漫談家・寒空はだかサイト 窓口 紹介 予定 趣味(旧作邦画)
 2004年日記 2005年日記 2006年日記 2007年日記 2008年日記
  2009年随記 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019年随記   本年の最新記事


[ものぐさ枕2006]
  2004年より、ジオシティーズ内に開設した、寒空はだかサイトの日記コーナー「ものぐさ枕」
  「ものぐさ」+「草枕」、無精者の旅日記が、名づけの由来である。
  日付が飛び飛びなのは、移転時に整理・削除したのではなく、
  もともとズボラなことに、気が向いた時にしか書かなかったからである。


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2006年1月

2006年1月1日 (日) 新年の祝詞

インドには正月だけできるでっかい川があるんですよ、
……ガンジツ河と言ってね。

いや、耳で聞くとバカバカしいのよ。


2006年1月4日 (水) ゴタク初め

三菱東京UFJ銀行営業開始、システム統合に万全を期すため、合併を伸ばしたわけだが、
名前をなんとかしようということは誰も実行できない会社なのね。
みずほ以上にまとまりがなさそうで、信用できんなあ。
どうせみんな略して頭の三菱だけで呼ぶようになる、そしたら三菱銀行にしてしまえ、
という旧三菱銀行の驕りを感じる。

あきらかに気温は低く、人々が寒い寒いと言うのも無理ないが、
あったかい電車に乗っても、──混んでる電車や、大荷物なら仕方ないとして──
ほとんど誰もコートを脱がないとこ見ると、
単にわがままなだけな気がして、素直にあいづちを打てない。

小泉首相が使う、精神の自由、という表現がどうにも気持ち悪い。
信心・信教の自由ならまだ、意味自体はわかる。
「○○の自由」って「すること」につく言いまわしである。
精神はもともと束縛されえないものである。
質問に対して真っ向から答えようとせず、煙にまこうとするから無理な言葉が出てくるのだ。
やってることの是非はさておき、もの言いはペテン師そのものと私は思う。
見習わねばいかんなあ。


2006年1月8日 (日) ガジョ〜ン

以前は朝から晩までNHKラジオをつけていた時期もあったのだが、
最近のアナウンサーの質の低下にウンザリして、民放に戻る時間が増えた。
それでも30分毎に定時ニュースが流れるのは魅力的なので、まずダイヤルを合わせてしまう。
別にNHKにユーモアを求めないが、昼間のワイド番組にはセンスの悪い局アナが多いのだ。
「にっぽんのメロディ」中西龍までいかなくても実直でいいのだ。
そんな中、「歌の日曜散歩」は、安心して聴いていられる良い番組である。
日曜午前中にぴったりの、ほのぼのとした、力が抜けつつも溌溂とした時間が流れる。
カマダ、ツボゴウ(鎌田正幸・坪郷佳英子)両アナウンサーの名コンビはとても程が良い。
リスナーとしっかりコミュニケーションがとれている。
かかる曲は非常に多岐にわたり、名曲との遭遇に感謝することしばしば。
「茶目子の一日」や雪村いづみの「ママにバラを」、等々エトセトラえとはいぬ。
本来は、今日この番組の時間にはウチにいないはずなのになあ、と思いつつ、
宿題は終わらないまま、のど自慢、気づくともう、初場所初日の中継だ。
なかの芸能小劇場に、力が抜けつつ溌溂もしないが気にかかる男、
三遊亭天どん君のトリの勇姿を見に行くプランもはかなく消える。
机に積もった紙達の下から、書いたまま出し忘れていた年賀状が発掘されて気が遠くなる。

知り合いから、愛知県知多市日長という所に、字 寒空というところがあることを教わる。


2006年1月9日 (月) 「子供は帰った帰った!」

いいかげん、税金でハタチの同窓会をやってあげるのは、やめるべきだ。
民間でできる。
何の覚悟も伴わない儀式に意味はない。

子供は子供扱いしなければならない。
大人同様の快楽を与えてはならない。
(不幸にも大人同様の苦労を背負わされた場合は仕方ない。)
子供のうちから大人の待遇を受けられたら、大人になろうとはしないのだ。
半人前の身分の方が楽だもの。
子供扱いというのは、邪険にするということではなくて、
本気で相手の将来(1秒後でも50年後でも)を考えて、面倒見てあげる、ということだ。
失敗する機会を無限に許されている、ということでもある。

さて、このトシになっても、生きている限り可能性はいくらでもあって、
行く先には、まだあちこちに、分岐点が待っていてくれる。
ただし、
全て終電車だけどね。
乗り間違えると、戻る電車はもうないのね。


2006年1月12日 (木) きっとまたやっちゃうから反省はしない

木村万里プロデュース、夢空間主催、「柳家喬太郎のミステリアスナイト」、
池袋・東京芸術劇場小ホール2、定員300(完売)、2日間興行の第二夜。
〜アナログバンドを迎えての二夜〜ということで本日のメインゲストに「ねこマジ」、
昨夜に続いて私も共演、持ち時間は20分。
構成は、喬太郎・寒空はだかのオープニングトーク/寒空はだか/柳家喬太郎/休憩
    /ねこマジ/柳家喬太郎。
観客の何割かは2日続けて来場と聞くが、
メインゲストは変わるし、喬太郎師匠も違うネタをやるという。
さて私はどうする。
落語会のお客に受け入れられるネタは非常に限られるのだ、初日の内容でもギリギリの線だ。
結論からいうと、同じものをやったほうが正解。
いやあ、選択まちがえた。
会の主旨と順番からすると、無難にまとめてはいけないような気がしたのである。
でもお膳立てしてもらった場所の露払いで、やりたい放題はいけないね。
もうしばらく呼ばれないだろう、という結果に終わる。
終わっちゃったものは仕方ない。
入れ替わりに師匠の1席目が長講「おせつ徳三郎」、
師匠、ごめんね。


2006年1月15日 (日) 3週遅れのクリスマス

ねこマジのインストアライブのついでに浅草ヨーロー堂の店内を物色、
古典名作映画のシリーズDVDが、500円で売られている。
今年のクリスマス用に「素晴らしき哉、人生!」を購入。
買っといて言うのもなんだが、特典映像なしにしても安すぎるなあ。
香港製だがちゃんと日本語字幕つき。
同じくライオネル・バリモアが出演している「グランドホテル」、
レンタル落ちビデオが500円で売られていたので、先日それを買ったのだが、
同じ値段で新品DVDである。
バリモアの変わり様以上の驚きである。
毎度舞台でも言っているようにクリスマスに対して思い入れはない私であるが、
この映画を見る時はいつでもメリークリスマスだ。


2006年1月16日 (月) 逝く時ゃ逝くよ

針金のような師匠が登場したのはトリの出番、
浅草・東洋館昼席の入場者数は仲入りの頃がピークだから、若干さみしくなった客席。
センターマイクの前に着くなり、自己紹介もなく、いきなり時事ネタを喋り出す。
以後淡々と、茨城弁にのせた世相漫談、10秒に1回ずつ、きっちり笑いをとってゆく。
くいつかなかった話のフォローをせず、緩急と強弱でお客に魔法をかけてゆく。
「副知事やめさせらんないワケがあんだと、…………トセイの義理かね……。」
長時間の演芸に疲れ切ったお客の、笑う力をしぼりとって、喝采の中、幕が閉まる。
11月30日の東洋館の楽屋から後ろ姿を見送ったのが最後だった。
渋谷PARCO劇場のロビーでローカル岡師の訃報を伝え聞く、62歳。


2006年1月17日 (火) 「残虐な人だと思」ってるのに

ヒューザー小島社長の証人喚問、あんまりにもあんまりで応答自体には腹も立たないなあ。
悪者だという演技をちゃんとしないところに腹が立つ。
その点、我が国の首相のはぐらかしぶりは、あれは実はエライ技術なのだなあ。

西日暮里駅の通路は工事中、壁に貼り紙、
「耐震工事中、よりかからないでください。」
そんなにもろいのか。


2006年1月18日 (水) 合掌

ローカル岡師の通夜。
ゆでたまごはふるまわれなかったが、
清めの塩にはもちろん「非食品」と。


2006年1月21日 (土) 「来るよ、ねえ、どッから来るか知らねえが」(先代馬風師)

♪雪は降る〜、お客は来ない〜
と歌おうと思ったら、意外と入った浅草東洋館。
電車が止まるほどでもないからか、
中トリが歌い手だからそのお客か、団体様も御来場。
1本前の出番の神主漫談・水島敏照さんの時には、やたらヤジをとばすヨッパライ、
こりゃ一戦交えねばならんのか、と少しカリカリしていたのだが、
別のお客にたしなめられたとかで、私の時にはいなかった。
今どき、立派なお客様がいるものだ。
やたら大声で笑うオバサマもいて、反応の良すぎる客席にちょっと萎えかけた私であるが、
ウケれば悪い気はしないから、無難なネタをたたみかけて20分。
浅草寺の大屋根も五重塔も雪化粧、風情ですむ程度の雪の浅草、
その中を観光人力車が通り過ぎる、この寒い中、乗っても決して楽しいとは思えないが、
つらいほうが思い出は残ろうというものだ。

大学入試センター試験、リスニングの機械に不具合続発。
再生ボタンを押したとたん、イヤホンから「ハズレデス」。


2006年1月22日 (日) 「電車内に足の匂いが充満、そしたら車掌が『次は、足かがし〜』

北千住を出発した特急「りょうもう号」は晴天の下、雪景色の関東平野を軽快に北上する。
終点の大間々町(おおまままち!)で行われる「雪見寄席」によんでもらったのである。
まさにいいタイミングで雪が降ったものだと思っていたら、
利根川を越えて、上毛の山々が近づくにしたがい雪は減る、
すっかりなくなった頃、電車は赤城駅到着。
上州名物カラッ風、雪はあまり降らないところなのね。
しかも今日はポカポカと暖かい。
そんな日和の中、一行を迎えてくれたのが、昭和12年落成の芝居小屋「ながめ余興場」。
漆喰(多分)の壁に風呂屋のような唐破風の屋根が入口の上にあるのは御愛嬌、
中へ入ると、まさにタイムスリップ、見上げる高い格天井、花道、両脇には桟敷、
外より広く見える飴色の空間に、二階席も含めて650席、
解体修理した上に、地元の有志が丁寧に手入れをしているから、ピカピカしている。
劇場に抱きしめられるような暖かさと高揚感にしばし恍惚。
いい。すばらしい。
仲入りあと、出囃子にのって花道から登場すれば、1階はほぼ満席、2階にも頭がちらほら、
娯楽に飢えているとはいえ、海の物とも山の物ともわからない私に万来の拍手。
非常にゴキゲンの寒空はだか、もう今年一番の出来でお客大喜び。
まだまだいけるじゃん、俺。
また来たいね、いいネタ全部やっちゃったけどね。


2006年1月24日 (火) 私の心はカネで買える。

堀江貴文は嫌いだけれども、持ち上げてた連中はもっと嫌いだ。
法律違反がなければ、いまだに支持者は多いはずである。
カネの亡者を良しとするかどうか、
法に触れたかどうかより、そっちの方を考えるべきではないか。
第二の堀江貴文を育てようと、世の親達はしているぞ、今。
マネーゲームで一山当てようなんて輩は、みんな同じ穴のムジナである。
アブク銭を稼ごうなんて人間は堀江サンと一緒である。
となれば私もしかり、だ。
六本木ヒルズに暮らす生活に全く興味はないけれども。
私は心をカネで売っている。
メシのために他人をネタにしているのだ。

……という潔い姿勢も、もちろん粉飾の疑いありだ。


2006年1月25日 (水) 安っぽさ爆発

最新の日記ページは、ジオシティーズにもともとあるフォーマットを使用しているので
デザインはさほど気に入っていないのだが(このページは多少加工している)、
この配色、どこかで見たよな、とずっとひっかかっていた。
判明した。
カメラのさくらやの袋だ。

知り合いが目白で、ポポタムという絵本の店をやっていて、
東京タワーの歌のCDを置いてくれるというので届けに行く。
実はこの店、私の出したDMのコレクションをしていて、閲覧することができる。
プリントゴッコで作った素敵なポチ袋が売られていて、たまたまその作者来店、
しばしプリントゴッコ談義。
おそらく早晩消えてゆくだろうこの器械、部材の確保をどうするか、
が主な話題となる。

ちなみにシングルCD・東京タワーの歌は、現在追加プレス中。
製版フィルム行方不明につき、ジャケットの版を新たに起こしたため、
若干テキスト等を変更。
というわけで初回版を持ってる人は大事にしてね。

▼ジオシティーズ時代のフォーマットの再現▼
2006年1月25日 (水) 安っぽさ爆発
最新の日記ページは、ジオシティーズにもともとあるフォーマットを使用しているので
デザインはさほど気に入っていないのだが(このページは多少加工している)、
この配色、どこかで見たよな、とずっとひっかかっていた。
判明した。
カメラのさくらやの袋だ。

知り合いが目白で、ポポタムという絵本の店をやっていて、
東京タワーの歌のCDを置いてくれるというので届けに行く。
実はこの店、私の出したDMのコレクションをしていて、閲覧することができる。
プリントゴッコで作った素敵なポチ袋が売られていて、たまたまその作者来店、
しばしプリントゴッコ談義。
おそらく早晩消えてゆくだろうこの器械、部材の確保をどうするか、
が主な話題となる。

ちなみにシングルCD・東京タワーの歌は、現在追加プレス中。
製版フィルム行方不明につき、ジャケットの版を新たに起こしたため、
若干テキスト等を変更。
というわけで初回版を持ってる人は大事にしてね。


2006年1月26日 (木) がんばれ!!タケベくん!!

政府与党の物言いを聞いていると、もう腹立たしくなって健康に障るのだが、
そのなかで武部勤のトホホぶりには救われること。
アメリカの農務長官はぜひ、あの時のパフォーマンスを見習って、
背骨付き牛肉を美味しそうに食べてみせてもらいたいものである。


2006年1月27日 (金) はてなの文具

メールの普及で、文章の中に絵文字なるものが出現し(私は使ったことないのだ)、
若い娘の間では漢字の分解まで行われて、日本語の文の表情はまさに百花撩乱だ。
思えば幼少の頃、クエスチョンマークですら、さほど多用されていなかった。
で、その「?」マーク、まず何によってすり込まれたかというと文章からではない、そう、
「マジックインキ」である。「どんなものにもよく書ける」。
いまやゼブラのマッキーに完全に地位を奪われ、
あのずんぐりとした胴体を見る機会もめっきり減ったのだが、
しぶとく文具屋の片隅で生き延びている、頑固にデザインをかえずに。
模造紙に壁新聞を書く時は、あれなのだ。
キャップがかたくて親指の付け根がが痛くなる、臭い、すぐ乾いちゃってかすれちゃう。
そして数十年にわたって首をかしげ続けるトレードマーク、
疑問符中の疑問符、煙のようでありながら肉厚でグラマラスな「?」マーク。
手にとっても、買うことはおそらくもう生涯ないけれども、
文具屋の棚の前で、しばし、小学校の放課後にタイムスリップしそうになった、
おお、まさに魔法のインキじゃないか。


2006年1月28日 (土) 消えるよ、ほら

時間の余裕があるうちに(簡単にいえば仕事も暇なので)と、確定申告用の収支の計算。
還付金をもらう側だから早ければ早いほど良いのだが、ついついずぼらに、
気づくと、毎年期限を過ぎてからの申告が続いている。
領収証の束のなかに、感熱紙の割合がずいぶん増えた。
だんだんうすれてゆく領収証を平気と思う考えには同意しかねる。
3月7日の日付でJRの窓口から発行されたものもすでに消えかかっているが、ご丁寧に
「本領収証は時間がたつと薄くなる場合がありますので、
 長期保存する場合はコピーをお取り下さい。」
と書かれている。
薄くならない場合などない。
扱い者の印は、証明のためのしるしではなくて、
署名はめんどうだから代用するという、ただのスタンプにすぎないということか。
思い出作りに長期保存するわけではないのだ。
なるべく手書きの領収証を求める私は係にも、列ができていれば後ろの客にもうっとうしい。
だからといって、時間がたつと忽然と字が消えてゆく領収証は、失礼である。
場合によっては印紙だけ、真っ白な紙に残ってるという間抜けなこともありうるわけだ。
その痕跡から、いにしえの店頭のやりとりに思いを馳せ、記憶の断片を復元する、
ロマンがあるといえばロマンがあるけれども。


2006年1月29日 (日) 女たちの東大和 能天気ホテル・東横インチキ

宗教団体などではないために、例のハーレム集団の呼び方がなくて不自由である。
(恥ずかしくも東大和を東村山と大間違いしていたので一行削除)
それにしても、女性が事件にまきこまれると必ず「美人OL」だの、美人が多用されるが、
今回、美女集団などといわれないところをみると、
余程、人に見せられない容姿なのか、
その証拠に、みな顔にモザイクがかかっている。

