窓口 - 進行形

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2005年1月30日 (日) 絶滅危惧単位
東洋館千秋楽。
三本目という浅い出番とはいえ、反応の薄い客席にあえなく撃沈。
坂本九のマネでもイマイチだったもんなあ。
観客の反応を丁寧に待って(←不本意ながら)、流れないようにしてるにもかかわらずだ。
ネタがいつも同じになっちゃうせいもあるとはいえ、
きのうまでウケてた、今席からの時事ネタでもノーリアクションのところを見ると、
こりゃもう合ってないんだ、今日のお客の趣味とリズムと。
まあ最終的には東京タワーの歌で帳尻は合わすんだけれども。

節分を控え、食料品の店頭で豆の量り売りをしていたのだが、
マスの横の短冊に「2デシリットル150円」としてあって、
生まれて初めて実際にデシリットルが使われているのを見た。
小学生で習った時から、全く縁のない単位で、
なぜこんなこと教わるのか、当時から疑問だった。
そのデシリットルが、今ここに生きていた……。
デシリットル単位のマスがあるってのも驚きである。
1合マスより少しお得ってことね。
2005年1月29日 (土) ハイライトへの冒涜である
漫才の夏子、といっても男性二人組なのだが、
ジャックポットと改名して、久々に東洋館に出ている。
常々、コンビ名は一発検索できるものがいいと言ってるんだがなあ。
それはさておき、楽屋でその片割れ、小林あずまが吸ってるハイライトを見て驚いた。
パッケージにでかでかと警告文、そのせいでデザインも少し歪んでいる。
和田誠デザインの、ピースと並んで洒落たパッケージが台無しだ。
前田隣師匠の言い回しを借りれば、「非文化人」のすることだ。
デリカシーがなさすぎる。

プログラムづくりの参考にと、アンケートなるものを東洋館サイドがとりはじめた。
あまり演芸場のすべきことじゃないなあ。
最前列のお客が、書きながら見ている。
いいことを書かれようが悪いことだろうが、気持ちのいいものではない。
演芸場では、舞台で受ける反応以外の感想に影響されるつもりはないので読まないけど。
だいいち、そういうものを書く人が好む演者と、その逆とがあるはずだ。
声なき声が抹殺される可能性もあるわけだ。
やんわりと不快感を伝えてはみたものの、
よりよい番組を組む、ってプラス思考の動機だから困ってしまうのだ。
誰か「アンケートなんて不粋なことをするな」と書いてくれないかなあ。
協会が組もうが劇場が組もうが、自分の感覚を信じて番組を決めるのが一番である。
仮にお客の気持ちもわからない人が組んでいたなら、もちろんそれは問題外なのだ。
2005年1月27日 (木) ホラホラ、これが僕の骨だ
経済制裁って簡単に言うが、
かつて経済封鎖されたゆえに、日本はアメリカへ宣戦布告せざるをえなかった、
という考えかたもあるくらいで(支持するかどうかは別として)、
相手はますますヘソを曲げるんじゃあるまいか。
経済制裁に対して報復をはかる、それを口実にアメリカがイラクから矛先を変える、
そんなシナリオを期待している合衆国の思うつぼって気がするなあ。
コメを弾頭に積んだミサイルを打ち込むってのはどうだ。

スギ花粉が猛威をふるう前に、淡路町の耳鼻科へ行く。
一昨年からお世話になっているが、それまでは毎年、
春先のフタ月は廃人同様だった私が、点鼻薬のおかげでとてもラクになった。
鼻炎カプセルを出番前にのんで、途中で声が出なくなって往生したこともあったね。
医者に行くのは相当にめんどうくさいけれど、こればっかりは商売にかかわる。
「さあそこで」、これがセンセイの口癖、……だあれもわからんわなあ。
ベランメエ調の、しかもソフトな声、しゃべりをナリワイにする私が嫉妬する語り口だ。
花粉症に悩む人は、淡路町と耳鼻科を検索してみるとすぐわかるけれども、
木曜の午後にしか診察がないので、おすすめともいえないのである。
2005年1月23日(日) 21世紀まで続くとは思わなかった
そもそも私と浅草のかかわりあいは、たかだか6年くらいのものである。
忘れ去られた街でありながら、その漠然としたイメージは人々の中で強烈にあるために、
寒空はだか=浅草の人、という虚像ができあがっている。
そりゃあ確かに年間50〜60日は東洋館の舞台には立っているけども、
もはや浅草で演芸の修行も生活もできる状況にはない。
あれは98年の暮れ、木馬亭で「浅草21世紀」なる演芸興行が行われているのを知った私は、
新人コーナーの出演者募集に応募した。
芸歴に浅草が加わる楽しさ、そして演芸人としての幅を広げるため、
アサクサという響きへの郷愁と憧れ、そしてなぜ今、浅草に行くの?という話題性。
いろんな思惑はあるけれど、決定打はというと、偵察のつもりではいった閑散とした劇場で、
バアサン姿で奮闘する橋達也座長のキレのいいコメディアンぶりであった。
極めつけの、カラダをはった「転び」と「しゃっちょこだち」、
そんな人のいる舞台に加わりたかったのである。
鼻につく話ではあるが、事実だ。

