■漫談家・寒空はだかウェブサイト 窓口 紹介 予定 趣味(旧作邦画) 2008年以前の日記
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2010年1月某日 ●JAL経営破綻

 久しぶりにスーパーマーケット行ったんですけど野菜って高いのね、
 千葉県産のキャベツ1玉258円それでも御奉仕品ですって、高知産トマト1個100円、
 下がってんのもありました、
 ニッコーのカブ……1円。
 大変ですねJALも。でも航空業界では株価1円は縁起がいいんですよ。
 もうこれ以上、絶対おちない。
 で、あのう、なんですね、倒産しても飛行機って飛ぶのね。
 それは飛ぶわな、カールじいさんの家だって飛ぶんだもの。
 意地で飛んでるらしいです。ジャルとうさんの空飛ぶ意地。
 3Dですよ3D、でかい、どうしようもない、大暴落。
 もともと、親方日の丸ですから、貴族とか公家に近い感覚なんですね、
 ……おジャル丸ってくらいで。
 「まろは飛ぶぞよ〜」
 (それはニッコーじゃなくて、月光町だ。♪タワータワー、月光タワーに……)


2010年1月某日 ♪裏の小沢で鳩が泣く

 菅財相……、なんか破綻処理を連想する字面である。


2010年1月某日 「敷居が高い」の正しい使い方

「お前、活躍してるらしいな、聞いたぞ。」
 木馬亭、「浅草21世紀」の楽屋に顔を出したら、橋達也座長に誉められた。
 浅草にはのべつ行っているものの、なかなか会いには行かないから、敷居が鴨居
である。緊張して挨拶に行くと大概、「ちゃんとやってんのか」と心配される。浅
草でのキャリアの出発点であるこの一座で、座長の前では未だ半人前の寒空はだか
であるが、少し認めてもらえたようで、嬉しい。


2010年1月某日 志ん生の湯が閉まる……。

 「2月10日を最後に閉店させていただく次第となりました。店主」
 湯上がりでさっぱりと、気分も軽く脱衣所を後にしようとした時に、貼り紙が目
についた。東京谷中、よみせ通りから少し入ったところにある世界湯。
 『師匠、銭湯へいく時間ですが──』
  朝馬と志ん駒が顔をそろえて言った。自宅の風呂場は狭くて危ないから、いつ
 も二人がかりで銭湯へ背負ってゆくのである。」──志ん生一代/結城昌治著
 日暮里の師匠と言われた古今亭志ん生師が晩年に通った湯屋はまた、我が家から
も最寄りの店なのだ。番台からカウンターに変わって久しいが、下町の銭湯らしい
私好みの熱い湯だ。もう1軒、行きつけの鶴の湯という店もいい風呂屋だが、少し
遠い。
 あまりに急なニュースに思考停止。終い湯の時間でもあったので、「閉めちゃう
んですか……、長い間お疲れさまでした。」と若い方のおかみさんに言っただけで、
そそくさと店を後にしてしまった。新年早々、とても悲しい。


2010年1月某日 牛丼をゆっくり食って野暮に生き(古川柳)

 赤羽駅構内の吉野家。狭い店内にサラリーマンがひしめいている。無性に牛丼が
食べたくなる時はあるものだが、ガラス越しに見える戦場のような様に惹かれた、
というのもあった。
 珍しく、以前同様に客に伝票を渡さない。若い女店員の応対も、てきぱきはきは
きして好ましい。注文した途端に並と玉子が運ばれて上機嫌の私に、店員、
「ごゆっくりどうぞ。」
 思わず箸を投げつけたくなる衝動を抑える。閑散とした深夜じゃあるまいし、牛
丼屋など、とっととかきこんでさっさと席を立つ所なのだ。頓珍漢な物言いに憤慨
しつつも、2割増のスピードで美味しく食べ終えて「御馳走様。」
 釣りのないよう支払って颯爽と、「ありがとうございました。」の声を背中に聞
く。そして京浜東北線のシートで、案の定、もたれた胃に悶えるのであった。