映画「有頂天ホテル」観賞。名画。
ずっと年が明けなければいいのに……、明けたら終わっちゃうからね。
緻密で濃厚な筋立てはもとより、なお禁じ手として使ってない展開があると思われる。
エンドマークで終わる映画は気持ちいい。


2006年1月30日 (月) やつらの足音のバラード

ホームレスの住民登録、公園の住所にすることを裁判所が認めるというニュース。
つねづね思っていたのだが、ホームレスというのは失礼なのであって、
ブルーシートだろうが段ボールだろうが住居に違いはないのだ。
こわれやすいかどうかの差こそあれ、頑丈なはずのマンションだってあのありさまだ。
ただ少し生活形態が原始的なだけなのだ。
しかしながら公園にブルーシートは確かに見栄えが悪い、
いっそ登呂遺跡みたいにワラのようなもので作れば公園にも溶け込むのだ。
原始の暮らしを今に伝える無形文化財になるのだ。
そこまで徹底したら国で保護してよい。
ヒトもうらやむ原始公務員だ。
夏の夜、ギャートルズのように皮をまとった人々が、
ネクタイ姿で汗だくのサラリーマンを横目に悠然と、
岩のテーブルでビールを飲みながらラジオで巨人戦を聞いている。
この辺の基準は難しいところで、ラジオまではいいのだが、テレビはだめなのだ、情緒的に。
ただし、くりぬいた岩の中にブラウン管のテレビはオーケーである。


2006年1月31日 (火) ラストシネマパラダイス

「♪下町の生まれじゃないけれど〜」、歌姫楽団の名曲「浅草お転婆娘」を口ずさみつつ、
霧雨模様の浅草へ、おなじみ東洋館、しめりがちの客席を少しず〜つ、少しず〜つ、
まるで炭火を起こすようにあたためてゆく。

六区ブロードウェイつきあたりの浅草東映がパチンコ屋になって以来、
いまや浅草唯一の封切り館だった、浅草東宝、ついに今日で閉館。
残るは名画座3館とポルノ2館。
通常興行を先週金曜日で終えて、
この4日間は、今までの入場者数ベストテンを日替わりで上映だという。
通いつめたわけでなし、私にとってはさして思い入れがあるわけでもないので、
最終日だからといって見に行くというのは気がひけたのだが、
二本立で「東京オリンピック」がかかっていたので入館。
映画の公開は翌年だが、奇しくもオリンピックの年、1964年に開場した劇場である。
市川崑監督のこのドキュメンタリー映画、見せ方が抜群にうまい。
何度見ても涙が出そうになる、特に開会へ向かう高揚感、
そして開会式・閉会式のシーン、胸が熱くなる。
最終回はなんと「日本沈没」、浅草の映画館どころか日本をあとかたもなく消す。
ちりぢりになった登場人物が映し出されるラストシーンのテロップ、「世界のどこかで」。
明かりがつくと、ねぎらいの拍手がおこったが、
セレモニーも別段なく、あっさりとひっそりと、私と同じ年齢の歴史にエンドマークだ。


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2006年2月

2006年2月1日 (水) 旅でスカ(C-BA)

 民営化が決まった郵政公社、商売ッ気が妙に出てきて、ウワツイた切手が
続々登場。本日、ポケモン、ガンダムに続いて銀河鉄道999切手を発売。
 海外の小国が、よく外貨稼ぎに、全くその国に関係ないモチーフ、極端な
例では我が国のアイドルの切手を発行したりしていたが、日本もそれに近い
状況になってゆくのだろう。なげかわしい限りだが、すっかりその戦略にの
せられて、私も買ってしまう。
 1シート10枚、それぞれ絵柄が違うので揃っていると楽しいが、絵葉書と
一緒で、いざ使うためにバラすと、どうしても「スカかな」というのがある
のが困るところ。
 WAHAHA本舗の新年会に誘われて箱根湯本へ。
 小田急のロマンスカーでのんびり行こうと思ったら、用事が終わらず、夜
7時ちょいと前の「こだま号」で小田原へ。いちばんはずれの1号車は、東京
駅を出る時はガラガラだったが、品川で立ち客も出る。昨晩、TV版銀河鉄道
999のビデオを借りて見たら、鮨詰めで宇宙を走る通勤電車が登場、新幹線
で立つ通勤客を見ると、あながち冗談ではない。
 大宴会場で、お得意さまを招いての宴席、ワハハの若手達が御祝儀争奪で、
与えられた課題で芸を披露している。久々に元新人達を見たら驚く程レベル
アップしていた。ただの宴会芸ではない、ちゃんとヒネリが加わった演芸で
海千山千の酔客を相手にしている。案の定、客のつもりの私もやる破目にな
るが、そういうネタないし、もう堂々と笑いをとらずに御祝儀を頂戴する。
 スカにも存在価値があって良かった。


2006年2月4日 (土) 「瞼閉じればそこに」……う〜むモヤがかかって

 立春。春は名のみだ。
 あまた楽曲のある中で、私にとってイントロの最も印象的な曲は、松任谷
由実・正隆コンビの「春よ、来い」である。あの甲高いピアノのリフレイン、
何度聞いても、背後から不意打ちをくらったような衝撃が胸を閉める。
 この卑怯者め。
 続く歌詞がただ美しい、意味以上に耳あたりが美しい。まさに美辞麗句で、
1番に関しては、この際、意味はどうでも良い気がする。
 子供の頃から、歌を歌う時はイントロも口ずさまないとすまなかった私は、
イントロ当てクイズが大好きで、テレビのドレミファドンを毎週楽しみにし
ていた。ラジオのベストテン番組をくまなく聴いていたおかげで、80年代前
半の頃は、ウルトライントロクイズを含めて百発百中。ニューミュージック、
演歌、アイドル、オールジャンルOK、ただし、邦楽に限る、で、洋楽は極
端に聴かなかった。今や記憶の扉はさびまくりで、最初の一音で曲の特定は
できても、まず曲名も歌い手も出てこなくなったのは情けない。
 数少ない洋楽のストックからベストオブイントロを探すと、やはり「愛し
のレイラ」デレク&ザ・ドミノスだな。(あってんのかな。)


2006年2月7日 (火) ラビット関根

 できれば男子がいいと思うけれども、もし3人目が女子ならば、ぜひ「リ
コ」様と名付けていただきたい。


2006年2月8日 (水) さよならだけが人生か

 近所のミスタードーナツは11時までモーニングサービス、のべつ行っては
頭をひねっている。店員は客に勝手なアダ名をつけるもの、はたしてどう言
われているのか。「ポン・デ・リング」を頼むことが多い私だ、ポンデメガ
ネとでも呼ばれているか。
 おかわり自由の煮詰まったコーヒー、3杯目ともなれば脳味噌も煮詰まっ
て、天気が良いので根津へ散歩。しばらくぶりに裏通りへ足を踏み入れると、
暗く狭いはずの路地の行く手が不自然に明るい。哀しい予感とともにそこに
たどりつくと、思ったとおり、あの曙ハウスは解体工事中であった。
 戦災を免れ、最近では観光地であるこの界隈でも有名な、間口の広い2階
建オンボロアパートで、中央の入口の上には「スウハ曙」と金属製のプレー
トがかかっていた。今すでに奥の壁を残してほとんど解体は終わり、だだっ
ぴろいガレキの原のまん中、重機のコクピットでは、足を青空に投げ出して、
オペレーターのアンチャンが昼休憩。向い側の長屋も取り壊しを待っている。
 もともと、朽ち果てて行く様が絵になっていたような文化遺産だから保存
のしようもない代物であったが、名物建築がまた一つ消えてしまった。実際
にバリバリと壊されているところでもなく、また更地になった状態でもなく、
あらかた潰されて一服という状況を目の当たりにすると、淋しさもわかない。
 それより他は無事かという思いに急かされて、付近をパトロール。
 元モロ師岡邸も、玉林寺裏の井戸も、みかどパンも無事、一安心。ほっと
一息、カヤバでコーヒーをすする。上野桜木交差点角に建つ、この古き良き
喫茶店、少しでも長くやっていることを、祈るばかりである。


2006年2月9日 (木) 辻加護に宿駕篭

 えー、驚いた、加護亜依、……18歳か。
 加護亜依が煙草をふかす姿は、絵になると思うので、かまわないのだが、
18歳は似合わない。いっそ早く、小料理屋のママにでもなると、ニンに合
うと考える。


2006年2月10日 (金) 上野をあとに池袋

 ぴんとはりつめ澄んだ空気、刻々と空が蒼く暮れてゆくにつれて、月が煌
々と輝きを増してゆく。コートの襟を立てて電車を待つ人々の増えてきた駒
込駅の細いホーム上、3分おきに到着する山手線に乗ることもなく見送りな
がら、4号車の網棚を凝視する不審な男がひとり。
 これから目白で仕事があるのだが、そこで着る衣裳がぐるぐると、外回り
電車で旅をしているはずである。西日暮里から電車に乗って、まずは神田で
用事があったのだ。以前のライブの録音をウォークマンで聴きながら「ケッ
コウ面白いこと言ってるな、俺」などと思いつつ電車を降りたおかげで、う
っかり八兵衛。気づいたのが用事をすませたあと。だいたい、このへんで待
ちかまえていれば一回りして再会できるはず、と思いを駒込駅、電車着くた
び目をこらす。
 ない。
 入り時間を遅らせてもらって吹きっさらしに小一時間、もうダメだと自宅
へとんで帰って、別の衣裳を取りに行く。開演にはじゅうぶん間に合って、
ポポタムという絵本店&ギャラリーで、絵本作家の大島妙子さん、工藤ノリ
コさんの二人展、その名も「二人会」の記念演芸会。柳家喬太郎師匠と二人
会。今頃、衣裳はどのあたり、と思いつつも、乗った電車が特定できなけれ
ば、車庫に入らなきゃ探してもらえないし。あきらめて、打ち上げまで楽し
い時間を過ごす。


2006年2月11日 (土) 御安心なく

 山手線は1周62分。回収されたのが1時過ぎというから、終電車か、その
1本前である。私の手から旅立った衣裳は東京を7回半まわって、品川駅に
たどりついていた。道中、大都会の週末の夜の喧噪と誘惑におびえながら、
旅を続けたのであろうが、ハンガーケースは黙して語らない。少し乱れたそ
の衣裳は、駅員にもてあそばれたものだろう。
 読者諸君、心配をおかけした。無事、衣裳は戻りぬ。さすがに今回出てこ
なかったら、もう日記には書けない、恥ずかしくて。あ、なくした時点でも
う恥か。
 ホ−ム事務室を辞して階段を昇ると、広い品川駅構内には名店街が展開し
ていて、なかなかの有名店ぞろいである。JRがその立地を生かして、大儲
けというのは気に入らないが、東京駅で土産や弁当を買うより、華のある買
い物ができる。噂の大阪「豆狸(まめだ)」のいなりずしを買って、東京行
の湘南電車、1ボックス空いていたので、旅情満点の青いシートで包みをあ
ければ、8分間の夢気分。
 天気もいいし、このまま、折返してどこか行きたいところだが、ありがた
くも再会をはたした衣裳とともに浅草へ行かねばならぬ。
 夜、御年八十にしてピンピン、オシャレにして二科展入選の画伯でもある
漫談家・晴乃ピーチク師匠の独演会に出演。我が半生の倍生きて、客席から
笑いをとっている。永遠に終点の来ない電車のようだ。


2006年2月14日 (火)
 「断るわけにいがねえ、なにしろ日本代表だからねえ(太田家元九郎師)。


 名古屋でB級遊撃隊という劇団を主宰する劇作家・佃典彦さんが、岸田戯
曲賞という、脚本の世界の芥川賞を受賞した。東京大阪以外を本拠地に活動
を続けて、全国的に認められるというのは並大抵のことではない。
 仲間内でのパーティを、明日我々がライブをするTOKUZOで開催、つ
いては、もし、都合がつくようであれば、来てお祝に何かやってくれないか、
という誘いを、3日ほど前に受ける。もともと明晩の泊りは安ビジネスホテ
ル、1泊余計に増えたところでまあ、たいした出費ではない。それより諸々
の準備が間に合うのか、という事が問題だが、先乗りしたほうが結局ラクか
もしれぬ、と、とるものもとりあえず、名古屋行の車中の人となる。
 もともと名古屋でライブができるのも、佃さんをはじめとする、演劇連中
あってのことだ。少々の御恩返し、もちろん宣伝効果も期待して。
 会場には大勢の関係者がつめかけ、知った顔もちらほら。しかし、今晩こ
れだけ集まっているということは、明日は都合の悪い人が多いということで
はあるまいか、ひょっとして。御祝儀に10分ほどのネタを、爆笑のうちに
舞台を降りるが、あんまり動員にはつながらないだろうな。佃さんが喜んで
たからいいんだけれども。
 ホテルは歓楽街、錦三のまんまん中であった。東京でいえば歌舞伎町だ、
タクシーの運ちゃんに、そんなホテル知らないとすっとぼけられた。界隈に
入っちゃうと出てくるのが大変だからだろう。宿について、ベッドに倒れこ
む。窓のすき間から喧噪と冷気が流れこんでくる。


2006年2月15日 (水) ねこマジ&寒空はだかツアー ROAD TO AMERICA

 名古屋駅でのぞみ号から降り立つ、ねこマジの三人娘をピックアップして、
新譜を発売した彼女たちを矢場町のパルコにあるタワーレコードへ連れてゆ
くも、珍しく全館定休日。CDのプロデューサー・十郎ザエモン氏と合流し、
私がちょっと気になる洋食屋にはいるも失敗。味噌カツ定食にもたれた胃の
まま渡るにはナゴヤの街の通りは広い。
 今回のTOKUZOライブは、ねこマジと半々でやるからソロよりラクだと
思っていたが、名古屋は私がセッティングしているので、自分の事と相手の
両方考えなければならないから結局、労力は倍である。
 リハーサルの準備をしていると、納品に来た八百屋のオヤジさんが、
「今日、つボイノリオのラジオで久々にトクゾウの話しとったね。」
と、店の看板娘・イズミ嬢に話している。後に、お客で来てくれた、パチン
コフジのCMのプロデューサー氏に聞いたところ、CBCのつボイさんのラ
ジオで、東京タワーの歌をかけてくれたそうなのだ。面識はないのだが、番
組宛にCDを送っておいたのである。嬉しい。ありがたい。
 御当地初見参のねこマジが大いに会場を湧かした後、私の登場。時事ネタ
を織りまぜて50分のステージはあっという間に終わる。無難にまとまって
はいたが、破綻がないのは私らしくないか。


2006年2月16日 (木) ROAD TO AMERICA アメリカ村珍道中

 近鉄名古屋駅、特急の出発メロディはなぜかドナウ河のさざ波、映画「ジョ
ルスン物語」によると結婚を祝う曲でもアルらしいのだが、旅立ちの合図に
は淋しすぎる曲調。二度と帰れぬ西方への旅のようだが、お楽しみはこれか
らだ。曇天の濃尾平野をアーバンライナーは黙々と進む。ゆったりとした車
内でまどろむうち、鶴橋の高架沿いに広がる屋根の波、浪速に来たと実感。
 雨の御堂筋を背に高速下から西心斎橋・アメリカ村へ。東京で言えば渋谷
センター街かスペイン坂界隈。Twice Cafeという、お初のライブカフェ。
 今夜の出演は4バンド、その一番手、「あなただけ今晩は」のテーマ曲に
乗って、銀のモッズスーツに身をかためたメガネ男、天井の低いステージに
しれっと登場。場所に合わせてネタを変えたので、昨夜に比べて非常にとり
とめのない内容となる。まとまりにくい空間だと、私のような薄味の出し物
は弱い。お客を見下ろせないフラットスペースだと、ハッタリがきかないの
である。寄席芸人寒空はだかを期待してきた人には申し訳ない。好き嫌いの
別れる構成だが、店員のカワイコチャンが、面白いと言っていたので合格。
 地元の男性フォークデュオ「COGUI」が、さわやかなコーラスでわだかまっ
た客席を安心させたあと、ねこマジ登場。再後列から望む舞台は遠く、三人
の背は低くて見にくいはずが、それを感じさせない。抜群のパンチ力で観衆
をノックアウト。トリの「THE BOKERUKA BOKERUKA」、ストレートな
ロック魂でとどめをさしてライブ終了。
 ツアーチームで、道頓堀の焼肉屋にて打上。


2006年2月21日 (火) 石の上にも4年

 寝るつもりはなかったのだが、ウトウトから気絶するように眠りに落ちて、
気づけば朝ではないか。ニュースによると準決勝をかけた女子カーリング予
選の最終戦、対スイスの試合は負けだそうである。今回のオリンピック、日
本選手の低迷が続くが、初めて本気で残念に思う。またバンクーバーでね。
 名阪ツアーと重なり、あまりテレビにかじりつけなかったこともあって、
五輪好きの私も、日本選手の成績以前にあまり熱くなれなかったのであるが、
見て面白かったのはスノーボードクロスね。4人が一緒に斜面を競って滑る。
狭いところをくんずほぐれつ進む様はチキチキマシン猛レースのようで、な
んだか馬鹿馬鹿しくて良い。そこで、思いついた新競技、是非実現させたい
のは、同じスロープを50人くらいで走りおりる競技。それこそ、こけつ転
びつ、一目散に麓をめざす。男子3000メートルダウンヒル。イイと思うぞ
(あのコースが何メートルだかは知らないが)。


