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[ものぐさ枕2004]
  2004年より、ジオシティーズ内に開設した、寒空はだかサイトの日記コーナー「ものぐさ枕」
  「ものぐさ」+「草枕」、無精者の旅日記が、名づけの由来である。
  日付が飛び飛びなのは、移転時に整理・削除したのではなく、
  もともとズボラなことに、気が向いた時にしか書かなかったからである。


 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2004年6月3日 (木) 準備中

男もすなる日記といふものをわれもしてみむとてすなり。
だったか。
ホームページというものを旗揚げしたが、
まあ、続くものではなかろう。
さしあたって、容姿のことなど書き込まれて刃傷沙汰になっても、
と思う今日この頃。
殺人の実感だけはバーチャルでは満足できないのか。


2004年6月17日 (木) オーディション

とあるTV番組のオーディションに行ってきた。
大体、よく私を知らずに呼ぶなんていう場合、
ロクなことはないのだが、
試しにどんな番組か見てみたら、今どき珍しくいい造りだった。
こういう番組なら出たいものだと思ったのだが、
話をきいたら、呼ばれた企画が気に入らない。
事務所の手前、スッポカすわけにもいかないし。
企画側の意図に合わせるのはかえって失礼な気がしたので、
(皮肉な意味でなく、相手方を信用したのだ)
自分らしいネタを見せてきた。
まあ先方のねらいと違うだろうから円満に不合格だろうね。
合格したくはないのだが、落とされるのはもっといやなんだなあ。
スタッフに熱意が感じられたので、
なんか他の機会に呼んでもらいたいけど、
次はないってのがこの世界なのよねえ。


2004年6月19日 (土) 愚痴ですまぬ

Googleで検索するとここにたどりつけるようになってしまった。
寒空はだか本人の運営するサイトだけれども、あくまで私的サイトなのである。
しかも、暫定政府であるからテロの危険もあるし、
崩壊する可能性も大である。
半公認後援会「はだかの会」の方が格が上でありまして、
寒空はだかについての詳しくはそちらをどうぞ。
www.tg.rim.or.jp/~hadaka/
ファンサイトではありますが、であるがゆえに、
私より私をよくわかっているからね。

さて、くだんのオーディションであるが、
最悪の、第三の結末が待っていたのであった。
条件付き合格。
違う設定で合格。
本来の応募とちがう方向で合格。
ネタの外で心にもないことを言わねばならない。
くわしくは書かないけれども、
わたしゃこれ、やっちゃいけない仕事だとわかっている。
事務所の顔をたててる場合じゃないよなあ。
あした収録である。
「寒空さん、あんた人が良すぎるよ。もっと自分を大事にしなきゃ。」
ありがたい忠告を以前いただいた。
学習能力なくてすみません、梅垣さん!


2004年6月20日 (日) 結果オーライ

<つづき>
いや、あのね、そんなに大したことではないと思うんですよ。
ほんの1日、2分足らず映るだけです。
オンエアを見ると「どこがそんなにいけないの?」って思いますよ、みなさん。
そんなこといちいち言ってちゃテレビで仕事なんかできないですもの。
やりたくないことやってのし上がってく世界だし。
ただね、安っぽく消費されちゃう可能性がいやなだけなのね。
マイナーなポジションにいるとプライドだけ高くなっちゃうんだ。
でも、くやしかったら売れるしかないからねえ。

しかし、さすがに私だ。なんとか自分で言い訳のできる結果にしてきました。
披露したネタは、用意したものが放送上こわい、っていうから、
ちょっと中途半端な仕上がりになっていると思います。
次につなげれば意義のある仕事、と後々評価。
それっきり捨てられれば、私の負け。

現場はいい現場でした。
きっとセンスのある人々なんでしょう。
別の形で仕事したいものである。



 
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2004年7月1日 (木) 新宿のネットカフェにて

ひょっとして更新されてるかなと思って見てみたが、
何も変化なし、そりゃそうだ。
私がなまけていることもあるのだが、
実は3日前、我が家のモニターがついにオシャカになったのである。
スイッチがはいらないだけなのだが。
接触が悪いだけだと思うんだけれども。
スイッチ横のパイロットランプは消えたままだ。
2週間ほど前、やはり一回コト切れたのだが、
その時は蘇生したのだ、何回か入れたり切ったりをくりかえすうち。
スイッチをかなり奥までしつこく押し込んだらつながったのだ、回路が。
しょせんパソコンとはいっても電化製品だぜ、と思っていたのだが、
このたびはダメみたい。
古いモニターですからねえ。
もちろんたたいてもみました。
カバーはずして中を見てみたが、よくわからない。
どこか直結させればいいんだろう?
つながったら、もう金輪際切れなくてもよい。
コンセントを抜けばよいのだから。

サントリーが青いバラ開発成功。/安い酒飲ませすぎたらしいです。


2004年7月3日 (土) 江島行くヒマ

おととい、ようやくできた5月5日の吉祥寺ソロライブの礼状を携えて、
江ノ島へ行ってきた。
ソロライブのアンケートに答えてくれた人にはお礼状を出しているのだが、
光陰矢の如し、源さんは色事師、あっという間に2ヶ月遅れである。
忘れた頃に届くにしてもあんまりですね、ひとごとながら。
ひとごとではない。このひとでなし!
江ノ島に行ったのは江ノ島の消印で出したかったからである。
江ノ島の切手で、
江ノ島郵便局の風景入り消印でハガキが届く、
夏便りじゃないですか、うれしいじゃないですか、
礼状の遅れも忘れようというものである。
ぎらぎら輝く太陽ながら、台風の影響か波荒く風強く、
平日だから人も少なく、
トンボ飛びかう江ノ島は、梅雨どころか、もう晩夏の風情だ。
短い夏だったね。

別に自分で行かなくっても、江ノ島郵便局に郵送して頼めばすむのだが、
わざわざ行くところがえらいのだ。
それに、
60枚ものハガキを送りつけてカネにならん仕事を押し付けるのはしのびない。

あ、京都・磔磔のお客様はもうしばらくお待ちください。
紅葉の便りを……。


2004年7月5日 (月) 補足、長く

正直なことをいうと
アンケートの礼状の差出は、たまあに、
郵送で頼んでしまうこともある。過去2回。
何枚か出し忘れたのが発覚することもあるし、
そのくらいは勘弁である。
わざわざ消印を押すだけのために、
北海道の富良野まで出かけたこともあるのだが、
これがまた、不鮮明で読めなかったりすることもあるのだ。
このときは経費節減のため青春18きっぷ。
4泊(夜行)5日の旅、富良野滞在は3時間くらいだったと思われる。
以下、もらって読めなかった人のためのヒント。
東海(茨城・原発の)、刈谷(いかりやにかけた)、
和歌山・大塔(ツアー二つの塔)、熊谷(絵柄が熊だった)、
山梨・上九一色(オウムさわぎの頃)……、
わざわざ出向いたが半分の人は読み取れないと思う。

本当はいけないことなのだが、
自分で消印を押させてもらうこともあるのだ。
さすがにうまくなっちゃたので、これが一番確実で、
大変なのだが、郵便局員に無駄な仕事をさせずにすむし、気が楽なのだ。
赤い(正式にはトビ色)スタンプを何十枚と押し、家路に就く。
……、で届いたのを見ると、上に機械の消印がかぶっていたりする。