2010年2月某日 降る雪や湯ゥ屋は遠くなりにけり

 2月朔日、東京に初雪。久しぶりの雨は、夕刻から湿った雪に変わった。
 夜11時、急斜面の大給坂をさくさく踏みしめて、一歩一歩慎重に降りてゆく。さ
すがに、この雪の中、細くて急な坂道にタイヤの跡はない。せっかくの雪だからこ
そ、背中丸めて傘さして。
 銭湯へ行くためにバス通り・不忍通りを渡るのも、あとわずかだ。100メートル
足らずだが両側に小さな呑み屋が並ぶ「すずらん通り」はひっそりとして、いつも
もれてくる調子のはずれたカラオケも、今晩は聞こえない。よみせ通りに出てすぐ、
喫茶コロラドの角を曲れば、余命わずかな世界湯である。
 富士を背にして湯舟につかる。さっきまで冷やしておいた体を、熱い湯で温める。
高い天井を見上げる。その上には雪がしんしんと降っていると思うと、なんとも愉
快でぜいたくである。哀しいかな、空いているからなおさらだ。近所にいるとは思
えない。「初雪や……、初雪や……、」うむむ。そうだ、湯ざめせぬように帰った
ら、雪の日のもうひとつのお楽しみ、高島平屋ならぬ豊島五屋の師匠の日記を読ま
なくては。


2010年2月某日 立春に、鬼・朝青龍、引退

 思わず内館牧子さん、ガッツポーズ。
 引退記者会見で、朝青龍の言葉でいちばん驚いたのは、
「努力してがんばります。」
 とはいえ、かけがえのない横綱なので、安治川親方に撤回をすすめてもらおう。


2010年2月某日 この素晴らしき世界湯

 いつもよりほんの少し多い入りだが、それでもカランにはまだまだ余裕がある。
閉店30分前、いつもと変わらない、終い湯の風景である。湯上がりに脱衣所のベン
チで高い格天井を見上げていると、カウンターのまわりで、おかみさんと話す女性
客の声がきこえてくるが、ことさらに別れを哀しむ感じでもない。
 60年の歴史が今日を限り、というのが嘘のように、当り前に世界湯は最期の時
間を迎えている。店じまいを告げる貼り紙だけが、現実を訴えている。ただ、昨日
までなら、12時をまわるともう片付けの準備をしているおかみさんが、今晩はまだ、
ひとりひとりに記念品を渡すため、出口を向いてカウンターに座っている。閉店を
報じる新聞記事で75歳と知ったが、せいぜい60歳前後にしか見えない。無論語り
尽くせぬ思いがあろうが、いつものように、あっさりと、客を送り出している。
 もうあと10分くらい、名残を惜しむ時間はあったが、すっかり帰り仕度が整って
しまった。二言三言、ねぎらうのが精一杯だった。ビニール袋に入った「粗品」
Luxの石鹸とエッセンシャルのリンスをもらって、小雨降る中、十数年通い慣れた、
世界湯の路地を後にする。


2010年2月某日 この感心馬鹿!

 バンクーバーオリンピックの頂点、キムヨナと浅田真央の対決を生中継で観て、
その名勝負自体、たいそう心を動かされたが、もっと感心したのは翌日の特集番組
で、浅田とキムの滑りから採点発表までを、実況アナウンス抜きでノーカット放送
したNHKである。
 実際に滑っている時、アナウンスと八木沼純子の解説は、もちろんあってしかる
べきである。ただ、あらためて、会場で見守るように固唾を飲んで演技に集中する
機会を用意してくれた、放送局の見識と英断を賞讃する。初めてのことかどうかが
わからないけれども。他に書くべきことをさしおいて、わざわざ記すところをみる
と、私は余程感心したのである。

2010年3月某日 釣るは宣伝

 荻窪某所にて、17日の「春の夜風に浮かれナイト」の第1回リハーサル。
 さねよしいさ子さん、仕上がり上々。さねよしステップ(寒空はだかが勝手に命
名)を踏みつつ、力強くも透明な声を自在に伸ばしたりひねったり。
 伴奏の杉浦哲郎氏と岡田鉄平氏との呼吸も合って、本番が楽しみである。ピアノ
とヴァイオリンという限られた音色の中、2人のマジックで懐の深いアレンジを実
現。勿論、彼らの独壇場、クラシックをコミカルに料理したパロディナンバーも聴
きどころ。
 杉ちゃん&鉄平のコンビには、私・寒空はだかのバックでも弾いてもらう曲があ
るので、リリースから6年たったが、「俺様と私」“レコ発”ライブも兼ねている
のである、……と今、気付く。CDを多めに注文しておこう。
 StarPine'sCafe
ウェブサイトにて、絶賛予約受付中。
 来ないと損をするのは貴方だ!
……私もだ。


