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[ものぐさ枕2007]
  2004年より、ジオシティーズ内に開設した、寒空はだかサイトの日記コーナー「ものぐさ枕」
  「ものぐさ」+「草枕」、無精者の旅日記が、名づけの由来である。
  日付が飛び飛びなのは、移転時に整理・削除したのではなく、
  もともとズボラなことに、気が向いた時にしか書かなかったからである。


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2007年1月

2007年1月1日 (月) なんでも関帝廟

 横浜野毛、にぎわい座の舞台上、正装で並ぶ出演者、満場の観衆と共に、
新年を迎える。玉置宏館長と立川志の輔師匠が、くす玉をひく。早々に売切
れたカウントダウン落語会、来年は是非、追加公演を。
 中華街に移動して打上。途中、マリンタワーが見えるかと思ったが見えな
かった。午前3時、ここではやはり正月より旧正月なのだろう、すっかり閑
散とした路地、出演者そろって関帝廟に初詣に向かう。残念ながら閉めた直
後。柵ごしにきらびやかなお堂を眺めて、志の輔師匠、「どう拝めばいいの?」
 それぞれ、心がこもればなんでもよかろうと、新年の思いをこめる。ま、
良い年になるように、なんという事は思わない。良い年にするのだ。
 今年もヨロレイヒ。


2007年1月4日 (木) そんなヒロシにはさまれて

 三が日は仕事にあぶれて里帰り。午前0時に思い立っても帰れる距離では
あるのだが、なにかきっかけがないと帰らないから、親孝行と称して結局寝
正月。その間も実家から浅草やら渋谷やらへ足を伸ばしてはいたけれど、年
始休みモードで過ごす。
 仕事初めは本日、なかの芸能小劇場、「水中、それは苦しい」プレゼンツ
珍しい音楽祭。非常に爆発力のある出演者達、プログラム上も、長谷川剛、
ガッポリ建設、エーツーが、すがすがしいくらい自分の魅力を出し切って劇
場を席捲、続いて清水宏の後、猫ひろしの前。今年を占う大事な初舞台、私
にとっては、もう毎ステージが終電車、後はないつもりで乗り込んでかない
と、今年も浮上できない。かといって勢い余って空回りでは前に進めない。
重ならない笑いのパターンを探りつつ、寒空はだからしく、ずるいステージ
ングで15分。
 「俺ん家」という居酒屋で打上、早速、終電を逃す。中野駅改札に立ち尽
くす。脳内BGMは「サンジャンの恋人」。


2007年1月6日 (土) 跳んでイスタンブビョウ

 忘れないうちに書いておくが、浅田真央の笑顔と舞の海の笑顔は似ている。


2007年1月8日 (月) コール&レスポンス、……バンドの名前みたいね

 歴史が積み重なる、というよりこびりついてゆく、というのが「らしい」
ライブハウスである。劇場とは違った不健全さ、いかがわしさあっての空間
なので、禁煙のライブハウスなど考えられない。となれば、邪険な客扱いや、
汚い床といったものも、まあ「らしさ」の範疇かもしれぬ。ひととき、禁断
の夢を見るには大切な要素なのだ。未だにマンガに登場するライブハウスの
イメージが、そういう風に固定されているのは困ったものだけれども。  
 さて、写真家植田信さん率いるuedandという「ドカドカうるさい」バンド
のイベントに呼んでもらって、渋谷のラママに久々の出演。腕っこきのミュ
ージシャンめあてのお客、聞く側も百戦錬磨、盛り上がり方を心得ている。
申し分ないお膳立てのところに、おなじみ銀色のスーツで寒空はだか登場。
不思議なもので、演芸寄りの環境であんまりウケるとかえって私はさめていっ
たりするのだが、こういうところだと調子にのっても嫌悪感がない。気分よ
くステージを務めて喝采をもらう。もっとたくさん販売用のCDを持ってく
れば良かった。お客と自分の魅力を甘く見ていた。たまにはちやほやされて
おこう。
 くだらない魔法にかかったお客の目が醒めませんように。ほんとはもう2
度と見ない方が幸せなのである。


2007年1月11日 (木) あたまペコペコちゃん ボコボコちゃん

「あの伝統の味は新しい牛乳じゃだせないんですよ。」
 裏で舌を出すより、堂々と舌を出していて良い。


2007年1月15日 (月) 「ウチのカカァなんか都電の池之端七軒町みたいな声をして、キィエウエウエ〜」

 寒中の正午近く。見上げれば真青な空だが、千駄木界隈の不忍通りは、両
側にそそり立つマンション群のせいで、冬場はほとんど日陰である。上野へ
向かって南に伸びた通りは、多少東西にぶれているので、午前遅くか午後早
く、太陽が正面にきたときだけ明るく温和な表情になる。
 越してきた15年前、バブルの残骸の更地だらけだった頃に比べても詮無い
ことだが、有名な谷中の「夕やけだんだん」も、本来は正面のマンションが
無かったから、もっと大きな夕焼けだったのである。
 その中でも団子坂下と根津駅前の交差点は、狭い上に面する建物が低いの
で、いまだに都電が走ってきそうな雰囲気を漂わせている。ところが根津駅
前、旧第一勧銀跡地はマンション建設中。今、通りの反対側の路地裏にある
宮の湯の煙突が銀色にぎらりと輝いているのが見えるが、高層マンションが
建てば、輝く時間も減るだろう。
 さらに進んで左手、動物園の塀がきれると、着色絵葉書のような冬枯れた
不忍池が広がる。池を巡る白い棒杭の上にはユリカモメが、1本に1羽ずつ。
飛んでいるユリカモメは、休んでいる相手めがけて降下、仕方なく先客は水
の空。池を巻いた不忍通りはゆるく東へカーブを切って、湯島から来た通り
と丁字路を作る。
 真南を向いた昌平橋通り、お午にちょうど、池に向かって光の道ができる。
そのつきあたり、池の入口の舗道の、水面の照り返しと陽射しを集めたひだ
まりに、カモたちが集まって日光浴をしている。ハトはそのへんをうろうろ
している。住人達はひだまりを譲るように日陰で酒盛りをしている。


2007年1月22日 (月) ジテンに泣く 関西テレビと保守候補

 関西人の作った番組で納豆をもてはやしていたジテンで怪しむべきである。
関西テレビではなくて東京・フジテレビ製作だと、不二家とならんで「ふじ」
どうしで扱いよかったのだが。連鎖におびえる富士通……。大量に余った納
豆は、節分にまくか。期限が切れてもあたったほうが縁起は良い。
 期限が切れると、当っていてもだめなのが宝くじ。あたらなくても期限が
切れていたのが不二家とおたべ。


2007年1月24日 (水) 真相は深層、闇の中

「地図に残る談合」、とトップページに書こうと思ったら、今回、名古屋市
営地下鉄の談合騒ぎに、そのキャッチフレーズの会社はかんでいなようだ。
失礼だが残念。
 明治通りの地下に建設中の東京地下鉄の13号線(新線池袋〜新宿三丁目〜
渋谷→東横線)の名称が「副都心線」に決まったそうである。もちろん気に
入らない。旧十五区の内側こそ都心、と思っている私にとっては、今や新宿
を新都心と呼んでいるにもかかわらず、西の盛り場を副都心呼ばわりするの
は少しだけ溜飲が下がるが、「副都心」という言葉自体が中途半端である。
らしい名前をつけるとすれば「明治通り線」というのが、長いけれどもぴっ
たりする。大阪の梅田・心斎橋・難波を結ぶ御堂筋線との対比も良い。ほん
とうは立地からいうと、「丸井線」がいちばん合っている。


2007年1月29日 (月) 馬生の縁

 金原亭世之介師匠の独演会によんで戴いて池袋演芸場に出演。落語協会員
ではない私の出演については、わざわざ協会にお伺いをたててとのことで、
ありがたい話である。
 前座さんを含めて4人でも狭苦しい地下の行灯部屋ながら、落語定席の楽
屋にいるのも感慨深いが、美濃部美津子さんが客席にいらしたそうである。
世之介師は、私が高校生時代に弟子入りしたかった先代馬生師匠の弟子なの
で、その馬生師匠の姉の美津子さんが見に来ていたのである。なんとはなし
に、金原亭の身内の方々に囲まれて、幸せな夜である。


2007年1月忘日 1月の巻頭言特集

・安倍首相の喋りに、ゆとりの教育を<ゆとり教育見直し>
・♪アパホテル偽装の前で泣かないでください〜<偽装発覚/千の風ヒット>
・東国の春 ヒタイに応える<東国原宮崎県知事誕生>
・関西人が納豆をもてはやしたジテンでおかしい<あるある大事典捏造>
・「消費期限を見つめて」♪ペコ、甘えてばかりでごめんね
・あたまペコペコちゃん ボコボコちゃん<不二家ずさんな品質管理>
・和風ジャパン
・ちょっとずつ猛進/今年もヨロレイヒ


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2007年2月

2007年2月1日 (木) さわらなくても、全体をさわっても半ケツとは

 話題の映画、周防正行監督「それでもボクはやってない」観賞。全く娯楽
性を排除して、ただ監督の、理不尽に対する怒りだけで結末までもってゆく
ところに驚く。なにしろ、この事件を通じて何も動かないのである。登場人
物の成長だの心の変化だのが描かれない。描かれないというより、みんな変
わらないのだ。引かれたレール上を脱線することなく、思った通りに現実は
進んでゆく。痴漢冤罪電車に乗り合わせたら、分岐点は全て通過なのである。
 見終わって灯りがつく時、男性達はみな思う、さしあたり痴漢もののビデ
オは始末しようと。

 「ちさい(地裁)頃、あっちこっちえっちと」、……これはわからなくて
よい。一行抹消、と。桂枝雀師「代書屋」より


2007年2月3日 (土) ほんに今夜は節分か(後厄明け)

 今でもさして好きではないのだが、小さい頃は煎っただけの大豆が大嫌い
で、たとえ5粒や6粒でも嫌々もそもそ、涙目で食べていた。とても42粒
数えて食べるつもりはないが、豆まきの真似事くらいはやりたいものである。
かといって、部屋に実際まくのは後始末が難儀、などと思っていた夜6時半
頃。どこからともなく煙の匂い。
 物の焦げる匂いに、勘違いはない。思い過ごしだったためしがない。
 私の部屋は2階にあるが、窓をあければ、煙に霞む春の空。外へ出て見る
と、狭い路地を挟んだ目の前の家のすぐ裏の家から火が出ていた。同時に消
防車到着。ひとまず、いつでも逃げられる準備をして路地に戻ると、火元の
1軒ですみそうである。乾燥しているものの、風が弱くて幸いだった。けが
人もなし。
 消防隊も帰り、静かにはなったが、窓から豆をまくのはあきらめて、おと
なしく、豆源の福豆をかじる。


2007年2月4日 (日) いかに血の気が多いといって、初春早々、剣の舞

 久々に手強いお客を相手にする。酒席ではないが酒の呑める企画、50人も
入ればいっぱいの会場にぎっしり詰まった客席のボルテージは最高潮、中盤
にゲストとして紹介される。桟敷の最前列まんなかに酔っぱらい1名、1つ
目のネタの入ってひとことしゃべったところで、「つまんねえ。」
 手が出そうになったがけとばすマネでとどめる。お客の頭を足げにするの
は失礼きわまりないが、場所は新宿ゴールデン街、TPOを考慮すれば問題な
し。
 スマートにカッコつけて時事漫談から入ろうと思った私が甘かった。酔っ
ぱらいをかわしながら、こちらの味方についたとはいえ、気分を害している
大多数のお客を満足させなければならない。しかも品よく。
 その後も散発的に続く、要所要所への攻撃をかわして笑いのじゅうたん爆
撃、喝采の内に勝利の凱歌、「東京タワーの歌」。「どうでい。」と得意げ
に拍手を背中にする。このところ、温室でしか仕事をしていなかったので、
たまには、いい刺激である。打上で同席した別の日のゲスト、レイパー佐藤
さんにきく、カタギではない人々の宴会に比べればかわいいものである。


2007年2月5日 (月) 地球漫談家

 ワハハ本舗の「冷蔵庫マン」こと飯塚俊太郎氏、ヨシモトのR‐1グラン
プリ、めでたく準決勝に進出。小道具すべてを段ボールで作る、演芸界の日
比野克彦、彼が手製の冷蔵庫を着て、(本人曰く)寒いジョークを言って
人々を凍らせる、というコミック。これもひとえに、暖冬異変を恐れる大衆
のバランス感覚か。
 考えてみるに、私の寒空はだかという名前、決していい名前ではないが、
温暖化へのアンチテーゼといえなくもない。クールでシンプル。地球規模で
今、寒空はだかが必要なのではないか。
 それでもボクは、はやってない。
【後日記】冷蔵庫マン、惜しくも決勝進出はならず。
「それでもボクは、はやってない。」というフレーズは、映画の記者会見で、
すでに役所広司が使っていたそうである。


2007年2月6日 (火) ケンゼンカン主人

 北朝鮮のかかえる核爆弾が問題になっているが、カク内(閣内)に爆弾を
かかえているのが安倍首相。
 柳沢厚生労働相の「産む機械」発言はウカツとしかいいようがないが、
「健全」云々は言葉尻をつつきずぎである。裏返して違う意味をとってあげ
足をとる、というのは我々の仕事であって、職域を荒らさないでほしい。健
全な野党のすることではない。
 私など、能力を無駄にして、いまだに子孫を残していないロクデナシであ
るが、できれば2人以上の子供を持ちたいと思っているけれど「健全でない」
若者である。あ、若者ではなかった、とほほ。
 ラジオ「真打ち競演」で、松鶴家千とせ師匠が福井の観客相手に、あのス
キャットネタをやっていた。私の芸風の源泉をたどると、千とせ師の影響も
いくぶん感じられるのだが、その独自性と潔さは、いまだに胸をうつ。とて
もまねできない。なにしろおなじみのネタの間にはさむとはいえ、田舎のお
客相手に、「オチチョニア」の口伴奏(ベースやらラッパやら)を1分くら
い平気でやるのである。しかもその様子が全国放送だ。浅草と吉祥寺でネタ
を使い分ける私など、なんと卑怯なことよ。芸人としても不健全である。