別段、労力は報われなくてもかまわないのである。
お客様のためにやっているのではないのだ。

昨4日は新宿LOFT PLUS ONEで「バカ」のライブに参加。
映像と演奏がちゃんとリンクしてる、
で、ちゃんと面白い、で、とんがっている。
そうあるものではない。


2004年7月8日 (木) モーニタ暑し

我が家にモニターが復活した。
机の上が広くなったし、ネットサーフィンで時間を浪費することもない、
そんなパソコンなしの生活に、ちょっとホッとしていたのだが、
膨大なデータを眠らせたままにしておくのは現実逃避にすぎない。
立川こしら君が探してきてくれた、中古のブラウン管と向き合っている。
深夜にもかかわらずバイクをとばしてきてくれた菊次郎のケツ君もありがとう。
MITSUBISHIの17インチ、火をふくまではこれでゆく。

ライブドアを門前払いってのもひどい話だ。
そのかわり買収されたらユニフォームはTシャツね。


2004年7月9日 (金) 座布団1枚!

耳を疑うようなニュースがとびこんできた。
消防士・児童買春、
これ自体は別に驚かないだろうが、
容疑者のコメント。

「火遊びがすぎた。」

ほんとうかしらん。
火照ったからだを鎮めてあげようくらいは言ったんだろうな。


大工と乗用車がであいがしらに衝突、
これはよく聞いたらバイクでした。くだらない。


2004年7月11日 (日) 投票タワー

選挙に行きましたか?
私は昨日、「期日前投票」してきたのである。
自分のすみよい環境を作る(あるいは守る)ためには、
カネかテロか選挙しかないのだ。


札幌じゃサマータイムを試験的に導入?
と伊集院光・日曜日の秘密基地(TBSラジオ)で知る。
時刻はそのまんまで、官庁などが、営業時間をくりあげているとのこと。
季節感を大事にする私はサマータイム反対。

選挙速報を見るのは小学生の頃から好きだった、そういえば。


2004年7月12日 (月) (文体変えます)

またも釈然としない選挙結果だなあ。
マスコミがいうほど自民党減ってない、
1人区は結局半々だったし。
民主党増えたけど、共産党減った分みたいなもんだし、
数の上では。
劇的な結果がなくてつまらん。
それはともかく、
選挙速報見てて思ったのは、みいいんな当選すると、
バンザイ三唱なんだよなあ。
なんかもうちょっとこう、ね。
嬉しいのはわかるけどね。
まあ、あれがやりたいんだろうなあ。
あのバンザイを平気で視聴者に見せる感覚、やっぱり自分のための選挙だな。
や、もちろん、本気で人助けのために、なんて候補は落ちるし、
当選しても仕事はできなかったりするんだな。

8月のひとり会のDMづくりがいまだに終わらず、
汗かきながら刷ったり、宛名書いたり、切手はっている。
私は公約やぶりっぱなしよ、言っとくけど。


2004年7月13日 (火) どこよりも早く

ただいま、7月13日午前0時をまわったところである。

私はここに、梅雨明けを宣言する!(東京)

もうね、子供じゃないんだからね、
梅雨明けくらい気象庁にたよらず、おのれで決めろ!
梅雨明けも人それぞれだ。
これから長雨が降っても、私にとっては、それはただの夏の長雨である。
でもセミはまだ鳴くな、たのむから。


2004年7月20日 (火) スダレごし頭皮汗かく夏の夕   寒空

この暑さで国土交通省ではラクダの導入の奨励を検討とか。
汚名返上をかけて早速ミツビシがイラクへ買い付けへ。

我が家近くの須藤公園ではセミがつらそうに鳴いている。
夏の夕暮れなんつうのはだな、開け放した窓から、
TVのニュースなんかが路地に聞こえてくるもんなんだ。
それが今日び、しいんとして、響いててるのは室外機の音ばかりだ。
なかば意地になって、このトシになるまでずっと冷房なしの暮らしをしている。
本気でみんな、冷房の温度、2度でも上げれば、
ずいぶん涼しくなると思うんだがね。
夏至の日に電気消すイベントがあるけど、そんなのより、
暦の大暑の22日、みんな一斉に冷房消して、
打ち水やら行水(入浴剤入り)やら、
せいいっぱいの夕涼みってのはどうです?


2004年7月21日 (水) お仕事ごくろうさま

浅草東洋館初日、口の中がかわいてたまらなかったが、フェーン現象の影響だな。

夜、マンション営業の電話につきあってたら、ケンカになる。
先方はバカといって電話を切る。
私もオトナゲないなあ、喜んで切らせないとな。


2004年7月24日 (土) 俺の体に血があるか

千束通りを歩いていたら、眉間を蚊に刺された。
ウカツにもほどがある。

■後日記 タイトルは盲の小せん事、初代柳家小せんの詩より  


 
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2004年8月6日 (金) 例のTV

6月の日記で情けなく語られているTVの件、
書いておいてそれっきりってのも卑怯ですから、一応告知。
実はもう一つ展開があって、なお情けないことになっている。

STV製作/日本テレビ系 爆笑問題のススメ増刊号!
ほんの20秒程度らしい。

これは消したい過去なので、もし映ったら、目を閉じて音消して、
鼻つまんでやりすごすように。たった20秒やそこらだ。
これに至る背景については、あらためて愚痴を述べます。
ソロライブが終わったらね。


2004年8月7日 (土) みこすりはん

わははは、たった5秒じゃねえか。
オンエアバトルの敗戦コメントのほうがまだ長い。

さて、明日はひとり会である。
劇場なんか火事になっちまえばいいのに。


2004年8月8日 (日) 御来場御礼

お暑い中、中野まで足を運んでくださった皆様、ありがとうございます。
来るつもりで来られなかった皆様もありがとうございます。
そして、今回来なかった皆様も、次回は是非。
まずは御礼にかえまして。


2004年8月14日 (土) 本当のことをいうと

ウェブ上で自分の文章を見ると、
どうにも頭が悪そうにしか見えないんだなあ。
内容は仕方ないにしても、それに加えて、
文字の組み方とか書体になえてしまうのだ。

だいたい、簡単に縦書きできないとは不便なことだ。

予定表やら日記のカゲで、表立って書けなかったり、
書かなかったりする仕事もあるわけで、
大物政治家の秘密のパーティーの余興で、
ありきたりのアトラクションに飽き飽きしたVIPの御機嫌を伺い、
そこに出席していた、
最近はちょっと下り坂で手が届くようになった元CMの女王と
淫らな一夜を過ごしたり、
かつての銀幕のスターを連れて、自らは司会をつとめたり、
オリンピックで国歌を演奏したり(アフリカの国だけどね)、
ブレーキが故障して暴走する電車を力づくでとめたり、
Uターンラッシュをはじめたり、夕日を指三本分もどしたり、
そんな1日をつづるたび、ただの自慢に見えて、すぐ削除してしまうのだ。


2004年8月15日 (日) 沈黙は金

好きか嫌いかといえば、決して好きじゃないんだが、
まあそれは嫉妬というものだろう。
でもやっぱり偉いと思ったね。
田村で金、谷で金。……たちうちできん。(指導。)

またみんな言ってたけど、いい表情だったんだなあ。
ちなみに私はヤワラちゃんとは言いません。
オンナ大ちゃん(風大左ヱ門)と呼んでます。

それにしてもだ、観客がうるさすぎる、柔道の客席って
いつからあんなに緊張感なくなったんだろう。
あれ応援も敵になってないか。

…………………………………………………………………

雨降って、地かたまらぬ終戦日   寒空


2004年8月16日 (月) ま、そんなこと、どーでもいいんですけどね

長嶋ジャパンとか、山本ジャパンとか、
なんでそういうのかね。
みつまジャパンはどうなった?