2010年3月17日 ライブおぼえがき

●さねよしいさ子さん本編最後の「新曲」のタイトル……「GOSH」
●休憩中BGM……「服部良一1934-1954 未復刻傑作選」バンジョーで歌えば、他


2010年3月某日 困ったわー

 長旅の余韻というよりも疲労感にほうけている内に、浅草東洋館の出番が廻って
くる。おりしも週明けには、対岸のスカイツリーが東京タワーの高さを抜くそうで、
持ち時間のお終いに「東京タワーの歌」を歌えばおアトと交代、という段取りに無
理が出てくるのは必定である。
 映画「三丁目の夕日」の影響であろう、建築途中の塔を写真に残す人々がニュー
ス映像に登場するが、本家東京タワーの脚線美あっての五合目で、棒状のスカイツ
リーの半製品は様にならない。ただ、やはり、金雲を従えて浅草の街を見下ろすよ
うにそびえる網状の巨大構造物は、まるで怪獣のようで、異様ながらも、立ち止まっ
て見上げてしまうのであった。
 浅草が高い建物で脚光を浴びるのは戦前、十二階こと凌雲閣以来ではあるまいか。
などということは、不吉なので、演芸場では喋っても、書いてはいけないのである。

2010年4月某日 シルバーシー党

 平沼与謝野高齢新党「たちあがれ日本」。……無理しないでどうぞお座り下さい。
 とはいえ、賢者ならば、年齢はかまわぬ。長老の意見は大事である。
「サムレエ雇うだ。」(七人の侍)
「もうしばらく様子を見ましょう。」(水戸黄門)
「長屋に心中がおきるんだヨ!」(小言幸兵衛)
 しかしながら、「たちあがれ日本」というのは、賢者の付ける結社の名称ではな
い。「決めてやる今夜」ではあるまいし。「ふりむくな鶴吉」でなし。芥川賞作家
の案だから良いというものではない。
 「新党ながいき」「新党たそがれ」「御達者くらぶ」。
 ネーミング問題でいちばん困るのは、「寒空はだか」という名前では、そもそも
けなす資格が無い、というところにある。


2010年4月某日 「木ィが違うとりますさかい」

 百鬼園先生に顔向けできない酔狂である。一番電車を乗継いで、わざわざ下諏訪、
御柱祭の木落し坂の横の斜面にへばりついている。
 以前は早い者勝ちで、御柱の滑り降りるすぐ脇に陣取ることができたのだが、12
年ぶりに来てみると、規制線が張られて、杉林の奥からでないと、横からのアング
ルは見られないのであった。ゲレンデのように削られた斜面から、10メートルくら
いは離れている。最大斜度35度というスキーのジャンプ台なみの急傾斜、滑りやす
い土と笹の上、かつてのテレビ番組「ダイビングクイズ」の5段階のようなあやう
いバランスで密集した観衆が、固唾を呑んでいる。上で1人でも滑り落ちれば、本
編以上のスペクタクルが待っているのだ。しかも、この位置から肝心の御柱が本当
に見えるのか、その時になってみないとわからない。スロープの縁には関係者が立っ
ている。坂下の正面、河原の公設観覧席が、こちらからだとセリ上がって見える。
 数え7年目毎に1度、信州諏訪大社で行われる「おんばしら」、御柱祭。先週の
上社に続いて、山奥で切り出された8本の大木を諏訪大社まで道なりに曳行する途
中、曳き手もろとも落下する木落し。下社山出し3日間の初日、金曜日。天気晴れ
たり曇ったり。気温はおそらく10度前後だろう、林の中は寒い。踏ん張った足が
震えてくる。
 待つこと約3時間、予定通り午後1時、下社「春宮4」の柱が、ついに放たれた。
杉の木々と関係者の人垣の向こう、右上から左下へ駈け降りる男達、その手前を何
かの塊が通り過ぎた気配、次の瞬間、眼下に巨大な「すりこぎ」があった。今年1
本目の御柱は、あっけないほど順調に、音もなく無事に坂を下った。結局、ハイラ
イトはほとんど見えなかったわけだが、まあこんなことだろうと覚悟の前、歌舞伎
座と同じで、貧乏桟敷から花道は見えないのだ。なにより人柱が立たずにめでたい。
 2本目の春宮3の柱の尻尾を、今度は坂の上から見送る。こちらは手際が悪く45
分も遅れた挙句、後ろの押えの綱を切ったのに、一瞬、尻を浮かしたまま立往生し
てしまった。落ちる先は氏子達の人垣で見えないが、高く上がった大木の後ろ端は、
進水式のようにゆっくり沈んで行った。
 帰途、信州から甲州を抜け、帰りの中央線快速電車のドア上広告画面のニュース
番組。特等席のやぐらからとらえた迫力映像。驚くほどスムーズに滑り落ちる御柱
の様子を、あらためて確認した。納得するとともに、18年前、小雨の中、間近で
見た記憶に思いを馳せる。