2007年2月7日 (水) 追悼 生恵幸子師匠

 なに言うてんねん、この泥亀!
 なに言うてんねん、このアンケラソ!
「誰がうとても(歌うても)いいもんじゃない」


2007年2月10日 (土) 看板にいつわ真弓

 年があらたまってから、はじめてセーター以外で外出。といっても赤い綿
のタートルなので、見た目にはあまりかわらない。高橋克典演じるテレビの
只野仁、の昼の方に似ているといわれたので、髪の分け目をそちら側に変え
てみた。陽気も良いので歩いて浅草へ。
 日暮里駅前の柳は芽吹き、というよりすっかり立派な葉が生えている。鴬
谷駅前の不二家はあいかわらずシャッターを閉めて、営業休止の貼り紙。し
かし、その貼り紙の横の柱には、未だに「オータムスイーツフェア」のポス
ターが貼りっぱなし。販売店サイドにも、あまり同情の余地はない。
 合羽橋の道具屋街、先々週、「アド街ック天国」に紹介された翌日、どっ
と人がくり出したが、いかんせん日曜は問屋街だからお休み。きょうは土曜
なのでにぎわっている。気をつけなければいけないのは、「定食500円」と
いう看板を見つけても、それは看板屋のディスプレイにすぎなかったりする
ところ。よって、とある喫茶コーナー前には「本物の喫茶店です」と黒板に
書かれていた。
 東洋館特選会は、メンバーを選ったためか、補助席も出る大入り。非常に
よくウケているが、お目当てがあって来るお客もいるのだろう、定席に普段
出ている者には、かえってアウェー感ただよう客席。そんな中、ポカスカジャ
ンが盛大に湧かせた後の客席から、力づくで爆笑をもぎとっていった、キー
ボード漫談の牧田博師匠の勇姿に感嘆。


2007年2月11日 (日) 理不尽景観

 麻布が寺町であるということは、落語「らくだ」から知った知識だが、数
年前、元地元民に案内されて、麻布山善福寺を訪れたことがある。非常に立
派な寺であると共に、都内で一番(島嶼を除く)の巨木として、樹齢750年
の大イチョウで有名なのであった。その化物イチョウはまさに見事だったが、
背後の丘の上に、醜悪なキノコ状の高層マンションがそそりたっていて、景
観はぶちこわしであった。
 快晴の本日、ついでがあって、亀戸天神を訪れる。太鼓橋の上から眺めれ
ば、紺碧の空の下、立派な社殿がでんと構え、周囲の梅はもう見頃である。
左後方に少しマンションが目に入るものの、境内は広い大空に囲まれて、明
るくすがすがしい。太平4丁目の、あの重厚な石造りの精工舎工場跡地の超
高層の下はビル風が吹き荒れていたが、ここは穏やかな別天地だ。
 さて、神社といえばお楽しみの絵馬。私は、浪人経験があるので、大学を
のべ2回受験しているが、あわせて1校しか受けていない。つまり、滑り止
めなしの一発勝負。高卒で落語家になると言ったら反対されたので、仕方な
く選んだ進路である、落ちても全然かまわなかったのだ。今回、絵馬に書か
れた受験校数、最多は医学部志望の9校であった。願をかけるのは自由だが、
書くのは1校に絞らなければ、天神様にも負担である。神頼みの医者も困り
ものだ。珍しく、志望校の字を書違える慶大受験生は見つからず残念。


2007年2月12日 (月) ♪こぼれちゃいそうなの〜

 ソロライブ間近。ネタを作ってカラダに入れる時間を考えると、時間よ止
まれ、当日よまだ来るなと思うが、時事ネタのことを考えると、今日にも話
したい。


2007年2月13日 (火) 発見!あるある不二家製品

 京成新三河島駅前、こばと商店街の自動販売機に、不二家ネクター発見。
購入。ネクターは婆の味。


2007年2月14日 (水) 義理チョコ、そして人情チョコレート

 もう消費期限切れの話題であるが、不二家のチョコレートに蛾が混入、の
一件。クッキーやビスケットにはハエガ入り、ってのはあるけれども。
 モスラ対ショコラ、ってシャレか。


2007年2月15日 (木) オオゾンホール

 指揮者形態模写の好田タクト氏を迎えてソロライブ。吉祥寺スターパイン
ズカフェでは通算11回目になる。ちょっと長くなったのが玉にキズ。私の演
じた内容が観客のニーズに応えているのかどうかは定かではない。出来の良
し悪しはともかく、お客の満足度は次回の動員で判断する。お客が面白いと
思えばまた来るだろうし、がっかりすれば二度と来ない。
 東京でのソロライブ、12年積み重ねて、観客動員の記録を塗りかえる。
もう次は上野広小路亭で十分だ。

 東京でのソロライブの開演前BGM等をまとめてみた。→
資料


2007年2月19日 (月) ♪昭和の銀次

 常磐線にグリーン車登場、とともにあのオンボロ電車は消える運命だとい
う。南関東から北の関東へ、一線を越える時、車内の灯りが一瞬消える、あ
の焦げくさい、薄暗い電車がだ。手軽に場末感の味わえるのが常磐線のいい
ところだったのに。ジャンバー姿とワンカップがサマになる。床には、車内
で煙草を吸えた時代の名残の焦げあとが、点々と残っている。
 以前は上野を後に、常磐線なら土浦、東北線なら小山を過ぎると禁煙区間
は終わり。聞いた話によると、高崎線で埼玉県北へ通う愛煙家の工業高校生
も、禁煙区間の熊谷まではお行儀よく煙草を我慢していたという。JTのマ
ナーキャンペーンで紹介したい、いい話である。
 それにしても、JR東日本のラクして金儲け、には閉口である。グリーン
車分が増えるわけではないのだ。普通車の一部が有料の座席に置き換わるの
だ。座りたきゃカネ払え、という構図はどうにもいやらしい。だいいち、常
磐線にグリーン車は似合わない。
 今どき、地方に行っても、高校生あたりは標準語で会話していてがっかり
するが、水戸から上野へ向かう常磐線のボックスシート、乗り合わせた2人
の女子高生は、茨城なまり、北関東特有のイントネーションだった。田舎く
ささにほっとした。逆に国境越えて北側にゆくと堅い調子になるのが……。


2007年2月24日 (土) 私は有島一郎になりたい

「君も出世ができる」という、かつて東宝映画が大金をかけながら、散々な
評判に終わったミュージカルコメディがある。主演にフランキー堺、相棒に
高島忠夫、ヒロインに雪村いづみと中尾ミエ、脇を益田喜頓、有島一郎らが
固める。谷川俊太郎と黛敏郎のコンビで曲を作っている。
 中学生の頃に日曜午後のテレビで観て以来、劇場で通算4回目の観賞を、
下北沢のシネマアートンにて。今見ると非常にモダンであるが、公開当時は
盆踊りミュージカルと揶揄されたという。1964年というから、日本でも
「ウエストサイド物語」が公開された後なので、精一杯背伸びした和製ミュ
ージカルが、古くさいものに見えてしまったのは、想像に難くない。しかし、
普段、のべつMGMの古いミュージカル映画を観ている身には、たまらない
のである。
 ピチカートファイブもカバーしている、「アメリカでは」というプロダク
ションナンバーは何度観ても鳥肌が立つ。歌い踊る女性達も現代では大変な
芋娘なのだが、それをさしひいても、そのシーンの華々しさに涙腺がゆるむ。
ハリウッドの真似といえば真似なんだけれども。最後のダンスシーンがしょ
ぼいのが惜しいところだが、全体にフランキー堺の達者さを満喫できる。そ
してそれ以上にさ、有島一郎のさ、ヒョウキンさにさ、めろめろだわさ。
 3月2日まで。16:10の1回。


2007年2月26日 (月) 今カラデモ遲クナイカラ映画館ヘ

 一昨日の日記には非常にあざとい文章を書いてしまったと反省しつつ、
ネマアートン
の客席で「雲の上団五郎一座」をただただにこにこと観る。映
画についての解説は省略。三木のり平、八波むと志、由利徹の源冶店の舞台
の客になれる幸せ。引き続き、「雲の上〜」では埋もれていた、フランキー
堺の魅力があふれんばかりの「君も出世ができる」。


2007年2月忘日 2月の巻頭言特集

・東コクバル……なんか中東の分断国家みたい
・ソナタをわすれない、でしょ、韓国青年なんだから
・ゴディバ葛飾区亀有公園前派出所
・NASAのがばいねえちゃん<成人用オムツ着用で恋敵を追いかける>
・こいつァ春から審議がねえわえ<野党審議拒否続く>
・閣僚は失言を産む機械ですから。<柳沢厚生労働大臣発言禍>
・他力本願寺派


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2007年3月

2007年3月5日 (月) めんご!

 信号トラブルで、乗った山手線が大塚駅で小休止。JR東日本では、「深
くお詫び申上げます、申し訳ございません。」という謝罪コメントがマニュ
アル化されている、というより義務化されているようで、電車が遅延するた
びに、車掌や駅員の口からくり返される。昨年あたりからだと記憶するのだ
が、実に無駄で不快である。遅れについて、たいして気にしていない時でも、
その、気のないコメントに対して腹の虫が暴れ出す。
 何に腹を立てているのか、を理解されないままに、まあこのくらい謝って
おけばいいだろう、という気持ちが透けて見えると、立腹している側は、よ
り気分を害してゆく。「おふくろさん」という歌が歌い手の物か、作り手の
物か、聞く側の物か、それはなんともいえないが、作者の気持ちを尊重しな
いなら、クレームがきても放っておけばいいだけの話である。
 それはそうと、川内康範原作の「月光仮面」。私にとっては、後にテレビ
アニメーション化されたものを先に体験しているので、主題歌は童謡調の近
藤よし子版よりも、近代的にアレンジされた「月光仮面は誰でしょう」の方
がなじみ深い。歌詞はそのままに、曲は全く変えられているのだが、なかな
か恰好よく、前半のマイナー調の部分の、フルートがいい味を出している。
これが残念なことに、カラオケのリストにないのである。勝手にメロディ変
えて、渦中の先生の怒りを買ったか。


2007年3月6日 (火) 埼玉銘菓 充満毒まんぢゅう

 未明に、当サイト巻頭のカウンターが100000を突破。一気に何かを
吐き出したような、正月を迎えてしまったような、白っぽい気持ちになる。
今後も引き続きの御愛顧を。


2007年3月7日 (水) 都知事は娼婦のように

 エスカレートする金属盗難。売却先は、北京オリンピックで建設ラッシュ
の中国とか。となると、海外への流出を防ぐためには、東京オリンピックの
招致が不可欠か。根こそぎ金属を持っていかれて、かわりに大陸からは砂が
飛んでくるという、実に情けない話である。せめてメダルで取り返したいも
のである。
 あとは、姉歯元建築士を中国に派遣して、鉄筋の少ない建て方を広めるの
が急務である。


2007年3月9日 (金) ショーマスト轟音

 井の頭線は、冬から春の陽射しの似合うおだやかな印象の電車である。こ
の時勢、盗まれそうなステンレスの車体が、斜光を上品にはね返す。その電
車が下半身をあらわにして、手の届きそうな頭の上を轟音とともに通り過ぎ
る。いびつに歴史の刻まれた下北沢駅小田急下りホーム。屋根を支える古レ
ールには、TENNESSEE 1923の銘。
 梅が丘へ練習にゆく前に、シネマアートンでフランキー堺主演「こわしや
甚六」を観る。昼は総務課の昼行灯、夜は別の顔、というおなじみの設定。
原作は昨日観た「ラーメン大使」と同じ花登筐だが、こっちの方が設定が荒
唐無稽な分面白い。共同脚本に森崎東の名。若き日のナンセンストリオも出
演、この時点では共演の菅原文太と、さほど役に差はない。
 いよいよ明日、カラフルロスタイムショー第3回、主催の「ざぶとん亭」
のサイトを見たら、すでに終わったかのように、先のことしか案内していな
い。昔にひたってる場合じゃないな。


2007年3月10日 (土) 3・3・3、それが東京タワー

「ざぶとん亭風流企画」主催の寒空はだかカラフルロスタイムショー、むか
えて第3回。柳家喬太郎師匠とポカスカジャンとの三つ巴。マッチメイクの
妙もあってか、オープニングから沸点に達していた客席に出演者もテンショ
ン上がったまま、フィナーレまで笑いの波が、時折悲鳴をまじえながら、途
切れず続いたのであった。
 実際、窮屈に詰込まれたお客は、決して快適な環境にはない。主催のざぶ
とん亭一家と、その意気に感じたお手伝い有志によって作られる「家内制手
興行」だから、至らぬ点もあろう。しかし、見る人見られる人、そして見せ
る人の熱が三見一体、観客と出演者と主催者がみんなニコニコと、一夜限り
で消え去る幻に酔う奇跡。幸せな時間を過ごさせてもらった。


2007年3月13日 (火) やっぱりDHC8-Q400だね。

 あつあつあつあつー、と関西の人々は、画面の火花を見ながら思っていた
ことだろう。高知、DHC8-Q400の胴体着陸。腹ではなくてアゴ着陸だった
けれども。
 10年ほど前か、プロペラ機に乗りたいがために、高知からの帰路、わざ
わざ大阪行に変更して、YS11で飛んだことがある。低空で夜の大阪市内に
進入し、夜景にうっとりしながら大阪城をすぐそこに見て、伊丹空港に到着
した。遠回りして余計な出費になるから、多分、東京へは夜行バスかなんか
を使ったと記憶する。無事アシが出てなにより。


2007年3月16日 (金) さくらと寅んく

 東京に史上最も遅い、待ちに待った初雪。のニュースに続いて堀江貴文実
刑判決の報。有罪無罪、どちらにしてもホウテイ内のできごと。雪はわずか
に街に舞った程度、昼過ぎに外へ出ると、降った痕跡はまったくないが、空
気は冬である。
 下北沢の古道具「あんてぃかーゆ」の店先で、ちょいと趣味の悪いトラン
クが目に止まる。中古のトランクは、一見きれいな物でも、実際に使い出す
と、すぐあちこちが痛み出してダメになる。把手が、蝶番が、角が、留め金
が。大きいほど重みもかかるから痛みも早くなる。ボール紙のトランクだが、
小振りで状態も良いので、しばし逡巡。緑色に塗られているのが難だが、ちょ
うどカバンを探していたところなので、安さも手伝って購入。
 シネマアートンのフランキー堺特集も今日が最終日。最終プログラムで唯
一見逃していた「僕は三人前」を見終わった後、北口にまわって一番街をぶ
らついていたら、橘寿司の大将から桜の枝を頂戴する。つぼみがほんの少し
開きかけている。自慢気に携えて歩き出したが、まるでどこからか勝手に折っ
てきたようにしか見えない。買ったばかりの空のトランク、はじめの荷物に
なる。赤いセーターに緑のトランクというクリスマスカラーは季節外れだけ
れど、中身は春の便りだ。


2007年3月21日 (水) 尾州尾州と人馬は進む

 経費節減の為に、JRのハイウェイバスで行くか、鈍行で行くか、名古屋
行きの方法を迷ったあげく、まずは東京駅で決めようと高速バス乗り場をの
ぞいてみると、たいして混んでいないようだ。大荷物だから、乗り換え無し
のバスのほうが良い、と路銀をケチったのが運の尽き。たいして道は混んで
いないが、ずるずる遅れるJRバス。最近、時間通りに走ったためしがない。
極め付きは、東名大和バス停から事故渋滞。3キロを1時間半かかって、東
名厚木の事故現場を通り過ぎる。クラブツーリズムのバスがからんだ4重衝
突、軽自動車がぺしゃんこになっている。ほんの3分早ければ、つまり定時
運行ならば渋滞にかからなかった、か、事故の当事者だったことになる。
 余裕を持って出ていたからライブに支障はないが、その後もだらしなくバ
スは遅れて、千種駅に1時間50分遅れで到着。今池のTOKUZOまで歩いても
5分くらいだ。
 結局予定どおりの会場入り、気分よく2時間のステージを務める。おおむ
ね好評の様子。なかなか予定が合わなかった劇作家の佃典彦さんが客席に。
もはや来られない、ということが当たり前になっていた人に見てもらえるの
はとても嬉しいが、なんだか要石をはずしてしまったような気分である。久
しぶりに名古屋の主、かっつあんと呑む。