2006年2月24日 (金) メダルトリーノ、トツギーノ。

 「静香」名前どおり沈黙は金。って言ったら、東洋館の客席はキョトン。
「……お客様がシズカになってしまいました。」
 今回の荒川の金メダルで、ジャンプに続いて、フィギュアスケートでも、
規則改正による日本いじめが始まるであろう。あの原田の失格も、身長・体
重と板の長さのバランス、という非常に緻密なバランスの要求が招いた悲劇
である。だいたい、飛んだ後、足りないっていうのもひどい話だ。飛ぶ前に
教えてあげればいいのに。そういう、物陰に潜んで、違反した途端に出てく
る白バイのようなマネしなくても、ね。かくして、次の大会から、荒川静香
に不利なルールが採用される、目尻の角度は何°以下とか、目と口のバラン
スを整えろとか。
 みんな夜なべでテレビ中継を見た後じゃ、昼の演芸場なんかガラガラの上
に眠たそうにしているのではないかと思っていたが、大入りの上に元気なお
客である。
 良く考えてみると、前の晩から起きてたのではなくて、早起きが得意な客
層であった。

 スルツカヤ……、マツザカヤを字面から連想する貴方は名古屋人。


2006年2月25日 (土) ごめんねわがままで

 本日の東洋館昼席(夜席はないけれど)は、よく笑う客席、ジャックポッ
トの毒のあるネタにもついてくる。そんな客席ならしめたもの。自在に笑い
をあやつる自分に、ちょっと歯が浮く。なんか調子にのってんじゃないの。
 玉川平太朗師匠が、思いきり背中をそらせて、
「イナバウワー、100人乗っても大丈夫」、
ヒトが思いつくとくやしい。なぜ自分が思いつかないか。
 読売東京版夕刊のメガネ特集にとりあげてもらう。……写真がかわいくな
い。疲れてたし、あの日。昨日、無理を言って原稿をチェックさせてもらっ
た。私のコメント中に「こだわり」という言い回しがあったので「思い入れ」
に変えてもらう。こだわるという言葉は、いい意味では使わないことにして
いるのだ。便利に使用されるこの表現だが、本来、「細かいことにこだわる
な」という様に使うべきだと思っている、細かいことだが。
 夕刊最終面の特集記事に私を加える、記者の思い入れに……、この場合冒
険か、感謝。


2006年2月27日 (月) だからカーリングが嫌いな人には、すすめない。

 テレビや広告で、「ちゅらさん」こと国仲涼子だと思っていたうちの7割
は、加藤ローサだという法則がある。 
 同様に山田まりやだと思ったら熊田曜子だったり、岡本綾と竹内結子の判
別があいまいな時期があった。見る人が見れば一目瞭然だろうが、私にとっ
てはそうなのであって、特に3例目については、明るければ竹内、地味なら
岡本と決めた。
 その加藤ロ−サ主演映画「シムソンズ」観賞。新宿シネマミラノにて。
 北海道、常呂町(北見市に編入)が舞台の、カ−リング女子の青春映画。
面白い。冬期五輪もあったのに、あまり話題になってないのは、ただのアイ
ドル映画と思われているためか、もったいないことである。教科書どおり、
といってもいいストーリーの王道を、なるべく熱くならないように淡々と進
める分、観ている側の心が動く、絶妙なバランス。それぞれの演技が鼻につ
かない、役者が良い。あ、みんなカッコ悪いからだ。
 加藤ローサは突進しすぎず、藤井美菜のかたくなさがいやらしくなく、高
橋真唯はボケすぎず、星井七瀬の泣きはうっとおしくない。
 北海道のドライな空気感が漂うかわりに、記号的な北海道の描写を排除し
ている。
 まさにカーリングのごとく、派手な展開も事件もないのに、運も味方につ
けて、ギリギリの勝負でセンターサークルにおさまる、素敵な映画であった。


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2006年3月

2006年3月忘日 グレートムダ

か な 変     で 単 が ズ の   苦 の と 用 書 
い っ 。 横 今 あ な 、 ム 、 パ 労 へ 試 紙 く 最
さ ち だ 書 回 ろ 方 世 で し ソ し ん み の と 近
き ゃ い き 、 う 向 界 改 か 根 た で た 使 い 、
に っ い 用 縦 と へ に 行 も 性 。 段 。 い う マ
た た ち の 書 、 流 公 し 横 、   落 案 方 作 ス
た 、 、 フ き あ れ 開 た 書 も   を の に 業 目
ず あ 推 ォ に え る す ほ き と   区 定 そ を を
。 ん 敲 | 挑 て の る う 文 い   切 、 っ し 一
  あ が マ 戦 そ は 日 が で 、   れ 書 て て つ
  あ め ッ し う 、 記 親 あ パ   ば き 二 い ず
  あ ん ト て し 創 た 切 る ソ   良 方 月 な つ
  お ど で み て 作 る な か コ   い を 分 か 埋
  ど う 縦 た み の も 事 ら ン   の 忘 は っ め
  ろ 。 に 。 た プ の は 、 上   か れ 記 た な
  い あ 書   。 ロ 、 重 読 で   等 て し の が
  た あ く     と あ 々 み 読   、 い て で ら
  。 あ の     し ま 承 よ む   非 て み 、 文
  こ や は     て り 知 い た   常 、 よ 原 章
  う ん 大     恥 簡 だ リ め   に ど う 稿 を 



2006年3月忘日 業平橋にたつたがわー

 からくれなゐに水くくるタワー(在原業平朝臣)

 業平橋の東武の貨物駅の跡地に600メートルの新タワー建設決定。
 仮称すみだタワーと言うのだが、なんか語呂が悪い。建てるのは東武鉄道
なので、いっそ東武タワーの方が私は潔いと思う。墨田区の町起こしのため
に建てるんじゃないんだから、まして平仮名で「すみだ」というのが気にく
わぬ。正式に「東京タワー」の名を譲ってもらって二代目を名乗る、そのく
らいの覚悟でやってもらわないと、芝のタワーの功績に対して失礼だ。
 あのラッパを逆さにしたような形でふんばってる東京タワーが好きなので
あって、新タワー建設に消極的なことは、以前にも日記に書いたのだが、こ
うなると話題にしないわけにもゆかず、困ったものである。新タワーがらみ
のイベントに呼ばれれば、小銭欲しさに行くのだと思うと情けない。
 いまや盲腸線のごとくなりつつある、東武の曳舟〜浅草間が生き延びる糧
になるのは幸いだが、ただただ便乗しようとする浅草の街のうかれっぷりに
今から気が重い。
 もちろん、「東京タワーの歌」については便乗する気まんまんである。元
祖東京タワーを守る側として。


2006年3月忘日 NGワード

 審判の目はフシ穴ハイム、はNG、なぜならば、わざとだから。

「スカイマークエアラインズ 修理怠り9カ月運航」
飛行機が、都合1年3ヶ月、傷んだ箇所を直さないまま無事飛べるんだから、
中古家電くらいほっといても平気である。


2006年3月忘日
 「堤燈をともして、お迎えをたてると云う程でもなし、なし」


 うららかに晴れわたる弥生の午前、ざぶとん亭サイトをのぞくと、本日、
奥三河の花祭というお神楽に、ミスター神楽氏と共に向かうと記されている。
以前から興味があって行きたいと思っていたところに、絶好の行楽日和。今
出れば鈍行で行っても現地の終バスに間に合う。旅支度もそこそこに、西日
暮里駅で青春18きっぷを購入して車中の人となる。
 余命短い橙と緑のツ−トンカラーの電車はゴトゴトと西へ向かうが、花祭
についての情報はほとんど得るヒマがなく、愛知県の東栄町の某所で夜通し
舞を舞う、ということしかわかっていない。町の中心部へ走るバスの時刻は
ネットで調べることができたが、後は行ってみないとわからない。何時頃か
ら行われているかも知らない。現地には知り合いが行っているのだから、最
悪、携帯電話に電話すれば合流できるだろう。先に連絡しておけばいいのだ
けれど、それではつまらないし、途中で私の気が変わらないとも限らない。
 豊橋から夕焼けの中を飯田線に揺られて、山峡にさしかかる頃には、日も
とっぷり暮れて、案の定、うす気味悪い無人駅に到着。それでも町営バスが
エンジンふかして客を待っている。他所者らしき客はいない。途端に、自分
が不審な存在に思えてきて、おいそれと祭について尋ねられない気分になる。
こんな山の中に、無鉄砲にやってくる旅人などいるものか。私は奇異な目で
見られることに、案外臆病なのである。そこへ運転手の携帯電話が鳴って、
受けた彼が振り返ると怪訝そうな表情だが「花祭へ向かう人はおるかね?」
と渡りに舟。ところが私は声が出ない。
 発車時刻が来ると、5名ばかりの客を乗せた最終バスは、ヘッドライトを
左右に振りながら、暗闇をこじ開けてゆくように山の中へと分け入ってゆく。
 その名も本郷と言う、町の中心部らしいところで客はみな降りてしまい、
私もバスを見送る。まだ夜7時とはいえ、ひっそりとした「商店街」、どこ
の集落に行けばよいのか皆目見当がついていないので、仕方ない、先発隊に
電話してみようと公衆電話を探すと、これがないのである。私はケイタイな
ど持っていないのだ。タクシーも呼べないではないか。結局、その集落に公
衆電話はなく、役場のある隣の集落まで歩く。空には月が煌々と輝き、星の
きらめきは、未だ冬を思わせる。心細いと言えば心細いが、狼や熊が出るほ
どの山中でもなかろう。
 ようやく東栄町役場前のボックスから電話を試みるが、相手は出ない。電
波が届かない可能性もあるではないか、考えてみれば。お神楽は、十数箇所
の集落で、時期をずらして行われることは知っていたのだが、役場脇の地図
で、今晩は布川(ふかわ)でやっている、ということは確認できた。歩いて
行ける距離でもなさそうだ。観念してタクシーを呼ぶと、妙に陽気な運ちゃ
んは更に山奥へと案内するのであった。


2006年3月某日 おぼえがき

・ネットニュースのヘッドライン一覧、
「朝日社長息子、大麻所持」の下に、
「石原都知事、麻生支持」とあって、ちょっとびっくり。
・小泉構造改革、民主党は渡部コーゾーが改革、と思ったらやめちゃうのね。
・東京メトロ、時刻表の新しいデザイン、見づらくなった。字が太すぎる。
寄席文字じゃないんだから、そんなに空間を埋めなくてよい。


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2006年4月

2006年4月忘日 三原うなぎとブルーハママツ

 栗コ−ダ−カルテットの川口さんから、「浜松のショッピングセンターで
インストアライブをやるんだけど、通りががからない?」と誘われたので、
偶然、彼らが京都から降り立つ、浜松駅の新幹線改札の前を通りがかる。
 通りがかる前に駅の土産物店を物色していると、これが色々と悪のりした
菓子が並んでいる。
 まずは春華堂の「夜のお菓子・うなぎパイ」、これは「真夜中のお菓子・
うなぎパイVSOP」を従えて全国的に有名であるが、ちゃんと昼のお菓子
もあって、それは「えび汐パイ」。では朝は、さがしてみたらちゃんと用意
されていて、「すっぽんの郷」と「すっぽんの童」。浜松の人は朝からすっ
ぽんなのか。他のメーカーからは、「うなぎんぼ」「うなぎのぼり」「ふぐっ
きー」エトセトラ。ウナクール、これはかゆみどめ。
 浜松で喋る機会は実に15年ぶりくらいである。まだ♪たわーたわー、もな
かった頃だ。
 開口一番「私の時間はあってもなくてもいい時間ですから、静岡空港のよ
うな」と言ったら微妙な反応であった。吹き抜けのステージの後ろにはジグ
ザグに交差しながら上へ伸びるエスカレーター、乗った人々が怪訝そうに見
下ろしながら上昇してゆく。
 ベーグルとオムライスがおいしいカフェ、Esquerita68で行われた、
栗Qのライブでも露払い出演。忙しくも楽しい一日であったが、うなぎはパ
イのみしか食べられず。


2006年4月忘日 ソロライブ“SLOW WOMAN SLOW CRY”

 以前よく使っていた中古の革トランクは味があってとても良いのだが、高
いわりに、使い出すとすぐこわれてしまうので、飛行機のようなジュラルミ
ンの古いトランクを愛用していた時期があった。とてもカッコよいが、あま
りに重くて音(ね)を上げた。
 今はストライプ柄のコムサのキャスターバッグ、使ってる人が多いのはタ
マにキズだが、安くて使い勝手もいいので、これを持ち歩いている。文字ど
おり持ち歩いているのであって、極力ひきずらずに把手でさげ歩いている。
ゴロゴロ引っ張るのがうっとうしくてきらいなのだ。
 ところが意に反してひきずるはめになるのがソロライブの時である。
 はだか一貫と言わないまでも、カラダひとつ持っていけばなんとかなりそ
うな私のライブだが、主催者ともなるとそれなりに荷物は増える。満載のト
ランクに衣裳ケース2着、CDを詰めた紙袋が加わると、転がさずには移動
できない。気の毒な前座さんという風情で吉祥寺大通り(元の近鉄百貨店、
来月撤退する三越の前の通りだ)を黙々と歩く。入り待ちする一団でもあれ
ば、駅から1メーター、タクシーに乗るところだが。
 入口の階段を降り、迎える受付の看板娘の笑顔に、私はポーターではなく
て、本日のメインイベンターであることを思い出す。この素敵なライブハウ
スは今日一日、私ひとりのために、スタッフもゲストもお客さんもひきずら
れてゆくのだ。なんと幸せなことか。例によって構成は現時点ではまだ確定
していない。非常にスリリングなまま開演の時刻が訪れるはずである。今日
まで、考える間も惜しんで寝てきたのだ、体調はよし、あとは野となる山と
なる。


2006年4月忘日 忘却戦隊ワスレンジャー

4月26日(水)吉祥寺・STAR PINE'S CAFE ソロライブ
 言い忘れたことあれこれ。
・「♪スロー、ウーマンスロークラーイ、『た〜〜〜〜す〜〜〜〜け〜〜〜
てえええ……』」
・「もりあがってますか?……山手線の線路。」
・「スカイマーク、安全ですよ、安さが全てと書いて安全。」
・「♪白さと香りと情熱のゥォ〜、『ニューB'z。』」
・(円楽師笑点引退/新庄プロ野球引退)「笑点の空きに新庄が入ると思っ
たんですよ、古今亭に弟子入りして、古今亭志ん庄。」
・「(中国から)黄砂が日本中ふりつもっちゃってね……、そのうちウチの
領土だって言い出すよ。」

 ゲストの「水中、それは苦しい」のボーカル、ジョニー大蔵大臣からリク
エストされた、「恋愛戦士レインボーズ」もやり忘れたな。


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2006年5月

2006年5月忘日 不運、救

 ちらりと顔出して、遠目に様子をうかがうつもりだった、横浜にぎわい座、
立川笑志さんの独演会。
 衣裳を持っているのに気づかれる。「ちょっと出ない?」と言われて、光
栄であるが荷が重い。スペシャルゲストは立川流家元談志師匠である。笑志
さん真打昇進のカギを握るとも思われているこの会に、私なんか出してマイ
ナス点必至ではないか。頭のいい人は出ない、出ないと言うより出る状況に
持っていかせない。また出てしまうのである私も。
 開口一番に前座の立川らく次君、笑志さん1席やって談志師匠が休憩前、
中トリをとる。その後の幕開き、私が、トリの笑志さんの前に出演という段
取りだ。
 談志師匠は機嫌良さそうに「やかん」をやっている。まあ私の後の出番だっ
たら機嫌に障ることもあるかもしれないが、幸い逆である、楽屋で私のネタ
に眉をひそめても、もはやそれはそれだ。「お客さんとしても談志師匠が終
わって休憩になった時点で、もう結構満足でしょ、ね、東横線で言えば渋谷
から横浜まで来ちゃった感じでしょ?私はなくなった高島町駅みたいなもん
ですから……」と、舞台袖でマクラを考えていたところで、客席から高座に
ヤジがとんだ。凍りつくにぎわい座。いきなり東横線脱線。
 誤解のないように記しておくと、演芸場とはいえ、話の終盤でのすくいよ
うのない無意味なヤジである。どんな演者でもがっかりするところだ。
 それでも、談志師匠なりの処理をしようとしたところに追い撃ち。
 東横線、反町で運転打切。寒空はだか、急に大事な使命を帯びる。
 今日の私の出演は開演10分前に決まったものだから当然、観客は知らない。
軽快な音楽とともに幕が上がると、メクリには見なれない名前。見なれぬメ
ガネの男、満席、400名の前に登場。
「……どこに災難が転がってるかわかりませんね。」場内爆笑。
結果的にはいいクッションとしての役割を果したのであろう。笑いはとった
が決していい出来ではない。しかし、あの一件がなければ、楽屋の談志師匠
を意識した、気負った高座になっていたに違いない。思い出に残る舞台に立
つことができた。笑志さん、「茶の湯」、喝采のうちに幕。


