらしい。
地元に顔を知っている人が増えると、ボ〜っと間抜けズラさらして歩けなくなるなあ。
考え事しながらボンヤり歩き回ってるからねえ。


2005年5月29日 (日) ヒアウィーゴーでございます。

横浜のイカしたライブハウス・Thumbs Upで、
高田エージ氏主催のロックンロールなイベント、
司会でちょいと呼ばれる。
ポマードの匂いあふれる客席、このイベント名物のリーゼント専門バーバーも出店、
私は無難にオールバック。
久々に浅草調じゃない口調で行こうと思ったら、
すっかり演歌の司会のように。
おかしいなあ、エド・サリバンばりで紹介するハズだったのになあ。


2005年5月31日 (火) 追悼 多嶋ゆきお先生

がら〜んとした薄暗い演芸場に開演のゆる〜い音楽(テープ)が鳴ると、
使いこんだ緞帳がスルスルあがる。
背中を丸めて登場した老手品師は、数える程のお客に向ってボソボソと、
語りかけながらマジックをはじめる。
わざと不器用にふるまい、お客とかけあいながら笑いを引き出してゆく。
そんな映画のワンシーンのような名古屋・大須演芸場。
客として片隅から眺める若き寒空はだか、高座の大先輩の名は「多嶋ゆきお」。

時は移る。
我が演芸史上に燦然と輝く大須演芸場の出演はたった3日間、
それも正月興行で大入り満員といういつわりの大須。
青空球児好児師匠のオマケで出してもらった高座。
なにしろ出番が仲入り、つまり、休憩時間枠だ、幕は降りないけれども。
楽屋にしてみりゃあ無名の若造が年に一度の晴れ舞台をあてがわれ面白くはないだろう、
満場のナゴヤの観客、湧いている会場に水をさしては帰れない。
腋の下に汗をかきながら疾走する15分間、名古屋テレビ塔の歌につないでどうにか逃切る。
そこでもいつものように力のはいらないコミックマジックで、
屋根が落ちるかと思うほど(まあ老朽化してるし)ウケていた多嶋先生。

去年だったか、ちょっと顔を出した時、「また来いや」とニコニコ言ってくれた多嶋先生、
逝去の報をアズポットの日記で知る。冥福をお祈りします。



 
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2005年6月1日 (水) 映画の日

<タナカヒロシのすべて/おぼえがき>
「チクワかよ〜」三宅弘城
渋谷川、大宮公園駅、鳩ヶ谷・QR、浅草の名画座。リフォーム屋の住所まで川口市上青木。
白と黒の小島聖。
西田尚美がリカコみたいに見えてちょっと困る。
ボバさん(田中要次)、大杉漣、徳井優、そのうち誰か出てそうで出ていない。

今年に入って映画館に足を運んだのは3回くらいしかないと思われる。
見たい映画はたくさんあれど、生来のめんどくさがりが邪魔をする。
それが突然、今日は映画の日をいいことに渋谷の劇場、3軒ハシゴ。乱暴な話だ。
「タナカヒロシのすべて」(シネクイント)
「奇蹟のイレブン」(シネラセット)
「パッチギ!」(シネアミューズWEST)
1966年サッカーワールドカップ、
北朝鮮チームの活躍を描いたイギリスのドキュメンタリー「奇蹟のイレブン」は、
偶然、場所と時間の都合があってラインナップに加わる。
否定的な見方をすればいくらでも指摘はあろうが、
単純にゾクゾクした、良かった、あ、そうかプロジェクトXと一緒の高揚感か?
前後の2本は別に私が言うまでもなく名作である。
「パッチギ!」に出てきたグルーチョみたいなヒゲをつけた徳井さん、
はじめはボンボンブラザースの鏡味繁二郎師匠だと思った。


2005年6月17日 (金) 「サボ」ってヘアカッターがあったね

日記サボりすぎだ。
エカテリーナ・サボー、ライバルはメアリー・ルー・レットン。
「喫茶さぼうる」は神田神保町と。
♪巣鴨のサボテン丸坊主(これは私のオリジナルだ)
なぜ巣鴨のサボテンが丸坊主かは、賢明な読者諸君には説明不要ね。

午前中、会員向けDMの差出し、自分で消印を押させてもらったが、
作業スペースが狭くて、今一つうまくいかず残念。
午後、髪を切りに行く。
いつもおまかせだからスリリング、今回もちょいと個性的な仕上がりなので、
落ち着くまで時間かかるかな。
またこれが自分でセットすると違う髪型になっちゃうのよねえ。

♪俺の鼻毛を抜けエ〜2本だけでもいいイ〜
もうどうせ誰か思いついて書いてるだろうな、と思って検索すると、
案の定何件かヒット。
その中で「埋没毛」、皮膚の下に伸びてしまう毛があるそうで、
それを語り合う掲示板にたどりついてしまう。
面白いのでついつい読み込んでしまう。


2005年6月18日 (土) 夕醒め小醒め

NASAの報告によると、火星の夕陽は青いそうである。
中村雅俊も村野武範も出番はないな。
あ、でも生徒が例のクラゲみたいな宇宙人だと、真っ赤な夕陽はかえって似合わない。

高円寺会館、雷門獅篭独演会に顔を出す。
立川流をはなれて、今、名古屋で着々と男をあげている。
私はパイオニアに弱いのである。
一緒に大須の人となった、彼のオトウト弟子の雷門幸福さんの日記が、
立川談之助師匠の時事問題の分析に次いで的確なので、
最近ウッカリとは偉そうなことを書けない。
宮戸川、最後まで聞きたかったのだが、途中で舞台袖を辞し、
吉祥寺曼荼羅へ。


2005年6月19日 (日) 父の日

古希すぎてなお、飄々と自分のペースと基準で行動している。
大変なこともあるだろうが、そんな様子は読み取れない。
わが父親はそういう人で、息子ながら私はファンである。
そういえば苦労話とか愚痴を聞かされたことないぞ。
なんかまた、ネパールだかパキスタンに山登りに行ってるらしい。

JR福知山線(宝塚線)の開通一番電車の運転室に社長が同乗したらしいけれども、
いるべき場所はそこじゃないだろう。
だいたい、安全装置が向上したのに、スピードは落とすというのがわからぬ。
今日一日、社長をカーブの電柱にくくりつけて、制限速度いっぱいに電車を走らせてこそ、
安全と、その決意が伝わろうというものである。

雑音フェティッシュ「ピン芸人スペシャル」、なかの芸能小劇場にて。
いつもと違うギアを入れて出たら、クラッチがつながらないまま。あらら。
0点!


2005年6月20日 (月) 事件でも字面かわいやさくらんぼ   寒空

さくらんぼ盗難のニュースももう風物詩であることよ。
もう少しすると今度はスイカ泥棒のたよりだ。
果物にもICチップを埋め込まないといけないねえ。
戦後60年、モラルは焼跡にもどりけり。
池袋・新文芸坐で美空ひばり特集、「東京キッド」と「悲しき口笛」。
あまり美空ひばりに思い入れはないのだが、
   寒空はだかと字ヅラが似ていて申し訳ない。
唐突に歌い出したりするのはMGM往年のミュージカルで慣れてるから平気だけれど、
焼跡のジュディ・ガーランドは、えなりかずきと同様に幼くして大人だから、
そのへんがどうも苦手である。大人っぽくない子役は、生き残れないんだけど。
年配の観衆でにぎわう客席、私が共有できないリアリティの最たるものは匂いだと思う。
日本中汚くて臭かった時代、汚いのは理解できるが、
多くの登場人物や家屋から出ているはずの臭気は伝わってこない。記憶にないから。
「すえた匂い」というものを始めて知ったのはあれは高校生の頃か、
今も残る、浅草駅の地下道の行き止まりの、あの匂いだ。
「悲しき口笛」のクライマックス、生き別れになった兄が、
キャバレーから聞こえる、マリコ役の美空ひばりの声に気づくシーンには鳥肌、
本人が燕尾服で歌う有名なシーンは、名場面であった。脱帽。降参。
夜は中野で小林東監督「未亡人」上映会。
知らない?漫才のジャックポットのボケの方だ。
「オモチロフ大統領を暗殺せよ。」


2005年6月21日 (火) 多摩蘭坂

タイガー&ドラゴンのエンディングテーマ、何度聴いても、
「交差点で、屋上で」「想像以上の」しか覚えられない、聴きとれない。

窓の下の細い坂道を、プー、ペー、プー、と豆腐屋がゆっくり通り過ぎる。
珍しいなと思って行ってみると、青年がリヤカーをひいている。
丸美屋の麻婆豆腐の素が一袋残っていたので、豆腐を所望するも、売切だった。
野口屋というノボリをたてている、早速検索すると引売りのチェーン店らしい。

♪大給坂(おぎゅうざか)を登りきる手前の坂の途中の部屋を借りて住んでる〜

狭い坂道だから、朝の集団登校くらいしか、にぎやかなものは通らない。
最近はあの廃品回収「無料にて」も通らないなあ。
もちろん大学堂もロバのパン屋も通らない。
夜になると開け放った窓の外、お月様が通り過ぎる。


2005年6月22日 (水) 交差点で

横断歩道を横切ると、
信号待ちをしている先頭の4トントラック、
運転台の、メガネをかけた老運転手が、大きな虫メガネで、
大判の地図帳のようなものを一心不乱に見つめている。
おやおや大丈夫かしら、と渡り終わった歩道から運転台の様子を眺めていると、
信号が変わったとたん助手席に放ったその本は、エロ本だった。
ちょっと安心した。


2005年6月27日 (月) 浅草公園六区、公園ひっくりかえしてエンコね

浅草演芸ホールの入口脇には、「まね木」という、寄席文字で書かれた演者名の木札が、
出演順に並べられて、その日のプログラムを示している。
その前で人力車夫がお客に説明をしている。
「あの名札の色がですね……」……ウーム、名札には違いない、違いないがなあ……。
一時は、雷門の前でお客をムリヤリナンパしている、
と陰口をたたかれていた(私も言っていた)観光人力車も、すっかり定着したようで、
平日だと言うのに結構 実車で走っている。
改装して、浅草ゆかりの人物の行灯看板をかかげた六区通り(旧フラワー通り)では、
マニュアルを持った新人車夫を乗せて、先輩が解説している、という研修風景に遭遇。
8月にはつくばエキスプレス(常磐新線ね)の浅草駅が開業、
東洋館の隣の隣に、入口ができる。
浅草につどうジイサンバアサンに、
研究学園都市ツクバと電脳都市アキバを結ぶ電車が関係あるのか。
どちらかというとヤキバが近い。
町屋を通ってほしかったなあ。



 
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2005年7月1日 (金) 月変わり 小虎のいない金曜日   寒空

微妙に近い世界だったからか、
タイガー&ドラゴンって変なリアリティが残ったままだ。
ナマの浅草が舞台だったってのも大きいなあ。
あの寄席はセットだけれども、外側は浅草演芸ホールだから、
東洋館の袖の裏にある階段を降りると、そこに小虎やどん兵衛師匠がいたことになる。
もちろんフィクションだけれど。
あ、どん吉師匠は8月になるとトロンボーン吹きに来るんだな。


2005年7月5日 (火) 御ゾーハンだとよ?(先々代柳好/羽織の遊び)

趣味の観点で言うと、郵政は公営の方が面白いのである。
無駄がなくて機能的になると風情はなくなるからだ。
現実的にはどうあるべきか、と問われれば、また別の基準で考えるけれども。
それにしても法案の是非よりも、無理矢理押し通してる感じが納得いかないんだなあ。
野党の質問も重箱の隅だったりして情けないが、
正面から受け止めない総理大臣はもっと腹が立つ。
5票差で可決という、結果を聴きとどけて家を出る。
こうなると、反対票入れずに欠席した連中は罪だなあ。
あ、いきなり廃案になるより面白いのか。
駅へ向う途中の路地、目の前をピンポン玉大の物体が落ちてきた。ボテッ。
梅の実だった。塀越しに伸びる枝に花が咲いてた時は、まだ寒かったのねえ。
期が熟せば自然に落ちる。
池袋芸術劇場小ホール、柳家喬太郎独演会にゲスト出演。
なんか今年はキョンキョン師匠に食わせてもらってるみたいだ。
フタ月も前に売り切れてるというから、熱狂的喬太郎ファンばかりかと思ったら、
そうでもないようで。
でももう、普段の落語会向けじゃないシフトにギアが入っちゃってるからゴリおし。
高齢者切り捨て、地方切り捨て、支持率半々くらいだろうな。
キョンキョンの会だけに、「コイズミになってしまいました。」


2005年7月9日 (日) 会えなくて今宵も待てりアルタイル   寒空

色付かなかったアジサイが悲しくうなだれている。
ようやく梅雨らしくなってきたもののもう手おくれだ。
ほったらかしてるうちに花はしおれていた。
ちゃんと水をあげなかったからなあ。
また枯らしちゃったよ。