2007年3月22日 (木) 浪速で波にのる

 ソロライブのアンケートに答えてもらったお客には、礼状を出すことにし
ているのだが、これが毎回どんどん遅くなっていて、前回の名古屋(昨年11
月)の分が、ついに年越し。あろうことか、昨日の前日にぎりぎり届くとい
うていたらく。あまりに情けないので一念発起、今回の名古屋の礼状を、一
昨日、時間をぬってプリントゴッコで作成。大阪へ向かう近鉄特急の車内で、
せっせと宛名を書いて切手を貼る。鶴橋を過ぎて地下に入るころようやく完
成、直後に終点難波駅のホームにすべりこむ。通天閣の描かれた消印で旅先
からの便り、どうだ。2月の東京の礼状は、今しばらく忘れてほしい。
 中崎町のコモンカフェにて、オレペコ企画主催の会。なかなか波に乗れな
い京都・大阪の寒空はだかの舞台で、久しぶりにテンポのよい時間が流れる。
対バンに、Gadgetというブルージーなジャグバンド。ハーモニカにウォッ
シュボードにコントラバスにギター。これがとても気持ちよい。白塗り舞踏
のデカルコ・マリーさんを途中に加えるのだが、そのダンス、一見滑稽なな
かに、なぜかぐっときて涙がつたいそうになるも、思い直す。こぢんまりと
した会場で、素敵な会になった。


2007年3月23日 (金) 大阪日和

 大阪駅前のロッカーに荷物を預けて、通天閣のお膝元へ。ジャンジャン横
丁のいづみ食堂で「名物シチュー」の玉子入りを食べ、千成亭でホットコー
ヒー。うらぶれた店構えに惹かれて入ったいづみ食堂、シチューといっても
とろみのない、ごった煮のお汁だが、玉ねぎと肉とじゃがいもが煮込まれて、
これはこれで滋味。千成亭は、谷中カヤバコーヒーの大阪版と言ったところ
で、店内もウェイトレスもお客も飴色に歴史を重ねている。古い味のコーヒ
ーにほっとする。がらんとしたきれいな廃虚「フェスティバルゲート」の上
空を、幻のようにジェットコースターが走り抜ける。まだ営業しているのか。
 正午、カンを頼りにたどり着いた飛田新地、話に聞いた通りの異次元の世
界をじっと観察する肝っ玉なく、緑のトランクを振って、風のように横断。
 天王寺からがらがら唸るチンチン電車に揺られ、住吉大社の鳥居前で折返
し、大阪市街地のへりを走る忘れられた電車で汐見橋終点へ。道頓堀界隈散
策、久々に寄った生ジュースのエイトはシャッターが下りている、マスター
=がんこ爺はいかに。角座のプログラムにナオユキさんの名前を見つけるも
すでに出番の後。難波、重亭のオムライス、少々疲れたからだには重かった。
 夜、肥後橋、朝日新聞のリサイタルホール、桂雀三郎師匠の独演会の楽屋
に、助演の出丸師匠を訪ねる。舞台袖の棚には新婚さんいらっしゃいの備品。
上方落語は鳴り物が入るので袖はにぎやかである。雀三郎師、一席は枝雀師
匠の出囃子だった。出丸師に気を使っていただき、打上に参加させてもらう。
かの、歌に歌われし正宗屋。酒臭くならないよう軽く呑んで、大阪駅発23時
50分、東京行の終バスで浪速の街を後にする。


2007年3月24日 (土) バスは順調、舞台はエンコ

 3列シートとはいえ狭い寝床だが熟睡、JRの老舗夜行バス・ドリーム号
は順調に走って、朝8時すぎに終点東京駅日本橋口に到着。平日なら渋滞に
巻き込まれるところだが、土曜日の都心は空いている。
 そのまま浅草に向かって時間をつぶそうかとも考えたが、いったん千駄木
の自宅に帰って旅の荷をほどく。身軽ないでたちで、あらためて東洋館へ。
 ひと月ぶりの演芸場、一昨日までの客筋とは全く違うが、勝手知ったるい
つもの舞台、入りも上々、幕開き3本目、軽くやっつけて、と思ったところ
がなかなか手強い。呼吸の合わないまま、坂本九の真似はこちらがノリきれ
ず、いらぬ汗をかく。不二家ネタ、賞味期限に難ありとはいえ、こんなに食
いつかないお客も初めてである。楽屋に戻ると、旅の疲れがどっとのしかかっ
てきた。


2007年3月忘日 3月の巻頭言特集

およびでない、まだお迎えは。<植木等さん死去>
東京五輪より小山ゆうえんちの復活を。<桜金造さん都知事選出馬>
やっぱりDHC9-Q400だね。<高知空港胴体着陸>
カネになる金属 <華麗なる一族/金属盗難あいつぐ>


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2007年4月

2007年4月7日 (土) 感傷亭可楽

 ♪草加北谷の学び舎に、日ごと新し朝の風
  強く伸びよう花の子われら、ひとりひとりを空が呼ぶ(以上1番の歌詞)
 わが思い出の母校、草加市立北谷小学校、齢を私と同じくしながらも児童
数の減少により余命わずか。3番の歌詞は「草加北谷の灯し火は道を照らし
て暖かく……」とあるが、風前の灯だ。休校日なので、門は鎖錠されていて
中へは入れないが、フェンス越しにそびえるコンクリの二階建て校舎は、す
でに廃墟のように古びている。満開を過ぎて少々みすぼらしくなったとはい
え、まだボリュームのある桜の木が校舎の疲れを必死に隠そうと、かばうよ
うにふんばっている。老夫婦の如き校舎と櫻だ、春休み中で誰も来ないと見
えて、土の上は一面に花びらが敷き詰められてこちらは見事だ。体育館には
週明けの入学式に向けて、紅白幕が張られている。校庭裏へ回ると、3人の
少年達が野球をしている。門は締めてあっても乗り越えて遊びに入る、たく
ましき後輩たちに安心する。
 3番まで歌っても1分で終わるアップテンポで軽快な校歌、私の好きな歌
の5本の指に入る。


2007年4月9日 (月) 逃避行ガイドブック

 霧雨に煙る山峡の小駅に降り立ったのは、たまたま乗った列車がその駅止
まりだったからである。
 大糸線平岩駅。日本海側の糸魚川から、その名と裏腹にお転婆な姫川に沿っ
て、山に分け入るローカル線。途中、客車1両分はあろうかという巨岩が川
中にどんと座っていて、川上から流れてきたにせよ山の上から落ちてきたに
せよ、この路線がしばしば水害に泣かされてきたのもうなずける。
 私とお婆さん1人を降ろし、たった1両、濃紺とクリーム色に塗り分けら
れた老ディーゼルカーは、汽笛一声も鳴らさずに、元来た道をお客ゼロで下っ
ていった。夕5時半、谷間にわずかに開けた集落のはずれ、濡れたホームが
ひっそりと夜を待っている。この先へ山越えの、次の列車まで40分。
 「姫川温泉300m」の看板、谷を渡った向こうに、ゴーストタウンのよう
に静まり返った温泉街。2軒の旅館に灯はついているが、人影はなく、がら
んとしたロビーが見える。スリッパだけが整然と客を待っている。その先に、
姫川観光ホテルという廃虚。展望大浴場らしきガラス張りのフロアが張り出
した、堂々とした造りが往時を偲ばせるが、後ろは雪か落石かで押しつぶさ
れている。裏の火の見やぐらの半鐘は無事であった。
 愛の逃避行は姫川温泉にしよう。……公表しては逃避行にならないか。遠
くからダム放流のアナウンスが聞こえてきた。


2007年4月16日 (月) おカネの袋だけに、アシがつきます

「袋だけで、御祝儀の不払いが多かったんですよ。」
これから私への御祝儀は、ナントカ還元水名義でお願いする。


2007年4月23日 (月) 泡沫芸人の歯ぎしり

 統一地方選終了、まあいろいろ思うところもあるが、結局、正論をここで
述べても、たいして面白くないのである。かといって、東洋館でウケル話で
もない。ただ、落選しても夕張にカネを出したら、羽柴秀吉氏は偉い。さて
問題、選挙終了とともに、全国で大量にゴミと化すポスター掲示板、その行
方は、いかに。


2007年4月24日 (火) 追悼

 知らない人から電話がかかってきた。よく知っている人の家族だった。
 お客でありまた友人、会の手伝いをしてもらったこともある人の訃報を、
死後しばらくたってから知らされる。自動的に心のブレーカーが落ちて、
感情の波が遮断される。誰にもさよならを言えずに急な旅立ちだったらし
い。音信不通を無事のしるし、と思いこもうとしていたが、現実は容赦な
い。しかし、具体的に死を目の当たりにしたわけではないから、信じない
ことにする。
 いつも仕事に持っていっている、とある物が形見の品になってしまった。
 元気いいぞうさんの素敵なフレーズ、「元気じゃなくても元気でいてね」。
久しく会わない人達に、いつもそう思っている。


2007年4月26日 (木) 気負い超、ホール

 なんだか、楽屋にも客席にもビッグネームがひしめく会場。主催者に請わ
れて、というより気を使ってもらってか前説として幕前に立つ。必要とされ
ているのは爆笑ではなくて、小粋な導入部だ。
 無事終えて、楽屋の通路にあった椅子に腰掛け一息、たいした仕事量では
ないが、どっと疲れが出て膝に手を置きうなだれていると、通りがかった主
役が上から私の両肩に手を置いて、一言。「始終疲れている」と、今日も高
座で冗談の種にされている某師匠があの枯れた口調で一言、「元気出して〜。」


2007年4月30日 (月) 月末大安売り

 夏日になったが、さわやかに晴れた休日、浅草も大にぎわいだ。本日の浅
草東洋館は、定席でない、劇場主催の特選会、招待券が使えないにもかかわ
らず超満員。入替えなしで夜9時までやるという。定席同様、売り上げで変
動する「ワリ」という歩合制の出演料、後日支払いなのだが、これだけ現金
客が入っても、多分、同じくらいの金額なのである。出演者が多過ぎる、サ
ービス過剰だ。
 13時25分から15分、そつなく笑いをとってオアトと交替。終わってすぐ
帰ってもかまわないのだが、久しぶりに会う人もいたりするので、だらだら
と舞台裏にいる。そうなると、楽屋を出る体力が消耗してゆく。
 夜は中野の、クラブイベント出演。23時頃から15分くらい。段取りがい
い加減なのは、この種の会にありがちだからまわないが、もういい加減待ち
疲れたところに、私の出番前に飛入りで若いボイスパフォーマー出演。スゴ
腕だから、会場は熱狂。いいものを見せてもらったが後に出る者はたまらな
い。己のプライドを守るために奮い立つ寒空はだか、結果的に大いに盛り上
がる。かといって、チカラが入ってないように見せながら観客をうならせる
ところが見所である。


2007年4月忘日 4月の巻頭言特集

あなたの保険金の支払いは安くできます。<生保各社保険金不払い>
♪その梅をもいでゆけ


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2007年5月

2007年5月2日 (水) 高校野球特待生制度問題

 プロ高校野球と、アマ高校野球に分ければ良い。


2007年5月3日 (木) ♪古いとか新しいとかしゃらくさいことさ(忌野清志郎)

 憲法が時代に合わないのではない、憲法に時代を合わすのである。
 誰がどう作ったかなど問題ではない。例えば殺人犯が詠んだ詩だって、良
いものは良い。


2007年5月5日 (土・祝) 端午の

 銭湯へ行くと、壁を隔てた女湯から、思い思いのパンツを自慢しあう声が。
……菖蒲パンツだ。


2007年5月7日 (月) 無理コレクション

 収集癖というものがなくはないのだが、いかんせん、収納スペースの問題
と、生来の根気のなさで、他人に自慢できるようなコレクションというもの
が私にはない。写真を撮ることすらあきらめている。
 捨てられずにとってある、というガラクタは色々あるけれど、コレクショ
ンというほどまとまっていないのであって、しかも分散してあちこちに埋も
れている。貴重な遺産でも、発掘されなければ意味がない。
 とうじ魔とうじさんの、「領収印アート展」を見に行く。要は公共料金の
払込書を、わざわざ各地の金融機関に赴いて、領収スタンプを押してもらっ
たコレクション展である。もちろん、領収印の意匠などというものはビジネ
スライクなものであって、華やかさというものは少しもない。まず世の中か
らはズレた熱意である。
 しかしながら、わざわざDMを出すのに、差出し局の消印を選んで出しに
行く私にはたまらない仕業だ。とうじ魔さんは、強盗のあった郵便局や、汚
職に絡んだ銀行に行って、そのスタンプ楽しんでいる。きっかけは、支払い
というものを楽しくする、アートと実益を兼ねるため、という。
 外苑前MILCOにて12日まで。→とうじ魔とうじサイト


2007年5月14日 (月) アメ式にてやんでい

 ラドン、アンギラス、といえば……、ふふ、E・H・エリックなのである。
 日劇ミュージックホール、というのは書物でしか知らないのであって、そ
の文章によれば非常に洗練されたショーが行われていたという。推察するし
かないけれど、全盛期に私が観る機会を得ていれば、それなりに憧れたので
あろう。
 かつてラジオ深夜便から録音したとおぼしきテープに、日劇M・Hで演じ
られていた、南道郎とE・H・エリックのコントが入っている。そのコンビ
で撮った映画をラピュタ阿佐ヶ谷で観賞。「東京よいとこ」と「東京のテキ
サス人」の2本立、ともに1957年東宝(東京映画)。エリックのインチキ
外人ぶりが非常にキュート。南のカタコト未満の英語もどき、かみあわない
エリックとのズレた会話が絶妙である。
 「東京よいとこ」で、ギャングのボスとうりふたつである故に事件にまき
こまれる、ハワイから来た野球選手、彼の名前がウイリアム・ラドン、入団
先が東京アンギラス、という東宝ならではのシャレ。ラストシーン、相手チ
ームのキャッチャーがマスクをはずすと、なんと森繁久彌。アンギラスの監
督は野球解説でおなじみ、ものまねの定番・小西得郎、敗戦後のインタビュ
ーシーンで、本物の小西節を初めて聞く。ちなみに、はじめて聞いたものま
ねされる小西得郎は「巨人の星」の第1回、星飛雄馬のクラスメートが真似
するものであった。巨人の星では、「帰ってきたヨッパライ」を鼻歌で歌う
飛雄馬、というシーンもあったが……、まったく関係ない話になって失敬。


2007年5月17日 (木) 発砲ふさがり[長久手家族人質たてこもり発砲事件]