私の出ていた頃はホントにガラガラの客席だったのだが、
座長の意地は実を結び、客足も伸びて、ついには昨年末、芸術祭の大賞をとってしまった。
最近カオを出してなかったんだが、お祝の気持ちをあらわしに木馬亭を訪れる。
ゲストの歌い手のお客も多いとはいえ、曇り空から雪もちらつく日に、場内は大入り満員。
なにより、メインの「軽演劇=コメディ」の厚みと熱気が格段に良くなっている。
……というようなことをペーペーの私ごときが書くのは失礼きわまりないのであるが、
しぶとく生き続けている浅草の底力に嬉しくなってしまうのであった。
2005年1月22日 (土) いまも隠しているネタがある
三菱自動車の「いまも乗ってくれている人がいる」ってコマーシャルを
初めてみた時には、ずいぶん思いきったことを、と笑ってしまったのだが、
今考えると生ぬるい。
登場する自動車が煙をふいたり、タイヤのはずれた車がかたわらを通り抜けて、
それでも乗ってくれている、ってんじゃないとねえ。
NHKも最近は番組のCMがやたらに多くて閉口するのであるが、
そんな宣伝に時間を裂くより、
門前払いをくう受信料徴収員の姿を映して(水をかけられる海老沢徴収員)、
「いまも払ってくれている人がいる」。

浅草東洋館、いつもおんなじことしゃべってるなあ、と反省しつつも、
無難なネタをくりかえしてしまう。
「いまも見にきてくれている人がいる」、
肝に銘じる冬の昼下がりであった。
2005年1月18日 (火) 「同じ記番号」
あいかわらずニセ札騒ぎは続いているが、
ホンモノのお札だって、ただの紙切れにはちがいないわけだ。
原価数十円の物を「1万円」と思いねえ、って決めたにすぎない。
受取る側が1万円の価値を認めれば葉っぱだって1万円だし、
国家が保証したって、俺は信じない、って人には支払えないわけで。
それにあらためて気づかされたね。
ニセ札つかまされたらババひいたと思って、誰かにつかませればいい。
市中をまわっているとすれば、ニセでも立派に通貨として機能していることになる。
銀行の調査をすりぬけて日銀までいっちゃった札もあるというのだから。

だいたい問題なのは、
おカネを、じかに取り引きする機会の増える年末に新札を発行し、なおかつ、
いっせいに交換するだけの量を用意してない日本銀行だ。
日銀の職員の給料を、押収したニセ札で払ってやれば、
ことの重大さがわかるだろう。

ひょっとすると通貨の流通枚数を水増しして、
デフレからインフレに転換させる、巧妙な政策だったらえらいぞ小泉。
2005年1月13日 (木) 対岸の彼女
ことあるごとに、「こんな有名人とも知り合いなのよ」ってこと書いて、
読者諸君に自慢したくなるのであるが、先方が偉いだけで、
こっちはたいしたことないわけである。
自分に自慢できる物がないから他人にすがろうとする。
野暮の骨頂であり、慎まねばならぬ。