2006年5月忘日 「野球って、こわいスポーツよね。」

 ゴールデンウィーク、端午の節句、テレビに映し出された満員の広島球場、
青空の下、五月の風に吹かれるスタンドはとても気持ち良さそうだ。やっぱ
り野球はドームでは、いかん。甲州は石和、ざぶとん亭亭主宅の居間でそん
なことを思いながら、翌日のライブの主役、エンケンさんの到着を待ってい
ると、画面をのぞきこんだ某歌姫、
「聞いたら野球って、バッターの目の前にいる人達ってみんな敵で、それを
一人で相手にするっていうじゃない。で、味方はっていうと、箱の中から見
てるだけですって?」
 なるほど、言われてみればそのとおり。ひどいスポーツである。普段どお
り、画面右下に得点とカウントが記号で表示されている。
「あたし、SBOって、ストライク・バッター・アウトって思ってたのよね。
中広、って……、SMAPの人みたいね。」
 目からウロコ。襟かわクロ。中と広の字が並んでいるのがどうにも気になっ
ていたのだが、それだったか。


2006年5月忘日 山のあなたの空遠く

 甲府16:10発新宿行、特急「かいじ116号」は、左右にカーブをきりなが
ら、暗緑色の山中をずりずりと滑り落ちてゆく。いつも混んでいる日曜午後
の上り電車も、5連休最終日はさすがに空席がめだつ、乗客はみな、戻らね
ばならない日常に向かって静かに降りる駅を待っている。
 桃源郷と東京を結ぶ細道の空はあやふやな色、夢と現実との狭間でうつら
うつら。昨夜のエンケンライブ、前座の前座ながら、同じステージをふんだ、
その余韻は幻の世界に遠ざかる、正気にもどる頃に待っているのは、一旦、
寒空はだかではなく本名の私にもどらねばならないという、また別の非日常
の世界である。
 車窓が突然明るくなると高尾駅、はっとしたように都会のリズムが動き出
す。ホームにそびえる天狗の面が、夢の国への未練をたちきる。
 実家最寄りの東武線松原団地駅に降り立つ。かつて、私も暮らし、完成時
は東洋一の大団地と言われた324棟6000戸のニュータウンも、たった40年
の歳月で再開発がはじまり、駅前の一街区がまるまる更地になっていた。諸
行無常とわかってはいても、あるべきものがそこにはなくて茫然とする。い
つまでもある気がしているものが、……人の命もまた同じ。


2006年5月忘日 不器用な孫の手

 自分が親になった時、できなかったら情けない、と子供心に心配し、未だ
にできないことが3つある。
 そんなことを心配するより、まず所帯も持っていないことを恥ずべきなの
であるが、まず1つ目は、凧上げができないこと。これはやったことがない
のである。機会が幸いしなかったのであって、そのまま今に至ったのである。
だいたい、努力したり練習しないとできないことは、よほど必要にせまられ
ない限りやらない性分なのである。だが、男として情けない。
 第2に、ゴキブリを捕まえられない。瞬時に敵の息の根をとめて、ゴミ箱
へと始末すること。苦手な人も多かろうが、少なくとも、わが両親はできる
のである。これは親の威厳を示して余りある、頼もしい行為なのだ。
 そして一番困るのが、箸の持ち方で、これが、正しくない。「ん?おかし
いくないか?」という、ニセの箸遣いをしているのだ。どう間違っているか
はわかっているし、正しい形もイメージできる。ところができないのだ。箸
が持てないということは、日本人として失格なのだ。首相の名前も知らない
ような、人前での化粧もなんとも思わず、物をくすねても平気な、ノータリ
ンではしたない愚か者がいたとしても、もし正しい箸の持ち方ができたなら
私の方が劣るのであって、持ち方を引き合いに出されたらグウの音もでない。
 私の箸の持ち方を常に気にかけてくれて──それは小さい頃はうっとうし
くもあったのだが──直そうとしてくれていた祖母の骨を、今も少し心もと
ない持ち方で大事に拾う。数え百歳。これじゃ安心して旅立てないねえ。


2006年5月忘日 二等車の客

 遠出をするのは好きなので、仕事でその機会ができるのは嬉しいことだが、
中途半端な距離というものがある。東京近郊、荷物をかかえて(網棚にのせ
るけれども)延々、つり革につかまっているというのは楽しくない。ゆけど
もゆけども通勤電車の延長線上で味気ないし、目的があるから、ふらり途中
下車するわけにもゆかない。今日の仕事は立川である。神田から中央線の特
別快速で40分、新宿からでも27分。
 東京駅から特急に乗ってしまう。本数が少ないから、わざわざ早めに家を
出た。名古屋まで鈍行で行くのは楽しいが、立川まで快速電車はつらいので
ある。三鷹と国立の間は何度乗ってもうやむやな空間で、特に小金井周辺は
私の地図の中では白いままの未開の地なのである。西武線とならんでなぜか
苦手なエリアなのだ。
 検札に来た車掌に、車内放送の声が小さくて聞こえない、と言ったら、今
度は大き過ぎるようになってしまった。ボリュームをあげるだけじゃなくて、
腹から声を出さねば。もれてくるヘッドホンステレオの音のような放送が最
近多くて気にいらない。鉄道員は通る声を出す、これが安全への近道なのだ。
 立川で結構な人数が降りる。時間は特快とほとんど変わらないのだが、特
急料金500円。みんなゼイタクだ。はしたない。
 市民会館にて柳家喬太郎師匠の独演会にゲスト出演。20分ほど中庸なネタ
を、ああ、声が出てないや。楽屋に旧友、漫才師・ダムダムダン来訪。


2006年5月忘日 
「まあ文化祭も〜、先生ん時はさあなんかあれだったなあ……、こう〜、」


 昨年の映画についての記述の中で、最大のあやまちは、「ALWEYS 三丁目
の夕日」をほめ過ぎたことである。前田隣師も怒っていたような時代背景の
リアリティの無さは想像するしかないものの、気持ちの悪いところは確かに
いろいろとあったのだ。それでも見終わって楽しかったのも確かだったので、
仕方ない。
 もう一つの反省点は「リンダリンダリンダ」を観られなかったこと。よう
やくそれをDVDながら、叶えることができた。4人の女子高生を主人公に
描かれた文化祭、人物達が実にリアルで、胸にせまってたまらない。おさえ
た演技、一見淡々とした展開の中に、ワンカットごとにそれぞれの喜怒哀楽
が凝縮されている。どこを切っても名場面なのだが、真夜中の練習中の、煮
詰まった時間の感じなど、まさにあのとおりなのである。どうするとこんな
に自然で緻密なムダのない映画が撮れるのか。作った人達は天才なんだろう。
 また構図がすばらしいのだが、苦手な人には、アップにならないその構図
が耐えられないらしい。まるで我々は、遠くから昔の私達を見守るように見
ている。あの学校の、校舎の壁のひんやり感が愛おしい。1週間レンタルの
おかげで毎日のように見直しているが、何度見ても発見がある、何度見ても
飽きない。私が見た2005年公開映画のベストワンに選出。
 ちなみに、唯一クサいキャラクターが、映画研究会らしいメガネ男で、こ
れが演技といい、立ち姿といい、私を見ているようだ。我が高3の文化祭は
台風で、最終日を残して中止になってしまった。しかし幸せなことに、四十
を過ぎた今でも、毎日文化祭とその準備をくり返している。


2006年5月忘日 「5月19日 吉祥寺冗談音楽祭」

 コンビニにて、前に並んでいた女子中学生が、釣銭を持って戻ってきた。
見慣れない硬貨にとまどったのである。
「これは、昔の100円玉なのよ。」
 知っている世代であるレジのオバチャンは、そういいながら今の100円玉
と交換。私は握っていた細かいお金をひっこめて、千円札でお買い物。
 久々に見る昭和34年と41年製、すりへってくすんだ稲穂の柄の100円銀貨
は、頼りないくらい軽かった。
 地下鉄銀座線の虎ノ門駅のホームはあまり改修されていないらしく、陰気
な空間だったが、そのおかげで古めかしいロゴの案内表示と出会うことがで
きた。「1番線 赤坂見附、外苑前、渋谷方面」と黒色で縦長のゴシック体
で書かれた行灯看板。表参道でなく、外苑前が選ばれている所をみると、交
差する千代田線のできる前、30年以上前のものであろう。対照的に明るく
なった外苑前駅で降りて、工藤ノリコさんの個展へ。
 ゆるい時間の流れる井の頭線に乗り継いで吉祥寺。近鉄百貨店閉店後、三
越になったビルは再び主を失い、看板もはずされていた。道案内の目印を失っ
たスターパインズカフェへ。時間が空いたので、近くの銭湯で一風呂。
 低い番台にさらに埋もれるようにバアチャンがおさまっている。カランは
4列あるものの、シャワーは古いタイプが仕切り壁側に一列あるだけ、いま
だにカウンター式に改築しないところをみると、当代限りで消えてゆく運命
と思われる。が、浴室奥の、おなじみ早川さん銘の富士山のペンキ絵は、日
付によると塗り直したばかりであった。
 トップのだるま食堂が壮絶に湧かした余韻の中、寒空はだか登場。後のラ 
インナップが杉ちゃん&鉄平、玉川美穂子、ポカスカジャンであるから、あ 
まり、何々風にアレンジした××、というパロディ系はやらないほうが良い。 
今日の私の役割ではない。でもついついやりたくなる。小器用だが雑な内容
に終わる。笑いは多かったが、本当に面白いものかどうかは別問題だ。


2006年5月某日 5月の巻頭言特集

・市街戦に気をつけて
・池中玄太をアタマに80キロ
・ジェダイ間格差
・僕は紳士ぢゃないよ
・滝川みやたテル
・サンダとガイラと優しい奴ら
・浅草ガンジャ祭


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2006年6月

2006年6月某日 交差点の罰金(アルベルト・スギ)

 駐車違反取締強化、民間委託開始。民間にまかせるのに罰金安くならない
のは、おかしいのである。だいたい、ポイントがたまると、なんか特典があ
るのが普通であって、警察だけだ、点数たまると免許持ってってしまうのは。
社会保険庁のサービスを見習って欲しいものである。


2006年6月忘日 プラスチックの家具屋に踊れば

 CD整理用にひきだし式のプラケースを、うっかり無印良品で買ってしまっ
た。案の定、その半透明の物体は室内で傍若無人な存在感を放っている。そ
の違和感たるや、視界に入るだけで、我が家にいることを忘れるほどである。
日本間だから余計そうなのかもしれぬが、安手な家具の仲間でも、カラーボッ
クスはまだ溶け込むような気がする。こんなモノを買わねばならなかったこ
とを鑑みて、生活レベルの向上を珍しく考える。
 しかしながら日々行方不明になっている資料達をこのまま放置しているわ
かにもいかない、いち早く我が管理下に置いて、捜索にかかる時間を創作に
置き換えねばならぬのだ。棚では効率的な土地活用にならない。4段の収納
ケースは、アルバム1枚よりも安かった。
 先日買ったばかりなのに、すでに行方をくらませていた3枚の映画サント
ラも、無事安置される。
・THREE LITTLE WORDS(土曜は貴方に)
・LILI(リリー)
・LE MECANO DE LA GENERAL(キートン将軍)
 最後の「キートン将軍」は、久石譲作曲のフランス盤である。


2006年6月某日 このボール、どいつんだ?(以下おなじみ)

 製品の扉は開きっぱなしになるのに、情報は公開しないというのは困りも
のである。「ウチは密室を売り物にしてますから。」
 ドイツ、テロ対策にピリピリ、●ールド●ップ、ワールドカップじゃなく
て、ホールドアップね。……、う〜む、決定力不足か。──決定力不足がオ
チね。
 私は重箱の隅をつついて口に糊する卑しい職業であるが、隅をついて喜ば
れるのは、サッカーくらいである。


2006年6月某日 消える魔境

 常に消え行くものを憂いながら、後ろ向きに嘆いているこの日記。日暮里
の師匠・古今亭志ん生のエピソ−ドに登場する天ぷら屋も銭湯も健在だが、
道灌山下丁字路にあった中華料理屋・百亀楼はなくなり新しいテナントが準
備をはじめている。その先の細長いマンション、鉄骨だけ組み上がったまま、
延々工事が進んでいなかったが、ようやく、外壁の工事が追いついてきたよ
うだ。1年以上雨ざらしの鉄骨というのは大丈夫なのか。
 鴬谷駅の南口を降りて、根岸の里へ降りるスロープ、右側には東京キネマ
倶楽部とダンスホール新世紀、左手下に立ち呑みの焼き鳥屋「ささのや」、
その先……。気づかぬうちにキャバレー「スター東京」が駐車場になってい
た。ずいぶん前から営業はしていないようだったが、調べてみたら取り壊さ
れてもう半年以上だった。浅草の往き帰りに歩くこともよくあり、何度も前
を通っているはずなのに、全然気づかなかった。東洋館の往復だと常に考え
事をしているから、注意力が散漫とはいえ、うかつすぎる。くたびれたコン
クリの壁に、筆記体でStar Tokyoと電球がならんでいた。換気扇のカバー
が路地に面していて、濃そうな空気を外界に吐き出していた。私は入ったこ
とはなかったのだが、二ッ目時代の柳家喬太郎師匠が出演して、その看板を
見たことがある。ホテトル音頭を歌ったかどうかは知らない。


2006年6月某日 少しだまして、なが〜くだまして

 快楽亭ブラ談次あらため立川フラ談次くんの落語会にゲスト出演。他に彼
の師匠になった立川左談次師と、サムライ日本の師匠方が出演という豪華な
プログラムを組んで、浅草東洋館客席は超々満員。このお願い上手。
 前座とはいえ、キャリアは7年、立川流でなければ、年季が明けて二ッ目
に昇進していてもいいキャリアであるが、それにしても280人の動員は、一
昨年の、私の銀座ガスホールの独演会より多いじゃないか。
 舞台袖で見守る左談次師匠の前で、本日の主役は結構な「大工調べ」を演
じて幕。今の彼のニンにあった噺でもあろうが、ここ1年くらいで見違える
ほど伸びたようである。今まで頼りないキャラクターゆえ応援していたと思
しきお客が、これからは成長を楽しみについてくるだろう。などと書くとお
前はどうなのだ、ということになるのだね。他山の石として……、それじゃ
なおだめだ。私のお客には長いこと夢を与えてなくて申し訳ない、と♪心の
片隅にでも小さくメモして……。そんなにお客に優しくしてたまるか。


2006年6月某日 ♪もしもギターが弾けたなら

 荻窪北口、青梅街道からちょっと入ったビルの2階に、GOODMANという
小さなライブハウスがある。薄暗くて、ところどころ滑り止めのはずれてい
た階段は、すっかりきれいに改修されているが、合板のドアを開けると、10
年前と変わらぬ飴色の店内にジャズのレコードが流れていた。
 カウンターの中には、あの頃がまるで先月のことと錯覚するくらい、同じ
容姿のマスターがそこにいる。きっと、今でも決めたことはガンとして譲ら
ないのだろう。20席ほどしかない革張りの椅子は、ところどころ破けたかわ
り、30年分の紫煙を吸い込んで厚みを増している、はずだ。天井にぶら下
がったスピーカー線上の、うずたかいホコリの間に私の歴史も積もっている。
 本来はジャズ専門のこの店だが、私が出演していた92年〜96年には、
「弾き語りの日」が半分を占めていて、3組の出番が組まれていた。その
「弾き語り」の一員として4年間毎月、私も歌っていたのである。もちろん
ギターは見えないけれど。「漁り火」「俺は殺し屋」「君のコロン」……。
 ビル自体が老朽化で取り壊されるため、今月限りで閉店、いや、高円寺に
引越すという。店そのものは続くわけだから、悲しむのもおかしいけれど、
ふるさとが消えてゆく。
 このビルと運命をともにするグランドピアノ、渋谷毅さんも毎月叩いたグ
ランドピアノ、「引き取り手がないかなあ」とマスターも言っていたグラン
ドピアノ。あの頃と同じように、一番右の鍵盤には「故障」と書いてあった。


2006年6月某日 きょうの出来事

 最近、地味な物真似だが、午後の奥様向けTVドラマ「吾輩は主婦である」
(脚本・宮藤官九郎)の主人公の主婦(斉藤由貴)にのりうつった夏目漱石
のモノローグ(本田博太郎)を、披露の機会もないから独り言で喋っている
のだが、真面目にやらないと、気の抜けたデーモン小暮になってしまうのが
難点である。