 なんでこんな国になっちゃったんだろう、ではないのだ。なんでこんな国
にしちゃったんだろう、そう言わないかぎり良くなりはしないのである。
 先日の報道ステーション、新教育法案の話題、解説者が「よくわかりませ
んけどね、」と話しはじめてあぜんとする。皮肉だとしても、わからないと
言うくらいなら解説者なんかいらない。

 自宅にたてこもる、というのは「ひきこもる」というのが正しいのではな
いか。いや、拳銃を撃つというのは、内にこもっているわけでもないから、
こもる、自体まちがいである。外に開いている。
 気が立っている犯人を静めて、寝かせてしまうような、アロマテラピーの
ようなものはないものか。……、ああ、それを毒ガスというのか。くさるほ
ど行われてきた犯人説得コント、新しい名案を思いつくのは大変だと痛感。


2007年5月18日 (金) 路地裏の中年

 打合せで原宿へ。終わって夜の原宿の街を散策。私は捜し物が下手なので、
見つからない店があると、すぐ、なくなってしまったと勘違いして嘆くこと
がよくあるのだが、竹下通りの喧噪を他人事のように静かに見下ろしていた
古い喫茶店は、どうやら本当にやめてしまったらしい。2往復して、それら
しい痕跡を発見する。
 隠田界隈の変容ぶりに、「驚いても仕方ない」と思いつつ、ペニーレーン
の路地を入ると、突き当りの一角が暗い空、更地になって、渋谷マークシティ
のてっぺんが、囲い越しに首を伸ばして見下ろしている。空き地の広さに驚
く。私の知っているペニーレーンは、吉田拓郎が「ペニーレーンへはもう行
かないよォ」と歌った20数年前の色あせたその店。フォーライフのノベル
ティショップになって、週末だけ行われるバラエティライブのスタッフをやっ
ていた。今は餃子屋になって、行列ができている。並びの元ライムライトが
ペニーレーンの看板を掲げて、今晩は永井龍雲ライブとボードを出している。
 時移りすっかり賑やかになってしまったその路地、向かいに当時あった汚
い呑み屋「まつしま」の名残もないが、わびしい路地に響いていたけたたま
しい名物ママの笑い声は、今も脳裏にこびりついている。


2007年5月21日 (月) 足があって一安心

 今日は出番のない前田隣師匠が、東洋館の舞台を通りがかる。楽屋でも舞
台袖でもなく、私の喋っている舞台の後ろを。悠然としれっと通り抜ける。
寄席だの演芸場だのにはそういうシャレがあるのである。気の効いた受けを
とれず、はがゆい思い。
 ああ、おどろいた。霊魂が、お別れを言いに来たのかと思った。


2007年5月24日 (木) SteAl Partners

 ハゲタカファンド、アデランスつけたら禿げ鷹でなくなるか。
 東洋館の楽屋で、三遊亭好太郎師匠に、次回の独演会の出演を頂戴。その
後、自宅で立て続けに3本、出演依頼の電話を受ける。正直言うと、電話の
内容には気乗りのしないものもあったのだが、スケジュールは空いていたし、
これは受ける流れだと思って、全て引き受ける。
 本夕発売の日刊ゲンダイ(25日付け)のイベント欄に写真入りで、27日
のカラフルロスタイムショーの告知記事が載る。ハダカ情報のコーナーでな
くて安心。


2007年5月27日 (日) 天気晴朗なれどもハードル高し

 今回、4回目のカラフルロスタイムショーを開催するにあたって、第1回
のビデオを見直して頭をかかえてしまった。面白いのである。トータルで良
い会だっただけでなく、寒空はだかのネタが面白いではないか。腹をかかえ
てしまった。毎回、聞こえてくる評判は良い、このクオリティを保たねばな
らないのかと思うと気が重い。ひとり、部屋で膝をかかえて天井を仰ぐ。
 うっかり予定を入れてしまった、東洋館昼席の舞台をこなして、六本木・
SuperDeluxeへ。前日の結婚式の司会でかなりエネルギーを消耗している
はずだが、エンジン回りっぱなしで本番突入。
 今宵のゲストは、落語界の鉄腕ダッシュこと林家彦いち師匠、自ら長野に
畑を持って耕すは、ユーコン川下りはするは、その上、落語ができる。もう
一組は、通称やる気のないダースベイダーのテーマでおなじみ、いまやテレ
ビ音効さんの恋人、世界3大カルテットの一つ、栗コーダーカルテット(あ
と二つはMJQと玉川カルテット)。
 ウエルカム演奏のMICABOX+高遠彩子さんに続き、ホスト役の寒空はだか
登場に万来の拍手、観衆の歓迎に甘えて、言いたい放題。狂喜の一夜の幕が
開いたのであった。


2007年5月31日 (木) 5月の思い出

 会津若松の高校生の母親殺人。自首というのは、自分の首と書いて自首で
ある。親の首を持ってゆくとは情けない。会津の17歳、白虎隊は遠くなり
にけり。
 そこへゆくと、自ら己の首をくくった還元水大臣、さすがは適切な処置が
口癖の方である。ただ、首くくる前に、腹をくくればよかったのだ。遺書が
数通出てきたそうだが、それより領収書を出すべきであった。テレビニュー
スでどこかの議員が、同情する文脈で「死人に口なしですから」と大きく間
違った使い方をしていた、それでは貴方が口封じをしたと思われても仕方が
ない。
 長久手町たてこもり発砲事件。警察が突入できなかった難関から、元妻は
自力で脱出してきたのである。あの人を特殊部隊に入れるべきだ。あるいは、
次の引田天功を継がせるか。
 30日お昼のNHKニュース、カンヌ受賞河瀬監督帰国の話題の直後、
「続いて株とカワセの……」と言った瞬間アナウンサー、「あ、」というニュ
アンスの微妙な動揺が感じとれてテレビの前でひとり、ほくそえむ。ちなみ
に当日、日本では下がっていた、為替。


2007年5月忘日 5月の巻頭言特集

適切な処理のできない人だ。<「適切な処理」が口癖の大臣、自害>
アデランスV.S.ハゲタカファンド<アデランス乗っ取り危機>
真実より楽しい遊園地、東スポランド<エキスポランド、コースター事故>
親の首でも自首とは身勝手な<会津若松、母殺害事件、首持参で出頭>
事故調査委員会、……自公の調査はウヤムヤ
ぶーふーうーが襲うおそれ
保守は改憲、革新が護憲、とはこれいかに。
連休の中休み


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2007年6月

2007年6月3日 (日) 「こっちとしてもつらいんだけどね」(2時間35分)

 日記というのは謝るにはふさわしいところではないけれど、次回のカラフ
ルロスタイムショーのチケットが早々に売切れてしまった。申し訳ない。
 TVドラマ、タイガー&ドラゴンのどん吉、どんつく、の共演でもあり、
垂涎の企画にもかかわらず、事前の告知を大々的にする余裕がなかったので、
不意打ちをくらった感のある方も多いと察する。つらいところである。


2007年6月6日 (水) 「あ〜りさんこわ〜いよ」

 笑いの量、という尺度で落語を評価することの是非は別にして、生涯でもっ
とも笑い転げた落語は、桂枝雀師匠演ずる「まんじゅうこわい」である。自
分の感情に関する記憶などあいまいなものだから、それ以上に笑ったことも
あるかもしれないが、すでに伝説化して、そういうことになっている。
 テレビからだったかラジオからだったか、高校生時代に録音したテープは、
当時の友人に貸したきり二十年聞いていないが、強烈に脳味噌に焼きついて
いる。
 その枝雀師のまんじゅうこわいを、スクリーンの中で再現している小学生、
映画「しゃべれどもしゃべれども」のワンシーンである。シーン本来の感動
すべき部分でなく、枝雀師そのままの高座の様子に涙する。映画の出来の良
さは、私が書くまでもない。実名で登場する浅草東洋館、映画が嘘にならな
いよう、撮影に使われた、いいマイク(ソニーのC-38)を買ってもらいた
いものである。


2007年6月17日 (日) 老後の守り

 安倍首相、年金問題に「最後の1人にいたるまで」、まるで本土決戦であ
る。進め5000万火の玉だ。
「とつごう」と言う言葉が気になったのでインターネット上で調べてみると、
案の定、突き合わせ、突合の音読みで、コンピューター業界では使われてい
るようだ。膨大なデータという敵に、竹槍で突撃する絵が、つい浮かぶ。


2007年6月21日 (木) 黙ってればいいのに

 公開日記などというものは、自慢か愚痴か言訳なのだが、今回のは懺悔で
ある。素人には手を出してはいけないものがある。先物取引だの、心臓手術
だの、落語「佃祭」だの。
 先日、私も好きなシャイな落語家、ベテランの某師匠に某打上の席で「あ
なたみたいな人が落語家になれば良かったのに」と言われて、世辞とはいえ、
とても嬉しかった。その時私が、先代、十代目金原亭馬生が好きだというと、
その師匠も目を細めていた。
 さて、その馬生師匠を好きになるきっかけになったのが、私が中学生の頃
録音した「佃祭」、軽ゥく見えて、人物の演じわけが見事。本日、これをシ
ロウトの私が人前で話すという暴挙。難しいのは重々承知していたのだが、
取り組んでみたらやはり難物。あの情緒を壊さずやるために、もう全く馬生
師匠のコピー。忠実にコピー。リズムも間もセコピー。私なりの佃祭を演じ
たいのではなくて、「佃祭を演じる馬生師匠」になりたかったのだ。
 十条竹寿司の座敷で、東京ボーイズの仲八郎師主催の「落語会」に1年ぶ
に出演。思ったより笑いが来たので安心する。助けられた若いおかみさん
役は、どうにもお粗末だが、このへんはもう仕方ない。気持ち良く話は進む。
 佃祭のサゲ(オチ)は、現代に合わないが、この「馬生の佃祭」の江戸情
緒の中では生きているので、私は嫌いではない。あえてそのまま演じ終えた
上で、オマケとして自作のサゲをアンコール。
 「五両やるから助かれ、身投げなんかするな、
  ……あ、おまえは次郎兵衛さんのおカミさん。」
 「身投げなんかしやしないよ、こうして吾妻橋で思いつめてたらさァ、
  ほんとにあの人が五両で助けてくれるか、確かめに来たンだ。」


2007年6月26日 (火) 「右は自民党から左は共産党まで、皆さん今晩は〜」

 絵の付属した、インターネットラジオに、ポカスカジャンの代演として出
演。彼らにはこちらも世話になっているから、ピンチヒッターを勤めるのは
全くかまわないが、ノンストップ1時間半とはけっこうな重荷。観客なしに、
1人でそれだけやりちらかすのはさすがに大変なので、途中から、「水中、
それは苦しい」のジョニー君とアナーキー君をゲストに入れる。
 それにしても、このインターネットラジオの存在意義はなんなのか。
 スポンサーがいないから、放送によってまとまったカネを稼げるシステム
がないのである。ファンサービス、あるいはトレーニングでやるにはボリュ
ームがありすぎる。作家もいないから、準備するにも手間と時間がかかる。
 問題点があと二つ。ナマ放送なのに、アーカイブがあって、くり返し見ら
れる点と、ラジオなのにオマケに映像がつく点。
 ナマ放送という、1回こっきりで消えてゆく前提だから許されるネタがあ
り、勢いのある空間が生まれるのである。1週間とはいえ残るものとなると、
多少は品質を気にして、ブレーキがかかる。実際は、品質無視の垂れ流しを
してきたが、再生する内容ではない。これは面白いかどうかとは別問題だ。
 ラジオという音声のみで成り立つ、豊かな世界に中途半端に映像がつくこ
とによって、つまらなくなる場合もあるのだ。カメラを意識すればそれなり
に動かざるを得ないが、それについてくる音響設備ではない。
 やるからには、面白くなければならないから厄介である。誰が見てるかわ
からない。マイナスイメージだけ全世界に発信するわけにもゆかぬ。
 今回、私の労働の対価を得るために、シャレでカンパ先の銀行口座のボー
ドを作りながら、告知を忘れた。結果的には私は楽しかったが、このままで
は趣味である。なにかカネにする方法を考えよう。
 ジョニー君の労働の対価がわりに、終了後そのまま、今度は彼のインター
ネットTVの収録にゲスト出演、終電近い電車で青山から高円寺へ向かう。


2007年6月29日 (金) ドラえもんを信じておりますので

 国会会期延長したものの、今晩遅く(明日未明)に、おおかたの決着がつ
くそうである。ならば、もう一度戻したらなお混乱を承知で、残り日程で投
票日を22日に戻せるような、法案を審議してはいかがか。
 NHKテレビ、お昼のニュースの登坂アナウンサー、髪が急に白くなった
ことが、一部で話題になっている。ある日突然、ソフトバンクCMのホワイ
ト家族に登場か。
 近づく北京オリンピック、当然、ニセの大会が同時に行われることになる
が、薬物は無論オーケー。
 ミートホープ社、息子の専務に「その間、あなたは何をしていたんですか」
と記者が質問、何もしてなかったと答えていたが、模範回答は、「あいびき」。


2007年6月忘日 6月の巻頭言特集

♪肉にかわりがあるじゃなし混ぜてしまえばみな同じ<ミートホープ>
♪迷子の迷子の国民年金ちゃん、あなたの記録はどこですか
記録にございません。<宙に浮く年金記録>
参院選のショー点「安倍ちゃんの一枚とれ」
わかっちゃいるけどやりたかねえ。
政治とマネの問題(桜井長一郎師)
週刊謝罪コレクション ディアゴスティーニから


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2007年7月

2007年7月3日 (火) 辞任党

 久間防衛大臣(これを書いている時点ではまだ現職)の背中に、安倍首相、
「おバカさん」と貼り紙。


【後日記】原爆発言で辞任。同日のニュースに「教師が生徒の背中に『おバカ
さん』と貼って問題化。」


2007年7月5日 (木) ♪思いこんだら試練の道を

「ゆけゆけキューマ、どんと行け〜。」
 東洋館でもおなじみ、また御近所でもある三遊亭好太郎師匠の落語会にゲ
ストに呼んでもらう。久間元大臣の一件は展開が早すぎてネタが間に合わな
い。「ゆけゆけキューマ」も発表前に大臣がやめてしまったが、ここでお披
露目。
「これで、参院選で自民が惨敗した場合、『安倍内閣をやめさせるためには、
しょうがなかったのかな』と、言ってほしい。」
 お客の雰囲気は、無難に演芸場向けネタがあいそうな気がしたものの、音
楽好きの好太郎師のこと、音楽寄りの構成で舞台を降りる。少し試練の道に
なる。某有名ギタリストに、ストライプのジャケットをほめられる。