日本ばかりじゃなくて、それはどこだ、って国も気になるわな。

北島の金で荒川区は大変な盛り上がりでよいことである。
(寒空はだかの住所は文京だが、JRの最寄は西日暮里なのだ。)
荒川区、不当にイメージ低いでしょ。
ほんとに希望の星なんだ、他になにもないの。

でももっと見たいのは、初の女子の金メダルでもりあがるタイ。
女子重量挙げのウドンポーン。
そういうのやってくれないかなあ、テレビで。


2004年8月17日 (火) メダルラッシュは前半戦だけだろうけど

ひねたイメージににあわず、オリンピック好きな寒空はだかである。
ミュンヘン(1972)の田口の金メダルに喜んだ覚えもあるし、
モントリオール(1976)は朝から晩までNHKを見ていた。
羽佐間正雄、島村俊治、西田善男、3人のアナウンサーの実況にうっとりしていた。
忙しいとどうでもよくなるのだが、
不運にもこの夏はテレビラジオの前にいられる時間が長い。
(むろん公式見解は五輪観戦のためにあえて仕事をことわった、である。)

だから、そのモントリオール以来の体操の金はうれしかったのである。
決勝の順位表見て、ドイツって見慣れないと思いつつ、
なんか足らないなと思ったら、
無意識に東ドイツを探していた。
いまだ意識の奥では統一ならずだ。
さすがにベトナムは一つだし、ソ連も変換済みなのにだ。
ちなみに私は「さいたま市」を認めていないので、
ちょっと前まで、DMの宛名も旧浦和市とか書いていたがこれは故意。

いまだに統一を知らずに、あるいは認めずに東ドイツを名乗る地域が、
どこか山の中にでも(あるいは国外に)あるのではないかと思っている。

それにしても、空席が多い。
ギリシャには読売の勧誘員はいないと見た。


2004年8月18日 (水) TV漬けの影響

小雪さん、小雪さん。
そろそろシスティナCってなんだか教えてやれ。


2004年8月20日 (金) ごりん星から

金メダルとりすぎで、もうちょっと飽きてきた。
と、相変わらずの持久力のなさである。
が、それを吹き飛ばしたのは柔道女子87キロ超級の塚田真希。
決勝、押え込みひっくり返して逆に押え込み、圧巻。
もちろん最有力優勝候補と戦わずにすんだ幸運もあるのだが、それは別の話。
女性の美の基準の正反対にいながら、あるいはそれゆえの、
なりふりかまわず一所懸命な姿はすがすがしいねえ。健気だね。
素敵に見えたもの。
観客席の妹が、ほっそりと、ちょっと見かわいらしくしてたから、
ああはなりたくない、と思ってたんだろうなあ。

また井上康生の分まで会社の看板もしょってたから、
塚田はプレッシャー感じてたはずである。
泥棒や暴漢を投げ飛ばす!
所属する総合警備保障にとって、これ以上の宣伝はない。
……セコムは長嶋茂雄だったからねえ。
泥棒はいられちゃったけど、そういうキャラクターだもの。
ニコニコ、泥棒の仕事をほめそうだ。


2004年8月21日 (土) 焼津に偶然とおりがかる

明け方、虫の鳴く声をきく。

浅草・東洋館昼席終えてから、焼津へ、
ワハハ本舗「ショービジネスのつくりかた」に飛入り。
三福旅館での楽しい打上、
夏の疲れどっとでて早々に撃沈。
なにしに行ったんだか。


2004年8月22日 (日) 失言レストラン

朝、まだ寝静まった焼津を発って帰京、浅草へ。
ワハハのみなさんにはハードな本公演の舞台が待っている。
東洋館は三本目の出番ながらまずまずの入り、わりとよく笑うお客。
一方、毎度安定しない、演芸場での寒空はだか。
口調、テンポ、テンションいつもバラバラ。
赤黒チェックのジャケット、黒スラックス、赤シャツに緑のネクタイ。
前半オリンピックの話中心に時事ネタ。
浅草でこそウケてそうなイメージを持ってる人もいるだろうが、
わたしの客席は静かである。
理屈っぽいからね。
後半、いつもの、やりたおしてるネタでは笑いをとるけれども。
東京タワーの歌で帳尻をあわせて高座をおりる。
演芸場ではウケない漫談に居場所はないのだ。
終演まで残る。
異様な盛り上がりを見せたトリの前田隣師、
軽妙に毒をはきながら笑いに昇華させるヒザの立川左談次師、
さわやかに夏の装いの隣夫人、のお茶の席に加えてもらう。
調子にのってちょっと失言。

銅メダルに悔しそうな鹿島丈博が印象的。


2004年8月24日 (火) 思い出をおカネにかえて二千円   寒空

お盆に里帰りした折り、持ち帰った古本を売りに行く。
趣味本なので、専門店の戸をたたく。
一度でも売ったことがある人はわかると思うが、
古本の買取値はおどろくほど安い。
店に並ぶとずいぶん高いんだけどね。
需要と供給のバランスとはいえ、おそらく、
古本としての店頭売値の4割〜1割くらいだろう。
だから状態がよくても新本当時の定価の1%なんてこともある。
もちろん在庫かかえる側は大変だから、
売れるかどうかわかんないものは、1割でも買取りたくないわなあ。
ということは、客として買う場合、値切るのは悪くない、して当然か。
買い慣れてる人にとってはあたりまえだろうことに今きづく。
在庫が多いという理由で買取価格は下がっても、
店頭価格は別に下がんないもんなあ。
古物商ってボロ儲けだな、……あ、ボロ(襤褸)で儲けるからボロ儲けってんだ。
なるほど。
ま、われわれの方こそ、人をだましておカネまきあげるような商売だから、
もっとひどいんだけど。中には平気で「盗品」で商売する輩もいるし。


2004年8月25日 (水) 冷静と情熱のあいだ  ……みつを

8月の浅草・東洋館、私の出番は今日まで。
月末効果(招待券の期限が近い)でほぼ満席。
下の演芸ホールの招待券で入場したお客も見受けられる。
(下はもっと混んでいるということになる。)
表方のがんばりもあって、最近は現金客の割合も増えた。
そんなわけでお客の反応が良く、私自身こなれてきたこともあり、
歯車がかみあって、珍しく終始爆笑を取る。
自分から爆笑なんて書くくらいだから余程のことだ。
嬉しくないかといえば嬉しいが、
あんまり自分を信用してないから、素直に喜べない。
内容をさほど変えてはいないので、
語りのテンポ、間が的確で丁寧だったということだ。
演芸場だからそれでいいのだ。
でもそうなると粋じゃないってことなんだなあ。
なんか、どう、うまいでしょ、って鼻につく気がする。