久しぶりに我がアルバム「俺様と私」を聴く。
良くできてるなあ、バックのみんなのおかげだけど。
「谷底の百合」は落ち込んだ時には効くしね、カラオケにはいんないかねえ。


2005年7月18日 (月) 「落ちくぼんだりもしたけど、私は元気です。」魔女の宅急便

窓の外には夏の青空が広がり、ラジオから、梅雨明けともに各地の気温のニュース、
畳の上に寝転がってそれを聴くとはなしに聴いている。
なにやらジブリ映画の冒頭シーンみたいだなあ。
違うのは主人公が若くなくてだらしないところだな。

年輪は冬に刻まれるわけだが、私は夏の消耗で年をとる気がするなあ。
バーゲン品に残るSサイズでシャツがまかなえるのはありがたいが、
ウェストのサイズでチノパンを選んだら丈が足りなかった。
これは一見、スリムなことの自慢のようだが、あきらかに情けないぞう。

「柳楽優弥の新作映画、観た?」
「象になった少年だっけ?」
象にはならねえよ。


2005年7月23日 (土) 平太朗師予言適中

浅草東洋館の定席は昼席のみの興行である。
今日は連絡のいきちがいからプログラム変更があってちょっとバタバタ、
仕切る玉川平太朗師匠が「こんなときはね、地震が来たりするんだね」なんて言うから、
な〜にを言うやらと思っていたら、
その昼席が丁度終わって楽屋でくつろいでるときに地震がきた。
当時私は貧乏ユスリをしていたのではじめは気づかなかった。
たいした揺れとも思わなかったが、銀座線は止まった。
清田ジャック君と上野まで歩くと、山手線も止まっていた。
私は新宿へ行こうとしていたのだが、都営地下鉄大江戸線は動いていた。
ふだん「どこを走ってるのかわからない」とか「便利なところを不便に走る」とか
悪く言っている大江戸線、ちょっと見直した。
石原都知事、これは自慢すべきだ。
でも空いてたんだなあ、やっぱり認知されてないんだなあ。

楽屋の前田隣師匠(69歳)、
「長くて大きい地震だったねえ、……黒人のオチンチンみたいだね」
楽屋ひっくりかえる。


2005年7月26日 (火) 火事・娘

CSだからウチじゃ見られないが、MUSIC! ON TVのの仕事。
元淀橋第三小学校を改造した芸団協の施設、芸能花伝舎内の「教室」。
落語芸術協会の事務所もはいるこの建物に、学校当時の教室がそのまま残され、
ミニスカートの制服姿と教室で収録、って書くとアダルトビデオみたいだな。
10代女性6人のジャズボーカルユニット「原宿BJgirls」の番組収録。
今回は学校もののバラエティで、私が音楽の先生役なのである。
実際は私が勝手にネタをやって帰って行く、という楽しい設定。
一番若い子は平成生まれ、気が遠くなりそうだが、芸事だから若くても不思議じゃない。
かえって演芸界のほうが今や遅いのね。
素直で元気な良い娘たちであった。
ちなみに、我ら学生時代には考えられなかったスカート丈の世代を私は、
「茶巾しぼりを知らない世代」と呼んでいる。

夜、すぐ近所で火事。
台風がそれたこともあって風がなかったことが幸いし、アパート1軒焼けたところで鎮火。
不忍通りは団子坂下〜道灌山下の道路が封鎖され、両側に消防車がズラリと並ぶ。
雨に濡れたアスファルトがおびただしい数の赤色灯を反射している。
風向きによってはウチも危険であった。
火事は対岸に限る。


2005年7月28日 (木) もう世間には戻れない

ほんのちょっと楽屋に顔出してズラかるつもりが、番組に穴があきそうになったので、
急遽、代演で東洋館の舞台に上がる。
ムシの知らせというか、衣裳持ってたんである。
なんか帰るタイミングを逸して終演まで袖にいる。
外に出てみると、相変わらず暑いが良い天気だ。

──2時間後──
雲一つない広い空、
右ほほを紅く染めたジェット旅客機が、羽田への着陸のために左旋回しながら降下する。
海の向こう、東京のビル群のシルエットに、焼けただれた夕陽が落ちて行く。
埋立地の防波堤で心地良い汐風に吹かれている。
黒猫が釣り人のお余り欲しさにやってくる。
地図片手に偶然やってきたが、やあ、こんなところがあるのね。
風情は満点だが、津波が来たらオダブツだなあ。


2005年7月29日 (金) 「花火が出てません」

気がつけば月末の金曜日、思いついた時に行かねば、と炎天下、銀行と郵便局へ。
涼しくなってから、なんて言ってると、性格上、うっかり忘れるから、
クラクラしながら外を歩く。
サマータイム法案が知らないところでまた論議されているが、
日没が遅くなるっつうことは、より暑いうちに窓口が閉まるわけだ。
まだ涼しくない時間に夜公演が始まったりするわけだ。
やっぱり反対だ、サマータイム導入。

明日の午後は浅草東洋館の特選会、いいメンバーである、
夜は花火だし、たくさん入るといいなあ。
花火なんか見た日にゃ、帰る人たちゃ大変だろうがそこまでは知らない。
昨晩、何の気なしに風呂で落語の「たがや」をさらってみたらちゃんと覚えていた。
20年前の春風亭小朝師匠のコピーだけどね。「ええ、槙原です。」わからなくてかまわん。
(「今日は花火が出てません」は、
 前座時代の小朝師匠が先代金原亭馬生師匠の「たがや」聴きたさに、
 出番前に楽屋帖を見せながら言ったといわれるエピソードね。)


2005年7月30日 (土) うまく伝わらないと思うのだが

浅草東洋館の昼席は、縁日風にいうと「十の日」を定席興行からはずして、
「特選会」と銘打って、東洋館自身がプログラムを組んでいる。
普段、見られない演者がクロスオーバーに登場する面白さが売りのはずだが、
楽屋内のまとまりもないから、
それぞれが勝手にやっちゃ次に渡す、愛のない雰囲気になっている。
開口一番からトリまで、それぞれが前後を意識して、
トータルで流れを作るという「寄席」のシステムが崩壊している。
かといってそれぞれが「我も我も」と火花散らしてってわけでもない。
定席の場合、協調性のない色物芸人が多いから、みんな勝手といえば勝手なのだが、
運営はそれぞれの団体が管理しているから、まだ統一感があるのだ。
東洋館に愛着もってる私には、漂う空気が悲しいのである。
(きのうの日記と言ってることがちがうなあ。)
今日の私は、中トリ前の出番、定刻の10分遅れで高座にあがる、
「古き良き寄席芸人」への憧れのある私は、伸びていれば、はしょってしまうのよ。
といっても今日の持時間は15分しかないから、
定刻に下りようとすると5分間になってしまう。
それはさすがにできないから、10分に縮めて立川志らく師匠に渡す。
はだかファンの皆様、申し訳ない。



 
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2005年8月1日 (月) 「所長!ここんとこ日本のリフォーム業者からやたら電話が……」

断熱材 はがれたけど心配いりません。
アスベストじゃありませんから。───NASA


2005年8月2日 (火) 羽田管制塔、電源ダウン

「だから言ったろう、管制塔でドライヤー使うなって!」

「機長、なんか羽田、管制不能らしいです」
「ったくなあ、以前(マエ)だったら、黙って降りちゃってたのになあ。」


2005年8月4日 (木) ウチハチュウカリョウリヤジャナイ

夜になってもじっとり暑い。
なかばヤケクソになってるところに電話が鳴る。
「×××××××××××××××!」
いきなり中国語でしゃべられても困るなあ。
とっさに「何番におかけですか」は中国語じゃ出ない。
「ウェイ(為=もしもし)?」しか言えなかった。
後で日本人から改めて電話がかかってきて、
ウチ(中華料理屋らしい)で働いてるところのゴーさんを呼んで欲しいってことだった。
親切にも「何番に?」と確認してしまったので、それっきり電話は来なかった。
うっかり物語の芽をつんでしまったなあ。

上沼恵美子さん申告漏れ「大阪城のこと、コロッと忘れてましてん。」


2005年8月6日 (土) イレーヒじゃヨーデルだ(これ書かなきゃいいのに)

ケータイ、マンザイ、バクダン、……。
片仮名で書くと、逆に意味が重くなるのが「ヒロシマ」である。


2005年8月7日 (日) ♪つっぱることが男の〜

歌手としてミリオンセラーを記録するのは大変なことだろうが、それより、
なつメロとしてではなく、後世に曲を残すのは、もっと難しいことであろう。
私が常々思っている後者の例が2曲あって、その1曲はキャンディーズの「春一番」である。
初春に必ずラジオから流れるこの曲、ヒットした当時のオンエア回数を、
その後の回数は抜いているのではあるまいか。根拠はないけれども。
国民的ヒットソングだと思うのだが、それほど評価されていない気がする。
そしてもう1曲が山本リンダの「ねらいうち」。
こちらはもちろん、本人の歌より、野球の応援席からのオンエアだ。
何回放送されようが印税は発生しないけど。
この永遠のヒットソングを持っている点で、キャンディーズと山本リンダは、
幸せ者だなあ、と思っている。
(岩崎良美の「タッチ」はプロ野球で使われない点でその座をゆずるのね。)
それにしても、甲子園のブラスバンド、意外な曲が生き残ってたりして感心すること。
今日流れた聞き覚えのあるメロディ、なんだろうなと思ったら嶋大輔の「男の勲章」だった。
高校野球の応援団使用曲ランキングは、ホリイのずんずん調査に委ねる。

甲子園の土を集める球児たちをとりかこむカメラマンたち、
アイドルに群がるカメラ小僧たちよりローアングルだぞ。


2005年8月9日 (火) 試合長けりゃ校歌も長い

昨日の午後のNHKラジオは、郵政民営化法案の参院否決〜衆院解散か、のニュース一色で、
甲子園中継はなし。テレビと違って、第二放送でやったりとか、代替手段がないのだ。
今日は今日で、11時前から長崎の慰霊祭を中継している。
そのウラで、試合の始まっていたのが、まさに長崎代表、春夏初出場の清峰高校。
被爆60年の日でもあり、勝たしてやりたいが、相手は選抜優勝校、あの愛工大名電である。
たいがい、私の応援する方が負けるのだが(それは勝ち目の少ない方に肩入れするから)、
試合中継にきりかわった2回から、拮抗した非常に良い試合を続けている。
9回に至って、たまらずテレビのスイッチを点けると、
清峰の古川投手は、精悍な表情を崩さず、たんたんと堅実なピッチングをしていた。
一方の名電・十亀投手は、哀しいかな、マンガなら負ける側、相手チームの顔である。
(村野守美のマンガに見る対比のようだ、主人公は負ける側に変わるけれど。)
考えることは同じようで、古川投手の顔は、明らかに十亀投手よりアップで映されている。
延長13回表、自ら決勝タイムリーを放った清峰のエースは、
全く乱れぬまま188球を投げきって、勝利投手になったのだった。
投げるイチローのようだった、(もともとイチローは名電高時代、ピッチャーか)。
このハナシは劇的なだけ、私は素直に気持ちが良かった、ってだけで、
ひとつもコミカルなところがないのであるが、最後に流れた校歌が長かった。
終わりそうで終わらないのが校歌にありがちな特徴とはいえ、長かった。
最後にツッコミどころがあって安心した。


2005年8月10日 (水) 親孝行なんかしたことないものな

久々に実家へ帰ってみると、便所の電灯が点かないじゃないか。
電球が切れているのではなくて、壁の埋込みスイッチがバカになっているのだった。
今はやりの大判のソフトタッチのヤツじゃなくて、パチンという、いかにもスイッチね。
さすがにタテ位置じゃないけれど。
よく見るとプレートのネジはマイナスである、築30年近いものな。
家人の留守に、内緒で直してやろう、と近所のジョーシンデンキにいってみるも、
近代的なスイッチパネルしかない。
それじゃちがうんだな。一見、わからないように、おんなじものにとりかえないと。
というわけで、アキハバラのガード下へ。
なんか小さ〜い部品が所狭しとならんでいるあの空間は、いつ行ってもワクワクする。
それでも、探している、小判型でカーブしているスイッチはなかなかないのである。
ようやく探し当てた店(ガード下にはあらず)で、神保電器製のスイッチ(JEC-1)を発見。
これも、もう製造中止らしい。取付枠込で165円ナリ。
さっそくウチに帰って、工事開始、ブレーカを落とす時はちょっと緊張。
プレートをはずして、取付枠ごと、小判型スイッチを交換。
ものの10分くらいで元どおり、二十年ぶりくらいの親孝行、
電気屋に頼んだら、これだけでもケッコウとられるぞ。
あ、良い子のみなさんはマネしちゃダメよ、電気工事士の免許がいるのよ。


2005年8月11日 (木) 声に出して読みたい日本語

語感でいうと、駒大苫小牧と愛工大名電が双璧。
聴いてよし、発音して楽し。ドイツ語に通じる堅さも良い。
都市対抗野球なんかに通じる感じである。
大昭和製紙白老(しらおい)とか、電電近畿なんかたまらなかったなあ。
「でんでんきんき」、元気が出るなあ。
ラグビーになってしまうけれど、新日鉄釜石など、字ヅラだけでも痛そうだった。
母音だけで書くと、オアアイオアオアイとういうちょっとハワイアンな駒大苫小牧、
対戦相手が話題の聖心ウルスラ高校。
こんなに名前が目をひくのは珍しい。クロマティ高校より名前では勝っている。
もちろん選手はごく普通のイガグリ坊主、
クリスチャンでも坊主とはこれいかに。

閑話休題。
野球留学と称し、全国から選手が強豪校に集まるようになって、
その地方独特の、聞いたこともない苗字をズラリとならべた高校が減ってつまらない。


2005年8月12日 (金) 衆院解散?なにそれ、小泉ソロデビュー?