 福井日銀総裁、村上ファンドで大儲け、山ほど札束かかえているので、
「両手きかんわー。」
石原慎太郎と、桂米朝師匠を足して2で割ったような顔をしている。

 夢に先代の三笑亭可楽師匠が出てきて、落語をやっていたんだが、ネタが
なんだったか思い出せない。生で見る機会なんかないのに惜しいことをした。
楽屋にはなぜか林家彦いち師匠がいた。私の出番があったかどうかは定かで
ない。


2006年6月某日 阪神付随

 阪急が阪神を吸収すると、阪神間のルートが2本になるわけで、山側が北
ハンキュー、元阪神は南ハンキューとなる。逆だったら、山線が上ハンシン、
海線が下ハンシンだったのに、もったいない。


2006年6月某日 もうちょっと

 テレビ朝日のですね、報道ステーションですね、そのですね、サッカー解
説のですね、福田ですね、「ですね」を言い過ぎですね。3分間に「ですね」
41回、「ですが」「……と」も多い。
 渋谷の美容整形外科医の娘誘拐事件、「あんなに我々の同情をかわない事
件も珍しいですよね」には、どこで演っても共感の嵐。それにしても被害者
の母の女医、フタ言目には「警察は素晴らしい」って……、整形した警官じゃ
ないのか、あれ。ほめすぎだ。一方犯人は、本名でレンタカー借りたり、い
まどき見上げたフェアプレーであった。それにしても、どうせ無事保護され
るなら、7月まで待ってもらいたかった。ニュースのサイクルが早すぎる。
もう忘れられてしまったが、今の日本で一番がんばっているのは、沖縄の崖
の上のマンションの脚、未だに必死で土石の猛攻を止め続けてているのだ。
すぐには倒壊しないとなると、テレビはもうそっぽを向いているが、事態は
何も好転していない。半壊が一番気の毒なのだ。……決定力不足だったなあ。

 外人ドリフターズのキリン端麗グリーンラベルのCM。糖質オフ、
「チョットダケヨ。」

 高円寺の円盤と言う、CD屋兼喫茶店で、元気いいぞうさんとライブ。受
け付けない人は受け付けない内容をのびのびと歌う人だが、その大らかなく
だらなさは聖人のようである。いいぞうさんに比べれば私などちっぽけなも
のよ。


2006年6月某日 落語のことになると饒舌な日記になっていやあね。

 禁断の果実に手を出す。東京ボーイズの仲八郎師匠が、色物のみで、つま
り本職で無い者で催す落語会に出演。十条の竹寿司地下の座敷にて。出演依
頼からずっと逃げ回っていたのだが、ついに捕まる。
 仲八郎師と元本職のマグナム小林氏に加え、営業マンの春雨や半平太さん、
そして私がトリである。
 学生時代に落語研究会にいて、噺家をめざしてはいたが、そんなのは20年
も前の話だし、いやしくも喋りで生計をたて、本職の落語家と関わりもある
人間が、ものまねのような落語をやるのは失礼な気がする。かえってものま
ねに徹するならオーケーだ。古典落語という遺産でおカネをもらうというの
は、理不尽な修行に耐えた者達の特権なのだ。私は演技が下手だしね。
 青菜。笑いのとりいい噺なので最近は演り手も多い。ところがクライマッ
クスの「菜はきれえだ」、のセリフが難しい古典落語。(内容を知らない人
は、一回休み。)覚えてはいるが演ったことはない。御屋敷の旦那を笠智衆
にしようとしたが挫折する。もともとは先代春風亭柳橋師のレコードを聴き
なれているが、今回、先代三笑亭可楽師の音がベース、なんと12分足らず。
もちろん私は20分以上かかるが、はたして、自分が着物を着て座布団の上で
しゃべっているという滑稽な状況に私は耐えられるのか。
 案の定、本題に入った途端、自分がパロディで落語をやっているような気
がしてダレた(※)のであるが、無理矢理戻す。いかにも落研の落語といっ
たトーンで噺は進む。イキイキしている自分が情けない。言いぞこないは数
あるものの、珍しくも言い忘れたことはなかった。
女「だけどねおまいさん、無かったのがおしたしだったからいいよ、
  鯉のあらいがなかったらどうすんのさ」
男「痛いとこつくね。そりゃあ、その、あれだ、ああ、そのォ、ほほほお…」
女「名古屋章?」
男「そうじゃねえよ、まあなんだ、さしあたり鞍馬から牛若丸は出でますよ、
  出てもらいましょう、え?牛若丸が出でました?まさか!その名は、
  ま、まさか名を、名を九郎判官?まさか名を九郎判官、
  まサカナをクロウホウガンと、どうでえ。」
 しかし、自作のクスグリでウケるより、可楽師匠そのままの、「次の間が
無い?やっかいな家だね。」ここがすっと出て笑いが出たところが一番気持
ちよいのであった。

※……ここでは気持ちが萎えるというような意。


2006年6月某日 6月の巻頭言特集

・ピーコは、おスギの盗作との疑惑[和田氏、アルベルト・スギ氏盗作]
・私は梅雨入りを宣言、一足お先に。
・このボール、どいつんだ?[……おらんだ。 W杯]
・日本対大須とラリア
・村上ファンドで大儲け、山ほど札束かかえているので「両手きかんわ〜」
                          [日銀福井総裁]
・決定、力不足[サッカー日本代表予選敗退]
・Wカップ「いいかげんにしなさい」[「よせよォ」wけんじ]
・「警察は素晴らしい」って……、整形した警官じゃないの、あれ。
                        [整形外科医娘誘拐]
・胃に大きな穴子
・ブレーメンのプリン隊
・中ジローらも


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2006年7月

2006年7月某日 「サッカー、仲田引退発表」

 7月になってたちまち3日が過ぎ、私は非生産的な日々を過ごしている中、
世の中は相変わらず、ニュースの洪水で困る。
 うっかり日本テレビの詐欺特集の番組にひっかかって、「HERO」を見
られず、CM中にサーチしたチャンネルで衝撃のニュースを知る。
 あの活躍する姿はもう見られないんですねえ……。ナカマ。

 ……ダウンローズ。
 
 番組開始105分、「HERO」を見る。海辺で煙草の吸殻を探す検察官達、
本来なら、岩の陰からボバさん出てきて、
「あるよ。」
だろうに。


2006年7月某日 これで〜いいムニダ〜

♪北からのぼったお日さまが南にしず〜む〜
 独裁一家だ、テ〜ポドンドン
などと、トップページに書いてもアクセス数が伸びないということは、トッ
プの小ネタは、常に日の目を見ていないということか。
 テポドン2号の日本海落下は失敗などとヌケヌケというが、失敗でなく、
どこかを故意に狙っていたらもっと問題だろうに。
 前回の発射の時には、「ただちにミサイル打ち返せ、ただし、弾頭には米
とか食料積んでね、するとお礼にキムチ打ち返してくれたりして、これぞア
メとムチ。」とネタにしていたが、アメとムチではなくて、コメとキムチ、
と改良型に。
 おなじみ、髪型が人気の軍事評論家、江畑さんが見られるかな、と期待が
広がったが、ヒタイが広がっていた。


2006年7月某日 王監督帝王切開成功。露鵬、カメラマンに淫らな行為。

 慶応切開のまちがいだった。腹腔鏡手術って、やればできるのね。失敗の
代名詞みたいだったのに。
 一酸化炭素は、無味無臭だから怖いという。匂いなくして気持ちよくなる
ことを、パロマテラピーと……、これ、浅草では無理かな。
 秋田県警、ずさんな捜査。犯罪防止力無しの指摘に、パトロールのなまは
げ委託の導入を検討。


2006年7月某日 ♪ぐろ〜りぐろ〜り晴れる〜や(首相風の珍妙な振りで)

 つくばエクスプレスで浅草へ。今年の梅雨明けは遅くなりそうだというニュ
ースのとおり、夏休みもはじまろうというのに肌寒い雨の降る中、開場直後
の東洋館の入口には傘の列。1ヶ月ぶりの演芸場初日、客席は、夏休みなど
遠い昔の人々ばかり、それでも8割方うまる。
 プログラム2本目に出演。なまあたたかい反応を見るに、今日のお客には
無難なネタが良かろうとはわかるものの……。このところの洪水のニュース、
もとい、ニュースの洪水に用意した時事ネタを中心にかける。案の定、食い
付きが悪い。浅い出番だからやりたいようにさせてもらう。
 代官山で散髪。その美容室が編集に参加している「+ING」という雑誌の
最新号にも登場している立川志の輔師匠の独演会、新宿明治安田生命ホール
へ。チラシの折込み作業を兼ねて、舞台袖より拝見。
 残念ながら途中で辞して、インターネット放送のため、神保町の2畳足ら
ずの狭い空間に閉じ込められる。正面の小さい液晶モニターに己の姿が映り、
気分はガマの油のガマガエルだ。冷汗たら〜り。だんだんぐずぐずに。ツク
バはよくやっているようだが……。


2006年7月某日 改造への躍動、それは上野耕路

 上野の講談席・寿亭と、その向いにある鰻屋が舞台の映画「恋は異なもの
味なもの」(1958東京映画)。むろんモデルは今はなき、改築前の本牧亭。
路地の出口は広小路、向うに「ドヴス」の大看板、その前をツートンカラー
の都電が通るカットも楽しい。菅井きん演じる鰻屋の女中が、ストライキの
音頭をとって「あの人、近江絹糸にいたから」というのは当時の時事ネタだ
ろう。クライマックス近く、鰻屋の主人・森繁久彌と寿亭の娘・雪村いづみ
が上野駅の公園口から坂を下るシーン正面にそびえるのが、聚楽ビル。三角
地に建つこのビルはボロボロながら、ながらく公園下のランドマークだった
がついに解体されてしまった。
 東洋館の高座を終えて、仏具屋の立ち並ぶ通りを念仏のようにネタをつぶ
やきながら、広小路亭へ向かうと、聚楽ビルは、京成への地下通路の入口だ
け残っている。2階から上は爆撃でもぎとられたようになっていて、通路自
体が荒れた感じのために、ここだけまるで戦後の焼跡のようである。
 上野広小路亭で三遊亭遊喜さんの会にゲスト出演。以前、出演者は4人い
ても、客席には招待客1人と、受付嬢の2人という会を一緒に経験した仲間
である。今回はそんなことはないけれども、見事にバラバラの年齢層を前に、
色々な内容を盛り込んだら、25分にもなってしまった。長過ぎる。
「悪い露鵬、……昔、イイヨウホウ(伊井蓉峰)って人がいましたけど。」
ってネタは古すぎて、東洋館でもここでも、全く反応がない。これはかまわ
ない。


2006年7月某日 7月の巻頭言特集

・♪北からのぼったお日さまが南にしず〜む〜 独裁一家だ、テ〜ポドンドン
・スカッドさわやかキタコーリア
・アクマ式ドロップス[以上、北朝鮮ミサイル発射]
・づつきまして、「退場」ねえウシ君ウシ君……
                   [W杯 ジダン、頭突きで退場]
・パロマテラピー 危険な香り[パロマ、不正改造で一酸化炭素中毒]
・強制歓喜装置 「万歳!」[パロマと北朝鮮の合せ技]
・♪と〜ても我慢ができなかったよ〜「函館の女」<極楽とんぼ淫行事件]
・♪カネがすべてさ今こそ誓うよ〜(大友不公平)[ハウンドドッグ内紛]
・ストップ!かみすぎ[サラ金CM「かりすぎ」]
・ざるカウイ……、夏っぽい響きだったのに
・悪魔のいちごみるく
・ヨコハマメリーゴールド


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2006年8月

2006年8月某日 裏方志功

 入門という階段を昇らなかった私に、師匠というのはいない。勝手に慕っ
ているココロのボス、ならぬ心の師匠はいるけれども、ハーポックンポック
ン。ただしそれは演芸の世界の話であり、私が弟子として「師匠」と表現す
る人が一人だけいて、その名を安田美知子という。
 舞台監督である。わけあって、芝居畑にいたことのある私は、音楽畑でい
うところのボーヤとして劇団の丁稚奉公のようなことをしていて、──それ
は役者としての素質がなかったからだが──、ついには舞監をするハメになっ
ってしまった。当時、その劇団の舞監をしていたのがミチコさんなのである。
一から仕込まれて、舞監デビューは青山円形劇場だったか。こんにち、私が
段取りが悪いと怒るのはそのせいだ。もう10年くらい会っていないが、チャ
ン付けもクン付けもなく「はだか」呼ばわりをするのは、かつてその人だけ
であった。中洲通信という雑誌の演劇特集でインタビューされたミチコさん、
いなければ幕が開かない(くらい重要な役割)でしょう、という問いに、
「それが、舞監がいなくても幕は開くのよ。」
という答えが印象的である。哀しいがいいセリフだ。舞台の進行が円滑に展
開するか否かだけの問題。照明も音響もプランナーでありオペレーターだが、
舞台監督だけはステージ「マネージャー」と英訳される。
 もともと役者になるつもりはないのに事故で踏入れてしまった世界である、
無事、足を洗って(正しくは放り出されて)今に至る。2日発売の月刊演劇
誌・シアターガイド9月号に、演芸プロデューサー・木村万里さんの記事で
演芸人として紹介されている。そういう経緯もあって、感慨ひとしおなのだ。


2006年8月某日 下北フライデーズ

 ようやく夏らしくなったとはいえ、部屋内は、店といい、電車といい冷や
しすぎである。私は蒸し暑さに大変弱いが、冷房もこれまた苦手なのである。
下北沢・OFF OFFシアターは屋根裏部屋みたいなものだから、マチネ(昼
芝居)はクーラーがあまりきかなくて助かる。昨年末にラジオでご一緒した
B-amiruの公演を見る。このおばかさんめ。名前も「バミる」だ。
 意外なくらい年金世代の多い駅前のドトールコーヒーはさながら冷蔵庫だ。
その中でみんなアイスコーヒーなどを飲んでいる、薄着なのに。
 風邪をひいてはたまらないので、久しぶりに眠亭のカウンターに座ると、
厨房の熱気にほっとする。見上げると、長年のラーメンの湯気に溶けかけた
サイン色紙に、甲本ヒロトとならんでフレデリックのサンペイさんだ。隣に
は「忌野清志郎」と横倒しのサイン。ロックンローラーのサインはみな読み
やすい。六本木に向けて、梅ヶ丘のリンキーディンクスタジオで独り、練習。

※「眠」亭ではなくて、玉へんに民なのだが、「王民」という字は、表示で
きないのである。餃子党には不便であろう。


2006年8月某日 他人の尻馬を渡り歩く

「ウチの亭主の働きじゃないのよ、町内の若い衆さん達が寄ってたかってこ
さえてくれたのよ。」(落語「町内の若い衆」)
 六本木のシェルターのような地下空間で、ざぶとん亭風流企画主催の「カ
ラフルロスタイムショー」。寒空はだかの冠付きイベントであるが、ゲスト
でお客を釣って、我々が楽しませてもらおうというワガママな会。ウクレレ
シンガーの今野英明さん&東京ランデブーと、春風亭昇太師匠、それに謎の
歌姫・高遠彩子をフロントのMICA BOXを迎える。
 吉祥寺で行う自分のソロライブでは、自分が作業的にも金銭的にも、むろ
ん内容にも責任を負う故に、できることとできないことがあって、その点、
この日はやりたい放題だ。満員の観客を前に、私のコーナーをさっさとやっ
て、あとはゲストの楽しい時間。
 木村充揮のやんなっちゃった節と、岡林信康の物売りくらいしか新ネタが
ないので、私の常連客には申し訳ないのであるが、トータルで盛り上がった
ので勘弁願う。
 たまには晴れがましい賞賛を素直に受けておこう。問題は次回である。


2006年8月某日 ヨワキのメガネ 乱心です

 あまりヒネた日記を書くと、楽しんでくれた人に申し訳ない気がしてきた。
カラフルロスタイムショー、まさに素敵な夜だったのである。それでも重箱
の隅をにつついてしまう、哀しき私の性なりけり。
 今後、自分のことは神棚に上げてまつってくぞ。となると、まずは摂理の
教祖の妙な踊りを習得だ。


2006年8月某日 耐えがたきを耐え

 心ならずも寒空はだかを見るハメになった埼玉県民に哀惜の意を表する。
 帰省先の草加から、久々の武蔵野線に乗って埼玉の県都へ。あと15分も
すれば甲子園ではサイレンとともに、全員黙祷──TVクルーを除く──と
いう状況下、旧浦和市内のテレ玉スタジオでは、かなりスリリングでお気楽
な生放送。午前中の首相の靖国参拝ネタを折込みたかったが、気のきいた表
現にはならず。後で、「安肉(やすにく)問題、アメリカがどう思うかは関
係ない」というのを思いつく。無難なネタの定番、森本レオと京都タワーで
6分弱。ホステス役の亀井薫アナウンサー(プロフィール写真は損している)
とあわただしく会話して、コマーシャル。
 漫談というのは編集が入ると、政治家のコメント同様、ニュアンスが変わっ
たりするので、作り込んだ上で生放送、というのが最適だ。夏バテの様子が
ごまかせないのはテレビの怖いところである。