夜、スタンダップノンフィクションを名乗る、
コラアゲンはいごうまん、のライブへ。
私の対極で、己の体験を誠実にさらけだすカッコよさ。
それを熟達した話術にのせて、観客をひきこむ。
今日も出色の出来。
たまった宿題うっちゃって見た甲斐があった。


2004年8月26日 (木) キスマイ×スホー×

銀座ガスホールの裏、
とりこわし前のビルにギャラリーがあって、
年内くらいは営業しているというので、密かに、
12月の会にあわせたDM展を目論んでいたのだが、
今日行ったらビルはもう閉鎖されてた。
そのガスホール、立川談笑さんの真打トライアル。
くさいものをふさいだフタを、あえて開いて問う人なので、
好き嫌いはハッキリ分かれる。実力があるから余計だ。
自分の道を伐り拓く姿に、己を省みる。

ガスホールは正式に借りているのだが、
まだ寒空はだかリサイタルだということすら会館側は知らないので、
詳細決まるまで問い合わせないでくださいね。
何も答えられません。
タイトルもまだ未発表、
でも第一案はあんまりなので、ボツ。
「キスマイガ××ール」


2004年8月27日 (金) これじゃただの日記ですわな

早朝の上高地に立つ。
夏のシーズンが一段落した大正池の朝6時は、まだ人気(ひとけ)も少ない。
運良く青空のもと武骨な焼岳が、今にも倒れてきそうなくらい眼の前にそびえたち、
穂高の方角からは、見るからに涼し気な朝もやが流れてくる。
文句なしの気分の上、
学生時代、アルバイトで上高地行きのバスの車掌をしていたので、感慨ひとしお。

当時、麓の新島々から上高地、乗鞍、平湯を一日中走り回った。
もっと昔に比べればそれでも天国のように整備された道だったろうが、
安房峠のトンネルもなく、中の湯の手前にはすれ違えない細い道が残っていた。
複線の釜トンネルを掘るなど思いもよらなかったし、
もちろん、まだ白骨温泉もキヨかった。清く正しく白濁していた。
他社の運転手がこわがる山道を、北村ボディのオンボロバスは、
猛者ぞろいの運転手にあやつられてエンジン高らかに登ってゆく。
車庫の横に寮があるとはいえ、早い時には3:45出勤という、
新聞少年の次に早起きの仕事だった。

……てな記憶をひもといても、知らない人には面白くないぞ。
いやあ、純粋な観光で久しぶりに遠出。(DMRはついで。)
日頃の行いに反して晴れだ、晴れ。
ああそりゃよかったよかった、しょうがないしょうがない。

夜には昼のすがすがしさと正反対の国際都市東京の大久保で、
杉ちゃん(ピアノ)&鉄平(バイオリン)の冗談音楽をみる。
技術に裏打ちされたコメディ、笑いの上にありがたみまである。
また私とも一緒に何かを企ててるので楽しみに。


2004年8月28日 (土) 残暑見舞はもう出しにくいねえ。

たまっている宿題をかたづける。
宿題をためこむところは学生時代の夏休みと変わらんなあ。

レスリング、田南部力の銅メダルより、「室伏、くりあげ金メダルかも」、
ってのが先にニュースで言われてて、かわいそうね。
また、室伏も今さら金もらってもあんまり嬉しくないんじゃないか。
もし、ドーピング疑惑が真実だったら、
あらためて室伏にも投薬してからハンマー投げて、勝てば晴れて喜べるんじゃないかしらん。


2004年8月29日 (日) 台風16号鳥取行、後ろ4両海老名どまり

台風接近で早々と夜行の寝台列車の運休が決定のニュース。
別に寝台車だから、途中で立ち往生しても問題なかろうに。
いや、こんなときだからこそ寝台車の出番じゃないのか。


2004年8月30日 (月) 川柳川柳 高田渡 夢の二人会/なかの芸能小劇場

「どんなお客さんかわかんないもんね?
 ……!、全員外国人ってことはないよね?」
出番前、舞台袖で高田渡さん。
川柳川柳高田渡夢の二人会、その同じ舞台に立てるのは幸せだなあ。
もともと接点のない二人、接点は酒呑みってだけ、
どんな楽屋になるか楽しくも心配だったが、さすが年輪をかさねた御両名、
無難な会話をかわしていた。
余談ながら楽屋は神田茜先生差入の北海道直送若ししゃも、ホタテ、鮭のくんせいの匂いで満ちている。
川柳師は(師匠でなく師、と書くと業界人ぽいね、俺、
業界人と書かずに幕内と書くともっとそれらしい)、
なぎら健壱さんの話でタカダワタルという人物はインプットされてたようだ。
なぎらさんってフォークの世界と演芸界を結ぶ貴重な存在なんだなあ。

70すぎてもパンクな師匠は、
同じく酒で語られるフォーク歌手へのライバル心もやしての大サービスの高座、
枯れない凄さがここにある。

なかの芸能小劇場の舞台は禁酒、という特殊な環境ながら、
ペットボトルの水でのどを湿めしつつ、
いつものようにいつもの夜に、いや、しゃべりが少なかったかな、
ライブハウスに比べりゃ堅かったかもしれないけど、
素敵な高田渡さんでした。
……ペットボトルの中身を確かめそこねたんだよなあ。


2004年8月31日 (火) わからないかもしれないですが。

昨日の中野はちょっと、いらない力がはいっちゃいましてね、私は。
会の重みにはりきっちゃったんじゃなくて、
(がんばってたちうちできるもんじゃない)
夏バテで体力がないところへもってきて、
マイクがどの程度はいってるのかわかんなくって、
むだに力をふりしぼってしまうのだ。
……あ、そうは見えないか。

さて本日もおなじメンバー。
川柳つくしさん、川柳川柳師匠、高田渡さん&佐久間順平さん。
お江戸日本橋亭で満席だと観客側は狭くてつらいはずなので、
お客様もおつかれさま。盛り上がりました。
昨日の分とまとめて、本日打上。
読者のみなさんは、打上の様子とか興味ありましょうが、
それを明かすほどお人好しではない寒空はだかである。
と、書くと思わせぶりなのだが、おとなしい普通の打上。
念のため川柳師匠の名誉のために言っておくと、
川柳師匠は、酔ってもラッパを吹きませんでした。


2004年8月32日 (水) 小学生の夢


宿題が終わらないので、夏休み続行。



 
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2004年9月7日 (火) 御来場御礼、御馳走御礼申上候。

あまりさぼってる(日記を)と、見限られるので、そろそろ。
今夜は、おなじみ浅草まつり湯、
来てくださった方、ありがとうございます。
なあんのおかまいもできず、恐縮です。
今回は静かなお客様、
ニコニコ見守られる舞台が30分。
あ、子供が騒いだか、でもあのくらいは気にならんなあ。
広々とした畳敷きの宴会場、
ビール片手に浴衣でくつろぎながら、
寒空はだかを見るような見ないような空間、
次回は11月7日(火)19:00から。

侠気(おとこぎ)あるブッキングを続ける演芸担当ぷくぷく氏に連れられて、
司会の立川談大くんを交えて楽しく呑む。
気のおけないいつもの店で、うまい魚でいい気分。
早くも睡魔に襲われ舟を漕ぐ。
恩をアダで返すこの仕打を、夢の中で反省する。