熱帯夜 指で裂かれた袋とじ   寒空


2005年8月14日 (日) 「泳げなかったんでございますか……、あたしゃまた泳げるン」

佃島の知り合いの家を昼前に出る。
炎天下、先週の佃祭で立てた幟の柱の撤去作業中であった。
今年こそ佃祭を見に行こうと思っていたのに、気づいたら終わっていた。
先代金原亭馬生師匠に惚れ込むきっかけとなったのが、
NHK「夜の指定席」で放送された「佃祭」、軽くてとてもいいのに、CD化されてない。
先日、tm335氏からビデオをもらった、嬉しさに涙した。
さて、いまや高層マンションが立ち並ぶ佃から月島へ行ってみると、
旧盆だというのに、西仲通りのもんじゃ焼屋はみな店を開けている。
このクソ暑い中、わざわざまっぴるまっから鉄板に向わなくてもいいようなもんだが、
地図を片手に、観光客がお目当ての店を探している。
私はさしてもんじゃ焼の良さもわからないし、焼き方も心得ない。
焼けないから余計腹が立つ、60軒も連なるこの商店街の状況の気が知れない。
もちろん、得意ならば、こんな悪口書かないんだけれども。モロ師岡さんが上手だったな。
もんじゃはどうでもいいが、生ビールをあおる姿は、とてもおいしそうだ。
石造りのせまいカプセルのような西仲交番が健在でひと安心。
いったん帰宅後、越谷は大袋でK志郎君の主催する、晴乃ピーチク師匠独演会を聴きにゆく。
齢八十の師が、似顔絵漫談ではなく、時事問題や体験談を3時間以上もしゃべりまくる。
そのパワーにも増して、現在を、いや未来を見据えている姿に敬服。
なにより、美声とは言わないんだろうけど、声が良く通るんだな。


2005年8月15日 (月) 愛国から降伏ゆき

照りつける太陽、セミの声、したたり落ちる汗。
敗戦の日がこの季節でなければ、また違った感慨であると思う。


2005年8月16日 (火) 夏やせのわけをきかれてほろりと涙……

さんざん汗をかいた後だとはいえ、
生まれてはじめて体脂肪計で計測したら、価はヒトケタ台であった。
「絶対におかしい」と言われたが私に悪気はないのであって、
オムロンさんのせいか、私の足のウラの絶縁性が非常に低いかのどちらかだろう。


2005年8月17日 (水) Dr.古党

もう百人が百人そう思っているはずだが、「国民新党」は頭の良くないネーミングね。
明日の見出しは「浸透」とかけたものが出ると予想される。
新を使うなら新自民党の方が情けなくていいし、
本自民党か自民本党が政党らしくていい、俺達が正統って感じが出てよろしい。
問題は新しいかどうかじゃない。
その昔の新党ブームの頃、小林よしのりが、「旧党」があってもいいと書いていた、
そのとおりだ。
もちろん、理想は「元祖自民党」「本家自民党」、使い古されたネタだけどね。
せめてマスコットが「和タヌキちゃん」とかだといいなあ。


2005年8月18日 (木) 残暑御見舞申上げます

千駄木駅裏の須藤公園、
鬱蒼と繁る木々のもと、休憩中の道路警備員が、片足を背もたれのないベンチにのせて、
縁台将棋に頭をひねっている。
足下はセミの幼虫がはいでた穴が無数に残っている。
降る蝉時雨、よく聴くとツクツウホウシの声が混じる。
ぽっかりと池の上は空が広がり、日射しをはねかえす水面に顔を出した台の上、
瞑想にふけるかのように、亀がじいっと甲羅干しをしている。
公園の上の御屋敷町は、白い壁にかこまれて、まとわりつくような熱気の中、
動くものは何もなく静かに夕暮れを待っている。
見上げる青空だけは涼しげに、季節の終わりを知らせようとしている。
腕時計をはずすと、そこだけは夏の思い出をぼんやりと残す。
思わず井上陽水の少年時代が口をつく。
「♪夏が過ぎ風あざみ〜、……」
以下歌詞はうろおぼえでハミングとなるのだった。


2005年8月19日 (金) ♪親亀の背中に子亀をのせて、は浅草6区

亀渕社長の次の相手は亀井静香ときた、堀江貴文。
となるとその次は文学界進出で、ターゲットは亀和田武だな。
ホリエ参戦と言っても面白くもなんともない。
そりゃもちろん気にはなるけど、コイズミ与党の手先ってのも気に入らない。
(あえて無所属ってのも潔くない。)
いっそ広島6区に、いや綿貫民輔の富山3区に小泉純一郎が出てこそ面白いんである。
なんかテレビを喜ばせるためだけに選挙やってるみたいだ。

あ、亀井さんをはじめ、刺客を「しきゃく」と言ってる人達、
恥ずかしいから直してください。しきゃくって……、佐川急便じゃないんだから。


2005年8月20日 (土) 「命の綱の切れたのを、どう取り留めてか木更津から」お富与三郎

週末の木更津の街、まだシャッターを降ろした駅前、
古めかしいカラーリングなのに妙に鮮やかな小湊鉄道のバスばかりが異彩を放つ。
一方の日東交通バスは街同様に色あせて、陰影の富んだ漁師町をゆらゆらと走る。
「木更津港」と書かれたバス停のダルマポール、時刻表は紙がはがれてよみとれない。
忘れられたように立ちつくしているが、触れてみると、もう夏の日射しに焼けていた。

東京に戻って、昼過ぎ、浅草まつり湯にて「冷蔵庫マン アワー」の司会。
ワハハ本舗の飯塚俊太郎氏、段ボールでコスチュームを作って一人コント。
ゲストのシベリア文太先輩と私を含めて、3人とも決して無難な演芸ではない。
フラリと湯浴みにきて宴会場でビール片手に、というお客のニーズに叶ってはいない。
私など、そうは見えないかもしれないけれど、お客にずいぶん媚びている。
我が道を進み続けて、ついにはここで「お客」をつけてしまった飯塚さんは偉大である。
毎回楽しみにやってくるお子さまファンもいるのだ。

夜、吉祥寺、不死身の高校教師、桜井明弘さんのライブにゲスト出演。
病魔と戦っているから、悲惨なはずだけれども悲愴ではない。
波乱万丈な身の上を楽しんでるかのように見える、それがカッコよく見えないのがいい。
そういえば飯塚さんも死線を越えてきた男だったなあ。


2005年8月21日 (日) ♪きけ万国の労働者

東武伊勢崎線、大袋駅下車、「倉庫の二階」にて、今秋真打昇進の立川談笑さんと二人会。
今日の寒空はだかは当たりだったね。
きのうの続きになるが、主催のK志郎君も、山を越えてきた男なんだよな、たしか。
う〜む、私なぞ、人生において修羅場なくここまで来たから、これこのとおり、
まったく顔に人生が刻まれないぞ。

お客さんから、10月に出演予定だった赤旗まつりが急遽、中止だと知らされて、
共産党ウェブサイトで確認したら、なるほど、選挙に専念するため、とりやめだそうだ。
いくら選挙が忙しいからって、……我々労働者の職場を奪うなよ。


2005年8月26日 (金) ♪わった〜しは東京のバド〜ガール〜(以下略)

今月の浅草東洋館の出番は本日より3日間。
せっかく開通したのだからと、あらさがしのために、わざわざ遠回り、
秋葉原駅から、つくばエクスプレスに試乗。
山手線ホームから乗り場を探すと、案の定、表示が少なくてわかりにくい。
覚悟して用心してたから私はたどりつけたが、JR構内で迷うこと必至である。
サービスの基本を、はきちがえてるんだなあ。
手書きでもいいんだ、たとえ汚い字で「筑波エキスブレスこちろ」と書きちがえてもいい、
必要な情報さえ正しく伝えてくれれば、別に駅員が仏頂面でもかまわぬ。
さて、当のつくばエクスプレス、自慢の自動制御装置搭載、
ゆえにありえないはずのオーバーランを早速、開業初日の24日、北千住駅で30メートル。
その翌日、つまりきのう、今度は同じ北千住で目標の30メートル手前で停車。
さすがコンピューター、帳尻は きっちり。車掌が乗っていないから口封じの心配もない。
そのうちアキバ系電車男から、続々、対策のメールが届くから安心だろう。
まだ粉っぽい浅草駅には、ゆかりの文化人のパネルや、かつての賑わいを伝える写真、
エスカレーターで昇るうちに「観光地浅草」への期待が高まるしくみ、
昇りきって一歩地上出口を通り抜けると……。
        ……くすんだ街並が。なんか国境越えて共産圏にはいっちゃったような。
正面の建物には燦然と「ソープ バドガール」の看板。さあみなさん、TXで浅草へ。


2005年8月27日 (土) 「ウー、サンバ!」だるま食堂

日暮里界隈は諏方(すわ)神社の祭礼、こども神輿と遭遇。
かつぐ、というより持ち運んでいるだけだが、掛声はワッショイワッショイであった。
東洋館の出番を終えて外へ出ると、雷門通りはサンバカーニバルで交通規制をしている。
全然気づかなかった、サンバカーニバルは未だ私の中に根付いていない催しなのだな。
早めに浅草を出る予定を組んで正解だった。
つくばエクスプレスの浅草駅の出口、きのう無駄にたくさんいたボランティアガイド、
今日なんか混雑して必要なのに一人もいない。
かわりに放置自転車がたくさん。
そうか、駅ができるってことは放置自転車が増えるってことか。
そして昨日はいなかった人力車の客待ちも。
もっとも、エスカレーターが運びあげてくる中に目立つのは場外馬券売場の客だ。
私は別にこんな所に駅はいらないのだが、演芸ホールより手前に東洋館の入口がある、
というのは悪いことじゃないね。
いちばんの問題は、つくばエクスプレスなんちゅう書いても読んでも長い名前だ。
TXはまずテレビ東京だし、筑波急行でいいんだけど、そこまで偏屈でなくていいから、
ん〜「ばっくれ」に決定だ。多分こぎゃるもそう呼んでるだろう。
夜、帰宅すると、目と鼻の先でで刃傷沙汰があったらしい。警官が夜っぴいて立っている。



 
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2005年9月1日 (木) 「ありがと。」(尾道訛り)

ようやく秋のツアー用DMのデザインがひらめいて、
銀座伊東屋で紙を買い、東京中央郵便局で切手を買い、
神田の金券屋で青春18きっぷの使いさし(2回残り)を調達。
ネタ元の小津安二郎監督の東京物語をレンタルビデオ屋で借りて久々に観る。
ほんとは劇団健康の「トーキョーあたり」を観る前に復習しといたほうが良かったんだが。
全編名場面。緻密な伏線、暗示通りの結果。
「こっちにゃーありゃーせんよ。」「うまいね、この豆。」
「いえ、ちょっと田舎から親戚の者が。」「とうとう宿無しになってしもうた。」
「もうちょっとウチが広ければ泊まってもろうて…。」「いやんなっちゃうなあ。」
「あたし?」
「治るよ、治る。治るさあ。」
「そうか、×時×分の鹿児島行やったら間に合ったんやなあ。」「私、ずるいんです。」
「さよなら、あたし!」「さよなら、おれ!」……あ、これは転校生だ。
(もうビデオ返しちゃったから、セリフの正確さは堪忍。)
終わり近くにようやく登場する大坂志郎、末っ子の無念さ。いかにも鉄道員なところ。
東山千栄子の床を囲む家族のシーンのスミに映る蚊取線香。
茶だんすを乗りこえる三宅弘城、……あ、これはトーキョーあたりだ。
そして原節子の後ろ姿の美しさとなまめかしさ。
今回、イラストでいちばん気を使ったのが、この原節子の背中から胸にかけての肉感なのだ。