2010年4月某日 三軒長屋

 普天間基地を岩国に移転して、岩国基地を普天間に移転、というウルトラCがあ
るのだが、誰か首相の近辺に、落語好きはいないのか。

 舛添要一元厚労相、今さら造反離党。新党ぬけがけ。


2010年4月某日 そのままの中国でいて

 パクリのない上海万博なんて、オヤジのいない亀田3兄弟みたいなものである。


2010年4月某日 唱和の日

 みのすけさんと、ジョイントライブ。3公演無事終了。一見、不思議な組合せに
捉えられがちだが、やる側はあまり違和感なく企て始め、千穐楽を御機嫌に締めた。
 デュエット5曲というのは、演者がいかに楽しくやっていたかを物語っている。
いい気なものだが、そういう趣旨の会であると知ってか知らずか集った、聴衆の嗅
覚に敬服。2人とも、普段の活躍場所は違っても、同じ穴のムジナなのだろう。
 さすがに3ヶ所目の吉祥寺MANDA-LA2、寒空はだかの歌も、格段にこなれて
いい調子。夢の一夜、今晩は録音もしていないので、長時間つきあってくれた皆様
と私達だけの記憶である。


2010年5月某日 さがみのようなはこねをつれて

 ゴールデンウィークただなかの日曜日。絶好の行楽日和である。どこへ行っても
混んでいるだろうが、中央本線や内房線、ボックスシートの電車に揺られながら、
高原の風やら潮風に吹かれたらさぞ楽しいだろう、あいにく夜の宿題ができていな
いので喫茶店の暗がりに籠もる。
 下北沢で「渦」というおなじみの企画シリーズ、その中の鉄道関連のネタに特化
した会、第2弾。そういくらもノンケの人向けの鉄道ネタがあるわけではない。頭
をかかえながら、右往左往する観光客をかきわけて、千駄木界隈の喫茶店をハシゴ。
寒空はだか選・千駄木七不思議の1つ、ゲームセンターカンカンの消えた団子坂下
交叉点から、ただいま358メートルのスカイツリーを視認。
 3軒目のアドリアでようやく新ネタの手がかりをつかむ。10本の線路が並んで、
行き来の絶えない電車を見下ろす諏方神社の崖上で、ネタをかためつつ、覚込む作
業。オチがつかないままタイムリミット、帰宅して支度。
 共演者は古今亭駒次さんとダメじゃん小出さん。出番前の楽屋で楽しい趣味の話
に花を咲かせつつ、ネタ(歌)の終着点を探すが、確信のないまま、出番が来る。
というわけで、線路をひきながら列車を走らせる。もともと、あまり興味のない観
客の前で、必死にその道の面白さを語るという異常な環境の中、失速して爆発なら
天晴れ、エンストでは洒落にならないが、最後は見事、無理矢理車止めに突っ込ん
で止まるシルバーストリーク号。他の2人の力作になんとか追いつく。乗客の期待
に応えられたようで、ほっとしながら入庫する。


2010年5月某日 人間の業、平橋

 はじめは何ともないどころか憎しみの対象ですらあったあいつが、いつしか心に
棲みつきはじめ、やがてそれは愛ではないかと気づきはじめる……。地下鉄田原町
駅を上がって国際通りを北へ、浅草1丁目、右手が開ける雷門通りの入口、その先
で立体映像のように現実感なくそびえたつ東京スカイツリーの幼生。かつて仁丹塔
のあった丁字路から、新タワーを望む。
 浅草界隈、ビルの切れ目のそこここから、彼女はひょこひょこと顔を出す。顔と
いってもまだてっぺんは臍のあたりだが、伸びた触覚のようなクレーンが、こちら
を気にしているような心持ちになる。その上、少しずつ成長し続ける姿を見せられ
たら、情も移るというものだ。
 私は依然、東京タワー命であるが、如何せん、普段の行動エリアからはなかなか
目に入らないのである。遠くのタワーより近くのツリー、裏腹な思いに身は裂けそ
うだ。
 そんななか、本命に明るい話題が一つ。今まで、東京タワーを描いた意匠の風景
入り消印を用意している郵便局は「芝」と「世界貿易センタービル内」だけだった
のだが、この度、慶応義塾前郵便局のスタンプに御目見得。天は塔の上に塔を作ら
ず、塔の下に塔を作らず。塔でとうとうずっこけた、大ちゃん ポッチョレいい男。
 業平橋まで行くと、今や高すぎて手に負えないスカイツリー、少し気のきいた展
望スポットが東武浅草駅・松屋デパート屋上。小津映画「東京物語」で、笠・東山
夫婦が長男宅(堀切)の見当を探すのが、ここの塔屋の階段(現在閉鎖)。この忘
れられた空間も今月限りで閉められる。片隅に小さな稲荷神社があって、三社祭の
直前、5月13日が例祭の日。松屋屋上の解放時間は18:30までである。