2004年9月8日 (水) 悪い予感

ここんとこ地震だ台風だ噴火だと、なんか悪い前兆を思わせてやだねえ。

近所にまずいことで有名なラーメン屋がある。
まずいのを売りにしているラーメン屋がある。
そういう点ではテレビにもとりあげられるくらいだ。
私は入ったことはない。
でも絶対うまかろうはずがない。
飲食店としてのプロっぽさとか華がみじんもない。
なにしろ入りたくない店構え、
話のタネにも入りたくない暗い店内から、邪悪な「気」を発している。
10年以上にわたり、私は客を見たことがない。
それでも店が続いている、というのは、この不景気に、
非常に明るい話ではある。希望のある話である。

そのラーメン屋の横をだ、昼前に通りがかったらだ、
表に貼られた有名人の写真にそそられたか、
そろいの作業服姿の客が5人も、
カウンター席に座って注文のあがるのを無言で待ってるではないかね。

いよいよ天変地異の到来を予感せざるを得ないのである。


2004年9月9日 (木) 手付け

そのうち書く。

 [※後日記]思わせぶりに書いたまま……。
     サイト引越の2019年3月時点では、もう、何を書こうとしていたのか思い出せない。


2004年9月10日 (金) 調整虫

電話ボックスに故障中という貼紙がしてあった。
いいね、故障中。
潔くて。
ほんとは「故障」と二文字だけだともっと男らしいが、
故障だ文句あるか、と威張っているようでもあるので、
中の字はあったほうがいいか。
何が潔いのかというと、私の嫌う表現の一つが、
「調整中」
ってやつなのだ。
いつからか、この、
いいわけがましい、ポジティブシンキングという名の、
言いかえが流行りだしたのだ。
目の前で修理してればまだ調整中といえるかもしれないが、
なんか「してるふり」「てきとうにやんわりとごまかしとけ」って、
そんな不実さを感じてしまうのだ、ひねてるからね、私は。
また、故障ならあきらめると、調整中じゃ期待するでしょう、
直るのを。

ね。私は のべつ調整中だ。 
ガスホールの詳細、今、調整中ね。


2004年9月11日 (土) ポルシェ911

今日は、104年前、はじめて日本に公衆電話が生まれた日であった。
昨日の日記は今日にすれば良かった。


2004年9月12日 (日) 東京タワーの歌はどこでも大喜び

岩手・二戸(にのへ)でテツ&トモ、はなわ、ハミングと。
たまにはそういうメジャーな組合せの仕事もあるわけだ。
若いメンバーだからお客さんも若いコかと思いきや、家族連れも多く、
出番トップだから、もうちょいと無難なナンバーにしとけばよかったね。
二戸のみなさん、ま、東京でしか見られないものもたまには良かろう。
悪気は無いぞ、ちょっとニーズを見誤った。

帰路、盛岡に途中下車、夜の不来方の街を散策。
好きな街なんだなあ、盛岡。
こぢんまりとすがすがしい街なのだ。
バスセンターなんか時をとめたままのことよ。
「かなた、と老いしタピングは」の岩手公園。
武骨にふんばる開運橋。
そして女性がキレイ。美人の方言はステキね。
中の橋の先の路地では14階建マンション建築中。
嘆くしかないのが情けない。

二戸の会場でちっちゃいボクに
「はだかさんもがんばってください」励まされる。
おうおう、すまんのう、心配かけて。


2004年9月13日 (月) 「雑音フェティッシュ」にて

げんしじん主催、なかの芸能小劇場の「雑音フェティッシュ」は、
非常に良い会である。
入場料が安すぎることを除けば。
主に観客の年齢層で区別されるのだが、
「お笑いライブ」「寄席」という分け方がこの20年の間に確立してしまい、
(この場合の「寄席」は定打ちの小屋の意味では無い)、
公演自体も出演者も分断されている。
また大手プロダクション所属とインディーズ系にも溝がある。
見たいものを見たい人が見に行けばいいけれど、
私なんかは、観客にも色々な人が欲しいのである。
そういう状況の中、いわゆるベテランとか寄席畑の人は出ないけれども、
演者にも客席に幅があって、バラエティに富んだ良い会である。
入場料が安すぎることを除けば。
 ※「お笑いライブ」等、使いたくない表現だが、説明の都合上使用。

さて、ウクレレえいじ、マニアックものまねシリーズ。
えいじくんのスゴイところは、私を含め、マニアックなことをやる人は、
ディティールを大事にするものなんだが(たとえ自分は興味がなくとも)、
それを無視できるところがエライ。大事にしすぎたらまちがいなのね。
でも左卜全(ひだりぼくぜん)はもうちょっとなんとかしなさい。


2004年9月14日 (火) ……ないしょ(北海道はすべて内緒──ないっしょ──話だ)

書けない。ナイショ。

……内緒情報のページにも書いてない。


2004年9月15日 (水) 秋空たかし

いやあ、すがすがしい。
秋だねえ。散歩日和だ。
毎日カスミを食って暮らしている。

ええっと、あの、だからといってヒマなわけじゃないんですよ。
いろいろお待ちの皆様、今しばらく……。


2004年9月16日 (木) 小器用に錦をかざる

イラストが明日の締め切りを前に仕上がる。
やればできるもんだ。
私は色付けを非常に苦手としているのだが、
筆記具の質のおかげだなあ。
ずいぶん前にもらったTooのCOPIC、役立ってますよ。
大変キレイな仕事なんだが、似顔なのに似てないんだ、これが。
だめじゃないの。
よくイラスト得意の女の子が書く、美男子の似顔絵と一緒じゃないの。
汚くても本質をとらえるってのが大事でしょ。
丁寧なつまらん仕事より、やっつけでも面白い仕事だよねえ。
(日用品とか道具とか、職人仕事じゃないわけで。)
なあ、でも今回メジャー感を優先ってことで許してちょうだい。
……コギレイならいいってもんじゃないぞ!妙に店内の明るいラーメン屋!


2004年9月17日 (金) 私を闘争につれてって

LIVE DOORに楽天、プロ野球参入の折には、透明ランナー制度導入。
これならもし、メンバー集まらなくともなんとかなる。
子供ながらにバーチャルな制度を考えていたものよ。

JRが国鉄時代、順法闘争ってのがあったけれども、
なんか試合しながら抗議する方法もありそうだわな。
ランナーも野手も牛歩戦術とかな。
経営者側は損害賠償請求する前に、ノンプロでも草野球の選手使ってでも、
試合を成立させて興行を行うってのがスジだと思うが。いい悪いは別よ。
ファンが選手をささえるために、チケットは払戻さないと美しいな。

あれ、そういえば非組合員っていないのか?
みんな日球組?
ヘルメットにゲババットでデモをしてほしいなあ。
でみんなかたまって、う〜ん、ランニングにしか見えないか。

ロッテ球団がヤフオクに出てたよ。


2004年9月21日 (火) 回文、かいぶーん。

吐露したの大麻ネタを、タネまいたの田代と。
……おそまつ!