2005年9月2日 (金) 終わらない宿題

DM1000枚両面、プリントゴッコで、ひたすら刷っている。


2005年9月3日 (土) 新・終わらない宿題

DM1000枚、ひたすら宛名を書いている。


2005年9月4日 (日) 続・終わらない宿題

DM1000枚、ひたすら切手を貼っている。

宿題のシメキリ、東京駅八重洲口、21時40分発の東北急行バス、京都・茨木行、
カジュアルツインクル号、4800円。
正規の路線バス京阪神行でいちばん安いクラスである。
会員制スキーバスのような高速バスが最近流行っていて、
こちらは4300円で設備もあまりかわらないはずだが、アクシデントには弱い。
おりしも台風接近中。
横付けされたバスは、茶色とクリーム色に古くさいロゴを身にまとった頑固な姿、
4列シートだが、学生の頃よく乗った、国鉄バス時代のドリーム号くらいの居住性はある。
そして乗客は貧乏人である。
貧乏な学生、貧乏なビジネスマン、貧乏なオバチャン。
あえて下々の暮らしを観察するためお忍びで乗っている高貴なお方は私だけである。
みんな貧乏だった時代の貧乏人じゃなくて、バブルという豊かさを知った後の貧乏人だ、
私もあえて、貧乏バスを選んでいるのだから車内の無秩序や品の無さは「覚悟の前やで。」
百鬼園先生曰く、無用の旅ゆえに1等をはりこまねばならぬというが、今回、
旅の目的自体は無用の目的だが、無用でも目的というものがあるので、
有用の旅ならば贅沢をする必要はない。それでも昔の3等車にくらべれば雲泥の差だろう。
関西弁のオバチャンが切符に代わる証明なり領収書をよこせと、ゴネている。
東北人とおぼしき運転手が発車を伸ばして、その場では無理なことを説明している。
連帯感のない疲れた貧乏人達はあきらめ顔で時間のたつのを待っている。


2005年9月5日 (月) たび・しんぼう

早朝の京都駅にバスは定刻で到着、ここからは在来線の電車をのりついで尾道へ。
映画「東京物語」で老夫婦は、東京駅を21時30分の急行列車で後にする、到着予定13時半。
50年後、ほぼ同時刻に東京を発った私は、その夜汽車より3時間も早く、尾道駅へ辷りこむ。
駅はずれの踏切に立つと、
大きくカーブを描いて、鉄道の黄金時代をしのばせる堂々としたプラットホーム、
弧の内側の駅裏にはすぐに山が迫り、張りつくように家並が上へと続く。
ジオラマのような、あるいは山本忠敬(※)の絵のような街が、悄然と雨に煙っている。
アリの巣の断面模型のように細い径が家々を縫い、そこを歩けば大林宣彦映画の主人公だ。
あいにく、ただDM差出しだけの為にやってきた私は、感傷にひたるどころか、
再開発で得体の知れない駅前の、ミスタードーナツでハガキの続きを作っている。
尾道まで来てミスドというのもかわりばえがないけれど、珍しくホームカットと御対面。
時折、マスコミ関係の他所者とおぼしき人達がやってくる。
ロータリーに面して、「ホリエモン」と書き添えた横断幕を張った堀江貴文事務所があるが、
台風接近で荒天のためか、駅前は閑散としている。
夕刻には帰途に着かねばならない、散策している暇はないのだが、しんぼうたまらず、
ソロライブのアンケート回答者の分に切手を貼り終えた時点で現実逃避、映画の中へ。
雨に濡れながら、ただひたすらアップダウンをくりかえすだけだが、見知らぬ街は楽しい。
まして、どこをとっても絵になる尾道である。
商店街に「うば車専門店」(今は老人用カート店)が2店もあって不思議、
坂道が多くて大変だからか!とひらめいた、……あ、だめだ、石段も多いや。
千光寺へ昇るロープウエーの駅前、喫茶「こもん」で作業再開。
結局、尾道の消印で出せたのは860通であった。

※山本忠敬……絵本「しょうぼうじどうしゃじぷた」「のろまなローラー」など


2005年9月12日 (月) コイズミ総統万歳!

白紙委任状にサインして判を押したようなものだなあ。
具体的なことは後から書き込まれるのである。
そのときはもう耳を貸さないのである。

◆小泉与党327議席獲得

これはひょっとして、巨人離れの反作用じゃないのか。
誰かもうそういう説出してるかな。
9割のジャイアンツファンとその他の変わり者、
日本人はそういう構図が好きなのだ。
目をつぶって参加できる祭が必要なのだ。
巨人、ヨシモト、自民党。

社民党はがんばったね。
ヒイキにしようかな。
小泉純一郎と一緒で細かいことは言わなかったのが勝因だな。

全国的に秋晴れだそうである。


2005年9月14日 (水) 白星でもなく黒星でもない勝負の行方

ざぶとん亭東京隠れ家に泊めてもらって、
石和へ帰るバスを新宿高速バスターミナルで見送亭。「どうもどうも。」
昨夜も早々に酔いがまわって「お行儀が良くない。」
夏の疲れが確実に出ている、生きているだけで消耗するのだ、夏は。
さて、せっかく新宿にいるので、世界堂で買い物して伊勢丹の食料品売場ひやかして、
テアトル新宿でダンカン監督「七人の弔い」。
どうやって結末をつけるのか固唾をのんで見守ると、絶妙の着地。
見事なストーリー展開を見せつけられて、しばし、創作意欲消失。
よくできた作品を見ると、もう「何も私が何かやらなくても」と思ってしまう。
余談ながら、渡辺いっけい と いしのようこ がカラオケを歌うシーンがあるのだが、
画面が変わって二人の足元が映った瞬間、まだ一音も出ていないのに歌う曲名がわかった。
これは私の予知能力などではもちろんない、ピンクレディーの偉大さを再認識。

地下の劇場から外へ出ると、新宿通りはまだ午後2時ながら建物の影でうす暗く、
一方、対岸の建物はぎらぎらした陽射しをなまめかしくはねかえしている。
東京大飯店の隣、ビルの狭間に濃い緑の中、白い鳥居と「花園神社」の標柱が浮かび上がる。
コントラストの境界線に四谷方ヘけだるく向かう自動車の群れ、
それに併行して駅方向から歩道をチリンチリンチリンチリン、
車に追いこされながらゆっくりと、アイスキャンディー屋の赤い旗がひらひら見えかくれ。
横断歩道を渡って呼び止めると、ハッとこの世に引き戻されたようなオジサン、
歯がたたないアイスキャンディー150円。


2005年9月15日 (木) 子の言うことは十中八九きくな(親父の小言/魚民)

昨日の残暑に比べれば気温は下がり、ラジオではさかんに、
「ようやく秋到来」を繰返すが、我が部屋は暑い。
遠く蝉の鳴き声は聞こえるし、侵入してきた蚊に腕を食われる。
夏の終わりの蝉には力がないが、蚊のヤツは必死だ。

横浜で人前式・結婚パーティの司会。
久々に連絡のあった古い知り合いの御祝の席である。
御指名にあずかり嬉しいけれど、
ブライダルのノウハウも設備もないレストランで立食で人前式は難しい。
しかし、無理難題をなんとかするのが司会者の仕事である。
……もう一回やらない?式だけ別の所で。
新郎新婦の前途に幸あれ。


2005年9月20日 (火) 「ここへ手を持ってけばいい、……コーガン作用があるって」

う〜、きょうなどは観にゆきたいトコロが目白押なのであるが、
ツアーも近いし、自宅で悶々とネタづくりと準備作業をしているのである。
そんな雨の夜、NHKラジオの真打競演ではケーシー高峰先生の漫談。
すごいのなんの。もちろん会場は爆笑の渦、ラジオの前の私もついつい吹き出す。
「凄い」という言葉は安易に使わないようにしているのだけれども、
すごい、すさまじい。
例によって落とし所のくだらなさは極致、しかも内容は古くない。
ボキャブラリーの貧困な議員の皆さんも見習ってほしいなあ。
観ておかないと後悔する舞台を袖に部屋に籠った私に思わぬプレゼントだ。
ん〜、でも次はなかったりするのがナマのステージなのよねえ。


2005年9月21日 (水) 大惨事小泉内閣

私は郵政公社のまんまでいいと思っている。
保護主義反対!という世のスウセイの中、
個人情報保護法で個人情報が守られているように、
ユーセー保護法で郵政も守られているのだ。

クリーニング屋行って、郵便局寄って、五反野の歯医者行って、
日暮里駅で甲府からの帰りの指定券とって、谷中銀座でメンチカツ買ってウチで昼飯食って、
代官山の美容院で髪切って、新宿と下北沢でチラシの折込み。
うら若き歯科技工士の女性の指で唇をさわられ、
うら若き美容師のアシスタントの女性にシャンプーで頭をまざぐられ、
うら若き眼科の助手の女性の目の周りをいじくられるはずが、これは休診日の為、明日に。
乗換で久々に東武線牛田駅から京成関屋駅へ、牛田駅裏が更地になっていたが、
駅をただよう空気はこの30年変わっていないなあ。
関屋駅ホームの上からチキチキと蝉の声、マンションの壁にへばりついているらしい。
それとは無関係に、カッコ−などの野鳥の声が、スピーカーから無意味に流れている。
京成電車に乗り込むと、今どき聞かなくなった、妙なイントネーションの車掌。
ジェットコースターのようにアップダウンとカーブをくり返し、
中途半端に時を重ねてしまった下町を、銀色の電車は70年代のモーター音を響かせて進む。
くるり、次は京成をたのむ。


2005年9月22日 (木) 難問解決 ご近所の底力

NHKの受信料を払わなきゃならないのは法律で決まってるから、それだけだ。
契約してしまった以上は、未払いならば法的措置をとられるのは、理にかなっている。
「もうテレビは見ません、契約を解除します、
もう払いませんから明日から、電波を止めてください。」
電気、水道、ガス、電話、払わなければ止められる。
NHKだけだ、平気で流し続けるのは。払わなきゃスカパーも見られないぞ。
ほんとに取る気があるのなら、払わなきゃ見られないシステムにすればいいのだ、
演芸場のように。
(タダ同然で見る方法があるのが困ったところだ、東洋館の場合は。)
その東洋館の浅い出番を終えて、さすがに私ですら交通公社と言わなくなってしまった、
JTB浅草支店で京都行きのきっぷ購入、京都は確実に赤字なので「ぷらっとこだま」。
ヨーロー堂にちょっと顔出して、黒田屋寄って某歌姫の仕事ぶりを見て、
上野へ行って使い捨てコンタクトレンズの補充、ついでに眼科検診。
メガネの似合う美人女医にマブタをもてあそばれる。
千駄木・往来堂書店で小型時刻表を買えばいよいよ旅気分、
いやいやそれより肝心のネタ作り、ミスタードーナツでカフェオレとポンデダブルショコラ。
え、なに、明日はまた休日?そうか秋分の日か。
全然気づかなかった、今日いろいろすませといて正解だったな、
週のうち、平日が3日しかないって、納期のある仕事の人達には残酷な話ね。


2005年9月25日 (日) 巣鴨のままで

午前中の特急で帰京、都営地下鉄三田線の西巣鴨駅を降りると、
地下鉄の駅の殺風景さと、外の道路と空のだだっぴろさに、
名古屋の街を思い出す、あ〜ツアー近いけど準備が……、
今日はこれまた、巣鴨でライブスペースと落語会を必死で続けてきた、ニシジマ夫妻の、
巣鴨四丁目落語会50回記念公演。
メインの志の輔師匠以外はナイショだった出演者、それぞれも楽屋でその総勢を知る。
立川志の輔、立川文都、桂快治、ぜんじろう、ダメじゃん小出、寒空はだか。
……、なんちゅうプログラム、どうやったら揃うこの取り合わせ。
良く言えば孤高の人々が豪華に勢ぞろい、悪く言うと、別に悪く言うことはないか。
ぜんじろうさんがドカドカ笑いをとった後なので、その余韻でなんなく私も笑いをとるが、
いやあ、こんなにウケるほど面白いことは言ってないというか、
いつもとおんなじ話だからなあ、出る前にやるつもりだったことやってないしなあ。
とにもかくにも、本日も主催者、出演者、みんなゴキゲンな打上だったので良かったね。
多分お客様も楽しかったと思う。


2005年9月23日 (金) 本日のプログラム

12:00 落 語 三遊亭橘也    絶好の行楽日和ですねえ。
12:15 漫 才 外苑警備隊     →と思ったら、曇ってしまった。しかも暑い。
12:30 漫 談 甘味けんじ    あらら、休日だというのに、
12:50 漫 談 玉川平太朗    なかなか楽しめるメンバーじゃないですか。
13:10 曲ごま やなぎ南玉     →ごめんなさい。午前中書いたの間違いでした。
13:30 漫 談 寒空はだか      好太郎師匠はもともと入ってませんでした。
13:50 落 語 三遊亭愛楽      
14:10 ボーイズ 東京ボーイズ   今日はよく笑うお客であった。
14:30 仲入り           ……そんなにウケるわけないのに、私は。 
14:40 漫 談 前田隣      
15:00 落 語 立川志遊
15:20 ボーイズ アンクルベイビー
15:40 落 語 立川左談次
16:00 コント チャーリーカンパニー


2005年9月24日 (土) 記念にもう手は洗わな……、風呂場だからなあ……

石和ざぶとん亭主催の「立川談慶・祝真打落語会」、甲府市総合市民会館芸術ホール、
に出演、出演というより参加。助っ人。
山梨で風流人をなりわいにしているばばさんが、
後輩で、甲府で高校時代を過ごした談慶師匠に真打昇進の凱旋公演をと、
鰍沢から身を投げて材木につかまる覚悟で開催。別に追われてはいないけど。
プログラムには堂々、立川談慶、立川談志、立川談春、三増紋之助。
ばばさんは、良い友人と良い家族に支えられ、
良いお客と良い出演者を迎えて、良い公演のできあがり。
収支は知らない。
声援に応える談慶師の「片棒」の熱演で幕が閉まり、打上も和やかに。
なによりばばさんが嬉しそう。

夜おそく、石和温泉にて、ひょんなことから談慶師師匠と二人きりになり、背中を流す。
この稼業やってて良かったなあ。
でも、ただの湯治客と思われていたかもしれない。
「お前は誰だ?」「はだかです。」「はだかはわかっている!」(これはネタね。)
広い背中であった。


2005年9月26日 (月) マルチ方式でお客を増やせばいいのか!