■後日記 東京物語に登場するのは銀座の松屋であった。訂正。面目ない。

2010年5月某日 百聞はひゃっけんにあらず

 頼まれもしないのに、好んで住み始めた場所であるから、こちらから文句をつけ
る筋合ひではないけれど、文京區などと云ふ曖昧な地名に住みたかつたわけではな
い。
 以前にあつた小石川區と本郷區を一緒にすると云ふことになつて、双方の顔を潰
さぬ様に役人共が頭を捻つた挙句、文教地區だからと云ふ様な理由で安直に名付け
たのだらうと思はれる。
 四年ばかり前に、森鴎外ゆかりの観潮楼跡に在つた、むさくるしい本郷圖書館が
移転新築されて、広くて立派な圖書室が備へつけられた。早速、百鬼園先生の本が
竝(なら)ぶ様を見やうと書架を探すと、丁寧にプリンタアで打ち出された文字で
見出し板が作られてゐた。
「内田百聞」
 私は目を疑つた。門構へに月とあるべき所に、耳と書かれてゐる。日ならまだし
も、耳と間違ふなど、聞ひたこともない。文教の府を代表する圖書館の司書は、嘗
て區内にも住んでゐた百鬼園先生を寡聞にして知らないのである。
 カウンタアで仕事をしてゐる男性に、お節介を承知で、件の見出し板を持つて行
くと、「ああ、さうですか」と云って、見出し板を何処かへ仕舞ひこんだ。
 それきり、直るどころか、見出し板の復活することはなかつた。すぐ直らなかつ
た理由は解る。オペレエチングシステムに因つては、門構へに月と云ふ字は変換さ
れないのである。しかし、それならば、手書きでも差支(さしつかへ)ない筈であ
る。担当者の筆が上手か下手かは知らない。きれいな字でなくとも読めれば良い。
サアヰ゛スの本質が解つていないのだ。

 何が文京区だ、と私は憤慨しつつも、家からごく近いこの図書館を利用し、恩恵
には預かっていた。今日、1ヶ月ぶりくらいに覗いてみたら、百鬼園先生の見出し
板が、きちんと正しい字で、書架に挟まっていた。少し見直した。そうなると、情
けないのは我が家のパソコンである。いちいち「百鬼園」という、先生の号を表わ
しているのは、我が家のOSでも、門構えに月の字は出ないからなのだ。ウェブ上
で、機種依存文字は使わないことにしているけれど、偉そうなことはいいながら現
状を良しとしているのは、やはり恥ずかしい。そもそも変換できないくらいなら、
パソコンなど使うべきではない、そう百鬼園先生は顔をしかめそうである。


2010年5月某日 アッチョンブリケ!

 けっきょくヘノコよのさ。


2010年6月某日 営業妨害

 鳩山首相辞任。早すぎる。今週一杯はもってくれないと、こちらにもネタの都合
というものがあるのだ。王子と沼津の演芸会、確実に笑いのとれるハトヤマネタが
使えなくなった。時事ネタの宿命であるが、賞味期限前に廃棄というのは、環境に
優しくない。
 首相を辞任するなら、沖縄担当大臣になって、引き続き説得をしてみたらどうか。
「国民が聞く耳を持たなくなった」というのは、明らかに使い方を誤った表現だが、
なに、聞く耳の前に、見る目がなかったのである。


2010年6月某日 ●鳩山首相辞意表明、後任民主党代表に菅直人氏

 おととい(さきおととい)、突然、衝撃的なニュースが入ってきましたね。
 「鳩山首相、タイジン。」私はてっきり宇宙人だと思ってたんですが……、
 タイ人だったんですね。
 野口さんが宇宙から帰ってきたと思ったら、宇宙人は辞めちゃいました。
 ♪辞めた〜辞めた〜小沢とみちづれに〜[牧村三枝子/みちづれ]
 ♪首相にサヨナラ、ハトヤ・マ、でんわは「3.3.9.6」さんざん苦労、
  サンサンキューロク、母から九億……
  やっぱり辞めた、ハトヤマ辞めた
 辞めちゃいましたねえ。後釜に立候補したのが、菅さんと樽床さん。
 かんさん、たるとこさん、カン対タルってビール対決かと思いました。
 菅さんになったのね。
 ハトからカンへ。ちょっと前まで、「官から民へ」って言ってたんですけど、
 カンへ戻っちゃって、……それで郵政も戻るんですね。
 私は樽床さんを応援してたんです、
 いや別に政策的には、どちらがどうってのはないんですけど、
 「かん」っていうと、「お終い?」って感じでしょ。
 「たるとこさん」ってなんだか言葉の響きが愉快でしょ。
 たるとこさん、声に出して読みたい日本語、
 うきうきする感じですよ、タルトタタンみたいで。
 それだけで日本が少し明るくなる気がしたんですけどね。
 私は不勉強にも、樽床さんって知らなかったんですけど、
 中国の昔の坊さん、月性(げっしょう)の言葉に出てくるんですね。
 「人間(じんかん)いたるところに青山(せいざん)あり。」
 いたるところ、たるとこですよ。
 昔々、たるところに……。
 首相になった時の為に夕べいろいろ考えたんですよ……。
 「首相、基地問題、もうやったんですか?」「今、たるとこ!」
 ねえ、今日しか使えませんよ。
             (6/4,6/5 北とぴあ、沼津市民文化センターにて)