2006年8月某日 盗みはしなけれど非道はする、人に迷惑掛川から

 だいたいが他人の不幸でメシを食っている。不謹慎なネタが多いから、当
事者が聞いていたら腹を立てるだろうことは承知の上、はからずもカットし
たネタが地雷だったと後でわかることもよくある話だ。もっとも地雷を踏ん
でもこちらは何ら傷つくことはない。
 あえてわざわざ波風をたてるつもりは毛頭ないけれども、怒鳴り込まれた
ならばそれは仕方がない、事故と思って笑ってすます。が、本日はつらいこ
とに、相手の心の傷口をえぐることになってしまった。例えて書くならば、
クマに殺された遺族の前で「マタギ」を歌ってしまったようなものである。
すまないとは思うが、反省はしない。悪気はないどころか、もともと悪気だ
けで作られているのだ。

 高円寺北口庚申通り、稲生座の先、東京電力の高圧線・杉並線が、手に届
きそうな中空を斜めに横切っている。それを支える武骨で古めかしい鉄のや
ぐら。そのいかめしさと力強さに震える。


2006年8月某日 海面下で工作中

「宮内庁、東宮御所を長崎・オランダ村移転を検討。」と、書こうと思った
ら、とっくに消えていた、オランダ村。


2006年8月某日 ♪本当は選択、好きじゃないけど〜

 ファストフードの注文カウンターで、
「お決まりになりましたら、お呼びください。」
あたりまえだ。誰が遠慮などするものか。それは挨拶でもなければ気づかい
でもない。いらんことは言わずに待っているがよい。

 誰に決まっても気に入らない自民党総裁選、どうせ腹をたてる。なれば麻
生太郎が一番チャーミングでよい。安倍晋三のぶっきらぼうさはどうにもい
けない。言ってること以前にその喋り方にムッとして、仕事に正当な評価が
くだせない気がする。

 いきつけのドトールコーヒー、肝心のコーヒーのメニューが、カウンター
の机の上にしかない。しかも、前の客のトレーの下に隠れて、あらかじめ決
められない仕組みになっている。たいがい注文するものは同じだけれど、た
まにはゆっくりメニューを眺めてみたいものである。

 センタクちがいだが、Yシャツ98円と大々的に書かれたが安さが売りの
クリーニング屋チェーン。たいそう繁昌しているようだが、店名がどこにも
書いてない。そんな店、怖くて大事な服は出せない。


2006年8月23日 (水) ♪強いばかりが男じゃないといつか教えてくれた人

「ムッシュムラムラ〜」
夕方の12チャンネル(現テレビ東京)のお楽しみ、アメリカ製のテレビマン
ガで悪役が叫ぶ。声の出演のクレジットで覚えた名前が関敬六である。
 30年たった20世紀の終わり頃、「浅草21世紀」という一座で、木馬亭の
同じ舞台を踏む。数々のコメディアンを輩出した浅草の系譜の末端に、かろ
うじて私もつながることになる。倒れた後の先生から全盛期の様子を見るこ
とはできなかったが、今でも浅草においては、当時の人気の大きさを知るこ
とができた。浅草の伝説と御一緒できたことが、とても嬉しかったものだ。
 浅草の代名詞逝く。関敬六先生の死を悼む。


2006年8月某日 プラネットでなくなっても惑星なのだ

 科学的にはどうだろうが、鯨は魚なのである。誰がなんと言おうが冥王星
は惑星でいい。せめて今までの功績をたたえ、名誉惑星の称号を贈る。


2006年8月某日 次回はどうかは水モノ

 やるたびに、暑い盛りにソロライブなどもうやらない、と後悔するのだが、
ライブの間隔の関係上、つい設定してしまった名古屋TOKUZO公演。この時
期、夏バテで準備ははかどらないし、体力も消耗しきっていて、下手すれば
舞台の最中に電池切れなどという可能性もある。とはいえ、誰がお膳立てし
てくれるわけでもなく行う名古屋公演は、ほっておくといつまでも実現しな
いし、やらなければせっかくついたお客もはなれてゆく。
 名古屋へ行くこと自体は楽しいのだ。楽しみに待ってくれている人達もい
る。前回の2月はねこマジ連れてのツアーだったから、ひとりで2時間近く
やるのはほぼ1年ぶりである。
 さて、公開日記で、その日の出来を本人がいちいち評価するのは、結果の
良しにつけ悪しきにつけ、あまりするべきことではない。特に私のように素
直な表現をしない、率先してアラを探したくなる性格の場合、当日体験せず
に、この文章のみで判断する人にはマイナスイメージともなろう。今日も完
全燃焼、お客さんありがとう、と毎度書いた方が宣伝上も得である。実際そ
の場に来てくれたお客も、貧乏くじを引かされた、と思うかも知れぬ。しか
し燃焼すればいいってものでもない。
 何が言いたいかというと、それにしても今晩は奇跡的に絶好調だったので、
みんな来れば良かったのに、とあえて記すような内容であったと。先だって
のカラフルロスタイムショーを上回るペースでマラソン完走。以前より淋し
くなった観客の数は、己のつみあげた歴史の結果とはいえ、もったいない。
久しぶりに満ち足りた気分で楽屋を片付ける。


2006年8月某日 「演芸界の冥王星、寒空はだかです。」

 関敬六師の葬儀で新小岩へ。駅から乗ったタクシーの、初老の運転手、
「さっきから大勢向かってるみたいですけど誰ですか。」
 斎場入口には本名で書いてあるからわからない。名前を出して反応がある
のは、こんな場合だが嬉しいものだ。最近はテレビに出てなくても、舞台で
元気にやっていたことを話す。功績にふさわしく、大勢の人々に見送られて
ほしい。
 2列でなかなか進まない焼香の列、祭壇のあるホールに入ると、さすがに
6ヶ所も用意された焼香台。列が崩れてとまどいながら広がる人々。「料金
所か、高速の。」と口を出そうになる。
 残念ながら出棺まではいられず、錦糸町から地下鉄半蔵門線で北千住へ。
シアター1010(せんじゅ)で、放送作家協会製作の会に出演。「ふだん、
テレビに出ていない人にも素晴らしい芸達者がいる。」ということを紹介す
る会。……、そういうことをテレビで紹介してほしいものである。どうせき
ちんとは伝わらないけれど。私に与えられた時間が13分。この刻み方がテ
レビ人らしい。


2006年8月某日 故郷に小錦

 実家のマンションの納涼祭で、クラウンショーの休憩時間のツナギと、ビ
ンゴ大会の司会の仕事に呼ばれる。親が自治会の当番だったからである。名
前が売れていないのに、こういう形で地元に登場するのは情けない話ではあ
るが、断るのも水くさい。自分の舞台に積極的に家族を呼ぶようなこっぱず
かしいことなどできない私だが、たまには様子を見せて、安心も与えねばな
るまい。安心するかどうかは別であるが。
 翌日の京都公演の準備もあるので、早々にふるさとを後にする。忙しい時
期で良かった。「明日は京都に行かなきゃなんないんですよ。」こちらは、
呼ばれて行くわけではないのだけれども。


2006年8月某日 京のにわかダメ

「ちょっとお茶漬けでもどうどす?」
訪問宅を辞そうと、履き物をはきかけた時、そう声をかけられても、それは
お愛想で、「なんのおかまいもしませんで」というのと同じ挨拶にすぎず、
断るのが礼儀、という京都の有名な習慣がある。ある、というより、今そん
なことをシャレ以外で言う人はなかろうが、「京の茶漬」という上方落語に
もなっている。
 青空球児師匠に「日本でいちばん反応の渋い所はどこか」きいたら、京都
と奈良、と答えが返ってきたことがある。京都でライブをやっても関西全体
からお客は来るから、客席にそういった京都的ニュアンスは別に感じられな
いけれど、とにもかくにも1年ぶりの磔磔公演。今回は辛口時事ネタ一人コ
ントのダメじゃん小出さんをゲストに東京から呼ぶ。ありそうでない私との
ジョイント、双方ともニュースを扱うから、二人会というのは実現しにくい。
 私の主催ゲームなので、間にゲストを挟んで、最後は私がたっぷりやって
大団円という構成。いつもは最後のネタの後、自分から「アンコールありが
とう」と言ってシレッと続けるのだが、たまには拍手を待って、「ぶぶ漬け
(茶漬け)じゃないよね。」と気のきいたセリフを言ってからもう2曲、と
企んでいたのだが、アンコール自体がなかった。おやおや。


2006年8月某日 8月の巻頭言特集

・亀田のあらら…?[亀田興毅、判定で腑に落ちない世界タイトル]
・8/6 はだかのケン 若干あり[カラフルロスタイムショー]
・残暑亭堕楽[三笑亭可楽]
・甲子園の土、掘りすぎた球児が遺跡発見。
・安肉問題「アメリカがどう思うかではない」[米国産牛肉輸入再開]
・発砲領土[ロシア国境警備隊、本邦漁船に発砲]
・「惑う星」をきっちり定義するな。[冥王星、惑星からはずされる]


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2006年9月

2006年9月某日 ひとりでできるもん

 岐阜県庁の職員、よってたかってウラ金17億。ムダである、青森じゃ1人
で14億ちょろまかしたのに。あの千田某を財務大臣にするべきである。


2006年9月6日 (水) 出産プリンスロイヤル、あ、今はトヨタなのね

 紀子妃殿下、男児出産、リボンの騎士説も浮上。あと今後、新生児室での
すりかえに注意。
 海上自衛隊ミサイル艇も祝砲を発射。


2006年9月某日 マイボスマイキヨシロー

 カラフルロスタイムショーのゲストに、主催者ざぶとん亭の熱意通じて、
コシミハルさん快諾。……、と一部に先行発表されたのだが、その後、やろ
うとしたことが会場とフィットしないことが判明し、このたびは見送りに。
御本人も乗り気とのことだが残念。神田京子さんファンともども申し訳ない。
 さて、三晩続けて、漫談をするには楽でない環境で仕事をした。お祭りの
奉納演芸、貸切られた居酒屋、料理屋の宴会場。問題は声の通りにくい環境、
ということである。
 お祭りは野外とはいえ立派な舞台、椅子が並べられ、ぎっしり詰まって出
入りも少ない、居酒屋はマイクなしだが、わざわざこの会を見にきてくれた
お客、宴会場も食事はすんで、こちらに注目している。悪い状況ではない。
 私は常々自分の声を、雑踏に近い周波数と呼んでいて、喧噪の中で聞こえ
にくい高さだと思っている。それ故に呑み会などでは努めて声を張るように
しているのだ。反面、耳あたりは良く、多分、子守唄には最適だろう。だい
たい我々の世界、甲高い声の方が陽気だし、耳に届きいい。ないしは割れ鐘
のようにつぶれた声なら聴きとれる。
 つい声を張ろうとしていらぬ力が入ってしまう。相手に伝わる喋り方とい
うのは、プロとして最低限必要な技術で、できないのは非常に情けない。
 そこで思い出されるのが、ラジカセにマイクをつっこんで発音の仕方を研
究したエピソード、それはかの、忌野清志郎さん。癌というブルースを楽し
むと言い放った我らがキヨシロー、をボスと仰ぐ熱い御二人が11月のカラ
フルロスタイムショー出演決定。三宅伸治さんと清水宏さん。お楽しみに。


2006年9月某日 時事 〜故意のてほどん〜

 無事退院しておめでたいことである。おかげで一安心、無事、引退など考
えずにすむようになったお方もある。ぼかしてあってわかりにくい?……胎
盤がふさいでいたのが前者。対人にふさぎこんでいたのが後者。
 小泉退陣に合わせて竹中大臣議員辞職。気楽なものだ、あの方々は辞めた
くても辞められないのだ。繰り上がりで神取忍か?レスラーとしてのカンド
リは応援するが、譲る平蔵は無責任極まりない。こっちは「がっくり崩れ落
ちる」。産院も参院も、いま、人材不足で大変なことになっている。


2006年9月某日 賞味期限切れ

ハムカツ玉子(サンド)≒ハンカチ王子


2006年9月26日 (火) Cabinet of ABE

 アペじゃなくてアベでよかった。英語読みすると、エイブはアブラハムの
愛称、おお、リンカーン大統領と一緒だ。自民の、自民による、自民のため
の政治。


2006年9月28日 (木) 焼けるはずだ、カジ橋変電所

 東京駅地下の鍛冶橋変電所の火災で、京葉線不通。駅にあふれる人の映像。
あれだけいれば、電気は止まっても、電車の1本や2本、引っ張って動かせ
るだろう。タクシー乗り場で「3時間待ってます。」、それだけ待つくらい
なら私は歩く。
 舞浜のディズニーリゾートは、出勤できない従業員の影響で、休止のアト
ラクションがでる。インタビュアー、「ミッキーは遅刻しなかったんですか。」
の問いに、「ここに住んでますから。」……おお、大須演芸場は、名古屋の
ディズニーランドだがね。


2006年9月末日 10月になる前に

 数えるほどしか御一緒したことはないけれど、楽屋でも、パーティ会場で
も、こっそり客として2階からのぞいた末広亭の高座でも、それはステキな
芸人さんだった。シャイな人だった。さよなら、〆さばヒカルさん。


2006年9月某日 9月の巻頭言特集

・自分のことは自分でする、高校生なんだから。[友人に母親殺害依頼]
・岐阜銘菓 へそくりきんとん[岐阜県庁ウラ金/恵那銘菓栗きんとん]
・かたや無事退院、こなた無事引退せずに一息
・出産プリンス[以上、紀子妃殿下男子出産]
・エアボーカル選手権でジャニーズが……[エアギター、日本人世界一]
・教団地下鉄 審理鈍行、死刑各停[麻原彰晃死刑確定]
・吉野家復活 カウンターに座るまで牛歩戦術
・シンゾーだけにケッカンはつきもの[安倍晋三内閣成立]
・残庶御見舞申上ゲマス。(夏にやり残したことあれこれ……)


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2006年10月

2006年10月6日 (金) 小泉劇場から安倍演芸場へ

 衆院予算委員会、民主党新緑風会代表質問。菅直人、田中眞紀子(無所属)、
岡田克也の順。間にはさんで色物待遇なら、それなりの演出があるとよい。
暴走するマキコ節がからまわりしては意味がない。与党からとぶ野次にひら
めいた。民主党サイド、つまり、身内がつっこむと効果があがるのだ。与党
もがんばってるんだから、という心にもないヨイショを相手に、する。
 となると、アドリブのきかない安倍晋三には、与党側がうまくつっこんで
助けてやると良い。良い、「と思います(安倍調)。」


2006年10月8日 (日) ライオンのような瞳の男に会いに行く

 山男達を乗せて、続々と列車が夜の新宿駅を発って行ったのは、もう昔の
話。今や行楽シーズンの週末だけに運転される、臨時の山岳夜行、リュック
をかついだ人々に混じって軽装の私は、アルプスを越えて日本海をめざす。
虹のかかる早朝の白馬駅で乗換えた大糸線の古いディーゼルカーは、豪雨の
後の山あいをびくびく進む。
 先日、とうじ魔とうじさんのイベントで共演した、富山在住の大谷氏、さ
んに、ゲストを頼もうと思ったが、私と同じく携帯電話を持たない、連絡の
とりにくい男。わざわざ東京へ呼びつけるほどのまとまったギャラは払えな
いし、軽々しく頼むほどの仲でなし。依頼すること自体に思い悩んだ末、直
接会いに行くべしと、出演予定の魚津市へ。実際には遠出の口実である。普
通列車しか使えない割引きっぷのおかげで富山往復は呑み代程度だ。
 東京は久々の好天という予報も、山の向うは強い雨が降ったりやんだり。
高速道路の橋脚を崩さんばかりに荒波が打ちつける親不知の海岸を過ぎ、昼
前に越中は魚津に到着。
 多目的ホール外のエントランス、フリーマーケット会場の奥、高い天井の
下で、大谷氏が他のミュージシャンをしたがえて「アフリカ」を歌っていた。
とりとめもない空間に大谷さんが超然とそびえている。アルバム「あなたと
ライオン」の1曲目、おおらかないい歌だ。
 ♪今度生まれたらこの俺は 角の短いサイになり
  アフリカの草原で 君の来るのを待ってるよ
 演奏を終えてくつろぐところへ突然訪ねると、大谷さんなりに驚く。出演
してくれそうだ。東京ゆきドン行の終電は13時48分、蜃気楼の町を後にする。