ツアーの準備で池袋に寄ったついでに、三越の近所の割と広い喫茶店でネタをつめていると、
横のテーブルから、後ろのテーブルから「ネットワークビジネス」の説明が聞こえてくる。
アムウェイなんかで有名な、マルチ商法だ。
「ナニワ金融道」では、友人や親戚といった人間関係を根こそぎカネに変えるシステム、
とわかりやすく定義していた。
なんかあやしい人々ばかりが集う喫茶店があるが、たまたまそういうところだったのだ。
マルチ商法の是非はこの際どうでもいいのである、
話の内容が気になってこっちの作業が進まないのが問題である
一件は定年退職世代の女性、話を聞くと、周りの人みんな、おカネ持ってるのねえ。
もう一件は学生らしく、すでに入会した友人が社員とともに勧誘している模様。
ウチの場合あれね、私の会に友人を誘っても、その友人はカネを生まないけれど、
人間関係にヒビは入ったりするのね。


2005年9月27日 (火) 教徒のみなさん

倹約して割引プラン「ぷらっとこだま」、ガラガラのこだま号で京都入り、
曇天の下、古い街並の中にたたずむライブハウス、磔磔(たくたく)へ、
もともと蔵だった磔磔の重い扉を開ければ、1年ぶりという気はしない。
その昨年、ソロライブにもかかわらず悪夢のような動員を記録した私、
今回は会場側でもう一組をさがしてもらってリスク軽減。
対バン(共演する相手バンドの意)の久ぼたなお子さんはギターの弾き語り、
自ら「暗い歌」という歌を、丁寧にカラリと歌う。
ギタ−弾き語りと対バンというのは、10年前、荻窪のグッドマンで4年続けてきたものの、
やはりパロディする側というのは気を使うのであるが、
リハを見て安心、この人なら大丈夫、歌もうまいし、私のネタでゆらぐ世界ではない。
私がトップで45分、
今までの磔磔ライブで一番の出来、5回目にしてようやく初日が出た感がある。
磔磔店主のミズシマさんと楽しい酒を少し。


2005年9月28日 (水) 丹下キヨ子?

濃いワインカラー、オシャレでシックな阪急電車で梅田へ、特急はみんな前向きのシート、
みんな前向きといっても私などはネガティブなのであるが、居眠りしてるとナナメ後ろから、
我々と少し違う次元が見えているとおぼしきオジサンの鼻唄が聞こえてくる。
♪「キヨコ〜、おまえは〜、キヨコ〜、すてきだ〜、キヨコ〜、俺は、、、、
  キヨコ〜、おまえは〜、キヨコ〜、すてきだ〜、……」もどるな。先をきかせてくれ。
この歌が彼の自作なのか違うのかは知らねども、俺は、つまりお前はどう思っているのか、
おそらくラブソングなんだろうが、結末のわからないまま十三で彼は降りた。
東梅田教会で、端正でシュッとした桂出丸師匠の会にゲスト出演。
日程上、名古屋へ行く前の一日が空いていたところへ、出演の機会をもらう、ありがたい。
上方(かみがた)のお客の前、東京から行った演者の会にゲストという経験はあるが、
完璧にアウェイ、ほとんど「はじめまして」の環境というのは多分はじめてである。
出丸師匠、一度浅草で一緒になっただけなのに、
同じ価値観を持っていると認めてもらったであろうことが、なにより嬉しい。
出丸師匠のおかみさんの三味線と桂雀五郎さんの太鼓、草競馬の出囃子にのって登場、
私以上に呼ぶ方は勇気のいる行為であるはずなので、その意気に応えて、
なるべく浅草でやるままに、プラス演芸場ではあまりやらない「マタギ」をいれて25分。
けっして爆笑の渦ではないが、あれだけウケれば上々、東京でもそんなに笑うわけじゃない。


2005年9月29日 (木) LIFE IS VERY SHORT

桂出丸師匠の家には自作のごついスピーカーをはじめ、
サンスイのアンプやら、ウン十万のビデオデッキやら、
壁中をうめつくすビデオテープやら、凝り性の一端がうかがえる。う〜むなるほど。
昨夜の打上、私は早々にソフトドリンクへ、酒呑みの師匠には申し訳ないが、
お宅に着き次第バタンキュー。名古屋に備える。
名残りは惜しいが、お昼前に師匠宅を辞し、
気ィつかいの人・呑々さんのエスコートで谷町九丁目、上本町から近鉄名阪特急で名古屋へ。
昨日、梅田阪神地下の金券屋で買ったチケット¥3200也。
思ったほど疲れてないようで安心、ライブの内容を確認しつつ軽快な走りに身を委ねる。
勝手知ったる今池TOKUZO、心配なのはテレピアホール春風亭昇太独演会と重なったこと。
東京でかちあっても珍しいことじゃないが、名古屋でぶつかるのは痛いなあ。
で、フタ開けてみると、動員よりも、ライブの内容が……、ボロボロ。
なに言っても言い訳にしかならぬ。関西ツアー、尾張良くなきゃ全てダメだ。
昇太師匠の会をけって来てくれた人もあろう、陳謝。

TOKUZOをあとに新栄、行きつけの店、常にビートルズ流れる、名物男かっつあんの店へ。
ぶっきらぼうだが、憎めない彼の店は、名古屋エンタテインメント界の交差点でもある。
「明日で店閉めるんだわ」、
会話の途中、あやうく聞き逃すくらい自然にその言葉は、とびだした。
ああ、いつも現実は突然だ。かっつあん、おつかれさま、ありがとう。


2005年9月30日 (金) 旅を栖と す
京都、大阪とまわって、本日、名古屋より帰宅。
出発時と寸分たがわぬ混沌の我が家がお出迎え。
ん〜、やっぱり他人(ヒト)ん家がいちばん!



 
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2005年10月1日 (土) 「と思っていた矢先」は今年度下半期の流行語ねらいとみた!

ぜえんぶ他人のせいかあ。
正しいと思えばつらぬき通す。
間違いを認めるなら、素直にあやまる。
それをしないのは、
なんかわざと話題を大きくしようとしてる、と我々斜に構えた者は考える。
私はどっちも好きじゃないけど、今回はエイベックスに負けるな、2ちゃんねりすと。

なんのことかわからない人は、ええ、実は私もちょっと読みかじっただけなので、
くわしくはyahooニュースかなんかでのまネコ問題を検索のこと。


2005年10月2日 (日) だんしょ

なにまたセミの話かと読者諸兄は思われるかも知れないが、
この夏、いったいセミってやつはいつまで鳴くものか、というのを気にしていたのである。
10月にもかかわらず30度超、湿度は低いから猛暑ってほどではないが、
近所でセミがチキチキ鳴いていた、もう打止だと思ってたのに。
チキチキと表現するのは、よく鳴いてるわりに名前を知らないからだ。
多分アブラゼミだ、でも確証がない。(今は便利だね、後でネットで音が聞けた。)
博学を売りにしている私は、「知らない」という言葉を言えない「やかんの先生」なのだが、
最近ちょっと素直になって一皮むけた脱皮岬なのだ。
いつまでも地中にいらんないからね。
夕暮れ迫る皇居前、お濠端でもツクツクホウシが鳴いている。
今羽化しちゃってもなあ、でも来年お天道様ながめられるという約束もない。
お濠に姿をうつす東京會館にて立川談笑真打披露パーティ。
立川流の昇進は年功序列ではないので、まさにもぎとった真打である。
何度か一緒に会をやらせてもらったこともあり、嬉しいことである。
立川流の皆さんにはそれぞれ世話になっているけれど、
こうして一同に会しているのは、初めて見る光景だ。
家元立川談志師匠のスピーチを聞く姿にそれぞれの個性が現れていて楽しい。
たまにしか会わないからってこしらさんは家元のことを珍しそうに見つめ過ぎ。
ただセーラームーン柄の着物の談之助師匠の横にブラック師匠のいないことは寂しい。


2005年10月3日 (月) オールナイトにのぼったわ(若いラジオ深夜便)

昨日、東京タワーをよじ登った男がいたそうで。
あ、よじ登ったわけともかぎらないらしい。
とにかく、真夏日の鉄骨なんか暑いと思うが、外に居座っていたらしい。
ハートマークと好きな娘の名前を書いた布を掲げていたという。
青森県出身31歳、自称農業。
お岩木山でおやり。

久しぶりにニッポン放送の深夜にダイヤルを合わせると、
コッキーポップもたむたむたいむもやってない、そりゃそうだ。
しかし45歳落語家、「春風亭昇太のオールナイトニッポン」
昇るタワー、あ、太いという字はタワーにさもにたり、昇太師匠。
第一声「さ、そういうことで始まっちゃたよ。」
生理じゃないんだから。

ネット局増えたけど、スポンサー減ったね、
NHKに流れて久しいタクシー運転手リスナー狙いに出たか、ニッポン放送!


2005年10月5日 (水) 都合の悪いことは棚にあげるが棚ももういっぱいだ

あいにくの空模様、お客の出足はさておき、大荷物の移動に難儀である。
新宿の御苑スタジオでゲスト用のピンマイクを借りて、ハードケースの荷物が増える、
小雨ぱらつく中、吉祥寺スターパインズカフェに。
天井の高い、響きの良い、雰囲気の良い、ハコとしていちばん気に入っている場所である。
儲からないのがつらいところ。
まだ椅子も並べていないガランとしたフロアに荷物を置いて一息つく。
私のためにスタッフが一丸となって開演に向けて進んで行くというのは、
演者冥利に尽きるのだ、最終的には各人の生活のために帰結するとはいえ。
TOKUZO、磔磔、私はいいライブハウスに恵まれている。
やる予定のないネタに入っちゃったりして終わってみれば22時。長すぎる。
ゲストの THE MAN にはコント2本を、
お客と遊ぶ演芸場コントじゃないから出し方をもうちょっと考えてやれば良かったんだが、
ライブハウスだから暗転ジングルってのは違うと思ったし。
たらたら引き渡してしまって申し訳なかったのだ。
いろいろやりっぱなしのまま、秋のツアー「四十ひきまわし」、終了。
終電間際の帰りしな、吉祥寺駅前で栗コーダーカルテットの川口さんに遭遇、
というかまんまとつかまって、阿佐ヶ谷のパオサンキューで朝まで。


2005年10月6日 (木) しわよせのこだま

朝6時、開店直後の阿佐ヶ谷のマクドナルドでホットケ−キの朝食をとりつつ、
会員用ダイレクトメールの宛名を書いている。
電車の混む前に新宿御苑前に移動して、
ウェンディーズでDM本文の原稿版下を作りつつ、御苑スタジオの空くのを待つ。
めったにバーガーショップなんか入らないのに、午前中に2軒もハシゴしている。
10時、借りたワイヤレスマイクを返し、帰宅。
早速プリントゴッコでハガキを刷る。
そのあと、宣伝パンフレット用に頼まれた、インチキ4コママンガの清書、
これはラフのOKは出てるから5本くらい重荷ではない。
14時、昨夜ライブ後23時過ぎにコンビニエンスストアから出した小包がもう届く。
郵便局がんばりすぎだ。絶対そのうち破綻するぞ。
というわけで、吉祥寺のライブは終わったが延々寝ていない。
本来、ずいぶん前に終わってるはずの宿題を今片付けているだけの話だ。
無理するタイミングを間違えている、ライブ前に寝すぎだ。


2005年10月10日 (月) 雨空休日好日

体育の日はやはり10月10日でなければ気持ちが悪い。
せっかく久しぶりに10日に当たったのに、雨天とはなにごとか。
晴天の得意日の面目丸つぶれだろう。
来年のカレンダーを見ていたら(さすがぐうたらな私もぼちぼち来年のことを考えている)、
2006年は土曜日と重なる旗日が多いことに気づく。
月曜にシフトしない祭日のうち4日が土曜に、つまりその分、休日が減る勘定なのよ。
あ、現場仕事は今でも土曜日は作業日か。
うるう年じゃないと、紀元節、先の天長節、天長節は同じ曜日なのね。
(あえて古い書き方をするのは、シフトしない理由がそこにあるからである。)
それに今年は秋の彼岸の中日も土曜日。
曜日で暮らしてないから関係ないが、それでもやはりつまらない。
忘れていたが、今日は赤旗まつりが中止になって、仕事がとんだ日ではないか。
日の丸も赤旗も信用ならねえなあ、いっそ国旗を白旗にすると戦争は起きねえか?