2007年7月8日 (日) カラフルロスタイムショーVOL.5 昇太&SAKEROCK

「この『キング』の軽いねえ。」
 楽屋で、春風亭昇太師匠が、SAKEROCKの浜野君とトロンボーン談義。
アンコールで吹いてもらうため、昇太師もトロンボーンを持ってきている。
「このマウスピースが吹きやすいンですよ。」
「ほんとだ。」
 カラフルロスタイムショー第5回は、主催者ざぶとん亭のミラクルブッキ
ング、TVドラマの林家亭の兄弟弟子共演(春風亭昇太/星野源)ともあっ
て、会場はぎっしり。お客さんのテンションも高い。「あんまり反応がいい
と、疲れてしょうがない」などと贅沢に思いつつ、力技で内容をつめこんで、
昇太師に舞台を渡す。濃密な空間には濃密な時間をぶつけないと、環境に笑
いが負けるのだ。本当は、飄々と見せたいところだけれど、本日はそういう
状況ではない。ゲストの組み合わせから考えて、最善の内容である。
 昇太師が、これでもか、と笑わせて格の違いを見せつけた後、SAKEROCK
のたゆたう音楽が、窮屈な空間にすきまを生んで、そこを風が流れる。
 カバーガール・高遠彩子&MICABOXから背表紙の寒空はだか「東京タワ
ーの歌」まで、1冊まるまるスペクタクル。
 次回はあがた森魚さんと清水ミチコさん、そうそう奇跡が起こってたまる
か、であるが、すでに組み合わせが奇跡的、当日を待つのが、嬉しくもあり、
怖くもありである。


2007年7月9日 (月) 「本業で食えとるのは俺ぐらいのもんだわ」

 我が家のパソコンは、お座敷パソコンであるから、畳の上に座って、壁に
もたれて画面を眺めている。昨夜の疲れで抜け殻のようになっている身、ぼ
ーっと時間がすぎてゆく。久しぶりにアズコズミック君の日記を開いたら、
伊東かおる師匠の訃報。しばし故人を偲ぶ。閉塞感ただよう、5年前の名古
屋大須演芸場で、外へ向かって発するものを感じた人。安らかに、そして、
あの世にも、名古屋弁を。
 夜、どうにか重い体を引っ張り上げて、浅草ほおずき市をひやかす。


2007年7月10日 (火) ♪花を飾って(KAMAKURA)

 大きなガラスの向うを、傘をさした人がとおりすぎる。白と茶に統一され
た喫茶「門」の店内は、卓上に置かれた、こはく色のガラス灰皿をフィルタ
ーにしたような光に包まれている。白いビニールレザー張りの低い椅子に腰
かけて、窓辺のテーブルのカップル越しに、白っぽくあせた商店街を見上げ
ている。
 鎌倉で仕事があるので、折角だからと早めに現地入りしてみたが、雨も降っ
ているし、ちょっと難物そうな客層相手なので、結局、喫茶店のハシゴをし
て、ネタの構成を考えている。
「年金、宙に浮いた、宙に浮いたって、……湘南モノレールか。」
 沈滞した空気に負けていると、入口から突然、それをうちやぶる鮮やかな
黄色にはっとする、鳩サブレの袋を携えて老夫婦が入ってきた。

 「ギターを持ってないのには、美しいいわれがあるんです。以前は持って
 たんですがね、かつて、我が家に、身分を隠した旅人が、一夜の宿を、と
 泊ったことがあるんです。当時、貧乏で、薪がなかった。そこで、家伝の
 ギターを火にくべてもてなしたことがあるんです。そこで問わず語りに言っ
 たんです。『今はこうして浪々の身ですが、いざ鎌倉、という時には、一
 番に馳せ参じようと思っているのです。』──で、今日こうして呼ばれた
 という……。」


2007年7月11日 (水) 東海大相撲

 テレビの相撲中継をよく観ていた頃、好きだった行司が木村光彦。後に光
之助から立行司・式守伊之助になった途端に定年になってしまったそうだが、
あの甲高い、ニワトリのような声が好きであった。鼻のつまった木村庄之助
(多分29代目)、「かたや、たかろはら〜、たかろはら〜、こなた、あけぼ
ろ〜、あけぼろ〜。」
 今、気になっているのが木村玉治郎。「ながっとながっと、ながながっと。」
という、独特の掛声。師匠の27代目庄之助ゆずりとのこと。
 しかしやはり、私にとって名古屋で木村庄之助といえば、役者さんなので
ある。


2007年7月14日 (土) ゴーインバックトゥチャイナ

 先日、上野はアメ横へ粗悪品を物色に行った。中国人の団体がにぎやかに
買い物を楽しんでいたが、こういうところは彼の国の方が、安くて豊富であ
ろうに。わざわざ旅先で、ふるさとのものを高いカネ出して買ってどうする。
 外資系の保険会社のガン保険のラジオCM、若い男性が元気に力強く、
「告知の度に何度でも受け取れます」と嬉しそうに言っていた。まあ、かけ
る時点ではかかってないから、お客も悲愴感ないわけだが。


2007年7月15日 (日) The secret life of Samuzora Hadaka

 日曜夜関東直撃「予定」だった台風4号は見事に肩すかし。報道系のテレ
ビ番組は口惜しそうに「それでも急に風雨が強まることもありますから」と、
必死に盛り上げようとしている。休日返上で準備したんだろうから、気持ち
はわかる。つきあいきれないので、ようやく見つけた、ダニーケイの「虹を
掴む男」のレンタルDVDを観賞。彼の達者さの見本市。
 お会いした当初、私の芸の不憫さを思ってか、「君はダニーケイを目指し
なさい」と言ったのが、特技が「癌でも死なない」前田隣師匠。師が主役の
恒例、上野広小路亭の会、札止めの盛況で無事始まったのを見届けて、横浜
のバー、Buddyへ。浅間下の交差点で親しまれたアメリカンスタイルのこの
店、まもなくマンション建設の為、移転。私は10年程前、ギターデュオ、
エージ&テツの新春もちつきライブに呼ばれて以来、あの日は雪だった。
 その高田エージさんと杉原テツさん、5年ぶり一夜限りの復活ライブ。解
消したのが誠に惜しいコンビ、とあらためて思ったけれども、こうして2人
寄れば、いつでもあの頃のbuddyだ。また気楽に、あの意気のあった歌声を
どこかで聴かせてくれるだろう。


2007年7月16日 (月・祝) 柏崎といえば田中角栄、昔は地盤が堅かったのに。

 ヘリコプターが、つぶれた家屋を、土砂に埋まった線路を、煙を上げる原
子力発電所の施設を、空から見下ろし、映像を送ってくる。柏崎の地震の惨
状を、山の向う側で、高みの見物をしている。地上のカメラは、目の前の獲
物が、大きな余震で崩れるのを待っている。
 渡れない橋を前に、車が右往左往している空撮、どのルートが生きている
のか、空からならわかるはずだが、例えばその橋がどこのなんという橋なの
か、当事者に必要な情報、は流されない。被災地外の視聴者の興味の為に、
ひたすら派手な映像を求めて、カメラは動き回る。もちろん、テレビの前の
私は、それを望んでいる。
 地震のメカニズムなど趣味の問題だ。そんなことに放送の時間を割くより
伝えるべき情報がある。「信越線は犀潟〜宮内間が不通」、それはどういう
意味なのか、柏崎に、陸路で入る手段はあるのか。「予知はできないんでしょ
うか?」、明日の天気が当らないのに地震の来るのがわかるものか。
 ではここで1曲、ZARDで、揺れる想い。


2007年7月17日 (火) 目は口ほどに

 六本木・防衛庁跡の東京ミッドタウンに初めて行く。
 ついでに、フジフィルムのギャラリー、「著名人60人写真展」というの
をのぞいてみる。写真家を含め役者や小説家やTVタレントや、落語家も3
名。先に撮影者の名前を見ないようにして、これは素直で良いとか、何か
「それらしいもの」を作ろうとしている、などとケチをつけたあと、作者を
確認する。やっぱりね、という悪評価に自分は満足するが、へえ、この人や
るね、という感心も多い。
 作者の才能を見透かそうとしている、非常にいやらしい見方である。そう
考えると、とても私なぞ、写真展に発表など怖くてできない、いや、頼まれ
ればするのだろうが、──もとより、カメラを持ち歩いてないから、作品自
体がないけれど──実にあざとい作品を出すに違いない。ほめてもらいたい
から。いい絵を残そうとするより、いい作品を作ろうとしてしまうタチであ
る。どうつくろっても写真には、ふだん、どこを見て、どう感じているか、
性根が写るから、自分の薄さを正直にさらすことになる。
 夜、6月に続いて、インターネットラジオの代役。ゲストに、ワハハ本舗
のパーマーイ雅晴さんと、ウクレレえいじさん、それにラジークイーンを迎
える。下準備をおろそかにした結果、自分の薄さをさらけだすハメに、私1
人いいところなし。ラジークイーンは舞台にまだ品がないけれど、腰の座っ
た感じは良い。


2007年7月18日 (水) 腋の下は密の味

 開け放った窓から、みつばちが一匹迷いこむ。刺激しなければ安心とじっ
としていると、だらりと垂れたポロシャツの袖、二の腕の裏側に、蜂の姿が
消える。間断なく聞こえる細かい羽音、脇の下にかすかな感触。口元がひき
つる。中途半端に上げたままの腕、息を殺して数十秒、ようやく無意味なこ
とに気づいたか、彼はぶぶぶ、と飛び去った。

 このところ、日記に力を入れ過ぎて荷である。明日一緒になる、好田タク
トさんのサイト
の中、「タクト通信」で、彼の半生が語られていて、軽妙な
文章で面白い。本も書いている人なので、面白いなどと紹介するのも失礼だ
し、私を賞賛している部分があるので、そこは恥ずかしいが、一読をお薦め
する。


2007年7月19日 (木) 人にきびしく

 発車チャイムの聞こえる電車内、ドアの向うに、マクドナルドの飲料カッ
プを片手に、のたのた階段を登ってくる女性。その中途半端な急ぎ方は、扉
に何か挟んで無理矢理開けさせるつもりだろうと思っていると、案の定。車
内にドリンクを突き出して、メガネをかけた顔の真ん中で扉を受ける。おそ
らく、ドリンクにダメージを与えないためには、体の正中線で挟まれるのが
バランス上良いという判断であろう。反対の手にも、袋かなんか持っている
のにちがいない。開扉しないで、5メートルくらいそのまま動き出してやっ
たほうが本人のため、ひいては社会のためである。
 わがままのせいで怪我をしようが死のうがかまわないが、電車が遅れれば
迷惑だ。第一、せめて駆け込め。風采の上がらない、20代くらいの女性は、
私の、ドアを挟んだ斜め向い側の座席に腰を降ろして、顔色も変えずにスト
ローで液体を吸っている。強そうな奴ではないので余計腹立たしく、怒鳴り
つけてやろうかと思うも、面倒くささが勝つ。もし私がおしりかじり虫なら、
尻にかじりついてやったであろうのに。ララララ〜。


2007年7月20日 (金) 歌まね、男は丸山おさむ師、女は清水ミチコ師

 畳2枚分の大きさの扉をくぐると、天井の高い、とりとめのないホールが
広がって、胸のあたりの高揚感を抑えるため、吸い込んでいた息をゆっくり
はく。コンサート会場の開演前の晴れがましさに、久々に浸る。舞台中央に
はグランドピアノのシルエット、優雅というよりはたくましく、角度の関係
上、蒸気機関車のようにデンと構えている。
 清水ミチコさんのソロコンサート。ファンとして清水のミッチャンを楽し
む。千人の観衆が実に嬉しそうに、ミチコさんの繰り出すパンチを浴びてい
る。本人が楽しそうな様子が観客に伝わる、それがいちばんいいことである
などと、よく言われることだが、それは並み大抵のことではないのだ。特に
笑いをとることに関しては。才能という安易な言葉でくくっておかないと、
こっちが首をくくりたくなる。似ている歌声が、本当に似ていることは私が
ここに書くまでもない。その見せ方が抜群にうまいのである。
 同じ舞台を生業とする人間の立場に戻ると、こてんぱんに叩きのめされる。
が、家であらためてアルバム「リップサービス」を聴き直すと、今日はやら
なかったが、谷山浩子の声が似ていなくてほっとする。天才でも、愛以外で
処理できない部分もあるのだ。でも、谷山浩子さんのナンバーが入っている
ところが素敵なのである。もちろん、歌い方は絶妙で、くり返し聴いている
うちに、どんどん本物の方が近づいてくるのであった。


2007年7月21日 (土) タワーレコードになかったわー

 麻生外相の「アルツハイマーでもわかる」発言、たいしたことではない。
政治家には言ったことを忘れる病気がある。「そんなこと言いましたっけ」
と言えば、みんなあきらめたのだ。アルツハイマーイコール本人なら別に問
題ない。
 新宿タワーレコードに寄ったところ、私のCDが置いてないどころか、棚
に仕切り板すらなくなっていた。この店は、どんな無名の歌い手でも、扱っ
てる人はそれぞれの名前が入った見出しがあるのだ。おやおや。東京タワー
の歌のCD発売時には、ここでインストアライブもやったのに。新譜を作ら
ないとまずい。東口・紀伊國屋書店のミュージックテイトにはあるはず。


2007年7月22日 (日) 閑散、待っててちょうだいね〜

 天気は良くて浅草にはまずますの人出。にもかかわらず、東洋館演芸場は、
驚くほどさみしい客席。出始めた頃を思い出し、意気消沈。それでもお仕事、
きっちり勤めるも、要所要所の反応も薄く、どうにも盛り上がらないまま舞
台を下りる。なんだか楽屋も静かである。
 ふだん週末は混んでいる小さな喫茶店、珈琲「天国」をのぞくと、これま
た珍しく空いている。
「浅草、今日は人、少ない?」と私。
「そうでもないけど、ヒマなのよね。」とルミ姐。
まあ、そういう日もあるのだな。


2007年7月23日 (月) ♪ああ「下北」のおぼろ月

「スズナリで芝居やってるんだけど、つっても今日、らく(千秋楽)なんだ
けど」と、急な電話が昼過ぎに。久しぶりに話す嬉しい相手は、寺十吾(じ
つなしさとる)氏。いつ会って以来か、それより電話で話したことなどあっ
たか。あまりに唐突なタイミング、しかも今日はこれから下北沢に行く用事
がある。
「行く行く、何時?」「2時と7時」、どちらかといえば2時の会に来ても
らいたいからの電話だろうが、それはさすがに忙しい、終演が用事に間に合
わないかもしれない。
 緊張する打合せを終えて、ザ・スズナリに。tsumazuki no ishi公演
「犬目線/握りしめて」。いつもの不条理劇かと思いきや、疲れた現代人の
病ががちがちに詰込まれて逃げ場がないリアリティ。哀しくて哀しくて面白
い。不条理は不条理のはずなのだが、もはや現実が不条理だ。マスコミの知
らない所で、いい役者が丁寧な芝居をやっている、毎日のようにあちこちで。
東京というのは大変なところである。
 芝居がハネて街を歩けば、皆いましがたそれぞれの劇場やライブハウスか
ら出て来た人々で賑やかだ。通りがかった劇小劇場前で、丁度観客に挨拶を
していたSPIRAL MOONの秋葉正子さんがいたから、勢いで明日のチケット
を予約、ここも必ず面白い。餃子の王将の角で、カラフルロスタイムショー
の常連出演者、ハンチングをかぶって颯爽と自転車を漕ぐ「メガネの師匠」
と遭遇。秋に矢口真里と舞台の主役をはる師匠は、「また面白いことやろう
な」と言い残しシモキタの喧噪に消えて行った。