2006年10月10日 (火) ♪カヤバコーヒー、カヤバコーヒー、谷中の交差点

 ひる前に千駄木のミスタードーナッツを出て、秋の青空の下、谷中の裏道
をふらりふらり、久しぶりにカヤバコーヒーに顔を出そうとすると、しばら
く休業の札。戦前から建っているという木造2階家、かつて若くて、今でも
威勢の良さがしのばれる女性二人がやっていた小さな、東京の喫茶店。淡い
光り差し込む窓辺、ひんやりとした空気、集まる常連の商店主、手抜きな表
現を使うと下町のレトロな喫茶店。細いバス通りに面した、ささやかな花壇
が手入れされているところを見て少しほっとした。
 近所のおかき屋「嵯峨の家」で尋ねると、「さっちゃんが亡くなったのよ、
ママさんは元気なんだけど」。実は作ったものの一度も誰にも披露していな
い「カヤバコーヒー賛歌」という歌がある。ピアノ伴奏が似合う曲だ。言問
通りを少し行ったところにあった「玉子屋」のコロッケは100円と少し値が
張ったが、大ぶりで、最高の味だったが、今は駐車場。
 芋坂を降りて日暮里駅前で銀行によると、思わぬ入金。ふいに知らない街
へ行きたくなって、北へ向う。といっても都バス「里48」舎人二ッ橋(とね
りふたつばし)行、23区で一番北にあるバス停。小学校の社会科で習い、
その音感の良さから覚えていた、江戸時代から続く見沼代用水(みぬまだい
ようすい)を初めて見る。わが故郷、埼玉県草加市の電柱にタッチして、い
ま来た道を戻る。


2006年10月20日 (金) 垂れ こうべ

 吉祥寺、StarPine'sCafeに4時少し前に到着。ここでのソロライブは
数えてめでたく10回目。ゲストには富山から大谷氏。ゲスト紹介の部分とエ
ンディングがぐずぐずという、要所要所をはずしたライブになったものの、
トータルでは逃げきり。端正な作品は、性格上無理なのであろう。
 大谷さんの「アフリカ」が聞けて良かった。
 開演前はやるんじゃなかったと思うのだが、終わるとまたやりたくなるの
である。私の舞台はまやかしでも、観衆の喝采は麻薬なのだ。

・開演前BGM 映画“Girl crazy”(1943 M.G.M.)サントラ
・オープニング The tonight show テーマ
・休憩BGM 歌姫楽団/浅草お転婆娘、他(アルバム「彩色千輪菊」より)
・クロージング 大谷氏/ヘビー級のレストラン
           (アルバム「あなたとライオン」より)


2006年10月24日 (火) 金村より一足先に(日本シリーズ3日目)

 下北沢・本多劇場、開演前、舞台袖の暗がり。袖幕の切れ目から断片的に
のぞくのは、青く染まったホリ幕(バックのスクリーン)、スポットに浮か
ぶ無人の高座の緋毛氈、三々五々お客のつっかける客席。舞台後方の袖幕の
陰で、舞台に向って立ち話をする後ろ姿、ホリの青を映した2組のメガネの
レンズが、斜め後ろにいる私には見えている。
 一人は当夜の主、春風亭昇太。そしてもう一人は訳あって前の師匠より破
門、半年ぶりに落語界に帰ってきた、元・柳家三太楼。別の袖幕の裏には、
まだどこでも使われていない真新しいメクリ、「三遊亭遊雀」。
 オープニング映像に続いて、いつものように、まずは昇太師匠が漫談で御
機嫌をうかがう。袖のパイプ椅子で遊雀師匠は膝の上にこぶしを乗せてじっ
と目を閉じている。伏せられていたゲストの紹介に入ったところですっくと
立ち上がってしばし、一旦しゃがみこんだ。突然のゲストの名前にざわめく
客席、軽くいきさつを話して呼込む昇太師匠、遊雀師匠はしゃがんだまま、
目の前にあった太鼓に自らシャギリを打ち込む。トトントスットントン……。
メクリを出し終えた前座さんにバトンタッチして、千秋さんの三味線に再び
立った後ろ姿に「ごくろうさまです」の声が飛ぶ。その中には立川笑志さん
の声もある。日本ハムの帽子をかぶった橘蓮二さんがシャッターを切る。
「そういうわけで戻ってきました。」
 歓迎の拍手に迎えつつも、客席はおそるおそるのキャッチボール、演じる
側も、部品をひとつひとつチェックするように少しずつピッチをあげてゆく。
肩ならしがすんだらもう若きエースの復活だ、絶妙の「間」でお客の心をあ
やつって、歓喜の拍手で高座を降りる。本人のかわりに「どうだ」と言わん
ばかりの顔で、昇太師匠がお客の前に出て行った。


2006年10月28日 (土) 幸せな一日

 昨夜中途半端な寝かたをしたせいか、起き抜けに体がバリバリである。髪
も爆発しているので、土日だけ朝湯をやっている富久の湯へ。ビルの中に入っ
ていて外観の風情はないが、近代化が早すぎたのか、未だに番台だ。湯がぬ
るいのが残念だが、朝から湯舟で体を伸ばす。
 浅草東洋館の出番が珍しく仲入り休憩のあと、ゆっくり家を出る。ここの
土曜日のお客はノリが悪い、というのが原因不明ながら恒例なのだが、今日
はよくウケる。時事ネタにもついてきてありがたいが、後半は無難に坂本九
から中島みゆきのひょうたん島、東京タワーと、じゅうぶん働く。「夜はラ
イブがあるから楽屋を片付けて」と言われる。いつからか、「寄席」と「お
笑いライブ」という分け方がされている。私の中では一緒なのだが。
 終演まで見届けて、地下鉄で都心縦断、恵比寿の画廊で、南椌椌さんの個
展。桃天使さんに囲まれてグルジア産の白ワインを御馳走になる。椌椌さん
が「こちらが有名なスタンダップコミックの……」と気を使って紹介してく
れるが、相手が知らない時点で、有名ではない。この稼業は。とほほ。
 渋谷AXまで歩いたらちょっと遠かったが、フラワーカンパニーズのライブ。
多分10年ぶりくらいに生で見る。一昨日見に行った「クラッツ」というバン
ドの浜君がスタッフをやっているおかげで、関係者待遇。2階の椅子席があ
てがわれたが、せっかくだから1階のホールで。いい気持ちで調子に乗るが、
あんまり跳ねると明日に障る。やはり、「お笑いライブ」という言い方は気
持ちが悪い。「生のステージ」をそのまま「ライブ」と言う趣旨もわかるの
だが、ライブハウスという空間あっての言葉なのだ、私の中では。
 汗かいてしまったので、帰宅するなり、今度は谷中の世界湯へ。こちらは
私好みの熱い湯である。日に2遍、湯屋に行く。これを贅沢と言わずして、
何を贅沢と言おう。


2006年10月29日 (日) 大袋式大風呂敷

 東京の北の交差点、北千住から区間準急で25分。東武御自慢の高架複々線
が手前の駅で途切れ、魔法が解けたように一気にひなびる大袋駅(埼玉県越
谷市)。そこから10分ちょっと歩いたスプリング工場の「倉庫の二階」。こ
の非常にたどりつきにくい場所で、月1回、行われている演芸会がある。ま
だ20代の若きお席亭が、自分が面白いという基準だけで演者を呼んでいる。
どう考えても赤字だが、このところ、動員も増えているという。これといっ
てツテもない彼が、行動力とセンスだけでゼロから立ち上げ、まもなく2年。
ドン・キホーテみたいな男である。その覚悟に打たれた芸人達が、毎回熱演
を惜しまない。
 「第2回寒空はだか一時間」、私のノンストップ独演会。無謀である。
 用意された40枚の座布団がほぼうまり、上々の入り。7割は東京から遠路
やってきたと思われるが、この間の名古屋より若干多い。上機嫌にノンストッ
プ70分。久しぶりに会う友人もあり、実に意義のある会であった。
 ありがとう、また呼んでくれ、ナイスガイ。


2006年10月30日 (月) 「義務教育やないんやからね」(テント師)

  高校の未履修問題。伊吹文部科学相、「スピード感をもって」対処と表
 明。「感」では困る。「すぐやる」となぜ素直に言えないか。

という書き出しで、日記を書きはじめたら、いじめ自殺問題を含めて教育論
が広がってしまい、収拾がつかなくなってしまった。気づいたら1日パソコ
ンの前で、自己満足の時間がすぎていた。他に宿題あるのに。
 必修科目問題は、知らなかった生徒に罪はないが、知ってしまった以上は
やらないわけにはいかないのだ。かといって、年度初めに予定していなかっ
た授業を、受験生に追加するのはしのびない。となれば特例措置として大学
受験資格は与えるが、将来的に授業をこなさなければ、卒業資格は与えない。
というのが筋である。
 つまり、大学行きながらか、大卒後か、もちろん今やっても、3年生をも
う一度でも良いが、履修しない限りは高校中退である。無事大学に入学でき
れば、まあ、高校卒業の免状はなくても、さほど気にしないだろう、いい就
職への通過点でしかない人達ならば。
 既に卒業しちゃった人はしょうがない。確定させちゃったんだもの。

 落語を知ってれば、天災と思ってあきらめるのだ。


2006年10月某日 10月の巻頭言特集

・「哲郎〜!」「冥テル〜!」(丹波鉄道007は二度死ぬ) [丹波哲郎氏死去]
・不透明な氷、スケートの内側は植草教授に任せろ [スケート協会騒動]
・北朝鮮地下核実験、でも首都は今もヘイジョウ
 地震波を観測、ひょっとすると、核実験でなくて地震予知に成功か?
・お得意のカクウ実験じゃなかったの?      [北朝鮮地下核実験]
・核平気、中ガワから内閣崩壊か?
・新庄的に言ったら、そりゃあ日ハム [日本ハム×中日 日本シリーズ]
・♪今日は御馳走、サッポロ一番 名古屋だけど   [藤岡琢也氏死去]
・踊る与党に見る野党
・深まる秋 南洋の人は人肌恋しくなるのか?
・幻覚始終躁
・非の打ちどころが悪かった。


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2006年11月

2006年11月5日 (日) 右見て左見て安全なら渡りましょう

 「静岡468号車」と見たこともない号車番号を掲げた団体バスが横を通り
過ぎる。日本共産党赤旗まつり。新木場駅から人の列が続く。
 正論だが現実味にかけるという点で私に似ているが、主催者は私の舞台を
見たことがあるわけではない。夢の島公園全体を使って、何万人が集まる会
場の片隅に「青空寄席」の仮設舞台がある、片隅といっても昨日の柳家小三
治師匠のトリは4000人が集まったという。文字通り秋の青空に恵まれたが、
11時05分の出番はちと早い。
 今日も、林家正雀/三増紋也・れ紋/柳家一琴/柳家三三/一龍斎貞山/
玉川福太郎/林家彦丸/寒空はだか/柳家ろべえ/春風亭一左、という豪華
な顔ぶれ。
 舞台の前の芝生に敷かれたブルーシートに何百人という人々が座り込み、
いや座っている。年配のお客が多いものの、非常にやる気のあるお客である。
こちらも大いにサービスしようというものだ。
 開口一番、「寒空はだか……、ちょっとプロレタリアっぽいでしょ。」と
いうのは、まだどこまでシャレが通じるかわからなかったのでのみこむ。政
府与党をネタにするのは、普段やっていることだが、あまり露骨な共産党ヨ
イショになっても鼻白むだろう、時事ネタに反応があるのは気分よい。坂本
九、中島みゆきで保険をとって、「歴史的背景を抱えた沖縄の人も歌いたく
なる国歌を」と、君が代を琉球風に歌う。君が代を茶化しているとはいえ、
赤旗まつりで歌った人は、そういないだろう。
「日の丸、掲げたいっていうなら掲げさせましょう、そのかわり、少しずつ
日の丸を大きく書き足してあげるの、と、そのうち赤旗になる。」大爆笑。
 面倒くさいヤジが飛んだ時のために「……粛清しますよ。」という返しを
用意していたのに、使わずにすむ。


2006年11月6日 (月) 
「大いなる驀進」1960年、東映、カラー作品 監督/関川秀雄 脚本/新藤兼人


 スクリーンに砕ける波におなじみ東映の三角マーク。今日まで私はタテ長
の三角形だと思っていた。昔のテレビ、映画放送時のむりやり左右を縮めた
画面、あのせいだろう。正三角形だったとは。
 オープニング映像が終わると、これでもかというエピソードを詰込んで、
長崎行寝台特急さくら号は東京駅を後にする。一晩に巻き起こる事件を通じ
て成長する、若き、今はなき列車ボーイ(中村賀津雄)、そのフィアンセ
(佐久間良子)、専務車掌(三國連太郎)を巻き込んでストーリーは終着駅
まで止まらない。
 なにかあるとすぐ運休してしまうほどヤワでなく、またそれが許されない、
鉄道が唯一頼りになる交通機関であった時代、情報伝達も難しい時代の花形
列車に、名士から犯罪者まであらゆる人種が乗り込んで、ドラマを作る側に
も泉のようにアイデアの湧いたろう、古き良き時代の映画である。
 荒唐無稽で無茶苦茶だ、とあげ足とりに終始することもできる。まして、
私など商売柄、それも可能ではある。が、それはCGに慣れた、想像力に欠
けた見方だ。エンターテインメントを作り上げるというのはこういうことだ。
加えて、濃密な、人間臭い時代の空気が説得力を補う。
 台風直撃の中、土砂に覆われた線路を、食堂車のウエイトレスから乗客ま
で協力して復旧に勤めるシーンが、ワイドスクリーン一杯に広がる。ラピュ
タ阿佐ヶ谷の小さいスクリーンがとても大きく感じられた。多少の無理を処
理するのは観客の義務である。
 鉄道員のプライドを感じられないJR職員に、ちょっとは感じてほしい映
画であった。 

<おまけ>「フラガール」、良かったけど、ダンスシーンがカットとアップ
を多用しすぎで、少々不満。それは小細工というのではあるまいか。


2006年11月10日 (金) 朝から阿佐ヶ谷、浅草は浅い出番

 気に入った映画は何度でも観たくなるものである。早く目がさめたのを幸
い、「大いなる驀進」を再び観に行く。今度は楽しみながらもアラ探しをし
ている自分がいる。
 昼から浅草東洋館主催興行に出演。定席とはかなり毛色の違ったプログラ
ム。5〜6割の入りとはいえ、舞台に出て深々と礼をしているのに、拍手が
一つも起こらなかったのは久しぶりである。ふだんここに出てない演者が苦
戦をする中、さすがの安定感で、客席をあたためる。


2006年11月13日 (月) 村田渚氏を悼む

 今年のサイトのタイトル「からまわる孤高の鬼」は、筋肉少女帯の「から
笑う孤島の鬼」をもじったもので、「孤島の鬼」自体は、江戸川乱歩の小説
からきているはずだ。孤高の存在を目ざしているつもりではないのだが、師
匠もなく、団体に所属せず、養成所あがりでもなく、その上、マスコミでの
活躍もなく、となれば、そうなるのは自然の結果だ。裏街道を歩く私には、
同期、といえるような人もいないのだ。孤高でいるということは、怠け者の
言い訳である。にもかかわらず、それなりに陽のあたる場所にいるというの
は、実に偉いことなのだが、ひとえに、私を持ち上げてくれる、そう、あな
た方のおかげである。
 問題は、好き勝手できるかわり、同業者の友達も少ないという現実である。
友達が少ないのは日頃の行いの故だが、何を言わんとしているのかというと、
情報は自分で収集するしかないということ。孤高と気取ったところで、ただ
の蚊帳の外だ。
 村田渚さんの訃報を知ったのは、死からしばらくたってから、偶然のぞい
たお笑いセメントマッチの掲示板であった。ボキャブラ天国全盛期に、私は
関係ないどころか、テレビすら全く見ていなかったので、フォークダンスDE
成子坂時代の人気と実力を知らない。彼がコンビ解散後、1人で活動を始め
た後に、何度か、一緒の舞台を踏む機会があった。笑いに対する真面目さと
骨太な在り方に感心したものである。まわりに迎合せず、我が道を歩きなが
らかつ、人望も非常に厚かったようだ。冥福を祈る。
 私など、人知れず野垂れ死ぬ公算が高いが、なんかあったら弔いは盛大に
頼む。衆知の方法がないけどねえ。死去のDMを誰が作る?