2010年6月某日 背景?野村芳太郎様

 舞台や映画でセットを組む人を大道具方、略して大道具と呼ぶ。セット自体が
「大道具」なのだが、組立てに使われる大工道具は、一般建築用とは違った発達を
した。その象徴が、「なぐり」と呼ばれるカナヅチである。トンカチ、ハンマー、
その類の中で、なぐりは独特の形状をしている。
 柄が長く平べったい。鎚の頭は真四角で、物によっては釘抜きの角度がかなり深
い。そして、鎚と柄が、くさびで繋がれている。建込み(組立)と同じくらい重要
で、頻度も高いバラシ(解体)を考慮したスタイルだ。舞台裏に触れることのない
人間ならば、まず一生見ることのない道具であるが、アルバイト時代の名残で、我
が庵の押入れの奥には、道玄坂の吉沢利工で買った舞台なぐりが眠っている。かつ
て、イワモトケンチ監督の行楽猿という低予算映画に出演した時は、自ら出るシー
ンのセットを自ら組んではバラした。重宝な役者だ。
監督「カット!オッケー!」
私(衣裳にジャンパーを羽織りながら)「セットチェンジしまーす。」
 縦に1列、畳が連なった三畳間、という馬鹿馬鹿しいセットの壁パネルを、カメ
ラの位置に合わせて外したり付けたり。この映画、他のシーンは全てロケであった。
 さて、以上、前置き終わり。
 神保町シアターで、野村芳太郎監督、渥美清主演、名作「拝啓天皇陛下様」を観
ていた。映画も後半、もう戦後だ、長門裕之と左幸子の夫婦が、木造家屋だかゴミ
箱だかを補修しているシーン。左の右手に握られたカナヅチ、なんと「なぐり」で
あった。長門の持っているのはごく普通のカナヅチである。なぜそんなことになっ
たのか、その背景は解らないが、スクリーンならではの、小さな発見に喜ぶ私であっ
た。


2010年6月某日 消費税、点5からテンピンに?

 カンだのタンキだの、レンホウだの、麻雀みたいである。
 ……ただし、このネタ、これ以上の発展性なし。流局。


2010年6月某日 メモ

 快楽亭ブラック師匠推薦の喜劇映画「猫が変じて虎になる」、面白くて唸る。神
保町シアターにて。小沢昭一の旨さ、長門裕之の軽妙さ、由利徹のキレの良さ。ム
ダなくネタを詰込んで73分。
 有山岸「そろそろおこか」のCDサンプルを聴く。気持ち良い。
 6月23日吉祥寺曼荼羅。ちょっと狭苦しい所だが、浜洋介バンドのライブあり。
先日と同じく、YUCCOさんと杉山章二丸さんのサポート。きっと良い。
 「たちあがれ日本」の平沼赳夫代表の声、ホーミーみたいに1人でハモる。


2010年7月某日 梶原一騎そだち

 負けて帰ってきたところを罵倒されたら落ち込むだろうが、優しく迎えられたら
屈辱ではないか。つまり「その程度と見くびられていたのか」とかえって落ち込み
そうなものである。もちろん、奇蹟の決勝進出は天晴れである。血が騒いだ。
 PKをはずした駒野選手に、謝罪の言葉を言わせるようしむけられなかったのは、
あとあとつらい状況に追い込むことになる気がする。一言、謝っておけば楽なのに。

岡田(駒野をヘッドロックしながら)「ったくネ、こいつがはずしたんですヨ。」
駒野「あいたた、すみません!」
本田「まあまあ、いいじゃないですか、監督。ねえ、みなさん、そうでしょう?」
(場内、そうだ!の声と拍手。ここで今野、闘莉王の真似をして大団円。)

