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2013年正月 謹賀新年

 蛇の道はジャドウ。

 今年も偉そうな事を云えるように、傍らに落ちているゴミを拾う事から。


2013年1月 雪晴れ

 バス通り、コンビニエンスストアの前だけ雪かきしてない。店員も馬鹿なら店長
も馬鹿か。雪かきもたまにやるなら楽しいものだ、スコップさえ貸してくれれば私
がやる。


2013年2月某日 どうやって軌道を戻すか(池部良)

 ロシアに隕石落下。
 死者が出なかったことを思えば、神様はいる模様だが、×××に落ちなかったこ
とを思えば、神罰なんかないのだ。
 若い人は知らないと思うが、昔、ゴラスという星が衝突しそうになったことがあっ
た。その時は、南極にロケット噴射装置を集結させて、地球の軌道をずらしたのだ
が……。軌道を戻すのに失敗して、今日の異常気象を招いたというのは有名な話で
ある。

 3月22日を最期、ついに小田急線の下北沢駅が地下に潜るという。軌道が変わる。
 下北沢に封印された地下の歴史は、拙盤「東京モンド」の中で語られているので、
軌道変更によりもたらされる災厄については、CDを聴いてほしい。それにしても、
新たなホームは地下22メートルというから、地下6階とか7階に相当する法外な
深さ、不便になること必至だ。
 同じく3月末で消えてゆく銀座の地下の映画館・シネパトス。名画座特集は、
「銀幕の銀座」。17日までの「東京は恋する」(1965年日活・柳瀬観監督)、
冒頭、日比谷の映画館の暗がりで、ひとり、メロドラマを観る主人公・舟木一夫。
森永の地球儀が見下ろす軒下で雨やどり、ここで伊藤るり子と出会って幕開きとな
るが、主な舞台は、東北沢。今や工事で見る影もない駅周辺、活気のあった頃がふ
んだんに登場する。改札口前の様子も懐かしい。併映は「二人の銀座」(1967年
日活・鍛冶昇監督)。


2013年6月某日 投票だよおっかさん

 都議選の投票を呼びかけるテレビCMやポスターに何のひねりもなく、コピーも
「キミと、投票する選挙」、少しも心を動かさない。いったいいくら金をかけてい
るのか知らないが、投票した人の中から抽選で景品でもあげた方がよほどマシであ
る。剛力彩芽なんかより、酒井法子を使えば、「東京都を何とかせねば」と危機感
をあおるのに。
 かつて「寝ていてくれればいい。」という、優れた文句があったけれど、そう言
われてすら、大して投票率が上がるわけではないのだから、難しいことではある。
 推測するに、「投票率は上がらない方がいい」と、力を持った組織なり人々が、
裏で操作している、ということではあるまいか。

 放射能ならぬ無能に汚染され、危機に瀕した投票率を上げるため、マゼラン星雲
まで、政界クリーナーDを取りに飛立つ……、宇宙選管。「浮動票発射!」
 東京都滅亡まで、あと×日。


2013年6月某日 素晴らしき哉、日本映画

映画「目白三平物語 うちの女房」
1957年東宝、監督;鈴木英夫、脚本;井手俊郎
 
神保町シアターで、29日〜7月5日、上映時間日替り。
 茫洋とした佐野周二。いじらしい望月優子。やるせない千石規子。絶品。
 サスペンスで評判の高い監督が、全編、淡々と、ペーソスあふれる作品に仕上げ
ている。終盤の子供達の世界に、また胸が苦しくなる。観終わったら、かりんとう
を買って帰ろう。

 対称的に生々しい傑作、「喜劇 女は度胸」(1969年松竹)。
 ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニングショーで、清川虹子特集のラストを飾る。30日〜
7月6日、朝10時半のみの1回というのが、いささか辛いところ。
 森崎東監督らしい、これでもか、という泥々としたコメディ。

 私が、怖い映画と云われて一番に思い浮かぶのが、23日〜29日、同じラピュタ
阿佐ヶ谷で上映の「結婚の夜」(1959年東宝・筧正典監督)。主演は安西郷子。
 特撮・CGや血しぶきは使わなくても、背筋も凍るシーンは撮れるのだ。


2013年7月某日 あまちゃん

♪タバスコスコスコスコスコかけたら、ヒーヒーヒーヒー


2013年7月某日 お節介

柳澤愼一さん情報

 池袋・新文芸坐「名優・三國連太郎さんを偲ぶ」でトークショーと出演映画の上
映あり。(寒空はだかは出演しません。)