2007年7月24日 (火) 明けない梅雨は、……あったね。

 下北沢劇小劇場でマチネー(昼芝居)を見て上機嫌、外は昨日までとうっ
てかわった夏空、しかもカラッとしている。あちこち蝉便りも聞くことだし、
私は梅雨明け宣言。
 ザ・スズナリの横の坂を登ると、すぐ池ノ上の街。雑多に散らかった下北
沢の背の上は、閑静な住宅街とセピア色の商店街。しばしぶらぶらと迷子を
楽しむ。気をゆるめすぎて、ふっと記憶の糸が途切れかける。記憶喪失とは
こんな感じか。私はなぜここに、この見知らぬ街に。暑さがウルトラQへの
扉を開ける。
 くわんくわん鳴る踏切を、わらたたと銀色の電車がぐにゃりと通り過ぎる。
街全体が夏の斜光の中、黄色いフィルターにかかったようだ。まだ蝉の声は
聞こえず静かだが、夏休みともあってか、子供達や制服姿の中学生が目立つ。
古い牛乳屋、古い豆腐屋、古い文房具屋。狭い通りに古い商店が軒を列ねて
いて、現実感がない。なんだかこの街から出られなくなる恐怖を楽しんでい
る。


2007年7月26日 (木) 貧乏花火

 南新宿、北品川、北池袋、私鉄のターミナルのすぐ次に、閑散とした、地
味で陰気な小さい駅がある。東武伊勢崎線、三遊亭円丈師匠の落語「悲しみ
は埼玉に向けて」の舞台・北千住、その隣にあるのが拘置所でおなじみ小菅
(こすげ)駅。荒川鉄橋のトラスが切れるとすぐ、上下線にはさまれて、細
いホームが高架上に吹きさらし。普段は乗降客もまばらで、ひどく淋しいこ
の駅が、年に一日賑わう日、それが足立花火大会。荒川土手に向かう見物客
が雑踏し、駅員の他、警察官まで、ホームで整理にあたる。
 貧弱な駅なのに屋根は完備しているので、蛍光灯の下だから風情もないが、
ちょっと片手間に花火を楽しむなら、このホームが便利である。カップルで
過ごす場所ではないが、合理的家族や帰宅途中の勤め客が、出口階段から離
れたところに陣取っている。打上会場に向かって大きくカーブをきっている
ので、正面に立つ2棟の小さなマンションをぬって、ちんまり花火が上がる。
 200メートルほど向こうに常磐線の線路があって、窓を明るく照らした模
型のような電車が、荒川土手へ駈け登ってゆく。いったんマンションでその
姿はとぎれるが、すぐ花火の降り注ぐ鉄橋上に躍り出る。大スペクタクルが
待つとも知らずに突っ込んでゆく様子は、まるで、その先で怪獣の暴れるの
も知らずにそこへ吸い込まれてゆく、スクリーン上の非運な電車のように見
えて、少しどきどきする。


2007年7月28日 (土) 当確の乱

 本当に参院選が盛り上がっているのか、はなはだ疑問、投票率もたいして
上がらない気がしている。テレビ各局は選挙特番にしのぎを削り、そのCM
を流しているが、視聴率を上げるなら、勝負は当確の早さではないはずだ。
なるべく視聴者をじらして引っ張るのが民放の使命だとすれば、当確を打つ
のではなく、落選確実から発表するのがスジだろう。少しずつ、結果がしぼ
られてゆくわけだ。
 見たいのは、これから大儲けする人々の万歳三唱ではない。敗者の悔し涙
だ。落ちたその翌日からその人が何をするのか。本気なら、次回は応援した
くなるではないか。


2007年7月忘日 7月の巻頭言特集

マンセーすべきところはマンセーして<首相「反省すべきところは」>
首相、「辞めない」と失言<閣僚続く失言/参院選与党惨敗>
貴方の汚れた一票を私に
事件捏造までパクらなくても<中国段ボール肉まん事件・捏造と発表>
役所じゃなくて演芸場のトイレに置いておくれ。<1万円札入封筒各地に>
久間防衛相の背中に首相、「おバカさん」と貼紙。<教師が生徒の背中に貼り紙>
キューマ危機回避。原爆使っちゃったけど。<防衛相発言問題・電撃辞任>
世界欲情 エマニエル夫人v.s.ジプシーローズ<世界陸上(8月)>


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2007年8月

2007年8月1日 (水) マンセーすべきところはマンセーして

 アカギなら、手の内は見せなくても良いから、賭けに出んか。


【後日記】事務所経費疑惑、参院選自民惨敗の戦犯といわれる赤城農水相辞
任。結局、領収書出さず。アカギ、といえば福本伸行著の麻雀漫画。
「マンセーすべきところはマンセーして」は、選挙後の安倍首相の「反省す
べきところは反省して」を頂戴。


2007年8月3日 (金) 津軽海峡夏景色

 昨日朝東京を発って、東北本線を乗継いで、青森発の夜行列車、札幌駅に
6:07着。第一の用事は札幌大通郵便局。50周年間近のテレビ塔を訪れて、
知り合いの所を突然訪問して……、とはいえまだ朝早い。喫茶店も閉まって
いるので、まんが喫茶でメールチェックを、とパソコンを立ち上げる。

Date: Thu, 02 Aug 2007 14:34:18 +0900
Subject: 8/4 12: 30〜 TBS土曜ワイド
From: "木村万里"
「スケジュールはいかが?
 木村も御一緒します。」

と、たった2行だが、明日の永六輔さんのラジオの出演のお誘い。なんとし
ても出るけれど、のんびり貧乏旅行で来ているから、用意している切符は、
鈍行列車と青森〜札幌の夜行急行しか使えない。飛行機を買い直す余裕はな
い。今すぐ引き返してもドン行では明日の昼には間に合わぬ。出費を最小限
にとどめるためところどころ特急に乗って、最終的には仙台から夜行バスに
乗ることにする。郵便局で手続をすませて、10時前には、♪上りの汽車がぴ
いぽっぽ〜。


2007年8月8日 (水) ♪マグマの人よ

♪馬鹿が1人蒸気を吹き上げて

 暦の上では立秋、でも日比谷野音では残暑爆弾、清水宏ひとり会。
 僕も行くから君も行け。


2007年8月13日 (月) シリーズ赤い焼酎

 谷中天王寺町、正緑荘。JRを見下ろす崖の上に立つ化石のようなアパー
ト。間もなく引越す、ギタリストのアタカ君を訪ねる。戦前は天王ホテルと
いう高級下宿で、かの小松崎茂さんの経歴にも登場する。
 2階建て2棟。坑口のような入口をくぐって、暗い土間の1階を進んで階
段をぎしぎしと上がる。廊下にもれるギターの音をたどると、そこが彼の六
畳間。私が譲り受けるビデオデッキの御礼にエビスビールで乾杯。電車の音
と夕風が、窓から、開け放ったドアに抜けてゆく。
 再開発の進む日暮里駅前ロータリー、いづみやにて一献。正緑荘ほどでは
ないが、歴史の染み付いた酒場である。名代「梅割り」、徳利にはいって梅
割焼酎が出てくる。小ぶりの、七角形(くらい)のガラスのコップが、また
よく似合う。以前、アタカ氏が何で割っているのか聞いたところ、「モト」
と言われたという。先日、カウンターの下に「素」と書かれた一升瓶を見つ
けたので、正にそうだったことになる。いい気になって呑むと足に来る。彼
に何度もきいた質問を、またした気がする。


2007年8月14日 (火) つゆのあとさき

 猛暑をのりきるために、そうめんのつゆが薄まらない発明、をドクター中
松氏に実現してもらいたい。私は濃いつゆが好きなので、2倍希釈用を、薄
めずに使っているのである。


2007年8月15日 (水) 血がだくだくっと出たつもり

 では、どうすれば良かったのか。どこまで遡れば、あの敗戦の惨禍を避け
る分岐点なのか。列強の植民地にされず、隣国を踏みつけにせず、戦わずし
て、末永く日本が楽しく暮らすために、どうすれば良かったのか。意地悪な
アメリカの手のひらの上とはいえ、幕引きが遅すぎたのは悲しい選択だった。
 世界中が日本だったら、あんなことにはならなかったのに。ふとそう思っ
てしまうのである。


2007年8月16日 (木) 白い恋人

 好評につき、賞味期限を延長してみました。


2007年8月21日 (火) 中華は火力強いアルね

 中華航空のB737-800、実は中国製の偽物との噂。


2007年8月22日 (水) 俺に近づくと低温ヤケドするぜ

 人間不信に陥ろうと思ったが、もともと他人を信じてないことに気づいて
あきらめる。

 古いものほど環境に優しくない、という状況はなんとかならないものか。

上戸彩「それよりなんでお兄ちゃん、ホワイト家族なのに……」

 カップ焼そばを作る時、邪念が入ると、先にソースを入れてしまう。だか
ら私に余計なことを考えさせないでおくれ。


2007年8月24日 (金) そのとき歴史が動かなかった

 新進気鋭の漫才師「ロケット団」が、彼らの会に呼んでくれて、生まれて
初めて新宿末広亭の舞台に立つ。足が震えた。


2007年8月28日 (火) 同意見多数

 では皆さんよろしいですか、せーの、
「政策の実行をめざさない内閣があるかーッ!」

【後日記】安倍改造内閣、首相自ら「政策実行内閣」と名付けた。まさか、
いきなり辞任するとは。


2007年8月忘日 8月の巻頭言特集

晋三改め安倍改三(カイゾー)、あ、これじゃカイザン<第2次安倍内閣成立>
中華航空B737、実は中国製の偽物との噂<那覇空港 Cl機爆発炎上>
好評につき賞味期限を延長しました。<石屋製菓 白い恋人>
阿久悠死すとも、ウララは死せず<甲子園開幕>
ナガトロ球団


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2007年9月

2007年9月2日 (日) その者、青き衣をまといて

「金麦で待ってる〜。」
 すまんなあ、稼ぎがなくて。いつかエビスで待たせてやるからな。

 実写版のジブリである。あのCM。


2007年9月3日 (月) ◆遠藤農水相辞任 次の次の候補も内定か

 組合長として失格なのであって、大臣としての資質に問題があったのでは
ない、という与謝野官房長官の先週の発言は正しい。つきつめると、もし殺
人犯でも仕事ができれば可となってしまうが、つまりは辞めるなら議員を、
であって、大臣は民間でもできるのである。
 誰でもできるなら当番制にしてしまえばよい。打たれる前にどんどん交代
すればよい。控えにはまだ沢山いる。
 朝青龍、横審の任命責任はいかに。


2007年9月7日 (金) ユーセイ民営化、I say no.

 地下鉄の駅に、ロゴも名前も書かれていない、というより標示の部分が上
から白い紙だかシートだかで隠されたATMがあった。下からJPゆうちょ
銀行の文字が浮き出ている。設置したばかりでまだ営業を始めていないのか
と思いきや、営業中なのである。民営化への過渡期だからといって、まった
く名無しの状態で放置しておく無神経さに腹が立つ。
 郵政民営化移行の10月1日、定額小為替の発行手数料が、1枚10円から
100円に上がる。周知させる気が全く見られないが、もともと世間の9割
9分は関係ない。
 サービスは変わらないということをうたい文句にしてはいるが、スタンダ
ードな暮らしからはずれた者は置いてゆく、ということである。あっという
間に電話ボックスが消えてゆき、携帯電話を持たないと街頭で電話ができな
くなったように。もちろん、電々公社が民営化されなくても、ケータイが普
及すれば減るのが道理だが、進化を拒む自由がないのがつらいのである。
 自然淘汰、というくらいで、進化についてゆけない者が生き残れないのが
自然の摂理とはいえ、それでは犬畜生から進化して、知恵を持った甲斐がな
いではないか。かといって仙人になる覚悟もない。ヒマがある、というのは
困ったものである。


2007年9月9日 (日) 泥、土、高砂

 大相撲9月場所、初日から横綱白鵬に土。横綱の名に泥を塗った朝青龍、
いまだ泥温泉には現れず。


2007年9月12日 (水) ひでぶ!! 安倍氏

 あべし!!
 ……もう死んでいる。

 静かなる無政府状態。ニューヨークに飛行機が突っ込むのをテレビで見て
いた時よりも、不安な気持ちでニュースを見つめる。今、いとも簡単に他国
に占領されたり、クーデターとかおきても不思議ではない。
 モンゴルに行って、ダブルレインボーを見て、心を洗ってらっしゃい。


2007年9月23日 (日) 幸子の幸はここにある

 カラフルロスタイムショー。コンクリート打ちっぱなしの四角い空間に、
低いながらもステージが組まれ、楽器が載り、主催者ざぶとん亭がこのシリ
ーズのために買った丸イスが所狭しとならべられている。スタッフ全員持ち
場について、一瞬、がらんとした空間が生まれる。
「それでは開場しまーす。」
 ホールのざわめきが伝わる、狭い楽屋で開演時間を待っているのは出演者
の清水ミチコさんとあがた森魚さん、他に著明な訪問者が三々五々現れる。
私は訪問客の顔を知っていても、あちらは知らない。華やかな様子に自分が
出演者であることを忘れそうになる。しかし鏡に写る姿は細身の黒のタキシ
ードを着こなす男、確かにお客ではない。
 壁一枚向こうでMICABOX feat. Ayako Takatoの演奏が始まる。
 もれる音が低く流れる白っぽい楽屋。銀色の水差しから水をコップに注い
でいると、「ボーイさんみたいよね。」と清水さん屈託なく微笑む。
 曲に乗って私が舞台に上がると、いきなりなりやまぬ拍手。そんなに歓迎
されても困る。鳴りやむのを待って、
「……ようこそ、…………『あがた森魚と清水ミチコの出る会』へ。」
 客席の温度差が嵐を巻き起こすラニーニャ現象、追い風に乗って独擅場。
たとえ支持率が下がって突然舞台を放り出す安倍内閣になっても、今宵これ
から登板するのは、どちらも実力者。熱気にのぼせたまま舞台をゲストに譲
る。それはもう贅沢な時間、再び出演者であることを忘れて幸せに浸る。


2007年9月27日 (木) 思いつきひろしニャー

 NHKテレビ「クローズアップ現代」によれば、流行のケータイ小説は会
話体で進んでゆくという。となれば、落語が今、再評価されているのは、会
話で物語が進んでゆく、ということとも関係ありはしないか。落語と無縁な
若い世代にこそ、フィットする素地がある。ひょっとすると、落語の形式は、
ぐるっとまわって、時代の最先端になっているのだ。


2007年9月29日 (土) 東洋館、寒空はだか登場

「……ケゲンそうな拍手をありがとうございます。
 メクリに寒空はだか、って言う名前が出てきたからどんな変わった人が出
てくるかと思ったら、意外な好青年が出て来て……。めっきり寒くなったと
ころにカゼひきそうな名前ですみません、カゼは甘く見ると死に至ることも
ありますからね、ハナかぜ、ホンコンかぜ、時津風。」