 決勝進出しながら惜しいところでベスト8進出を逃した結末を、批判されるのを
承知で、あっけらかんと叩ける人は、「ええかっこしい」またはただの馬鹿、ある
いは、本当に優しい人である。
 あの帰国会見を良しとする風潮は、なじめない。次回からはサムライではなくて、
ナカヨシジャパンで行くヨロシ。

【オマケ】南阿でワールドカップ。高円寺にあるのはオリンピック。


2010年8月某日 英断地下鉄

 東京メトロこと東京地下鉄と、都営地下鉄が合併協議。
 メトロと都営、合わせて、東京トトロ、目玉は猫電車。


2010年8月某日 「行かなくってよ。」(※発音注意)

浅草で、陽気な公演2題。
9月1日〜6日 だるま食堂「浅草の女」 於;浅草見番(浅草寺裏)
9月8日〜13日 バロンと世界一周楽団「ボードビルアゲイン」 於;浅草東洋館
ともに「
したまち演劇祭」という企画にラインナップされているけれど、6日間、
客席を埋めるのは並大抵のことではない。お節介だが、大勢の観衆を集めたい。良
いものを放ったらかしておくのは罪である。私は出演しないし、仕事のついでに九
州漫遊している頃なので、なんの力にもならないし呑気なものだが、盛会を心から
祈っているのである。

 酷暑ゥはランバード、スターファイターとリオグランデ。
■後日記 国生(こくしょう)さゆりと、酷暑のただの駄洒落である。2019.3.26


2010年8月某日 ジッパーでもファスナーでもなく、閉め忘れるのは、チャック

「オーマイゴッド!」
どんなに文明は進化しても、社会の窓、チャックの閉め忘れはなくならないのだ。
「オーマイ天理王命!」
夏の甲子園、天理高校応援団が、セントポールを演奏している。


2010年9月某日 谷啓さん急逝を悼む

 しばし、まばたきをし続けてみるのだ。


2010年9月某日 劇場も冥利に尽きよう

 老若男女、みんな幸せそうな顔で舞台上の「バロンと世界一周楽団」を見つめて
いる。浅草東洋館「ボードビルアゲイン」。6夜連続の興行の5日目、日曜日。
 200人の定員に7割の入り。これは大健闘である。
 5人のバックバンドを従えて、時には溶け込んで、バロンなかざわ氏、美声とウ
クレレ演奏、パントマイムをテンポよく見せて行く。湯たんぽウォッシュボード
「ちゃんちきドラム」は軽快に客席の手拍子を誘う。
「凄いでしょ?」でもなく「がんばってます!」でもなく、構成も絶妙なバランス。
タップダンスやマイムの技芸を、抑えて見せるあたりのセンスが良い。ただ如何せ
ん顔が濃い、背が低い、……嗚呼、コメディアンらしいではないか。
 バロン氏オリジナルの佳曲や、エノケンソング、世界の音楽めぐりをサポートす
る芸達者達。キーボードきくちまゆこ嬢、トランペットJordon氏、ギター八木橋恒治氏、
ベース田名網大介氏、ドラムス熊谷太輔氏。押し、引き、コンビネーションも決まっ
て盛上げる、いや、一緒に盛上がる。
 90分という時間、200席と空間あってこそ、それをまた過不足なく使って素敵な
ショーを実現した「ボードビルアゲイン」。
 千秋楽は13日18:30開演。2500円。


2010年9月某日 ♪もっと自由に……、──自由すぎる。

 ラジオで泉谷しげるさんが、「さとうきび畑」の節で
♪おざわ、おざわ、おざわ、
と歌っていた。私のやっているネタを聞いているわけはないし、誰でも思いつくネ
タだが、メジャーどころが電波に乗せてしまっては、もう放送では使えない、残念。
 尖閣諸島について、中国が怒っている。とばっちりで、日本の若者を上海万博に
招待する話が──上海万博がまだやっていたことにも驚くが──、延期になったそ
うである。とんでもない話だ。尖閣諸島を日本が盗ったなど濡れ衣だ。それより上
海万博である、テーマ曲に日本の曲を盗んだことを忘れては困る。


2010年9月某日 大阪おちけん

 上方落語の「定席」繁昌亭昼席に1週間出演という一大事が近づいた。27日から
の予定であるが、日程のデータに改竄があった場合は御容赦。


2010年10月某日 途中経過

 天満天神繁昌亭、中日を終わって寒空はだか、勝ち越し決定か?必殺技、東京タ
ワーの歌、強し。しかし、ここからがふんばり所である。筋書き通りに行かないの
は、地元大阪地検しかり、日本政府しかりである。


2010年10月某日 早〜よ来い、は〜よこ〜い(三十石 夢の通い路)