7月29日(月)入替えなし
柳澤愼一トークショー 13:50〜14:30
当日の上映作品には柳澤さんは出演しません。(馬喰一代/無法松の一生)

8月1日(木)入替えなし
★鷲と鷹(1957井上梅次監督)12:05/16:20/20:35
異母兄弟(家城巳代治監督)10:00/14:15/18:30

「鷲と鷹」……2月に下北沢のトークショーで話題になった、「あまりの過酷な環
境に、三國さん、西村晃さん、そして柳澤さんの3人で現場から脱走した」という
いわく付きの映画。若き柳澤さんの肉体美も楽しめる。
出演;石原裕次郎/三國連太郎/浅丘ルリ子/月丘夢路/長門裕之/柳沢真一

一般¥1300/学生¥1200/シニア¥1000/ラスト1本¥800
新文芸坐 03-3971-9422


2013年7月某日 御節介2

映画「鷲と鷹」 1957年 日活 監督/脚本;井上梅次
カラー シネスコ 115分

 夜の港町で水夫(小林重四郎)が殺害される。息子の長門裕之は父の死の悲しみ
の中、翌日、香港に向けて出航するオンボロ貨物船に、一等航海士として乗込む。
 そこへ補充水夫が2人。船員組合への発注は1人なので、どちらかが嘘をついて
いる。大喧嘩になるが、船長・二本柳寛は、「どうせオカのあぶれもの」と、2人
とも乗せる。これが主人公、石原裕次郎と三國連太郎。
 男ばかりの船に、密航する2人の女、浅丘ルリ子と月丘夢路。他に乗組員には、
西村晃、安部徹、沢村国太郎、そして当時24歳の柳沢真一。出航後、船では奇妙な
事件が続いて起こる……。

 柳澤愼一さんの語る裏話。
 竹芝桟橋から門司へ、解体のため廻送する貨物船を借り切って、ロケを敢行。実
際に船上でリアリティ溢れる映像が撮られているが、ボロ船での撮影は想像以上に
ハードなもの。
 貨物船なので、満足な客室を女優達にあてがうと、柳澤さん達は、油の匂いの漂
う船倉の様な所に押込まれ、あげく台風の接近で海は大荒れ。デッキで、このまま
海に投出されてもままよ、とまで思う程。
 ついには、海上保安庁から退避の命令が出て、清水港へ入港。これ幸いと寝巻の
まま脱走した役者が3人。三國、西村、柳沢。
 財布も持たずに無一文、駅で掛合うと、素性は誰が見ても確か、「東京駅長預り」
という扱いで、なんとか、列車に便乗。ただし、客ではないので座ってはならぬ、
とデッキで寝巻の立たされ坊主。日活撮影所へ護送され、「今後どんな役でも喜ん
でやるから」と降板を嘆願するも却下。あえなく、船に戻されて旅は続く。
(2月北沢タウンホール、7月新文芸坐での語りより。)

 ちなみに作品中の嵐のシーンは、スタジオで撮影されているが、良くできたセッ
トだ。観た所、船上撮影は甲板にカメラが固定されているので、海が上下するが、
スタジオ撮影はカメラを揺らすのだろうか、甲板が上下に揺れる。
 嵐の後の撮影か、浅丘が、まだらな雲をバックに、ブリッジ脇の階段、夕陽を浴
びながら風にワンピースをなびかせるシーンなど、ロケならではの絵である。
 冒頭の犯人は、足の長さで見当はつくけれど、梅次作品らしい、娯楽作。ぜひ新
文芸坐の大スクリーンで。

■上映日前に掲載したつもりが、アップされていなかった。せっかくなので後日に記す。


2013年8月某日 てめェ、さしずめインテリだな?