2005年10月11日 (火) おぼえがき

座敷で酒を呑んでいると、くつ下を半分だけ脱ぐ、というクセがある。
気持ちよいのである。
カカトは熱をもつにも関わらず、足先は冷える、ということだと推測する。
一般的には理解しがたいことのようだが、
一度だけ、呑んでる席で、同意する者が過半数を超えたことがある。


2005年10月12日 (水) ミンイミンイ、国会ゼミは今日も鳴く

政治家が民意で物事を決めてはいかん。
民意をふまえた上で、より良い方向へ進めるのが、国会議員の仕事である。
同じ法案なのに、反対票を投じた議員が、民意を言い訳に賛成にまわるなどもってのほかだ。
代議士自身が、ようく考えたら、やっぱり賛成だった、というならかまわぬ。
国民のせいにするという責任転嫁は、恥さらしである。
民意だから、というのは代議士が責任とりませんよ、という意思表示でなのだ。
国民のいいなりになるなら議会も議員もいらない、すべて国民投票で決めりゃあいいのだ。
こないだの戦争だって、民意なのだ。
だいたい、民意という名の多数意見で価値判断をしたら、
私など居場所はないのだ。
爆笑オンエアバトル、5回出て5回落ちるという輝かしい記録、
あれは民意で否定されたわけである。
私が自分の会のアンケートに感想欄を作らない理由のひとつは、
最終的には民意にしたがうつもりがない、からである。
私は自分の面白いと思ったことをやる、……だから売れないんだけどね。


2005年10月13日 (木) たわごとだから読まなくてよい

東京中央郵便局に、ライブツアー礼状の切手を物色に行くが、気にいったものがなく、
高架下の切手店で、昔の切手を購入する。
向い側の旧東京ビルヂングは再開発で雲をつく摩天楼を建設中。
かつて百尺規制で整然と整っていた東京駅丸の内口前も、
丸ビル、新丸ビル、国鉄本社と姿を消し、全く違う景観になるつつある。
そんな中、東京駅のドーム復元計画が進んでいるが、もはやムダだと思うんだなあ。
すっかり高層ビル群に埋没した肩身の狭い赤レンガ駅舎、
どう写真を撮っても絵にならない。
部分的にモノを復元するのは意味がない。
お濠端の帝劇、東京会館のラインは残したいなあ、三信ビルはついに取り壊しだというし。
郵政民営化に進行する中、丸の内北口の東京国際郵便局が知らぬ間に移転していた。
とてもヒマにしている窓口に重宝していたのだが、
このご時世ではしかたなかろう。
ガランとした冷たい広い窓口が好きだったんだけどなあ。


2005年10月18日 (火) 若く見えても話すとオヤジ

ざぶとん亭ばばさん達と伊勢珍道中に行っていた、まる5日間、東京を空けていたのだが、
そう遊び呆けているわけにもいかず、甲府で離脱、廃人同様で特急電車の人となる。
昨晩、靴がこわれてしまったので、いったん帰宅し、あらためて、有楽町・ニッポン放送へ。
お台場から戻ってきて初めて行くのだが、キレイすぎて気持ち悪い。
デジタルラジオというのがどういうものなのか、その性格を含めてよく分からないが、
絵が配信されるけれどテレビではない、ニッポン放送のBSデジタルチャンネルの番組、
「けんぢと麻子のブロードバンド!ニッポン」に出演する。
調子にのってしゃべり過ぎだ、若い子いじって笑いとるのはあまり感心しないが、
たまにゲストなどという強い立場で持ち上げられるとこうなるのね。
二人とも、あらかじめ私のアルバムをちゃんと聴きこんでてエライのだ、
こちらも上機嫌になろうというもの。
弱冠20歳、ビアンコネロというバンドの古川けんぢ君をオモチャにさせてもらったが、
素直だし、ちゃんと相手の言葉をうけとめて投げ返す。
進行役の小島麻子さんの職域を侵してベラベラと、話の腰を折りまくった私は大人気ないが、
サ−ビスと思って御勘弁なのだ。
別に用事もないけれど、放送終了まで残ってるのも物欲しそうなのでスタジオを後にする。
雨上がり、ひとけのない日比谷濠に映るまばらな街路灯、
「巴里のアメリカ人」のセーヌ河畔のダンスシーンを思い出しつつ、ぷらぷら歩く。


2005年10月28日 (金) 全ての敵は空腹にあり

サボッちゃうとなかなか再開がめんどうくさくなるのが日記であるが、
書かずに余計な推測されてもかなわないし、かといって無理矢理、
欄を埋めようとして必要以上に素性を明かしてしまうのも考えものである。
イラストの仕事を頼まれていたのを珍しく締切までに仕上げて、
都電がガラガラとモーターを轟かせる大塚駅前から、明治図書まで届けに行く。
学習書編集のトール君は、寒空はだか草創期を知っている数少ない人物である。
彼が13年前に主催したイベント、で初めて一緒になった、
「水中、それは苦しい」というバンドが、
このあいだのデジタルラジオのホスト役、けんぢ君のバンド「ビアンコネロ」と
共演というので与野へ向う。
(ホストって言葉も気をつけないと、最近は極端な意味にとらえられるから困る。
 ホストコンピュータって、アンドロイド“ホスト”か、それはそれで面白いな。)
もっとも、私をわざわざ北へ向わせた原動力は、北浦和駅前「娘娘(にゃんにゃん)」の、
スタミナラーメンを久々に食べたいという、珍しく食欲優先の理由によるものであった。
ひき肉とニラのあんかけがのったラーメンは学生時代の大好物であり、
汚いたたずまいと柳大吉(→包丁人味平)に似たマスターを折にふれて思い出しては、
今でも溜息をついていたものである。
脳内の全ての機能を対スタミナラーメンに特化させて獲物に近づく心象風景は、
東海林さだおの食べ物エッセイを思い浮かべてもらうとして、
休みだったらどうしよう、
ラブレター抱いた乙女のようなドキドキ感を胸に横丁の角を曲がると、
はたして灯りがつてない、ああ、やっぱり休み、あ、貼り紙が、りんじきゅうぎょ、ん?
「御近所の火事により……」、隣の路地、スナック街が焼けていた。
路地の入口には黄色いテープが貼られ(粘着テープだから貼る、ね)、
焼跡の匂いがあたりにただよっている。
茫然、映画「Uボート」のラストシーンで途方に暮れる、生き残った記者みたいな心境。
閉店とかなくなってた、より、想定の外の現実に直面し、一層ショックが大きい、
まるでカノジョにふられたくらいの喪失感に、直径30センチくらいの穴が胸にあく。
このままライブに行くと精神衛生上、非常によろしくないので、
発車間際のバスに飛び乗り、学生時代の別の思い出の店、BE-PLANTへ。
何年ぶりかで訪れると店内は改装されていたが、
豚肉とナスを味噌で炒めたビープラント丼の味は変わらず、
胸にあいた穴をメシでふさいで北与野駅前の HEAVEN'S ROCK というライブハウスへ。


2005年10月30日 (日) (開口一番は立川志の吉さん)

中野駅の電車庫沿い都営住宅(JR社宅?)は4階建ての鉄筋アパート、
入口にスクラッチタイルのある古色蒼然としたもので、
外から見ると、各階の天井が頭がつかえそうに低い。
この風景もいつまで見られるか。
その前を通ってなかのZEROホール、大ホールは築10年ちょいだが、
私の出演する小ホールはその前からあった古いホールらしい。
古モノ好きの私にはたまらないわけで、
舞台袖の何やらわからぬが年代物のメーターに、心踊らせている。
とてもそんなに多くは見えないが、
550もの客席がスロープになってコンパクトにおさまっている。
これだけのキャパシティの会場を、自分の甲斐性ではなく相手にできるのはありがたい。
林家たい平・柳家喬太郎、両師匠一騎討ちという会の緩衝材である。
たい平師匠と仕事で一緒になるのは初めてなのだが、
私を含めて3人の共通点は学生時代にさかのぼれる、
楽屋にいる間を含め、あえて誰もそれに触れないあたり、こう、静かな炎を感じさせる話だ。
二人の気合いの入った高座にはさまれ、私はおなじみの脱力感20分、
この秋はじめての「焼芋ロックンロール」、オチのあとのとどめのオチを忘れる、
……力はいっちゃってたのね。
早々と売切れた公演なのだが、それゆえ空席もちらほら、あれなんとかならないかなあ。


2005年10月31日 (月) ♪ドゥドゥハウドゥユドゥ、ユーユーアイラブユー……

朝、銀行へ行った帰りにみかんが安かったので、今季はじめて買ってゆく。
安いみかんだから安いなりの味だが、たて続けに三つばかり食す。
とまらず四つ目に手がのびる。
沖の暗いのに白帆が見える、きょうは紀伊國屋ホールに出演だ。
アルバイトで大道具をやっていた頃、いつかこの舞台に立ってやると、
カラの客席に向って思ったのであるが、そのオトシマエがようやく叶うのである。
「BY木村万里シャッフル」と称して音楽がらみのエンターテイナーのショウケース。
世間的には知られぬものを紹介しようという試み、永六輔さんの後ろだての甲斐あって、
400余の席は完売している。
開場前、私は出演する劇場のいちばん後ろの席から舞台を眺めてみるのだ、
出演者が見る最後列より、そこから見つめる舞台は遠い。
柳家紫文さんが、ふだん同様の、気負うところのない技で軽く場内を爆笑に叩き込んだ後、
黒のタキシードに身を包んだはだか登場、バック幕も黒だったのは誤算だった。
舞台上からあらためて見渡す満員の会場は、スロープがゆるいこともあって、
リハーサルの時よりもとっと遠くまで広がり、奥に向って下がっているように感じられた。
あたたかすぎる観客を前に、なにより、六八九の六、作詞者の永さんがいる中、図々しくも、
坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」を熱唱。
九ちゃんになりきって歌い上げる姿に観衆はとまどう、というより、
「永さんの機嫌そこねない?」という不安いりまじったままシンと聞いている。
あやうくフルコーラス歌いそうになったが、いちばん気持ちよくなる寸前で次のネタにゆく。



 
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 >11月 12月

2005年11月1日 (火) ホーム大臣、いきなりアウェイに

新しい法務大臣が、死刑に反対するコメントをした直後、
今度はそれをひるがえしておいて、「そういう意味ではなかった」なんて情けない言い訳、
各マスコミで叩かれていた。
そんな無責任な大臣のもとで憲法の論議されてはかなわんなあ。

新宿武蔵野館で犬童一心監督「メゾン・ド・ヒミコ」、
いい脚本だと思ったら、「ジョゼと虎と魚たち」と同じ渡辺あやという人だった。
柴崎コウが不細工で不器用な女性を演じていて感心、
フィルムらしい質感と切ない内容の映画には私は弱い。

タワーレコードの映画CDコーナーを物色、
錨を上げて“ANCHORS AWEIGH”のイギリス製サントラが1250円という廉価で出ていた、
買ってみたらビデオのトラックから複製したような粗悪品で、
輸入盤とはいえ、いまだにこんなものがあるのかというヒドイ代物をつかんでしまった。
別に売ってる側を責める気にもならない、安モノに手を出してしまった自分にあきれる。