2004年9月22日 (水) 目黒にて

唐突であるが、新しいCDの製作にはいっている。
16日の日記のイラストは、このジャケットを飾る表紙なのであった。
いよいよ今日から録音である。
ワハハ本舗の歌姫、梅垣義明さんのバックでもおなじみ、
冗談音楽ユニット・杉ちゃん&鉄平のバッキングで、
普段はお客様の想像力に頼っている伴奏が、現実になるわけである。
アレンジは杉ちゃんこと杉浦哲郎氏。
強力な助っ人に、元スターリンのベーシスト、西村雄介氏と、
元BELL'Sのドラマー、大島香氏。
本日はピアノ、それにベース、ドラムの、
オケ録りである。
場所は下目黒、バンリュウジスタジオ。
3人いっぺんにスタジオ内にはいって、ハイペースで録音はすすんでゆく。
みんな職人肌の上に気心の知れたものどうしなので、
「こんな感じ」があっという間にできあがってゆく。
絶妙の伴奏に仕上がり、ほくそえむ私である。
これはいいものができちゃうぞ。
次回録音は27日である。


2004年9月23日 (木) 私の知らない世界、だが。

ゲイ雑誌「薔薇族」が休刊という小さい記事。

薔薇散って菊花に残る棘のあと   寒空


2004年9月27日 (月) 録音2日目

夕方から、22日に続いてのCD録音。
ピアノトリオのベースに、重ねて音が厚くなってゆく。
先に「マタギ」の歌入れをしてから、オケ録りの続き。
まずは杉ちゃん&鉄平のハンサムなヴァイオリニスト、岡田鉄平君。
一気に格調高くなる。
中島みゆき風の曲、「谷底の百合」のソロなんか涙出てくる。
今日はゲストミュージシャンが入れかわりたちかわりやってくる日で、
ポカスカジャンの玉井伸也君がギターを弾きにきてくれる。
この曲だけは私と二人、ギターとボーカル、サシの一発録音。
とってもきれいなスリーフィンガーの伴奏で、
寒空はだか往年の名曲、「ふたりの甲子園」がまさに妄想どおりの音で完成。
また私のボーカルがいいんだ、これ。
さてその次はピアノ+ボーカルの女性トリオ、ねこマジから、白神直子さんと井関佳子さん。
急遽、ポカスカ玉ちゃんとプロデューサーの十郎ザエモン氏を加えた4人組でコーラスを。
強烈な仕上がりだ。コーラスが入った部分の脳天気な明るさったらない。
続いてあとにひかえしは、今日が初めて録音の、エレキギターの清水富之君。
これまたツボを心得たニクイ音をのこしてゆく。
さてどんじりは栗コーダーカルテット、サックスの川口義之氏。
演歌のむせび泣くサックスをはじめ、これ以上はないアドリブを。
歌入れは翌日に残ってしまったが、終電までのわずかな時間で、
非常にクオリティの高い豪華な演奏ができあがる。
そこにくだらない歌詞がのるわけで、私ゃ果報者だよ。


2004年9月28日 (火) 歌入れ。「どうじゃおわかりかな」

ハムスターにかまれ、男性死亡の記事。
いのちとっとこハム太郎。

昨夜に続いて歌入れ。
という大事な局面だが、体調最悪。
昨日まではなんの兆候もなかったのに。
CDに入れる曲で残っているのは難物の2曲。
力の必要な曲だが貧血状態。
なんとか無事録り終えるが、万全の調子で臨みたかった。
カラダには気をつけてたのになあ。
音をはずしているのは体調のせいでは、ない。

18時スタートで、歌入れ後、ミックス。個々の音のバランスを調節してゆく。
たいしたエフェクトなしに潔い仕上がり、午前3時終了。
音楽監督の杉ちゃん、プロデューサーの十郎ザエモンさん、
エンジニアの吉田哲さん、遅くまでおつかれさま、ありがとう。



 
6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2004年10月24日 (日) 御見舞申上げます

金沢星稜大学の学祭の仕事を終えて、
ガッポリ建設、猫ひろしと私の4人、
われらが高級車は北陸道を東へ。
富山・呉羽のパーキングエリアで休息中、車が揺れた。
上越市内の高速道の開通を待って、富山市内のサウナで旅の疲れをいやす。
深夜の上信越道では、降るような星空のもと、
新潟県をめざす赤色灯のおびただしい群れとすれちがう。
誰かが言ったが、
「あんなにたくさんの緊急車を見たのはルパン三世以来だ。」なるほど。

あ、予定欄に書いた大学の字、まちがえてました。陵じゃなかった。すみません。


2004年10月25日 (月) この寒空に

ヤマコシ村は山古志村と書くのである。
行ったことはないのだが、まさに山を越えた先にある、
のどかな山峡(やまかい)の村。
多分、村役場のサイトには、殺到するアクセスでつながらないが、
商工会のサイトに、それは美しい風景が載っている。

www2.ocn.ne.jp/~yamakosi/
より「どんな村」

ヘリで村を後にする老婆が「見納めだね」、
一両日中には2200人の住民全員避難だそうである。


2004年10月26日 (火) 鷹の爪を煎じて飲め

福岡・ホークスタウン前社長、女子社員にワイセツ行為、
社員も見ている中で……、九州の男はコソコソせんね。
(加藤鷹の爪の垢ではない。)

23日の文化放送にて、立川志の輔師匠が「東京タワーの歌」をかけたうえ、
12月のリサイタルの告知までしてくれたそうである。
非常にありがたいことであります。
12月18日、池袋・東京芸術劇場、……!。銀座ガスホールです、師匠。
ということは、今週、また訂正の告知として再び話題にしてくださるという、
……非常にありがたいことであります。


2004年10月29日 (金) 中越地震について雑感

電波からきこえる、新潟県中越地震という表現がひっかかってしまう。
中越地震というなら、新潟県はいらないし、
百歩譲って新潟県ではじまるなら中部地震というべきである。
中越だけではわかりにくい、
新潟をつけたほうがわかりやすくて親切、という考え方はまちがいです。
どこで惨事がおこっているか伝わってないとしたら、
マスコミの報道の仕方も国の対応も、根本からまちがっているということです。
私はただ、「中越地震」でいいと思うし、そう呼ぶべきだと思う。
表現がもってまわると、なんかオブラートにつつまれて、
少しでも現実から目をそむけようとするように見えてしまうのだ。
新潟県中越地震って言い方は、被災者側から出たネーミングじゃないだろう。

12月に出るCDの宣伝担当に2人もの人が関わっていてくれて、
プロデューサーの十郎ザエモン氏を加えて宣伝会議。
VIVIDの宣伝部のFさんは、中越地震のまさに被災地、
越後川口の出身だそうである。
美人と惨事、私にとっての非現実が二乗されて現実となる。
私のCDの宣伝ということですら災難なのに、
そのうえ大変な時にかかわってもらって申し訳ないと思うことしきりである。


2004年10月30日 (土) RPGのように

悪いのは誰かといったら、やっぱり捕まえて殺す側なのである。
つかまえてあっという間に殺しちゃった(まだ確認されてないけれど)。
ナニワ節のない世界に対し、日本は考える暇さえもらえなかったな。
中越地震のカゲにかくして見ないフリをしている間に終わってしまった。
無防備に行っちゃった人間を批判するつもりもないし、
無策の政府を否定するするつもりもない。
ただ、こんなに瞬時にミもフタもない結果に終わった現実に、
そんなこともあるんだな、というのが正直な思いなのである。