 久々に永六輔さんのラジオ「土曜ワイド」出演。柳澤愼一さんとセットでゲスト
に呼んでもらったのだが、優等生を演じようと云う悪い欲が出て、凡庸に終わる。
 邪念が渦巻く中、柳澤さんの声は相変わらず張りと艶があるなと感心。それにひ
きかえ、寒空はだかの声ときたら、と軽く落込んだり、まだ眠そうな声で情けない、
などと雑念がまとわりつく。嗚呼、もったいない。朝も早くから期待してくれたシ
ンパの皆さんには申訳ない。
 橘蓮二さんの写真集新刊に、私の姿が光栄にも採録された。私の事を「絶妙なバ
ランス感覚」と誉めてくれていて、たいへん嬉しい。けれども、浮かれていると、
バランスをとるだけの器用な人を目指しそうで危険だ。そのように、TBSラジオ
からの帰途、電車の中で、今更遅いが、反省。反省と云う名の後悔。一等後悔士。
 こう書くと、例によって殊勝すぎて、読者諸兄の気持ちが萎えるので、分析力は
抜きん出て優れていることよ、と自画自賛しておこう。

 翌日の「カルト寄席」の出来は、所々ほころびはあるものの、良かったのではあ
るまいか。快楽亭ブラック師匠、そして二十年ぶりくらいの共演となる鳥肌実氏。
トリの川柳川柳師匠、前の出番の浅草演芸ホールを出たまま行方不明。終演後、私
は真打昇進間近の三遊亭天どんさんの会に、シークレットゲスト出演。4時間の
「牡丹灯籠」通し上演の後、満員の観客を前に「バカの壁」を私が歌って終演。も
う迷わない。

 さて、週末24日にトークショーが2件。
 1つは、全盛期の邦画の脇役、端役について、ミーハーにマニアックに独善的に
語ると云う会である。良く考えたら、4人くらいで居酒屋で盛上がった方が気楽で
面白い。バランスをとるつもりはないので、付合ってもらう気の毒な貴方の為に、
傾向と対策。
 東宝映画といえば、充実した脇役陣が、ファンにとってはたまらない。中でも
「沢村いき雄」。分からない人は、「ああ爆弾」「天国と地獄」「独立愚連隊」、
どれか観ておくことをお薦めする。


2013年8月某日 地下鉄のドジ(♪0番線の地下鉄の)

 猪瀬都知事、地下鉄を24時間運行させたらどうか、と発言。
 しまりがなくていけない。電車は「なくなる」から良いのである。
 男女間では、しばしば終電はくりあがる。女曰く、
「電車なくなっちゃったわね……、どうする?」
おニブな半七、スマートホンで、「代々木乗換えならまだ間に合います!」
 女、無粋な機械をひったくってもう一度、「あたし、もう帰れないわ。」 


2013年8月某日 はいはい、そのとおりでちゅねー

 NHK連続テレビ小説「あまちゃん」。イントネーションは「サラ金」とか「ド
テチン」と同じ抑揚。固有名詞だし、文句はない。
 ラジオレポーターが、同じ抑揚で「アマサン」というから、「尼さん」だと思っ
たら、「海女」のことだった。さん付けするのも丁寧すぎる気がするけれど、それ
より、「海女」+「さん」なら、イントネーションは「寅さん」「タラちゃん」
「カラヤン」、──例を挙げ過ぎるとかえって分りにくくなるか、──のパターン
であろう。
 私の感覚だけが根拠である上に、大した話ではないが、どうも気になる。
「尼」も「海女」も単体では同じだから、「尼さん」のイントネーションの方が、
変なのかもしれないが、すっきりしない。それに、耳で聞くだけで区別できた方
が合理的だ。
 爺の独り言なので、同調も期待しないかわりに、反論も受付けない。

 話はそれるが、「食べる」を「いただく」と言うのも違和感がある。もっと腑に
落ちないのは、「いただける」と云う言い回し。
「そのままでもおいしくいただける」云々。「いただくことができる」なら、まだ
分かる。
“can eat”なら、「食べられる」で十分。失礼ではない。

 常々そんなことを気にしているのだが、裏腹に、使うまいと決めている表現が口
から出そうになって、話がつっかえてしまうのである。

 ひとりよがりだが、書いてすっきりした……、と思いきや、かえって、もやも
やとしてきた。小器反省。


2013年9月某日 ♪北へ向かう線路は今日も少し幅が伸びてゆく

 北海道は大らか、レールの幅が広がっても気にしない。広がるというのが気持ち
良い。
 やたらに列車が煙を吐いてる、いっそSLに戻せばいいのだ。掘れば石炭が出る
のだから。

 マーくん負け知らずのお蔭で楽天優勝、セールするかと思ったら、……負けてく
れない。


2013年9月某日 秋止湯

 今や数少ない番台の銭湯。八十余年の歴史を刻む、千駄木(駒込林町)・鶴の湯。
季節の花が飾られた入口に、秋の趣向、そして10月より休業の貼り紙。
 千駄木に住んで22年、鶴の湯に通って14年。
 今年の秋はいつもの秋より、長くなりそうなそんな、気がして。
 古びた身長計で、久しぶりに身の丈を計ってみたら、1センチ程縮んでいた。