2006年11月14日 (火) お願い

 写真がないからって、ずいぶん昔の卒業アルバムの肖像をテレビニュース
で紹介するのはやめなさい。見合い写真よりタチが悪い。


2006年11月15日 (水) 「ベイビー、逃げるんだ。」

 いじめを苦にした自殺と、自殺予告状は関連しているが、問題点は全く別
である。
 自殺を予告するということは、止めてもらうことを前提にしているという
ことだ。見つかったら未遂に終わる可能性が高いのだから。出すならば、止
められるように出さなければ意味がない。止めようのない自殺予告状は、北
朝鮮の核爆弾と一緒である。無理難題をふっかけているだけだ。自覚のない
脅迫である。

 自ら死ぬのを他人のせいにしてはいけない。衝動的に命を断つのは、止め
られないとあきらめる。しかし、遺書を書く余裕があるというのは、生きて
いるより死ぬ方がラクだと判断して死ぬわけで、最終的に息の根を止めるの
は自分の意志なのだ。
 首を吊るなら、いじめた相手の家で吊ってこそ意味がある。
 死ぬ覚悟があるなら戦えとは言わない、まずなりふりかまわず逃げてみろ。
それからでも死ぬのは遅くない。逃げ道を見つけられなくても、せめて何か
楽しい思いをしてから、もう一度考えてほしい。
 生きるために逃げるなら、それは決して後ろ向きではない。


2006年11月19日 (日) 「総立ちの」ざぶとん亭

 あいにくの雨にもかかわらず、六本木の地下、SuperDeluxeでは熱狂ライ
ブ。コンクリート打ちっぱなし、グレーの空間を染めるカラフルロスタイム
ショー。ざぶとん亭と寒空はだかの素敵なたくらみ第2弾。
 ゲストの清水宏さんと三宅伸治さんにお客をまきこんで、ヒジョーに良い
ライブだったニィ〜。楽しそうなお客の顔を見るのは気持ちいいのだ。
 病み上がりの寒空はだか、こんな夜に、好評「カヤバ」、うっかり忘れて
とばしてしまうなんて。山男が余計だったなあ。「落研盤トランジスタラジ
オ」はもっと続けたかったけど、すでに持ち時間オーバーしてたのであのく
らいに。
 アンコール、オールキャスト&飛入りの「雨上がりの夜空に」でIt's
Allrightなのだ。打上はヌケガラ状態、次回も楽しいのだ、きっと。


2006年11月20日 (月) ♪敵に渡すな大事なリモコン

 瀬田のアキオさん宅で目ざめる。昨夜の六本木から流れて、ざぶとん亭と、
たゆたうウクレレ弾きK氏(トリスのポケット瓶持参)と4人。雨は上がっ
ているが、カーテンのない居間の外は曇り空。皆がはじめにしたこと、昨夜、
探して見つからなかったエアコンのリモコンを再び捜索。もっとも、4人と
も、本気で探し物ができるモードにはない。
 最近使って、ひょっこりそのへんに置いたままかと思いきや、夏が終わっ
て以来行方不明だという。それは簡単にみつかるものではなかろう、物の多
くて広いこの家ではおおごとである。我々が帰った後、アキオさんが、ひと
り凍死してるのを発見されるのも困る。だいたい、エアコンにしてもテレビ
にしても、今、本体だけでは操作できない機器が多くて腹立たしい。電池が
なくなれれば動かせないのも許せない。
 テレビが液晶になって云々という話になって、「いちばん変わったことは、
テレビの上のスペースがなくなったことだねえ」、などという会話にピンと
ひらめく。はたして、テレビ台の裏にエアコンのリモコンは落ちていた。テ
レビ液晶化によって、居場所を失ったモノものたちが、今もどこかで、誰か
に探されている。
「正太郎君、早く鉄人を!」
「リモコンがどっかいっちゃたんですよねえ。」


2006年11月22日 (水) ぼくら兄弟の故郷は名古屋でね

 胸に一物、手に荷物、栄にバスは40分遅れて到着。ホテルにチェックイン
した後、予定通り、午後5時、ひとり、会場のドアを押す(本当は引く)。
軽く打ち合わせて、オープニングとエンディングの段取りを確認。スタッフ
の気心は知れているから、簡単にリハーサルは終わり、18:00にはもう開場。
そもそもリハの必要があるのかと思われるかも知れないが、字で書くと伝わ
らないほどどうでもよい内容に魔法をかけて見せているので、その分、非常
にデリケートなのである。
 ソロライブだから一筋縄ではいかないイベントだけれど、360キロ離れた
名古屋にいることを忘れるほど、普段どおり開演時刻はやってくる。そのく
らいおなじみのライブハウス、5年目の今池・TOKUZO。動員は多いと
はいえないけれど、私のお客は良く食べる、と店に評判だ。
 暖かい拍手に迎えられて、上機嫌に2時間の独擅場。ツアーというより、
ちょいと隣の町でライブという気持ちでリラックス、バスで5時間半のとこ
ろに、いつもの場所がある。
 考えすぎて、しばらく出来の悪い時期も確かにあったのだ。今の名古屋で
のありがたい状況に、素直に甘えておこう。


2006年11月23日 (木) ♪売店で黒おたべ買ったわー

 今にも降り出しそうな京都駅前は観光客がひしめいていた。一年で一番混
みあう時期の休日だ、各地に向うバス乗り場は長蛇の列である。バスターミ
ナルを通り過ぎて、久しぶりに京都タワーに登ってみる。いつのまにか、
「たわわちゃん」という女の子のマスコットができていた。東京タワーの
「ノッポン」、さっぽろテレビ塔の「てれび父さん」……、ならべるとハラ
マキ姿
の札幌の勝ち。
 展望台から眺める名所はなるほど、曇天の下でも鮮やかな紅葉である。以
前、降りる途中で無理矢理見せられた、京都のジオラマ12ヵ月が老朽化で
廃止されていたのは残念。ボシュッという音とともにエアーで上がった月が、
ひょろひょろと落ちてゆく様がしょぼくって良かったのだが。
 今晩の舞台はバスが便利な場所にあるが、お上りさんとともに荷物抱えて
スシ詰めになどなるものか、対照的にガラガラの地下鉄で二条城駅へ向かう。
自分で書いたDMハガキの地図に頼ったら迷ってしまった。ということは、
お客も迷うということだ。磔磔より小振りだが同じく土蔵、拾得に初めて御
目見得。東京から上野茂都さんとともに、「ふちがみとふなと」さんに呼ん
でもらった、名付けて勤労感謝ナイト。しょぼかなしいというのが共通点の
ようである。上野さんは実に滋味のある歌を三味線で弾き語る。ああいう風
にできるのはうらやましい限り。船戸博史さんのキュンと胸にせまるウッド
ベースにのせて、渕上純子さんが涙腺をつつく歌をうたう。渕上さんの声は、
耳ではない、どこか背中あたりにある、未知の感覚器が受信するような気が
する。テレパシーってあんな感じだろう。
 トップバッターの寒空はだかはちょっと力みすぎ。もっと、たらたらっと
しれしれっとやったほうがお客も安心したろうになあ。最後の最後になぜか
東京タワーの歌を3組で歌って、楽しい夜はおひらきどすえ。


2006年11月24日 (金) 男は騒ぐ気色もなくゥ

 観光客でごったがえす清水寺、するするっと、人のいない方へ降りて行く
と、墓地だった。きのうとはうってかわった青空、鳥辺野の斜面に無数の墓
石がびっしり、夕陽を浴びて静かに京都の街を見下ろしている。墓石の群れ
の向こうに、京都タワーのシルエットがそびえている。こんな所があるのは
知らなかった。ここが鳥辺山か。胸をつかれた遠野の五百羅漢の黄昏時を、
思い出した。
 妙見様の鳥居の向い側、墓石の間にひょっこりと黒猫、目が合う。しばし、
交信を試みる。猫なで声を出しながら近づくと、猫はきびすを返して、墓場
の奥へ案内する。そのまま秘密の扉へ連れて行ってくれるのかと思ったら、
あっけなく見失ってしまった。


2006年11月25日 (土) 姫路いとしスジおいし

 東京を出て4日目、大阪、兎我野町の安ホテルを出て、未だに関西をウロ
ウロしている。用もなく乗り込んだ電車は梅田を後に西へごとごと、うとう
と、いつのまにか車内はがらがら、どこへ向かっているか忘れかけた頃、終
点姫路駅につっこんだ。
 高架わきの古びたアーケード、八百屋の店先では、オバチャンが大きな五
玉のソロバンで勘定をしている。姫路といえば姫路城だけれども、旅の疲れ
もぼちぼちたまり、本腰を入れて観光というのは骨が折れそうなので、閑散
とした駅前の街を散策する。土曜日ということもあり、ほとんどシャッター
を下ろした問屋街をぬけると、JRに沿った道路脇の飲食店をタテに串刺しに
して、屋根から太いコンクリの柱が飛び出している。しばし茫然としたあと
見回すと、10メートルおきくらいにその柱は点々と、思わせぶりに続いてい
た。その昔に消えたモノレールの残骸だ。年代物の高層アパートの横腹を貫
いて続くその行方を、しばらくたどってゆくと、橋脚だけでなく間に渡され
た梁が現れて、中空を横断している。灰色の空バックに、より濃い灰色の柱
を登ってツタがからまり、どす黒く紅葉している。どぶ川をはさんで、山陽
色素第二工場のレンガ工場がどっしりとそびえて、こちらは現役のようだ。
 大阪に戻る途中、山陽飾磨駅で立食いのスタンドへ入ると、380円、かけ
そば2杯分の値段で「ぼっかけそば・うどん」というのがある。頼んでみる
と、そばの上に牛スジがのっていた。駅そばで牛スジを食べた後、夜は中崎
町でホルモン鉄道(石川浩司・大谷氏)のライブへ。


2006年11月某日 11月の巻頭言特集

・世界の謝罪から「きょうは……」
・いざ腎臓で、商売、商売〜
・ベイビー!逃げるんだ。[いじめによる自殺多発]
・少子化って言うけど、オトナはもっと減ってるぞ。
・妖怪のうべんばあ


 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

◆2006年12月

2006年12月1日 (金) 夜はO-EASTでTHE THRILL

 湯舟の後ろに富士山が雄大にそびえたつ。男湯の隅に立って女湯の方を眺
めると、仕切り壁ごしに、もちろん御婦人の裸は見えないけれど、壁に書か
れたもう一つの富士山が見える。ここは日本でも珍しい、二つ冨士の見える
場所、千駄木・鶴の湯。
 脱衣所の時計は5時40分。見上げると高い格天井。大きなガラス戸の向こ
うには申しわけ程度だが庭があり、柱にプラスチック製の青い寒暖計、なつ
かしや「CHEER/全温度チアー」のノベルティだ。
 木製のベンチに座ってかかとにクリームを塗っていると、外からもの寂し
いオルゴールの音、太陽がいっぱいが聞こえてくる。番台のおかみさん(か
なりの年配)に話しかける女性の声、
「いい音楽よねえ、うら悲しくて、……人生の終着駅みたいな。」
 すっかり暗くなった銭湯前の小さな丁字路をふさいだ、小型の灯油タンク
ローリーからオルゴールの音は流れている。タンクの上から照らされた灯り
に、ポリタンクの赤色がうかびあがる。太陽がいっぱいの音色が聞こえると、
駒込林町は冬なのだ。


2006年12月7日 (木) 夢はみかんを裏切らない

 雑感。
 石原ヨンナム。金ジョンナムとイシハラ四男、どちらも我が道を行く人の
せがれである。
 石原慎太郎都知事、私はいろいろ難クセをつけるが、好きか嫌いかと言え
ば好きである。政策は賛成もあれば反対もあるけれど、損を承知で曖昧に見
せないところが良い。そのまんま東さんの知事選出馬は、本気と思われ応援
するが、真面目すぎるのが不安だ。宮崎県民に、はたして余裕はあるか。田
中康夫長野県知事が再選されなかったのは残念であった。政治家は夢を見せ
てナンボ、見せるだけで叶えてこなかった過去のツケで、住民が夢を見ない。
 オリンピックより、アジア大会を再び東京でやってほしいのである。カバ
ディの国際大会を見たいのだ。ちなみに浅草寺の住職が有名な日本代表とは
知らなかった。とたんに目に浮かぶ、境内で戦う、ハト対ボウズ。
 アキハバラデパート、今年限りで閉店。使ったことはないから、どうもこ
うもないが、秋葉原駅のホームで目にする、「アキハバラデパート」という
無闇に明るいカタカナの並びが好きだった。
 スーパーに和歌山みかんと宇和島みかんが並んでいる。はからずも双方、
今、話題の場所である。和歌山産は、甘い汁を先に吸われている可能性があ
るし、宇和島産は、悪いところをとって新品のように見せているおそれがあ
る。見た目においしそうだった和歌山みかんL玉を購入。珍しく、勘を裏切
らない甘さだった。

【後日記】本日タイトルは槙原紀之の松本零士盗作騒動より


2006年12月13日 (水) ゲバラ焼肉の革命

 最後に命を救うのは江原よりエバラか。ずいぶん昔の話、おかずがわりに
焼肉のたれを御飯にかけて一食しのいだ記憶があるが、家にいながら遭難の
一歩手前だったということであるな。人間、たれと想像力があれば生きて行
けるのだ。
[おせっかい1]
 倉庫の二階の席亭の日記が秀逸。
[おせっかい2]
 下北沢で「」と言う主にコントの会が行われていて、その第13シリー
ズの後半戦がこの13日、14日に開催。前半戦を見に行ったら、6組のグル
ープがそれぞれ面白い、などというなまやさしいものではなく、前に出演し
た組を、次の出番がねじふせながら、どんどん番組が進んでゆく。最後のナ
ギプロパーティというのが、これまた非常に達者。実に不愉快だ、面白くて。

【後日記】六甲山中で遭難した男性が、3週間、焼肉のたれで生き延びた、
というニュースをもとに書いたのだが、その後、冬眠に近い状態が命を救っ
たと判明。焼肉のたれについては「食えたもんじゃなかった」とコメント。


2006年12月19日 (火) 生まれて飛び出てジャジャジャジャン

 Where the underworld can meet the elite, 42nd street.
 42といえばtvk、増田ジゴロウよ今いずこ?


2006年12月21日 (木) 安らかに

 漫才師カンニングの中島くん死すの報を、旅先の石和にて、昼前のテレビ
で知る。
 彼らがちょうど売れ出す直前、渋谷のシアターDや今はなきZA HALLで
よく同じ舞台を踏んだ。竹山くんが暴走しはじめ、こいつは面白いやと思っ
た頃、一緒にレギュラーで出ていた会が終わってしまった。見舞いにも行っ
てないから、それっきり会ってないのではなかろうか。芸人なんて足のひっ
ぱりあいだから、他人が売れるのは、特に身近にいた人間にぬかれてゆくの
は、ねたましいものだが、カンニングは売れて良かったな、と思ったものだ。
あの頃も私は我が道を行っていたからウケなくてものほほんとしていたが、
力はあるのになかなか認められないのでちょっとすねた感じでも、牙は光っ
ていた中島くんだった。忘れない。


2006年12月25日 (月) マリンタワーにのぼったわー

 薄曇りのあわい日差しの中、ビルに囲まれて、窮屈そうに、マリンタワー
が立っている。色あせているわけではないのだろうが、そう見える。既に閉
鎖されたかのように華がない。見上げると非常に中途半端な高さ、展望台の
下側のコンクリートがはっきり見えて生々しい。今日で45年の営業を閉じ
る横浜・マリンタワー、平日の10時前だから、思ったほどの混雑ではない。
さよならキャンペーンの垂れ幕が1本あるだけで、名残惜しさが感じられな
い。10分ほど待って乗ったエレベーター、特に今日が最終日という案内は
ないし、職員にも感慨が感じられない。かえって、閉塔にかけこむ人々が迷
惑といった風情だ。
 今日でお別れといっても別に解体されるわけではないし、明日も同じよう
に、港の片隅に埋もれるように立っている。そこにあるのがなお哀しい。お
別れをした後、また会ってしまったような恥ずかしさ。見えているのに「あ、
消えた」とからかわれる透明人間のようだ。世界一高い灯台としてギネスに
登録されてはいるが、さほど重要性はないそうで、電波塔ではない開港100
年記念の純然たるシンボルタワーだから、存在感なくしてその身をさらして
いるのは、非常につらい。
 みなとみらいの夜景を遠くに望む山下公園18時半、共に公開を終える僚
友、氷川丸の汽笛とともに、マリンタワーのライトアップが消えた。見物客
の中で独り「たわーたわー」と歌をつぶやく。孤独なタワーは闇に落ち……、
と雰囲気にひたる間もなくゆっくり再びライトアップが戻り始めた。23時ま
で点灯を続けるという。港に別れはつきものだが、きれいに別れるのは難し
い。


2006年12月31日 (日) 良い年をして

 まあ来年もロクなことはないだろう。世の中どんどん住みにくくなる。そ
れは流れに逆らって生きているから当然のことだが、世の中が悪くなる分、
私は良くなってゆくことにする。より原始的な暮らしをすると、かえってカ
ネのかかるところが悩みの種だ。
 2006年を振り返るテレビの特集番組、村上世彰の会見、
「カネを儲けるのは悪いことですか。」
カネを稼ぐのは良いことだが、儲けるのは悪いことなのだ。目を血走らせて
全てをカネにかえる、下品このうえない。私は品がいいから、寝ているうち
に大金持ちになりたいのだ。

 煩悩の数あざむいて除夜の鐘  寒空


2006年12月某日 12月の巻頭言特集

・師走はなにかと出っ銭バー
・談合は動き出したら止まらない[カンセイの法則]
・ポロ乳ム?
・石原ヨンナム
・電飾の玉切れ切れでイ_ミネーション  寒空
・武士の一部分
・武富士の一分
・サンタが拉致にやってくる
・恋人が洗濯ズロース

・良い年をして



 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月



   ★→本年の最古記事(ページ冒頭)へ

 漫談家・寒空はだかサイト 窓口 紹介 予定 趣味(旧作邦画)
 2004年日記 2005年日記 2006年日記 2007年日記 2008年日記
  2009年随記 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019年随記