2005年11月4日 (金) ALWAYS 台東区の夕日

いいかげん新しい宣材(=宣伝材料)写真を撮らねばならぬと思いつつ、
プロフィール写真は5年前にマルベル堂のスタジオで撮影したモノをいまだに使っている。
店頭にプロマイドとして並んだりはしていないけれども。
ただでさえ若く見える顔がなお若い。
近頃はデータのやりとりが増えたから、実際の紙焼き写真を使うことも減ったのだが、
久しぶりに焼増しを頼んでいたものをひきとりに、夕暮れせまる浅草へ。
ほんとは某所で仕事の予定だったんだが流れたのよねえ。
ハンバーグドッグなつかしホットドッグジローがかつて営業していた場所は、
喫茶「天国」として生まれかわり、女性ひとりで奮闘中。
ひんやりとした店の雰囲気が気にいっている。
ホットケーキ食べて外へ出ると、
まだ5時すぎだというのにうす暗い浅草の街は閑散としはじめる。
雷門前を通りがかれば、所在なげにしている若い娘がぽつんと、観光客か?何を待つ?
と思うヒマもなく近づいた観光人力車夫が「こんにちは」と声をかける。
今、浅草でいちばん元気なのは人力車の客引きだ。
仏壇屋がきらびやかに立ち並ぶ通りを歩いて、アメ横で靴を買って帰る。


2005年11月6日 (日) ♪好きといいなさい/本田美奈子

ここのところ、ヒトの上前をハネるようなカタチで素敵な仕事をさせてもらっているが、
今日は赤坂のBflatというライブハウスで、Studio Four Bigband の司会、
そのオマケで、ビッグバンドをバックに2曲歌う。
金管楽器13本をしたがえて歌う“Fly Me To The Moon”は気持ちよかったなあ。
ジャズの司会というのはお初である。
くどくならないようにサラリとやったら、サラリとしすぎたかな、
いや、司会とはそういうものだ。

夜、ラジオで本田美奈子の訃報を聞く。
38歳……。かなしいなあ。


2005年11月7日 (月) 反省の色は匂えど

なかの芸能小劇場にて若手新作落語家さんたちの会、
かつて川柳川柳師匠とペペ桜井先生の会、川柳師匠と高田渡さんの会を企画し、
ありがたくも両方に私の出番をくれた、オフィス7F・槙氏主催である。
中トリという光栄な出番をもらうも、
ツルツルっと舞台に出てしまい、ツルツルっと勤めてしまう。
声も出ていない。三振ならまだしも、ピッチャーゴロという結果に。
う〜む、寒空はだかは手を抜いている、と思われても仕方ない出来である。
手を抜くなんてするものか、……魂が入ってなかったのである。
今日のお客には押してはダメだと思ってローギアから入ろうとしたら、
ニュートラルのまま終わっちゃったんだなあ。悪いことをした。
都合で最後までいられなかったので残念であったが、
元気いいぞうさんが立派にトリを飾ってくれたことであろう。


2005年11月8日 (火) サービス考

携帯電話を持っていないので、一日中ウチを空けていたら、留守電が何件か。
マメに外から聞くようには心がけているけれど、ついついおっくうになる。
そういう時に限って吹き込まれているわけで、申し訳ない。
自分の非は棚にあげるが、公衆電話もないコンビニエンスストアが増えてけしからん。
グリコジャイアントコーンとペヤングソースやきそばを置いてないコンビニ同様、
あるべきものがないというのは困ったものである。
公衆電話の急激な減少を見るにつけ、
民間で郵便局ネットワークの維持なんかできっこない、と私は思うのである。


2005年11月9日 (水) たまには普通の人なみの密度の日

26日の豊島公会堂の会、司会のルー大柴さんに見せる資料ビデオが欲しい、
と頼まれていたのをほったらかしといたら催促されて、
午前中、わざわざ最寄りの千駄木駅まで取りにきてくれる、というので偉そうだが甘える。
クラフタツのY女史とは初めてお会いするのだが、この後は下北沢に行くという、恐縮。
ルーさんとは、──覚えてなくてよいのだが──実に20年ぶりに会うことになる。
まだルーさんがメディアで売れる前だし、もちろん私もまだ寒空はだかではなかった。
頼まれていたイラストの仕事の直しをやったあと、
急遽、ちょっとしたCMソングのフレーズのデモテープを作ることになる。
スタジオに入るほどではないし、往復の時間もない、
自室でポータブルのMDにマイクをつっこんで吹き込む。
アパート中だれもいなかったからいいようなものの、大声でバカな歌うたっている様子は、
連れ込んだ女性の嬌声を聞かれるより恥ずかしいことである。
郵便局で私の恥ずかしい声を収めたMDを発送し、大塚にイラストを届け、
霞ヶ関イイノホールで映画の試写会。
登場する外人を即座に見分けることは一生かなわないんだろうなあ。


2005年11月11日 (金) ころがし涼太

小田急バスに乗ったら今どき珍しく荒っぽい運転で、お行儀の良い運転手が多い中、
それはそれでテクニックに自信が感じられてたのもしくはあった。
いい悪いは別としてね。
昼間なんかバスは高齢者ばかり、郊外の駅前通りは路上駐車の嵐、
生半可な運転じゃ遅れるばかりなのだろう。……いい悪いは別としてね。
このあいだ東急バスに乗ったら対称的におとなしく丁寧なドライバーばかり、
車内放送のテープで「お問合せは『サービスプロバイダー』に」
っていうから何かと思ったら、運転手のことであった。それも何か間違えている。


2005年11月12日 (土) ヨイショじゃなくてよ

神楽坂シアターIWATOにて、
劇団下町ダニーローズ公演「あ・うん」(原作;向田邦子)を観せてもらう。
座長は立川志らく師匠、東京ボードビルショーの小林美江さんを迎え、
柳家一琴師匠を加えた3人を中心に話は進む。
そりゃあ演技者とはいえ違うシステムで戦ってる人が中心に作り上げるんだから、
こなれない素人っぽい部分は多々あるけれど、中途半端さを感じさせない、
安っぽさを感じさせないよくできた芝居であった。
そもそも、独りで、しかも扇子と手ぬぐいさえあれば成り立つという、
比類なきコストパフォーマンスの落語をなりわいにする者が、
パーツとして芝居に参加したり演出したりすることはあっても、
苦労ばかり多くてカネの出て行く演劇という共同作業を本気でやろうというのは、
狂気の沙汰なのだ。
私はこれ以前の公演のことは知らないが、偉いことだと思う。
連日満席とのことで良かった。
あ、音楽はあんなにいらないのにな……。
夜はおなじみ巣鴨スタジオフォーにて、JAZZとスシBros.の夕べを拝見。
ぜんじろうさんがNHKえいごリアンのマイケルさんと組んだコント・スシブラザーズ、
テクニックのある人達のスタンダードナンバーは気持ち良い。


2005年11月14日 (月) 純粋と書いてバカと読む

名古屋からザ・クラッツというバンドが来ているので新宿・RED CLOTHへ。
ギタリストの浜君は私のライブによく来てくれる(もちろん名古屋の会にね)お客で、
CDは聴いていたのだが、生演奏を見るのははじめてである。
いいよ君たち!
キレのよいストレートなギターバンド(ギターバンドって表現はあってるのか?)であった。
売れなくても知らんぞ、俺は応援するけどな。


2005年11月15日 (火) おめでとうございます

七五三、年賀切手発売、そして黒田家天皇家、両家の挙式が帝国ホテルで。
慶樹つながりで白いYOSHIKIがピアノを弾くという演出はなかったのね。
赤青黄色の衣裳をつけたてん●う虫がしゃしゃり出て、雅楽に合わせて踊ったりもないのね。
あくまで「紀宮様御結婚」だからしょうがないとしても、つらい立場の亭主であることよ。
新郎、記者会見でやたら「存じます」を連発していたけれど、誰に向けての敬語なのか。
嫁も、実家の両陛下を両親とか言わないのはねえ……。
夜のニュースワイド、画面変わってまた黒田清子さんの写真かと思ったら、違う人だった。
拉致から28年、今日はそういう日でもあるのだった。


2005年11月16日 (水) 東京駅売店では「奉祝まんじゅう」販売中

水曜日と土曜日の朝は、ゴミ収集の音で目が覚める。
ウチの近所を一番に取りはじめるから、8時半には起こされる。
起き抜けの恰好のまま飛び出してゴミ袋を手渡す。
前の晩に出すということは、何かに負けた気がしてできないのである。
したがって、朝イチに飛び出すという行為自体に負けた場合には、
部屋にゴミ袋がキャリーオーバーされてゆくことになるのだ。
前の晩にゴミを出す方が部屋にゴミが溜まることより不快だということになる。
非常に良い天気なので、服装を整え、10分ほど歩いて日暮里富士見坂へ。
マンションが増えて埋もれそうではあるが、うっすらと富士山の姿を拝むことができた。
この秋、2度ほど好天時に行ってみたのだが、見えなかったのだ。
ゴミのおかげで世界遺産に登録される災難から逃れているのだが、
ゴミのおかげでまた、私はその富士山を見ることができるのだ。
奇遇にも、今日は富士山がらみの仕事を名古屋にしに行くのである。
今年もずいぶん東海道を往復したが、あまりカネになる用事はなかったので、
久々の「のぞみ号」、ブルーとグレーの邪悪な顔、いつもに比べ1時間40分は余りに早い。
雲海の上の、今度はくっきりと青空に映える富士山もあっけなく後ろへ去って行く。
降りる間際、同じ車両で私を呼び止める人あり、なんと林家彦いち師匠。
今池・TOKUZOでの清水宏ライブ出演のための名古屋入りなのであった。


2005年11月17日 (木) 己の姿に汗がタラ〜リ

雲一つない秋晴れ、絶好の行楽日和、名古屋近郊の森林公園にて撮影の仕事。
今日がデビューという19歳のモデルさんと共演、
メイク前でも十分キュートであったが、カメラに映る姿たるや、まさにフォトジェニック!
ああいうのは天性のもんなんだろうなあ。
私の方は中途半端にマヌケでいかんわ。
定まったフレームの中で瞬発力のいる演技というのは苦手だでね。
いかに毎日だらだら仕事してるかの証左だ。
仕上がってみないと本当に流れるかどうかわからないので、詳しくは記さないけれど、
中京地区でしか見られない、あしからず。

快晴のまま陽は落ちて、大名古屋ビルヂング屋上のコカコーラの地球儀に灯がともる。
市内散策の気力がなかったので、名駅周辺のデパート食品街をひやかす。
誰かに似ているしゃくれアゴの「のぞみ号」に乗って帰京、
八っちゃん堂の看板の無気味なタコおやじを見ると、東京に帰ってきた気がするのだが、
今回は気づかなかったな。かわりに汐留のビル群の上、まあるいお月様がお出迎え。


2005年11月19日 (土) 録音まで本番に弱い

TBSラジオ、永六輔さんの土曜ワイドにて、ゲストの木村万里さんが、
先日の紀伊國屋ホールでの私の実況録音を流してくれると、昨日連絡があったので、
あまり期待しないで待っていると(往々にして大事件が起きてなくなったりするものよ)、
予定通り万里さん登場。
きいた話では、中島みゆきのネタからサッチモ、ラテン落語あたりまで、
というので、わりとネタとしてまとまってる部分だな、と、
ん?君が代は大丈夫なのか?
「それでは聴いていただきましょう」と、ギターのイントロ、あの日私は本物を弾いたか?
「♪ラブイスオーヴァー」、……それはすわ親治さんである。
というわけでMDの中から私の部分を探し出すあいだ、当日の模様のトークが始まる。
ラジオの前、私を知っている人ならば「寒空はだからしい」と思っているだろうなあ。
もうぼちぼち持ち時間も終わろうかという頃、ようやく音が出たけれども、
アタマの部分からオンエアー、このへんまだあんまり面白くないとこだ。
しかも放送上、もっとも危険な場所が待っている、多分編集なんかしてないはずだ、
「♪人のよりつかない、のみやがあるの〜」
オーマイゴッド、放送局はどうでもいい、我が身かわいや……、
と思った瞬間フェイドアウト、しめのトークへ。後で聴いたら偶然そのタイミングだったと。

夜、歌姫楽団主催のライブ、蔵前のKURAWOODに出演。
最後に「谷底の百合」をカラオケで熱唱はどうかと思うが、主催者が嬉しそうだからいいや。


2005年11月20日 (日) 肉離れ、人間離れ

高橋尚子、奇跡の雪辱、東京国際女子マラソン優勝。
ラジオもテレビも高橋尚子のためだけにしぼった報道の仕方でヘキエキしたが、
結局勝っちゃうんだから二の句がない。
人並みに私も応援してしまったから、勝ってもちろん嬉しいけれど、
素直に喜ぶと私らしくないなあ。
あの坂の手前で突然飛び出す……、タミフル?
とにかく、Qちゃんとクボヅカの言うことには、もはや何も反論できない。