♪宙也〜、良い子だねんねしな、湯屋ーんゆよーん湯屋ゆよん


2013年10月某日 「夢だ?夢であんな穴が開くかい?……心に。」

 名古屋は大須演芸場に1週間。
 御当地をフランチャイズにしつつある、鬼才・快楽亭ブラック師匠の誘いである。
いろいろ御膳立てしていただいて、ついに断る理由も見当たらず、楽屋住まいの身
となる。
 一言で云うと、幻のような、現実味のない出来事であった。
 現代に、ありえない空間が存在し、時間が流れている。いや、時間は淀んで止まっ
ている。
 ホール内は、東京の末広亭や浅草演芸ホールといった趣で、多少の場末感はある
ものの、寄席らしいと云えば寄席らしい。ぐるりと赤い提灯がぶらさがって、場内
が、ぼうっと浮かび上がる。
 舞台ヅラには今どき珍しいフットライトが仕込まれていて、芸人の顔が下から照
らされるので、少々不気味に見えるはずだ。
 舞台に向って左手、つまり下手の袖から、客席後ろに向う壁の裏、中2階のよう
な所の廊下に沿って、畳敷きの小部屋が4つ、これがメインの楽屋で、滞在者の宿
にもなる。
 大須演芸場といえば、客が来ないので有名であるが、2回公演のある日、2回目
がとうとう観客3名に。これがまた、舞台の私から見て、右方向に片寄って、3人。
少しずつ間隔を置いて一直線。思わず「王シフトか」とつぶやきかける。
 よく落語家さんが言う決まり文句、「我々の商売は、御客様に来ていただかない
と成立たない商売で——」、……成立っているから不思議である。
 高座は替わって、上方の桂珍念師が「七度狐」を演じている。化かされている主
人公のように、はっと気づくと全て幻だった、となっても驚かないような空間であっ
た。
 お茶子の「ヒメ」と呼ばれる女性が、舞台進行と転換を一手に取仕切る。座布団
を置いたりする仕草が実に流麗で気品があって、特に手の動きなどは見とれるのだ
が、10年前と全く見た目が変わらず若いのである。やはり、なんらかの魔法の中に
演芸場は閉ざされている。だんだん居心地が良くなってくるのだ。あと3日いたら、
大須の妖気から抜けられなくなっていたかもしれない。

 帰京して、飢えていた、趣味の旧作邦画観賞へでかけて、我に帰る。
 ただ、連日、ブラック師に美味しい店へ連れていってもらっていたので、しばら
く、東京でやたらなものを食べに行く気がしなくなったのには、弱ったのである。


2013年11月某日 拝啓天皇陛下様

 山本太郎議員、園遊会で天皇陛下に手紙を渡す、という空前の行為が議論になっ
ているが、争点がずれている。
 問題は、政治利用だとか、昔なら不敬罪で切腹ものだとか、民主主義なんだから
いいじゃないとか、緑のインクで手紙を書けばそれはサヨナラの合図になるとか、
♪死んでもあなたと暮らしていたいと涙で綴りかけたお別れの手紙は由紀さおりだ
とか、そういうことではなくて、公の場で、陛下に物を渡す行為が、天皇制と云う
文化に対する冒涜である点だ。後輩の女生徒のやることである。
 ファンタジーに土足で踏込むような下品で無知なふるまいは、天皇陛下が戦後も
存在するのを認める人は、やってはいけないのである。手紙を渡して握手を求めて
携帯電話で写真を撮る、あるいは「メアド」の交換をもちかけるくらい馬鹿なら面
白いけれど、「処置なしじゃーい。」
 原発は嫌いだが、デリカシーのない奴は、もっと嫌いだ。

 閑話休題。
 芸人に、政治を語るべきでないと云えば助言。
 政治を語るんじゃないと云えば差別。
 寒空はだかが、山本太郎を批判するのは……、メディアを持つ者への嫉妬かな。

■後日記 この頃は嫌いだったけれど、自分に正直な行動力には、敬意を持ってい
る。


2013年11月某日 福島・みずほ

 マスコミ自ら、特定秘密保護法などと呼ぶことはない。月並であるが、
「不都合事実隠蔽法」
とでも報道したらどうか。社民党的センスだけれど。
 特定秘密と謳っているが、どう考えても、秘密が不特定である。