以上、誤報だったそうである。
それならそれにこしたことはない。
勇み足に反省。


2004年10月31日 (日) 悲しいニュースはもうごめんだが

結局、小泉首相にとって最善の結果におちついた。
世論が同情しない被害者という、いけにえの志願者。
そのおかげで、
テロに対して屈しなかったという実績を作った。
人質救出にカネをかけたといって、非難されることもなかった。
それが天変地異のカゲにかくれて進行した。
野党は責任を追求するほど人気が落ちるし。
問題はこの事件に便乗して、こじつけで物事をすすめようとする、
そんな連中に気をつけることである。
事件に便乗していいのは、人の道をはずれた我々の商売だけである。

柳家三太楼、喬太郎両師匠の企て、好意で、池袋演芸場の舞台を初めて踏む。
(漫才師や太神楽曲芸師等でも、落語協会か落語芸術協会に入らないと、
上野鈴本、新宿末広亭、浅草、池袋の四席=4劇場の通常興行には出演できないのだ。)
落語家という道にふみだせなかった私にとって、
余一会という特別興行とはいえ、落語定席の高座というのは感無量なのである。
上がってしまえば一緒だったけど。
楽屋オチが一つ二つ余計であったのと調子にのってオーバーペースだったのが欠点ね。
柳家のプリンス、花緑師匠も残って、打上げでバカ話。



 
6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2004年11月1日 (月) もしも時がもどるなら

きのうの池袋演芸場で言い忘れたこと、2つ。
新潟に慰問には行けない、寒空に着の身着のままの人々に、この名前では。
あと、プログラムが清めの塩みたいなデザイン。(見てない人にはわからなくて残念)

おなじみ、なかの芸能小劇場は雑音フェティッシュ。
いつも直前までどのネタか決めていないのだが、
今日は1曲も歌わなかったな。


2004年11月2日 (火) まずカッコからはいる人間としては。

日々、人々の気にしない些細なことにひっかかっている私である。
パソコンで文章を作るからだと思うけれど、ちかごろ、
“”のアタマのかっこの“を”(ツーダッシュかな)で代用する例が多くて気持ち悪い。
”ではじまって”で終わられちゃあ、文字達もかこわれた気がしなくて居心地が悪かろう。
“軽視の理由はわかっている、キーボードのせいだ。“は一発で打ち込めない。
私は「かっこ」と打ち込んでから変換しているのだがね。
めんどうくさがりの私だが、非効率的な部分には律儀なのである。

都営地下鉄岩本町駅の自販機、新札対応のシール、
でも「2000円札は使えません」
あああ、どうしてそう中途半端な改造を。


2004年11月3日 (水) 日本は神の国だから

あんまり曜日だの休日だのには関わらない暮らしではあるが、
祝日とか祭日って、週の途中で突然あるからありがた味があるような気がする。
しかも体育の日は10月10日であるべきだし、
成人の日は1月15日じゃないかなあ。
3連休もいいけどね。
理由を調べたわけではないが、
文化の日が月曜日にシフトしないのは、もともと明治節(天皇誕生日)だからだろう。
同様に勤労感謝の日はもともと新嘗祭だ。
祭日はシフトしないのだな。
11月3日に今年も、渋谷クアトロでお祭り騒ぎの、高田エージ率いるSupergoooooood!
エージさんとも10年くらいのおつきあいだけれど、変わらぬパワーであった。客もエライ。

さて、ついに決戦に幕だ。
まあたいがいね、私の応援する方が負けるのであるが、
今回はねえ、接戦だっただけにね。
後半のチャンスが一転してしまった。
結局、一発勝負、全てかゼロかだとねえ……。
負けちゃった……、浦和レッズ。

■後日記 アメリカ大統領選挙の話かと思ったら、サッカーの話というオチ。共和党のブッシュ、民主党のケリー候補を破る。
     そのニュースの陰で、国立競技場ではJリーグの優勝戦、延長でも勝負がつかず、0-0。PK戦4-2でFC東京が勝利。
 

2004年11月4日 (木) 雷門健忘症

子供の頃から健忘症のケがあって、
子供部屋から居間へと向かい(といっても公団だから対した距離ではない)、
着いた時には、ハテなにをしにきたっけ、という具合。
であるから今とても、検索エンジンをたちあげて、
開いた時にはもう、何を調べるつもりだったか霧の中、
ネットサーフィンで時間の無駄遣いというのも日常茶飯事である。
ボケ(今後、言い替えるらしいね)が発症してもわからないのだ、きっと。
すでに慢性のアルツハイマーだとも考えられる。

大学祭のシーズンでもあり、大学の広告が目につく気がする。
ほんのちょっと母校をのぞいたら、オールナイトではなくなっていた。
どんどん学校側のいいなりになってくのねえ。溜息。
電車内で國學院大学の額面広告(網棚の上ね)をながめていて、
神道文化学部の文字に、知り合いが行ったなそういえば、
他にはない学部で恰好いいなあと思う。何学士になるんだろう。
私など電波でとれる学士号をわざわざ通ってとったんだなあ、
マヌケなもんだ、……、……!ん?何学部だっけ?
ええと、放送大学卒業するとみんなこの学士号らしいんだが。
自分の修めた学部の名前を思い出すのに1分かかった。
もはや発症とか慢性の段階ではないな。


2004年11月5日 (金) あのひとはヒマ?

書くまでもないことだが、昨日のタイトルは、
私の少年時代に活躍した子供の落語家、
「サスケ」の声でもおなじみだった、雷門ケン坊からきている。
ケン坊役で出演していた「紅三四郎」というテレビまんがの主題歌では、
 ♪ゆくぞ、ケン坊!ゆくぞボケ!
と歌われ、健忘とボケが仲良く並んでいた。
(実際には紅三四郎は見てないんだけどね)


2004年11月6日 (土) オクビってどこ?

新宿シアターアプルの梅垣義明公演と下北沢「劇」小劇場の春風亭昇太公演をハシゴ。
今回の梅ちゃん「青い竜宮城」でも杉浦哲郎君が音楽を担当しているのだが、
私のCDの縁で、栗コーダーカルテットの川口義之さんが、1曲、
カラオケの演奏にサックスで参加している。
ワハハ本舗の、しかも梅垣さんと聞くと、見てない人はとてもキワモノ、
と思うかも知れないが、非常によく練れたエンターテインメントなのである。
客いじりという言葉を超越した、魔術のようなキャッチボールで観客の心を鷲づかみ。
ビーンボールすれすれだけど。
確かに、オゲレツといえばそうだし、まちがってもPTAの推薦にはならないが、
梅垣義明という現代の傾き者(カブキモノ)は、全身全霊でお客にサービス。
なにより700人という満場の観衆が、目をキラキラさせて嬉しそうにしているのだ。

かたや永遠の若手と呼ばれる昇太師匠。「感傷旅行」という小さな会。
本多劇場や紀伊國屋を満員にする師匠が、自分独りでやりたいことをする会、作る会。
内容のすみずみまで、本人の趣味の良さが光っている。
多忙なスケジュールの中、やりたいことのできる環境を整えるのは大変なことだ。
そんなことはオクビにも出さず、いつもヒョウヒョウと登場、サッソウと消えてゆく。
両公演に感動して寒空はだか、ガスホールへの決意を新たに。まずは体調を、と寝ちゃう。