しかしだ、くり返しラジオから流れてくる名前がつい嬉しくて、書く。
うちのコンポーネントはもらいもので、
すでにCDとテープデッキはオシャカになり、
ただのラジオ付レコードプレーヤーになりさがっているのだが、
(モジュラーステレオってやつだ、古い表現だね)
10年前に譲ってくれた、その元の持ち主が直木賞をとった。
なんかこう、我がことのように晴れがましい。
いまや、連絡先もわからんから、おめでとうも言えないのだけれども。
(こう書くと意味深だが、そういう関係ではないのね。)
ん?おめでとうも言えない?
……、それはもはや知り合いじゃないってことか?
遠い向こう岸であることよ。
2005年1月12日 (水) さすがにこのパンパンがとは言わず
移動の途中で小腹がすいたので、通りがかりの、有楽町の高速下のパン屋、
というよりベーカリーって感じの売店で買おうとするも人の姿がない。
ショーケースにはおいしそうなパンが並んでいるのに。
吹きっさらしの中しばらく待って、誰もでてこないからガラス開けて、
「すいませ〜ん」と言うたれば、仏頂面の女店員が出てきてしばし無言。
ふつう「いらっしゃいませ」とか「お待たせしました」とか
言うもんだろうと思って待ってたら、開口一番、
「なんでしょうか?」
ばあああああかもおおおおおおおおおおおおおおん!
久しぶりに脳内の何かの回路が直結した。
「客に向かってなんですかってのがあるかッ!」
「なんでしょうかと申上げたんです」
ケンカ売ってるとしか思えない的外れな丁寧な物言いに電圧上昇。
「寒い中待ってた客になんでしょうかもないだろ。」
「道を聞かれるのかと思ったんです。」☆☆☆
こっちがバカになりそうになったが、買わずに帰るのはもっとシャクなので
デニッシュチョコとあんドーナツを注文する(かわいらしくてすまぬ)。
値段も言わずに代金を要求するわ、
釣り銭があるにも関わらずカネを渡した時点で「ありがとうございました」という攻撃に、
久しぶりにコントロールできない罵詈雑言を怒鳴るハメに。
もしこの店が放火されることでもあったら、実験好きの小学生か私だと思ってもらっていい。
2005年1月11日 (火) 一億人のハナ声
たとえ歯を磨き忘れて眠りに落ちることはあっても、
外から帰ったら手洗いと鼻うがいは必ず実行しているのだ。
この商売、カゼひいたなんて、一番恥ずかしいことだから。
にもかかわらず、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、セキまで出はじめる。
最初は花粉症かなと思ったのだが、どうやらかかったみたいだ。
鼻うがいなんか、痛くてできないなんて人もいるけれど、
慣れれば気持ちいいくらいのもんで、勢い良く水を吸い込むとね、
勢い余って飲み込んじゃったりするわけだ。
……それか?
昨夜、うっかりノドをスルーしてしまったんだが、
それで体内にウイルスをとりこんだか?
下北沢CLUB Que、出番が近づくにつれて体が重くなる。
それでもステージは喝采のうちに終わり(さすがだね)、
ボーッとした頭で最後までつきあう。
舞台で発散するというか、お客にうつすというか、
降りたらカゼなんか治る、って時もあるんだがなあ。
あしたのラジオ出演(収録)はハナ声だな、こりゃ。
2005年1月10日 (月) 上手な年の重ね方
下北沢のラカーニャで、さねよしいさ子見て、
渋谷のラママへuedandを見に行く。

ショーロクラブの笹子重治(ささごしげじ)さんの熟練ギターにのせられて、
声もよく出て文句なしのいさ子さんであった。
2回目はもっと良かったんだろうな。

急坂をせっかく登ったにもかかわらず、地下への階段を降りねばならない、
理不尽なラママ、久々に行ってみたらあの古いマンションが立派になっていて驚く。
外壁の化粧直しで一見キレイだが、なかはボロボロだぞ、きっと。
ラママ名物・新人コント大会には出演したことない私、
ムーニーさんのノベルティアーチストマーケット以来、出てないんだなあ、多分。
ちなみに新人コント大会、見に行ってた頃は、まだ鶴亀団とか出てた、……古い話だ。
アルバム「俺様と私」のブックレット中の私の写真を撮影した、
植田信(うえだまこと)さんのバンドがuedand。
結成19周年!
イイ年して続けているロックバンドはいいなあ。
ここまでやらないと出ないカッコよさというモノがある。
2005年1月9日 (日) テレビだもの
TBSのドラマ「タイガー&ドラゴン」を見る。
賛否両論あるだろう、否の側にしてみれば、
「あんなもんじゃない」という部分がひっかってしょうがないであろう。
あんな落語家達いないもの。
もちろん大ネタを前座見習いが寄席でかけることもありえない。
(定席ってよりは特選会って感じだったから問題ないか。)
でもね、刑事ドラマだって、医者のドラマだって、
あんなこたあないんだね。
西部警察だと割り切ればいいんだ。
落語家のドラマだととらえてはいけないのだ。
やくざが見知らぬ世界に首をつっこんだってハナシなのね。
美学にしばられすぎたり、人情ものにするのもいやだもの。
そしてあそこに昇太師匠がいる、ってことが大事なんだなあ。
「大トリ」とかって明らかに困った表現はさておき。
「今後もシリーズにすればいいのに」、と言われた、なるほど。
でも、落語の筋をテレビに食われたら、
あっという間に安っぽく消費されちゃうかなあ。