2005年11月24日 (木) 小雪、スレた役に初めて良いと思う

西岸良平の「夕焼けの詩」第1巻を古本屋で手に入れたのは中学生の頃だろう。
当時本棚で隣に並んでいたのは村野守美の「オサムとタエ」に「垣根の魔女」とかだから、
我ながら若々しさのカケラもないガキである。
その西岸ワールドがそのまま映画になった「ALWAYS 三丁目の夕日」、
まわりの人々はまずみんな絶賛だ、きっと心の琴線に触れまくりなのだな、
有楽町マリオン、日劇PLEXにて観賞。
もう、のっけから画面の空気感にやられちゃったから、
もうあとは好きにアタシをもてあそんで頂戴、と心も体も全開。
漫画そのままの丸顔の奥さん、薬師丸ひろ子が文句なし。
吉岡秀隆の役は原作より若いけれど、地べたにボロボロにノビた姿が素晴らしい。
またよく古くさい子供を見つけてくるんだよなあ。
もう大晦日とはいえ年末の汽車があんなに空いてるとは思えないが、まあそれはいいや。
エンディング、D‐51の曲ではなくて、「東京タワーの歌」が私の脳裡には流れている。
余命短い日比谷三信ビル、映画の時代そのままの食堂でカレーライスを食べ、芝公園へ。
力道山もオート三輪も都電もないけれど、東京タワーは麻布の夜空にそびえ立っていた。


2005年11月28日 (月) 東洋館はちゃんと鉄筋入って安全です。わかるんです、楽屋の壁崩れてますから。

アパートの契約更新手続のため、近所の不動産屋へ。
オヤジさん二人でやっている、こぢんまりとしているが良心的な店である。
今の部屋に6年、その前の道灌山下時代を含めると、千駄木に14年、人生の3分の1か!
初めに住んだ処は、大家が借地に建てた家の2階で、大家自体が立ち退かねばならない、
というので仕方なく出たのであるが、あれから6年、いまだにその家はそこにある。
大家のバカ犬がやかましかった以外は住心地良かったんだけどなあ。
なんか悪いことしたか?
したか。
現在の私の城も居心地よく、めでたくまた更新である。

東洋館下席、千秋楽は明日だが、私の出番は今日まで。
8割がた埋まった客席相手に、姉歯ネタを含めてソツなくこなす。
なお、来年1月の下席は21日と22日の2日しかない。
残りは東洋館が芝居に貸してしまうのだという。定席なのに。
情けない話だなあ。



 
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2005年12月3日 (土) パイプが似合うはず

宮里藍はポパイに似ている。


2005年12月5日 (月) 来年は「裸」の年に

毎年、清水寺の坊主が発表する「今年の字」、昨年は「災」、
今年は「偽」だろうというのは大方の予想するところだろう。
「偽」、……人の為と書くのね。災いよりはいいか。
今、調べてみたところ、坊主が考えるんじゃなくて、
日本漢字能力検定協会が一般公募しているのであった。
1995年から順に、
震、食、倒、毒、末、金、戦、帰、虎、災
今日の24時まで募集中である。

<後日記>
「愛」が1位であった。以下、
改、郵、株、笑、震、幸、結、政、選、民、萌、変、命、電、鳥、乱、楽、新、祝。
「偽」の字は20位にも入らず。
俺ァ売れねえわけだ。


2005年12月7日 (水) ♪「風がさわぐ夜は〜」

証人喚問、カンモンだけに抜け道もあるのね。
「鉄筋を減らした分、コンクリートは水増ししときましたよ。」


2005年12月8日 (木) リメンバーありあけのハーバー

♪ありあけのハーバー〜
有明製菓は倒産したが、有志が新生・有明製菓をたちあげて、
ハーバーを復活させているとのことである。
天地総子の「♪ぼくはポンポコ人気者〜」、これも大好きなCMソングであったが、
ロバ製菓倒産によりオクラ入り。
「♪せんべいあられは鉄火焼!」しょっぱくておいしい長方形のうす焼きせんべい鉄火焼、
♪大好きだったけど〜、これも鬼籍に。
モンドセレクションでおなじみ、日清製菓のバターココナッツは倒産後、
幻の銘菓となってしまったはずなのだが、
NISSIN JAPANというところから当時とおなじパッケージで発売され、たまに見かける。
でもその会社は中国なのである。JAPANと名のっているのに。

あ、ゼンジー北京師匠でバランスはとれているのか。


2005年12月9日 (金) アネハ〜アネハ〜アネハ〜〜(♪抱きしめたい)

千川DEBORAHにてジョンレノンナイトのゲスト。
客席には仕事帰りのビジネスマン達が一杯、という得難い状況。
時事ネタの通じるこういうネクタイ族相手というのはとてもネタをやりやすいのだが、
なかなか舞台に足を運んでくれない人々なのだ。
ビートルズの曲をききながらグラスをかたむける様子、みな楽しそうであることよ。
とはいえ、私の持ちネタにビートルズネタは、ない、そういえば。
名古屋でポカスカジャンのゲストに出た時、なんかやったはずだが覚えてない。
「ガール」のパロディを一瞬、ブレス音のところで鼻から薬を……、
「ルーシーインザスカイ……」につなげれば完璧だった、来年やろう、どこかで。


2005年12月10日 (土) とついだるねん

常連のお客様の結婚パーティの余興に呼ばれる。
だいたい、お目出度い席には、内容といい名前といい向かないのであって、
大概はたいしてウケずに終わるのだが、
今回は新婦の熱心な布教活動のおかげで、私の知名度がわりと高いという珍しい環境、
職場結婚でお客どうしも知り合いのようだし、年齢層も狭かったので盛り上がる。
乾杯の挨拶をした重役がギターを弾いていたバンドと、
3年前に「昨日出演したDEBORAH」で共演している、という事実が発覚。
DEBORAHには別のドラマもあったのだが、これはまた別の話。

新郎新婦の入場曲が「てんとう虫のサンバ」であった。
最近、あまりありきたりすぎるのか、コント以外ですっかり聞かれなくなったこの歌、
やはり、歌ってほしいぞ、地味な3人組でね。


2005年12月14日 (水) クヤシイから宣伝

というわけで、単なるお笑い芸人と、某師匠のブログに書かれてしまった寒空はだかである。
差入がセコかったからなあ。
くやしいけど討入るのも寒いしめんどうくさい。
別に意趣もなし遺恨もなし。
元気いいぞうさんが凄いってのも正しい。
そんな元気いいぞうさんも出るから、クリスマスイブは千川DEBORAHへいらっしゃい。

NHKのニュースのバック、東京の夜景、
東京タワーの横に図々しく六本木ヒルズが居座ってずいぶんになるが、初めてそのビルへ。
J-WAVEの単発番組の録音。
う〜む、やはり人とからむのは苦手であることよ。


2005年12月15日 (木) 宣材一遇

先日名古屋で撮ったCMのビデオが郵便局のEXPACKで届く。
年末年始のバイト君らしい、う〜ん、郵便配達を信用できない季節の到来だ。
諸君、ゆめゆめ弱い自分を飼うなかれ。
テープを再生してみると、ぎこちなく映る私が画面の中にいる。

宣材写真(=プロフィール写真/最近はアー写などともいう)を新しく撮らねば、
などと言っていたら、音楽系カメラマンの植田氏が撮ってくれるというので、
根津の八重垣煎餅を手土産に抱え、夕刻の寒風をついて高井戸の植田邸へ。
月曜日に髪を切ったのであるが、
どうやっても美容院で仕上げたようなヘアスタイルにはならない。
今日カットするという段取りにはできなかったのね。
なんとか格好つけて、満面の営業用笑顔とヒネたしたり顔をパシャパシャと。
先月撮った動く私の顔よりも、なんか顔が伸びた気がする。


2005年12月16日 (金) 誰もきかない

横浜ランドマークタワーの下のホテル宴会場、企業忘年会の司会。
本社の所在地は、なんと渦中のレコード大賞審査委員長宅と同じ町内であった。
♪焼けた焼けた、こらえきれずに焼けたっけ(あんまりなんで近々削除)
この季節、ホテルに行くのは怖いのである。
ドアの取っ手に触れたとたん走る静電気、
黒タキシードでカッコつけながら「ひい」と声をあげる。
地味な仕事でも餅代稼ぎだ、メインの余興にはものまねの人がいるから気楽なもんだが、
お客さんも私をなぜ選んだか、きっとうっかりエンターキー押しちゃって、
発注ミスを取り消せねなかったのであろう。
悪気があってしゃべってるんじゃないのよ。
♪俺も仕事でしっかたないさ〜
……「にげろやにげろ大レース“MOTORMOUSE AND AUTOCAT”」主題歌より。
歌うはなんと灘康次とモダンカンカンの師匠方、1971年の作品。


2005年12月17日 (土) コンピューターはツッコんでくれない

みずほ証券の発注ミス、場立ちでやってたら通るわけないだろう、
と証券関係の人が言っていた。
なるほど、立会場全体が「そんなわけねえだろ」とツッコんだことであろう。
一斉に右手が降られる姿が目に浮かぶ。

志の輔師匠のラジオに松尾貴史さん出演。
「あねさんかぶり」にラジオの前でひっくりかえる。
松尾さんの言っていることはいつも正しい。
夜、築地で、大学の先輩達と久々に呑む機会あり。また楽しからずや。
上機嫌でカラオケボックスに流れる。
いつもおかしいと思うのは、なぜボックス料金ではなくて、「ひとりいくら」なのか。
室料以外にオーダーは人数に応じてかかるわけだ、
それにひきかえ、時間あたり歌える曲数は決まってしまうのだから、
人数が増えるほど、1人あたり歌う時間の単価は高くなる。
人数が増える分の手間はオーダーで吸収できるはずだ、
ホテルだってスタジオだって、原則的には1室いくら、である。
ううむ、どう戦えばいいのだろう、ね、松尾さん。


2005年12月18日 (日) 自分探しなどする無駄な時間はない

冬型の気圧ハイチ。
ハイチとカタカナにすると、ずいぶんあたたかそうである。

狭いながらも我が家にはあちこちにブラックホールがちりばめられていて、
すぐモノが行方不明になるのである。
ほんの少し前に、「そこ」に置いたはずのモノが消えている。
いつの間にか、何かの下敷きになっているのだ。
というわけで、探し物をしているうちに、貴重な師走の一日が暮れてしまった、嗚呼。
無駄の多かった1年を象徴する出来事よなあ。


2005年12月19日 (月) ♪41歳の春だから〜

JTB(旧日本交通公社)のカレンダー、今はどうか知らないが、
実家にいた当時トイレにかかっていたものは、お祭りカレンダーといって、
毎日イラスト入りで、その日に行われる祭りが紹介されているという、
実に楽しいものであった。
まず誰しもが見てみるのは自分の誕生日であろう。
日本全国、毎日なにかしら祭りは行われているものなのだ。
有名無名問わず、その祭りにシンパシイを感じ、いつかは行ってみたい思うのが人情。
で、毎年、この12月19日というと、山車の絵でも踊りの絵でもなく、
頭を下げたJTB社員が描かれていて、
「来年もよろしくお願いいたします」などと書かれているのが恒例であった。
師走も押しつまると、さすがに神様もないがしろにされるらしく、
お祭りなんかどこでもやってないのだろう。
浅草羽子板市は初日の17日の欄、21日なら納め大師と、
まあこの時期でも行事はなくもないのだが、
我が誕生日、なんだか情けない日であるなと、がっかりしていたものである。
めでたく歳を一つ重ね、おめでとうなどと言われるのもてれくさいが、
もちろん悪いもんじゃない。
ただ、もともと年越しも近いし、お正月にみんなで一つ歳をとる、
という方がすっきりするように思える41歳、
天才バカボンのパパと同い年なのだ。


2005年12月22日 (木) しぼれば落語の出る身体

「酒は百薬の長などと申しまして、……なんて、言いまへんな。
 落語の中で初めて聞いた気がする。」
桂米朝師匠のマクラであるが、古典落語の中には、そんなこと言わないだろ、
という表現が多々存在している。
越谷で仕事があったので、久々に草加の実家へ帰る。
寒風をついて家に着くとまず風呂を勧められ、ゆっくり湯船に身を沈める、
思わず口をついて出た言葉が「ウ〜ム、ナムアミダブツ……」
古典落語の中だけのウソと思っていたセリフを自ら吐いてゆっくりおどろく。


2005年12月31日 (土) 宇宙も帰省ラッシュ

ああッ、こんなことやってる場合じゃなかったッ!
とつぶやきながらまた年は暮れてゆくのであった。

「ウルトラマーン、良いお年を〜!」「ジョヤッ!」




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