2013年11月某日 みんなが賛成

 自分のソロライブの準備に忙殺されているさなか、特定秘密保護法案、衆院通過。
非常にけしからんことであるが、これがネタにはしにくいのだ。
 まさに「シャレにならない」からである。ひどすぎて、笑いに転化する余裕がな
い。

「与党とみんなが賛成」、ニュースの見出しで見ると、与党+みんな、全員賛成に
見える。普段は影響力がなさそうな小政党「みんなの党」、意外なところで威力を
発揮。
「与党と『その他』が賛成」、という見出しは皮肉すぎるか。

 特定秘密保護法反対なんて騒いでた頃はまだ良かったな……、とならないように
せねば。


2013年11月某日 誤表示に凝ると、親の死に目に会えない(笠碁)

 あくまで偽装ではなく、「誤表示」というのはどういうことか。芝海老風、とす
るつもりが、風を入れ忘れた、ということか。風通しの良い現場が望まれる。
 バナメイエビ。字面だけだとバナナに似たり。バナナエビ、これなら、尻尾から
剥きやすそうだ。
 某落語家、昨年末に口演された「芝浜」の内に、「バナメイ浜」の誤表示があっ
たと告発。

「これ芝海老じゃないだろ?」
「いえ、芝海老ですよ。」
「だってハサミついてるぞ。ザリガニだろ!」
「いやあの……、××えび……。」
「なに?」「シ、シ……、シザーエビです。」

 煮込み屋の親父が「実はウチも……。」一同「言わなくていい!」


2013年11月某日 偽装弱ンナ

 同じ話題で、引っ張るのは潔くないが。
 NHKラジオでアナウンサーが、「バナナエビ」と読み間違えたまま、とうとう
最後まで訂正は無し。あるいは、ニュース原稿自体が、誤表示であったか。
 かっぱえびせん、袋に表示されていた原材料名には、小麦粉、植物油、でん粉に
続いて、「えび」とシンプルに、きっぱり書かれていた。これは潔い。「かっぱ」
は表示されていなかった。


2013年11月某日 おわび

 前項の日記に、大変な間違いあり。
「バナナエビ」という種類があるのも知らずに、恥ずかしくも、NHKのアナウン
サーをけなしていたのである。ごめんなさい。
 罰として、日記の謹慎……、であるとサボりなだけで謹慎にならないので、なる
べく頻繁に書くようにしたいものである。


 2013年12月某日 

 非常に危険な運用が可能な、特定秘密保護法案が、参院で採決され、ついに成立
するという。
 各マスコミがこぞって否定する通りの馬鹿げた悪法であるが、「世論の反対を無
視して」、という論調もまた、誤りである。積極的に賛成する者もあるし、大多数
の国民は、関心がない。
 一般大衆がいかに世の中に、特に政治に興味がないかは、ふだん演芸場の舞台に
立っている私は、よく知っている。無関心だからこそ、メディアにとっての一大事
であろうと、当日も、どうでも良い番組を流すのだろう。
 テレビ局にもしプライドがあるなら、スポンサーも、視聴者のブーイングもいっ
さい無視して、全放送局が、法案成立の暴挙を生中継するべきだ。いや、もとい、
テレビ東京は、同調しなくてよい、彼らなりの役割がある。


2013年12月某日 銭湯保護法を制定せよ

 浅草東洋館の向いには、かつて大勝館という古い映画館があった。地下にはカジ
ノ座というストリップ小屋もあって、山田洋次監督の「下町の太陽」(1963松竹)
では、鉄工所の工員・石川進たちがカジノ座から出てきて、石鹸工場の女工・倍賞
千恵子たちと出会うシーンがある。大勝館の壁には“THE LONGEST DAY”。
 残念ながらフランス座(現・浅草演芸ホール/東洋館)は映らないが、交番横の
角の洋品店は今も健在だ。
 私が浅草に関わりを持つようになった頃には、既に廃墟であり、一時、貸し小屋
(常打ちのない劇場)をしていたこともある。立ち消えになったが、吉本興業が、
レコンキスタの地に選んで、乗込んでくるという話もあった。
 思惑と愛憎の絡んだ物件の解体が始まり、新たに安売店のドン・キホーテが建つ
と知った時、かなりの失望感を味わった。よりによって、わが東洋館の向いに、そ
んながちゃがちゃした騒々しい店が来ては台なしだと。
 しかし、ついにオープンした異端児は、意外にも違和感がなかった。いささか高
さで周囲を圧倒するものの、今の浅草に流れるチープな古さにマッチしたデザイン
なのである。嘘っぽさが絶妙だ。夜、伝法院通りの方から眺めると、ひときわ派手
に光り輝いて下品だが、近くに寄ってみると、おとなしいのである。ずっと前から
そこにあったかのように、街に溶け込んでいて、私はほっとしたのである。
 ただ……、街が黄色く染まるのは困りものだ。