2007年9月忘日 9月の巻頭言特集

背水おじさん<福田「背水の陣」内閣成立>
あべし!!もう死んでいる。<安倍首相突然辞意>
農水大臣に週番制を導入<あいつぐ農水相交替>
横綱白鵬に土、朝青龍には泥<秋場所初日、朝青龍は泥温泉にて療養の噂>
モンゴル嘘八百<朝青龍、療養のため帰国>
リア地蔵
O型で雑な性格の台風


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2007年10月

2007年10月1日 (日) 吉野家は過疎地には作れないのだ。

 そもそも、郵便事業は、地方と貧乏人と新しいことが苦手な人のためにあっ
て、都市でバリバリ仕事をしているネット社会の住人には、民営化されても
郵便局は必要無いのである。
 テレビのインタビューでは、民営化でサービスが良くなることを期待とい
うが、現状、公社時点での利用者の不満とは何だったのか。今のところ、コ
スト削減で、我々が得をした気がしない。ポストの数が減る、郵便物の配達
スピードが落ちる、送金の手数料が上がる。電信為替の手数料を期限付きで
無料にされても、私には関係ないのだ。民営化で安くなった、早くなった、
丁寧になった、このどれかをウソでも見せてくれないと、カネかけて機構を
変える事自体が無駄に思える。
 外看板のかけかえや、窓口の札の新製にどれだけのムダなカネがかかった
のか。
 窓口の応対がソフトに、なんてことが必要なのか。大きな局でない限り、
じゅうぶんきちんとしている。コンビニエンスストアの無愛想で不器用な接
客でみんな満足してるではないか。「民間ならこの仕事量を半分の人数で…
…」というのは忙しい人のひがみであって、仕事さえ怠けないならば、人は
多いほうがいいのである。
 民営化時点でのわかりやすいメリットが見えないから言うのである。
 雨降る郵政民営化初日、一日中家にいた私は、テレビでニュースを見なが
ら苦虫をかみつぶしている。


2007年10月2日 (火) 旧カナでは、ぢょわう

 女王の読みが「じょうおう」でないことに今、初めて気づいた。なるほど、
女「じょ」、王「おう」だから、発音をどうするか別にして、「じょおう」
である。知らなかった。
 「ばいた」を売女と変換してくれる「ことえり」も、「じょうおう」では、
女王と変換されなかったため、この歳で教えられたのである。
 ありがとう、沢尻エリカ。


2007年10月5日 (金) 浅草メキシカン六区

 雷門に出る地下鉄の階段で、2人連れの年配の外人女性に呼び止められて、
「アサクサ、テンプラ」と言われたので、どこがうまいか知らないんだよな
あ、有名なところだと三定か葵丸進だけど、と3秒考えたところで、はたと
気づく。
 あ、テンプルか。
 雷門の前まで連れてゆく。メキシコから来たという、なるほどインディオ
っぽい顔。もう夜だから浅草寺行っても寂しいけど、まあラテン系の人だか
ら大丈夫だろう。


2007年10月9日 (火) 「麻薬で捕まった人ばかりじゃないの。」

 とても重たいEXCELSIOR(エキセルシァー)のアコーディオン。
 東京ボーイズのリーダー・旭五郎師匠は、使い込まれた黒いアコーディオ
ン、の入った袋を携えて楽屋入り。持ちましょう、と言っても、なかなか持
たせてくれない。
 「そ〜れ〜」と八郎師匠の掛声で舞台に出ると、ありとあらゆる笑いのパ
ターンが網羅された完璧な掛け合いだ。それを3人が3人とも一歩引くよう
に仕掛けて、受ける。お客は体の、まるで栓を抜かれたかのようにへなへな
になる。こんな素敵な3人組を舞台袖から見ていた至福の時間。私は一人芸
だが、東京ボーイズのようになりたかったのだ。「なぞかけ小唄」よりも、
中の島ブルース(かつては港町十三番地)でスパッと終わるパターンが好き
だった。
 春に入院してからは、ウクレレの仲八郎師と三味線の菅六郎師のコンビで、
六郎師匠の見せ場が多くなってそれはそれで楽しかったのだけれど、やはり
3人そろった舞台を待っていた。
 真ん中でアコーディオンを前に抱え、両脇から繰り出されるボケを困った
顔で整理していた五郎師匠。スターパインズカフェ、師匠方には楽屋がちょっ
と難ありで、ゲストに呼ぶのを躊躇しているうちに天国に旅立ってしまった。
♪雨が降ろうと風が吹こうと、東京ボーイズ、さ〜よ〜な〜ら〜。
 五郎師匠安らかにお眠りください。


2007年10月11日 (木) いつみても賛否両論

 吉祥寺スターパインズカフェにて、恒例ソロライブ。裏番組は三遊亭白鳥
・柳家喬太郎、両師匠の対戦、そして、内藤大助・亀田大毅のフライ級タイ
トルマッチ。
 亀田並に反則技の連続ではあるが、大口をたたかないところが寒空はだか。
さて、判定は、いかに。とはいえアンケート用紙に採点欄(感想欄)は、な
いのである。
 凄い、ひどい、面白い、しかし、やってはいけない。メモリが少ないのに、
容量の大きなアプリケーションを使おうとして、しばしば固まる。ファイル
を開いてみると壊れていたりする。ユーザーを安心させないことを親切と思っ
ているのは、罪なことだ。トリコにしないようにするのも大変なのである。
 悪い魔法がかからなかった貴方は、幸せである。
 会場のスタッフが、出口の受付カウンターでこう言った。
「お客さんニコニコ出てくるんですよ、でもここで、ふっと普通の顔に戻る
んです。」


<2007年10月13日 (土) ちりとてちん

 小浜の〜お、方言が〜あ、特徴的で〜え、ある程度できそうなけ〜ど。も
ちろん、本物を聞いたことがないから、なんちゃって方言である。はたして、
どのくらいドラマが浸透してくれるか。もう、清水ミチコさんは、やってい
るかな。
 NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」、面白いと、毎日のスケジュー
ルを拘束されることになるから困る。ヒロインの旅立ちシーンは、田畑智子
「私の青空」の大間崎のシーンを思い起こされる。時間経過に無理があるこ
とに茶々は入れない、一瞬が長く記憶されることもあるのだ。

 ツッコミを入れる、というのは元来、幕内の言葉なので、公開日記で使う
ことに抵抗があったが、茶々を入れる、で大抵はすみそうなことに、今、気
づく。


2007年10月15日 (月) ……なんて、言うかい?

 亀田大毅、セコンドの兄・興毅の「ヒジでいいから目に入れろ」発言の問
題に、「お兄ちゃんは悪くない。」
 浪速の弁解、「その名を史郎反則。」「もう義経にしておけ。」「そんな
青菜。」


2007年10月17日 (水) とりあえず

 弁慶に、富樫のようにうまい質問をする記者はいないのか?


2007年10月18日 (木) 本人は頭を伏せたまま無言、って真打披露口上か?

 亀田大毅、単身でチャンピオン内藤大助に謝罪。午前中にいきなり来られ
ても迷惑だろう。内藤の寛容さに、素直に納得できない、テレビの前の私は、
世間とずれているのか。
 一番情けないのは、その現場にいなかったマスコミ。1社と言わず、1人
も張り込んでいなかった、スキがありすぎだ。張り込まれる側は迷惑このう
えないが、かわら版屋とはそういうものだ。TBSに猛省を促す。
 謝罪会見について今更私が書くほどの事はないが、落ち込むのと反省する
のは違うのだ。形式も無ければ、切羽詰まった感も無くては意味が無いので
ある。坊主にして反省の気持ちが伝わるか、伝わらない。刈り込まれた髪に
「ゴメン」と剃りこみが入っていたら、それなら分かる。しゃべれないなら、
気持ちを歌にする、それがプロたる亀田大毅だ。


2007年10月24日 (水) 天高く晴乃ピーチク師、逝く

 82歳、若すぎる死である。
 私のような若輩者を対等に、つまりは戦う相手の1人として扱ってくれた
方だった。漫才コンビを解消して以降、常に一匹狼を貫いてきたからだろう。
頼りは己の腕一本、そういえば、年金はハナから払ってないと聞いている。
 晴乃ピーチク師匠の「似顔絵漫談」は、観客を1人、舞台に上げて、対談
で笑いをとりながら似顔絵を仕上げるというハナレワザである。無論、トー
クのひながたというものはあるのだろうが、複数の相手ではなく、たったひ
とりの素人と、打合せなしにかけあいをすることになる。そんな行き当りばっ
たりのことを、演芸場の舞台でする人など、他にいないのである。しかも必
ず爆笑をとるのだ。
 つい昨年だったか、録音されて全国中継される、NHKラジオ「真打ち競
演」で、あたりまえのようにそれをやっていたのを放送で聴いて、シビレタ
ことがある。
 マンガのように派手めな恰好をおしゃれに着こなす、82歳の青年であった。
師の死を悼む。


2007年10月25日 (木) ♪鶏が傷んじゃ高くは売れぬ

廃鶏、その後お元気ですか。
私こと思い起こせば恥ずかしきことの数々、
今はただひたすら、反省の日々を過ごしています。 車酉次郎

 【「比内鶏」、創業以来地鶏を使わず、廃鶏と呼ばれる格安の鶏肉を代用。】


2007年10月26日 (金) きけジャン・コクトー労働者

 石破防衛相は、新田たつお著「ガクエン遊び人」他の助清くんに似ている
と、長官就任時から思っていた。これは全く本人に責任はない。山田洋行と
の癒着が浮上した、久間前防衛相は、ディズニー白雪姫の小人。
 映画「第三の男」のテーマ曲が、第3のビールではなく、プレミアムビー
ルのヱビスのCMであるねじれ現象。
 ♪ハマコー、ハマコー、私は元気〜、どなるの大好き〜、どんどん言おう〜
 干物女に鮮魚主婦。
 外はかりっと、中はジューシー、……おできみたいな。

 行き場のないネタ達を虫干しである。


2007年10月30日 (火) ♪取引業者とゴルフにいっちっち  守屋

 公務員が甘い汁を吸うことに腹を立てるのは、自分が公務員でないからで
ある。甘い汁を吸う人と、そうでない人がいるから不平不満が出るのであっ
て、しからば解決法は……。全てを国営にしてしまえばいいのである。
 これ、連日舞台で言ってるんだけど、ウケないのである。共産党が票を伸
ばせないわけだ。
「♪僕も吸おう、あのコの吸ってる甘い汁〜」


2007年10月31日 (水) 大変なんすから 

 テレビで林家いっ平師匠が涙を流して、「これからがんばりますので」
「ドーモスイマセン」と謝っているので、何の不祥事、と思ったら、三平襲
名発覚という会見であった。


2007年10月忘日 10月の巻頭言特集

大江戸線ストップ「親分、停電だ」<都営地下鉄大江戸線停電事故>
残りものには、赤福がある。
赤福、再生案を考えるも再生餡につき却下<不当表示/期限切れ製品再利用>
大毅「お兄ちゃんは悪くない」<兄興毅反則指示/誘拐小2女児、被疑者をかばう>
腹を抱えてわらをもつかむ


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2007年11月

2007年11月2日 (金) もちつもたれつ

 赤福と御福餅、大連立を打診。


2007年11月4日 (日) 哀しい性(さが)なのねえ……

 冷遇されてきた人間が脚光を浴びそうになる。その時、同じ地平にいる人
々は、苦々しく思うらしい。一世一代の大勝負に出てるんだから、協力して
あげればよさそうなものだが、悲しいかな不備な点をとりあげて、遠目に失
敗を祈っている。
 というような光景を垣間見て、暗い気持ちになった私はお人好し。応援し
ている私とて、素直に他人の出世を喜んでいるわけではない、根がお節介な
だけである。

 話は変わって、芸術祭参加・好田タクト独演会「タクト祭」。
 立見も出ている浅草東洋館、その舞台で、指揮者形態模写の好田タクトさ
んが奮闘していた。普段、CDの音をバックに演じている彼が、実際のオー
ケストラを舞台に上げ、指揮を振る。それ自体はマニアックな芸であるから、
それ以外にも、多彩な企画が組まれている。あんなにゲストを呼んでどうす
るのだろうという私の心配は杞憂、彼の構成力、センスの光る公演であった。
めでたし。

 失敗を祈った彼らは後日、受賞の報を聞いて、また重箱の隅をつつき合う
のだろう。

【後日記】タクト氏、残念ながら受賞ならず。


2007年11月5日 (月) 小沢氏、安倍氏と新党「辞任党」を結成の噂

 朝の「ちりとてちん」の放送に合わせて起床。洗濯しつつ、このサイトの
トップページ向けに小沢民主党首辞意に対するネタを考えるも、妙案浮かば
ず。
 中京・関西向けに発送したDMの消印が、まずまず読めるように押されて
届き、安心する。切手の貼付位置がずれていて気持ちの悪い方もいると思う
が、わけがあるのだ。同じ場所に切手を貼られたハガキが大量に消印の機械
を通ると、インクの乾きが間に合わなくて、裏に汚れがついてしまうのであ
る。濃い柄の切手だと、最近の薄い消印だと文字が読めないこともあるし、
ずらしながらも、スタンプされる位置を予想しながら、と結構手間がかかっ
ているのだ。
 自分のライブ記録、映像と音声をチェックしていいものを探す作業をこの
ところしている。ある程度マヒするまでは、自分のぶざまな部分が目に耳に
ついて頭を抱えてしまうが、なかなか面白いことを言っていたりして、我な
がら感心。
 昼、また「ちりとてちん」の再放送を見てしまう。朝が早いと一日が長い。


2007年11月8日 (木) ピントのはずれた料理は気持ち悪い

 よく、ブログに、こんな食事をした、と料理の写真を載せている人がいる
けれど、運ばれてきた皿を前にして撮影するというのは、お行儀が悪い。
 食べ終わってからゆっくりとできないか。


2007年11月14日 (水) 「お仕事お仕事」(中村ゆかり)

 5日の項に記したDMの、宛所なしの返送分がぼちぼち届く。配達員をあ
まり信用していないので、2度返ってきたら住所録からはずす。今回12通が
舞い戻ってきたが、驚くべきことに、半数に差出し局の消印がなかった。と
いうことは、かなりの確率で消印なしということになる。ここで補足説明す
るのは失礼ながら、「伊勢/ISE」とスタンプされているはずなのだ。前
回の名古屋ライブにアンケートを書いてくれた方には、礼状遅延のおわびに
絵入りの風景印だが、それ以外の約半数に消印がもれるとはどういうことか。
 1通だけは、輸送途中に気づいて、「多治見支店/消印」という日付けな
しのスタンプがしてある。他は伊勢局→相手の配達局→我が家に配達する本
郷局、の間に全く処理をしていないことになる。それは怠慢である。再び切
手が使えるのだから素敵なサービスだが、大丈夫なのか民営郵便。
 浦和レッズの優勝した、アジア・チャンピオンズリーグ決勝を、音を消し
たテレビで観戦。耳障りな実況と解説を聴くくらいなら、歓声をカットして
も無音でよい。サッカーの声援は、実際聞かなくても想像できる。放送席の
咆哮を聞きたい人向けには、副音声で流せば良いのだ。勝利を見届けて、静
かにガッツポーズ。