あの番組で落語を聞きに来る人が増えるかどうかは疑問だけれど、
それを利用できなかったらもったいないな。
2005年1月8日 (土) タスキがあると良かったな。
吉祥寺高架下の新星堂DISK INNでインストアライブ。
ま、要は新曲のキャンペーンである。
とはいえ、みかん箱の上ではなく、ステージはあるし、もちろん屋根もある。
40人くらいの人は集まってくれたのではなかろうか、
おかげでハクがついた。ありがとうございます。
サイン会にも列ができたので私は非常に御満悦。
店側もたいして期待してなかったろうから、こっちは気分がいいぞ。
浅草ヨーロー堂の時は立派なイベントフロアがあったので安心してやったのだが、
ここは専用スペースとはいえ店内のイッカクだから、
人だかりができないと大道より悲しいことになるのだ。
30分立ちっぱなしの皆様、御礼申上げます。
なつかしい顔もあり楽しいひとときであった。
2005年1月7日 (金) 「囃されたら踊れ」
あろうことか、私は「家元」の隣に座っている。
酒席のオマケとして参加している私の隣にあのヒジがある。
しかもその雲の上の人は、東京タワーの歌をナマで聞くハメになるのである。
寒空はだか、もって瞑すべしである。
2005年1月6日 (木) 揺り頭から墓場まで
下北沢・CLUB Queの新年会ライブに出演。
店長の二位さんとはもう10年以上のつきあいになるらしい、
当時まだ彼は下北沢屋根裏にいた。
私はというとまだ浅草にも縁がなく、お笑い畑にもほとんど露出してない頃だ。
司会をダブルオーテレサの植木君と、グリップの権田君が勤めているのだが、
植木君のタキシード姿が似合うんだなあ、
別の衣裳にしておいてよかった。
浅草へ移動、まつり湯の流れの呑み会に加わる。
私の公式プロフィールには、
「下北沢のロックキッズから浅草のジイサマバアサマまで」
としてあるのだが、まさに今年もそんな1年なのであろう。
2005年1月5日 (水) ヨキミセサカエル
なぜに初日の出を武蔵新田で拝んだかというと、そこに千鳥郵便局があるからで、
酉年の賀状の消印が鳥がらみだと楽しかろう、という理由である。
ポストでなく局までわざわざ足を運んだのは、少しでも早く届けたいというホトケゴコロ。
それにしてもだ、技術はどんどん進歩しているはずなのに、
年々処理が遅くなってると感じるのは私だけか?

何度目かの千鳥詣での帰り道、武蔵小山駅前の「ペット・サウンズ」に立寄る。
森さんという名物店長で有名なレコ−ド店、
寒空はだかの「俺様と私」をいきなり5枚も仕入れてくれた奇特な店である。
それだけでも楽しげな品揃えがうかがえようが、かくいう私は初めての訪問なのだ。
チョビヒゲの店長は私ごときの突然の訪問に喜んでくれてありがたいこと。
ところが、この店はこの25日限りで、再開発のため、いったん店じまいなり。
もったいないなあ。新譜以外は20%オフ!行ってみてちょうだい。
2階で歴史を振り返る展示をやっていて、
そこで、戦前の日本にいたガイジン・バートン=クレインのSP盤を聴く。
名前だけは知ってたんだけど、どこで見たんだったかなあ。
ふちがみとふなとも、カバーしてるらしい、とてもゆくゎいなバートンさんだ。
2005年1月1日 (土)今年もよろよろ
例年通りモロモロ積み残したまま、なしくずしに新年突入。
年越しイベント「モロモロ大王国」は肝心のカウントダウン、
秒読みのタイミングをはずしていきなり、12時になる。
早くもトホホな予感の2005年である。
この先まだ365日もあるかと思うと気が重いねえ。
今年のご来光は武蔵新田で拝む。
年賀状配達の出発式というモノに遭遇する。
局長と郵政協力会(そういうのがあるのね、外郭団体ってやつか?)の偉い人の挨拶、
もちろん、配達員のやる気をそぐ冗漫な挨拶。
「さあ年は明けた!死にものぐるいで配れ!以上!」
それだけでいい。
帰宅すると文化放送では大竹まことの少年ラジオ、
見事に正月色がない。すごいな。
さて、なにはさておきおめでたい、お正月はいいもんだ。
……年賀状の続きを書かねば。
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