 けやき並木が葉を落とし、冬枯れた阿佐ヶ谷の街の顔が、森繁、三船、京マチ子。
 名画座「ラピュタ阿佐ヶ谷」の特集のポスターは、阿佐ヶ谷の街を彩って、少な
からず、雰囲気に影響を与えている。毎回、センスあふれるデザインが高揚感をあ
おり、掲げる側も、進んで貼りたくなることだろう。
 ある時はロマンチックに、ある時はハードボイルドに、またある時はエロティッ
クに、あちこちの店頭から、街の空気を演出している。
 この映画館の、愛と敬意に裏打ちされたミーハー感覚が、素晴らしい。悪い意味
ではなく、映画研究会のような真面目さが好もしい。少々窮屈な客席や、我が家か
ら遠いというハンデがあっても、できる限り足を運ぶ。旅好きの私にとって、東京
を長く空けるのをためらわせる、悩ましい存在である。

 残念ながら正式な廃業を決めた、千駄木の鶴の湯が、お名残営業を始めた。正月
2日の初湯(銭湯の始業日は2日なのだ)が千秋楽。銭湯ほど、健康増進という医
療費削減や、省エネルギーに寄与するインフラがあろうか。銭湯の維持できない社
会を、住み良いとは思えない。


2013年12月某日 テレビとは……、遠きにありて思ふもの

 何の根拠もない仮説である。
 練り込まれた芸よりキャラクターで、TVタレントが成立つというのは、御近所
のコミュニケーションの代替品の役をしているからではないか。わずらわしくなく
すむ、疑似御近所づきあいである。調子のいい魚屋のオジサンや、おしゃべりなお
せっかいオバサンを重ねる、疑似町内会、視聴者はその一員だ。
 ゆえに、面白くないのなんのいわれながらも、生々しい人間関係が薄まり続ける
かぎり、テレビの需要はなくならないし、視聴率を稼ぐためにも、バラエティ番組
に作り込みは邪魔である。ただし、私に欠けている、瞬発力と愛嬌は、不可欠であ
る。
「テレビに出てる人より、ずっと面白いですよ。」と、ほめ言葉のつもりで言って
くださる御客は、ありがたいが、あまり嬉しくもないのである。その人が観ている
テレビに私が出ても、面白くはならないのである。それは、御近所で云えば、面倒
くさい皮肉屋なオヤジにあたるからだ。町内からは浮くのである。
「御近所」がなくなり、インターネット育ちの世代が台頭するまで、テレビの影響
力は続くのだ。
 ……と、偉そうなことを、普段はテレビを観ない私が、ネット上に書く。夕日町
三丁目の、駄菓子屋の親父の役ドコロだ。


2013年12月32日 年明けて開かずの箱は増えにけり  寒空

 毎年恒例の横浜にぎわい座、年越しのカウントダウン寄席。そのまま打上から、
これも恒例の、一座そろって初詣。ただし、いつもなら解散の頃に繰出したので、
帰路の桜木町駅のホームに立ったのは5時半過ぎか。自宅最寄りの西日暮里駅に着
くと、もう日の出に近い時刻だったので、そのまま、崖上の諏方神社に行ってみる。
 願ってもない快晴の空が、今にもこぼれそうな太陽を押さえつつ、黄色く染まっ
てゆくが、その、大事なほころびを隠すように、日暮里駅前の高層マンションが立
ちはだかる。これは明らかに初日の出は妨害されている、とじりじりしていると、
替りに、崖下の線路を、この3月で廃止されるブルートレイン、特急「あけぼの」
号が終着駅上野へ向って通り過ぎていった。
 結局、場所を移動して、鳥居わきの、浄光院という寺の塀の上から殺風景な初日
を拝んだので、新年早々、中途半端な心持ちである。
※このあと、寝て起きて、用賀で小室等さんと白神直子さんの全国ネットコミュニ
ティFMに出演して、練馬で年賀状の続きを書く。



   
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