2007年11月17日 (土) エンコ採用

 私の浅草の舞台デビューは98年12月21日、木馬亭「浅草21世紀」。
漫談を5分間。ということは、来年は私の浅草10周年ではないか。
 橋達也座長率いる浅草21世紀、「軽演劇」というジャンルを今に伝える。
劇場はくたびれているが、懐古趣味ではなく、現在に浅草の魂をぶつけよう
と毎月8日間も幕を開けている。来月1日には浅草公会堂で10周年記念公演
だそうだ。
 4時開演の夜の部の楽屋に挨拶に行って、仲入り後の芝居を観る。私が関
わっていた頃とは役者陣もずいぶん変わったが、今は、おののこみちさんと
いう達者な相手役を得て、ベテラン座長が黒光りしている。いい声なのだ。
 夜7時、すっかり寂しくなった五重塔通り・奥山おまいりみちを六区へ。
わがホームグラウンド・東洋館でハッチェル特急楽団とバンバンバザールの
「殿様歌合戦」。ともに浅草でライブをやるのは初めて、と聞いてちょっと
意外だが、私も東洋館の客席に、チケットを買って堂々と座るのは初めてで
新鮮である。横に広いホールの、前方壁際の席から、貧弱な照明設備の舞台
を斜めに見上げると、なんだか70年代の、カレッジフォークのコンサート写
真を見ているようだ。心地よい音楽が劇場にマッチして、レトロではない、
エバーグリーンな時間が浅草に流れてゆく。


2007年11月25日 (日) 白ばんばん

 11月25日というと、列島改造をぶちあげた、田中角栄内閣が発足(1973)
した日である。同郷の、落語の根本を改造する男・三遊亭白鳥師匠。伝統の
地盤に頼ることなく、自己流で堅牢な名作を造り上げてしまう。とびぬけた
創作能力に敬意を表して、「円朝の名をつぐべき人である、朝の字じゃなく
て円鳥かもしれないけど」と私が言っているのは、実は冗談ではないのだ。
 そんな白鳥師匠をゲストにお迎えしてのカラフルロスタイムショー。対す
るは、フジロックから浅草東洋館まで、幅広くスウィングするバンバンバザ
ール。変幻自在、場に合わせて気持ちの良い空間を作り上げてしまう、職人
であり芸人である。バンバンバザールは寄席興行への出演ではないが、私を
含めた3組が東洋館出演経験者、という不思議な繋がりがあるものの、ざぶ
とん亭の企てでなければ顔合わせしない組み合わせだ。
 出演者は変わっても、この会なら見に来る、というお客にささえられて、
今宵も会場にいる全ての人が微笑む、素敵な一夜となる。
 オープニングで、オガサワラリュウヘイ君が高遠彩子さんと演奏した後、
私と高遠さんで「アバダバハネムーン」をデュエット。ここで私は7割の力
を使い果たす。若きデビー・レイノルズとカールトン・カーペンターが歌う
シーンは「ザッツ・エンターテインメント」でほんの少ししか観られないが、
ずっとやりたかった曲なのだ。
 フィナーレにかけつけた、ポカスカジャンのリーダーとタマちゃん、春風
亭昇太師匠と林家彦いち師匠。楽屋で白鳥師匠が段取りの説明、「俺が『幸
せの黄色い干し芋』のワン場面をやるから、……」。それを言うなら一場面
かワンシーンである。


2007年11月忘日 11月の巻頭言特集

ちゃんと八百長しないから散々な場所に……
みせ乱★★★船場吉兆
小沢一郎的コロコロ<民主党主、辞任撤回>
小沢氏、安倍氏と新党「辞任党」結成
米国他、期限切れでも、日本得意の偽装給油を期待。<自衛隊インド洋撤退>


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2007年12月

2007年12月1日(土) もう今年も

 「猛虎としも」と変換した我が家のパソコンはタイガースファンか。
 浅草公会堂、「浅草21世紀」の10周年記念公演に挨拶に行き、昼公演を
観た後、新宿紀伊國屋ホール、柳家喬太郎師匠の会のロビーを借りて、ゴー
ラックレーベルの十郎ザエモン氏と打合せ。
 夜、北浦和、淀一で大学の落語研究会の先輩達と久々に呑む。浦和レッド
ダイヤモンズ、まさかの敗退の報を聞く。西川口のネオン街に誘われるも、
宿題山積につき振り切って帰宅。
 師走突入、先月下旬から続く忙しさ、サボってきたツケが年の瀬に利子を
つけて襲いかかる。


2007年12月3日 (月) 頭に「ど」がつくだろ

 新語流行語大賞の発表。大賞のうちの一つ、「どげんかせんといかん」を
含め、最終ノミネートの10点中、「ど」で始まるものが3点。
「鈍感力」「どんだけぇ〜」。
 私が個人的に気になった「ど」のつくものは、「ドモホルンリンクルの太
鼓」である。


2007年12月7日 (金) 歓喜の客席

 またデビーか、と思われるだろうが、「歓喜の歌」の安田成美は、髪型の
せいもあって、「雨に唄えば」のデビーレイノルズを彷佛とさせて、胸がきゅ
んとなるのである。
 ママさんコーラスをモチーフにした立川志の輔師原作の映画「歓喜の歌」
の試写を京橋にて観賞。すぐ誰かに伝えたい面白さ。
 映画というものは荒唐無稽なほど楽しい。ただ、それを面白いものにする
ためには、頭をひねってひねってひねらねばならぬ。原作が落語として素晴
らしくできているから余計だ。映画になると生まれてしまう無理をかくして、
観客に夢を見続けさせる、これは作り手の惜しみないサービスの賜物である。
 主演の小林薫をはじめ、みんな愛おしい。大晦日、みんな幸せの結末の中、
不幸を一手に背負い込む役、テーラー太田の客が、ベストキャスト賞。
 最後に見所を一つ。エンディングロール、ママさんコーラスの出演者だろ
う、ズラリ並んだ「子」の字のつく名前が壮観。スタッフの羅列にのせて、
なぜもう一度、表題曲を使わないか、観客みんなそう思ったろうが、はたと
気づく。それじゃダイハードだ。


2007年12月16日 (日) 決戦川中島 今年の勝敗は?

 帰りが遅くて、NHK大河ドラマ「風林火山」の最終回を観られなかった
のだ。どっちが勝ったのかしらん。
 クリスマスまで1週間と少しになり、街にはイルミネーションがあふれて
いるが、どうもあの、青色と白色のLEDが苦手である。冷たい上に、目に
痛い。発明したからって使わなくとも良いのだ。電飾は従来の赤、黄緑、橙
といった暖かい色で十分である。
 夜の浅草・新仲見世、まゆだまの飾り付け作業をしていた。さすが浅草、
クリスマスをすっとばして正月を待ちかねている。


2007年12月17日 (月) 諸君、番組の感想をNHKに送られたし。

 テレビの製作者側が舞台を観に来てくれて、面白いと思ったものを世間に
広めようと、電波にのせることを画策する。至極当然のことであるが、今ど
き、そんな手間のかかることをやってくれる人も放送局もない。
 ところがそんな奇特な企画が、年末特別の番組編成の間隙に実現。本当に
ありがたいことである。木村万里さんプロデュースの「絹」のテレビ版、N
HK「笑謝和(ワラシャワ)」の公開収録。池袋の、きれいになった、シア
ターグリーンにて。
 スタッフの意気込みの感じられる、やりがいのある現場。スタジオではな
く、出演者のホームである「劇場」にわざわざ出向いて、ナマの公演の雰囲
気をそのまま伝えようという趣向だ。
 そこに我ら、おそらく、テレビの現場であまりいい思いをしてこなかった
メンバーが集結。28分の放送枠に6組、転換で止めることなく、開演から
終演までノーカットで納めようという、綱渡りの収録である。
 私の持ち時間は4分、演出側の意図に120%応えようとして、結果、無理
がたたって60点。まあ仕方ない、テレビに慣れていない、というのはこう
いうことなのだ。いかに普段、制約のない世界でやっているかが分かる。テ
レビ芸人も楽じゃない。休憩をはさんで、今度は放映向けではない演技タイ
ム。固いなりにも、先ほどよりは良い出来。こちらを編集して使うかな。
 放送は30日深夜24:20。評判次第だが、レギュラー化を目論んでいる番
組である。裏番組は、対照的なテレビ芸人企画、さて結果やいかに。


2007年12月19日(水) 名馬キャリコ

 43歳。無事これ名馬。


2007年12月24日 (月) さ〜て今週のちりとてちんは?

 草々の破門が解けて、徒然亭天狗座一門会の幕が無事開いてしまった。
 目下の関心は、A子の行方である。草々は破門されて、故郷に帰って豆腐
屋になったところに、女乞食に身をやつしたA子がやってくるという予想を
していたのだが、一門に復帰してしまった。
 さて今週の展開やいかに。


2007年12月25日 (火) 聖者が地下鉄で、♪大江戸線ッ、ゴーマーチニン

 私が言うところの「クリスマスに思い入れなし」というのは本当なのであ
るが、浅草東洋館の舞台に立つと、これまたその当日を微塵も感じさせない
客席だ。EHエリックさんのコントではないが、どちらかというと「大正天
皇祭」である。
 オアト、三味線漫談の藤本芝裕姐さんに渡して、今年最後の東洋館の出番
を終了。天国でコーヒーを飲んで浅草を後にする。さて、残すは大晦日の横
浜にぎわい座。そのまま元日の甲府のラジオと、珍しく気の抜けないお正月。
新年とともに、時事ネタはチャラ、御破算で願いましては、蓄積ゼロで何を
喋る。めでたい持ちネタが少ないので仕込まねばならぬ。
 積まれたままの宿題の優先順位を考えている内に年が明けそうである。来
年2月のカラフルロスタイムショー特別版、そろそろ出したい新譜のCD、
諸々の手配に、歳末の、とある1日が暮れる。
 珍しく点けた深夜のテレビ、清水ミチコさんと矢野顕子さんが共にピアノ
を弾く姿に胸を熱くする。


2007年12月27日 (木) 歳末大棚ざらえ

 年末企画。今年の春先に舞台に掛けていた、不二家ネタを採録。→
 秋川雅史の顔を思い出そうとすると、なぜか、北海道の形がオーバーラッ
プする。理由はわからない。


2007年12月29日 (土) 顔に糸目はつけない

 できあがっていた年賀状の図案を没にして、新たに書くことにする。より
良いものを思いついてしまったので仕方ない。もともと元日配達には間にあ
わない進行状況であった。五木ひろしがミッキーマウスの耳をつけて、「五
木マウス」という意匠を作っていたのだが、気に入る案が浮かばなかった末
の苦肉の策。どうせ新年早々に届かないのであれば、急いで出来の悪いもの
を出すことはない。なかなか洒落たアイディアを新たに思い浮かべているの
だが、実際の紙の上には、うまく書きあがらず、何度も書き直す。
 先日、五木ひろしさんのサイトをのぞいて見たら、本人の写真、目を見開
いていて、とても違和感を抱く。ということは……、と我が身を振り返る。
私の宣伝用写真も記念写真も、目をぱっちり開いて撮ってもらうことが多い
のだが、見る人にとっては気持ちが悪いということだ。今までちっとも気づ
かなかった。


2007年12月30日 (日) ここはどこ、わらしゃわ誰

 テレビの製作側にとって売れていない芸人など、テレビに出してやってい
る、と思って接するものなのだが、お互いに対等な関係で作ってくれたのが、
NHKテレビ「笑謝和(ワラシャワ)」であった。
 また、「大多数の人は笑いたいと思っているけれど、頭を使いたいとは思っ
ていないのである。」という現在のテレビの状況を無視した、ドン・キホー
テのような番組。6組のテレビ向きでない舞台のオムニバス。
 その放送が、深夜0時をまわってから全国に流れる。とはいえ、終わって
みないと、本当に自分のネタが流れるかはわからない。後半に寒空はだか登
場、「歌もの」の山男の話を放送に使う、という大技に出て驚く。
 やはりテレビは難しい。画面に映る姿は己の実力を正確に写しているのだ
が、もっと面白く伝わる自己演出をしなければならないのだ。
 収録当日の私の舞台の構成は、休憩前と後に1本ずつ。
第1部(放送用) 赤福ネタから亀田一家の時事ネタ+♪バカの壁
         で4分・時間通り
第2部(予備) ♪森本レオ〜♪山男〜皇族漫才〜♪歓喜の歌
         で10分+2分超過
 すき間なく構成した第1部は、目の前の観客を意識しながら、かつカメラ
の向こうの視聴者に訴えかける、という難しいことをやろうとして失速した。
第2部を編集して使うようなことは聞いていたのだが、♪(通称・山男)を
刻んだものから♪歓喜の歌、という構成、一番私らしい内容だが、テレビで
最も伝わりにくいところでもある。そこをあえて使用した、演出の冒険に感
服。が、番組のウィークポイントになっている。そういうダレ場を含めて、
濃密にまとまった30分の佳作であった。
 劇場という本来我々の使っている空間だけれど、よほどの一体感を作れな
いと、臨場感は伝わらない。いっそ、観客なしでカメラに向かう、という、
私にとって非常にやりづらい、やりたくない環境の方が、ひょっとすると、
視聴者と1対1になれるスタジオ収録の方が、私の芸風とテレビの相性はい
いのかもしれない。


2007年12月31日 (月) 新年は甲府をめざす

 年末恒例、横浜にぎわい座カウントダウン寄席に出演。トリの立川志の輔
師匠の落語が終わった後、出演者が正装して揃った舞台、いよいよ秒読み、
「10!」とみんなで叫んだ瞬間、まちきれなかった玉置宏館長、くす玉を
引いて、少し早めの新年を迎える。
 会場の近くの居酒屋で打上。明けて甲府での仕事を控えた私は、少ゥしず
つ呑む。どこかで仮眠をとってスタジオ入りしたいが、展開が読めない。電
車は終夜運転とはいえ、正月早々、1人だけ中座などできるものか。
 想定終了時間を過ぎて、3時半。3日からパルコ劇場の1ヶ月公演を控え
ているとは思えない、ますます元気な志の輔師匠の「じゃあ初詣に行きましょ
う。」の音頭取りで一行はにぎやかに、裏手の伊勢山皇大神宮へぞろぞろ登
る。参拝して戻る参道、坂の途中のテントでまた一献。みんな斜めになって
向かい合う姿は不思議である。カメラマンの蓮二さんのアシスタントが、うっ
かりパイプ椅子ごと転がりそうになるが、下の端だったのでシートの壁に助
けられる。これがもっと上だと、ドミノ倒しだ。新春から馬鹿話で盛り上が
る状況を楽しむ気持ちと、後のことを考える冷静な気持ち、時間的にはじゅ
うぶん間に合うが、さてどう動くのが身のためか。
 未明5時、お開きとなる。財布の中の指定券、新宿発7:30の特急まで間
が持たないから、横浜線と鈍行で、朦朧と甲斐路をめざす。



 
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