 7日目の繁昌亭、私の前の桂枝曽丸(しそまる)師は、気を使って少し短かめに
高座を下りて、私の出番をぴったりの時間に戻してくれた。上方では前座さんでは
なく、お茶子さんと呼ばれる女性が高座返し、つまり舞台転換を行う。見台と膝か
くしを使う落語家も多いので、要領良くやっても、東京より若干時間がかかる。名
ビラ──こちらではメクリとはあまり言わない──が「寒空はだか」になる。出囃
子は、昨日までのまなみ姐さんと新子姐さんに替わって、今日は久子姐さんともう
1人(失礼ながら名前をきき忘れた)の弾く「じゃじゃ馬億万長者」にのって、赤
黒白のストライプのジャケットをまとったメガネ男、ゆっくりと客席を見回しなが
ら舞台センターへ。
 一呼吸おいて、
「盛大な……、ケゲンそうな拍手をありがとうございます。
(和歌山弁のお婆ちゃんに替わって)今度は、寒空はだかっていうからどんな変わっ
た男が出てくるかと思ったら、ね、御覧の通り、龍馬伝で人気の福山雅治さん……、
『えー』じゃないでしょ、福山さんに、くいだおれ太郎を足して……、福山さんを
引いたような顔でございます。」
 持ち時間は10分。転換を差し引いて正味9分。最後の4分はおなじみ東京タワー
の歌のパッケージ。前半5分間でさらりと自己紹介から武富士、大阪地検など時事
ネタ、政治ネタに入って大阪12区の樽床さんまで押し込む。満場の観客とのやり
とりに気を緩めるゆとりはないが、反応よく笑いが返ってくる。
 13時50分。時間通り、にこやかな笑福亭伯枝師に高座を渡す。「……せんとくん
です。」で笑いが起こるのを背中に聞いて、急いで方々に御挨拶。ジャケットだけ
衣裳ケースにしまうと、楽屋番の笑福亭智六さんから大入袋をひったくるようにし
て繁昌亭の楽屋口を出る。千秋楽の余韻に浸りたいところだが、幸運にもこの後、
京都の仕事を、もらっているのである。トリの笑福亭福笑師匠はまだ楽屋入りして
いないので挨拶できず、また一度も呑む機会に恵まれなかったのも心残りだが、逃
げるようにではなく、皆さんに優しく送り出されるのがありがたい。
 舞台を下りて7分後、無事、地下鉄谷町線の車内。南森町から天満橋、所要3分。
京阪電車への乗換に至近の4号車いちばん後ろのドアの前に陣取る。降りてすぐダッ
シュをかければ、出町柳行特急の辷り込むホームまで、3分あれば到達できる、
……ということは午前中に予行演習がすんでいる。繁昌亭の頭脳、O西さんが調べ
てくれたネット情報より10分早い電車に間に合うはずである。出番の予定は15時。
 はたして想定通りに事は運んで14時03分、八軒家・京阪天満橋から、おけいはん、
ならぬ姉様キングスこと、桂あやめ師と林家染雀師、それに桂さろめさんの待つ、
四条京阪前のロシア料理店「キエフ」へ、現代の三十石船「京阪特急(元)テレビ
カー」は、落語とは逆に、淀川沿いを上ってゆくのであった。


2010年10月某日 へば、青森さ行ぐべ

 テレビCMで、JR東日本が新幹線新青森開業を伝えているけれど、青森と東京
が近くなって喜んでいるのは津軽の人々であって、東京に棲んでいる者は、たいし
て嬉しくはないだろう。もちろん、弘前だ、五所川原だの出身者は嬉しかろうが、
大概の人々は、青森は遠くにあってほしいと思っているのではあるまいか。
♪ハ〜ァテレビも無(ね)、ラジオも無、クルマもそれほど走って無……。
 そこまでの田舎はどこにも無いと解ってはいても、そんな幻想を抱いていたい場
所、それが青森県。夜行列車で十何時間ゆられた先にある陸奥(みちのく)の里。
「♪旅立った人はいるが、あまりに遠い……。」夢の超特急の名前が「はやぶさ」
という事だけが、小惑星探査並みの最果て感を物語っている。東京と青森が3時間20
分などというのは、青森県人にだけそっと教えて、東京人には内緒にしておいた方
が、観光的にも得である。
 テレビの画面に近代的な駅の様子が映し出される、これも逆効果だ。それで喜ぶ
のは現地の人である。東京向けには嘘でもいいから、茅葺き屋根のホームで、出迎
えるイタコとなまはげ。そこに馬子に綱で曳かれて新幹線「斜陽号」が進入してく
る。……秋田とか岩手のイメージも混然としているところがニクイ演出。青森へ行
きたくなるじゃありませんか。



   
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