2004年11月7日 (日) オクビゲップ(映画「学校」の田中邦衛を思い出しますな)

オクビってゲップのことだったのね、辞書ひいたら。前言撤回。
字は「口へんに愛」だ。あ、会話じゃないから書きゃいいのか、「噫」、
あらら、変換したら違う字が。
ウチには漢和辞典はないので疑問は闇の中。
御存知の方は はがゆかろうが、このサイトは一方通行だからなあ。

横浜にぎわい座へは、自宅最寄の西日暮里駅から京浜東北線で1本だけれども、
桜木町までの冗漫な時間にたえられず、
支那が輪から、支那側から、……品川から、
京浜急行で日ノ出町の駅へ出る。裏街道を疾走する感じが好きなのね、快速特急。
日ノ出町から会場へのみちのりは、イコール、場外馬券売場への道なので、
日曜日は心がすさむ。
本日は立川流の落語会に出演。
演芸場モードにスイッチを入れつつ、♪クロウトオンナを1曲入れておく(これ少し冒険)。
カーチス師匠と一緒に来ていた、ミッキー亭マギーと久々に話す。
お互いほめあっちゃったりなんかして、シャイだね、どうも。

立川左談次師匠、快楽亭ブラック師匠の酒席に誘ってもらって楽しく呑む。
あ、途中から地元民が1人むりやり加えられて、4人で終電まで。昼公演だったぞ、たしか。
長時間の酒にもかかわらず、ほろ酔い加減で京浜東北線、長椅子に3人並んで無事帰京。


2004年11月8日 (月) きのうの思い出に別れをつげるんだもの(ザ・ディラン�)

思えば柳家喬太郎師匠とのおつきあいは学生時代にさかのぼる。
当時、毎日新聞系列で白鶴杯という学生落語のコンテストをやっていて、
その第一回グランプリが砧家駄楽こと、喬太郎師匠「純情日記横浜編」だったのだ。
不肖、大詰亭(おおつめてい)冷やっこ事わたくしめも出場したが予選落ち。
今思うとつまんない落語をやってたよ、あたしゃ。
その縁から無理矢理知り合いになって、かれこれ20年ちかい。

「劇」小劇場で行われている8日連続の「定本喬太郎伝説」第2夜、
本日のゲストに光栄にもよばれる。
ビデオ撮影をするので、無難な定番ネタをやろうかとも思ったが、
めったにやらない「♪闘牛士だよおっかさん」、などをやる。
結果、デキは非常にナマなものになってしまった、……っていつものことか。
問題は、まあ一部ではおなじみ、♪落研High School Rock'n Rollを歌っちゃったこと。
これが思いっきり師匠のトリネタ「純情日記横浜編」と内容がくっつく。
「純情日記」は、シャイな青年の恋物語なんだが、冒頭に登場する、主人公の友人が、
どっぷり落研につかってる、って設定をすっかり忘れてたんだなあ。不覚。
この場でしてもなんですが、お客様におわび申上げます。


2004年11月12日 (金) 後悔 先に立たず

人は時に、身のほどを忘れて、挑戦してみたくなるものなのだ。
あきらかに、自分にとっては器が大きすぎると知りつつ、
また、それが意味があることなのかどうかもは考えずにだ。
自分で選んだとはいえ、正気に戻って、なかったことにすることもできたはずだ。
カネ払っちゃったけど、人に変わってもらうことだってできなくはない。
でももう遅い、サイは投げられたのだ……。
……パッケージフィルムはがして、
お湯を注いでしまったのだ!
ペヤングカップやきそばの「超大盛」。
コンビニの棚にならんでいる姿、そのあけらかんとしたバカッぷりに、
思わずレジに持っていってしまったよ。
中には、いつものペヤングの固まりがふたあつ、仲良くならんでた。
じゃあ並のサイズを二つ買えばいいじゃないの(でもソースは1袋で倍のサイズだった)。
3分たってお湯切って(ずいぶん時間かかった)、フタ開けたとたんゲンナリ。
原発のゲンにコロスケナリのナリ。ゲンナリ。わかってたはずだけどさ。

領海侵犯の謎の原子力潜水艦、
スクリューの回る音で、中国と解析。
もっと耳をすますと、テーブルの回る音も。


2004年11月13日 (土) ちらかした毎日だけど

年末に向けて、公私ともに進むいくつかのプロジェクト、
日々積み残しを増やしながら、ぐずぐずのまま時間は過ぎる。
ときよとまれ!……上越新幹線のように。
(1回目は「上越震撼せん」と変換された。シャレにならぬ。)
「私」の部分は優先的においていかれるから、ちょっとまずい。
あ、特にめでたいハナシじゃないのね。
とにかく、部屋には、足の踏み場しかない。
1日の時間割りの何%かは、モノをさがしている。自分探しのヒマなどない。

立川談春師匠の会の楽屋に顔を出す。
3日間公演のうちの追加の昼公演。
ゲストに春風亭昇太師匠と笛の雲龍さん、
そして、「紙切りの」柳家一琴師匠。
緩急バラエティに富んだ、楽しくも濃い会。
おもちゃ箱ひっくり返して、最後にはきちんと収納される。

出演者の出入りする下手とは反対側の舞台袖。
袖幕の裏にはりつくように、首だけ高座に向け立ち、
シャッターチャンスを狙って息を殺す、カメラマンの橘蓮二氏。
さながらランナーを背負って、牽制球の機会を待つピッチャーのようであった。


2004年11月15日 (月) ナースをねらえ!

千葉・木更津の君津中央病院付属看護学校のキャッピングパーティにて20分。
1年生は11月にナースキャップをかぶれるようになる、戴帽式をやるそうで、
そのお祝のお祭り。式は前週に終わり、今日はみんな私服であった。
ナース姿は好きだけれども、大勢の白衣に囲まれるよりは、とりどりの服のほうが楽しい。

♪現場では誰でもひとりひとりきり
 私の愛も、私の苦しみも 誰もわかってくれない
 ナースコールに緊張が走る ナース魂が燃える
 唇に ……酸素吸入器 私は救おう 白い天使になって
 採血!清拭(せいしき)!剃毛! ベストをつくせ
 ナース!ナース!君津!ナースをめざせ!

う〜ん、元歌が分からん世代よね、上戸彩の見てなければ。
看護師と呼び名はかわっても、女の子ばっかりであった。

木更津までアクアライン通って、高速バスで1時間だ、ちょっとびっくり。
JRの特急より早い。
海底部分、昔の少年雑誌なら、ガラスばりの楽しい道なのに。
いっそ、ひたひた、海水が落ちてると、トンネルも感じがでるんだがなあ。


2004年11月18日 (木) ありがたきこと

京都・名古屋ツアーに出発。
新幹線で京都に着くと、しとしと雨がお出迎え。
直前まで宿をとるのをすっかり忘れていて、インターネットで探したのだが、
今や京都は紅葉シーズン、ビジネスホテルは どっこも空いてなくて、
ようやく見つかった民宿にチェックイン。
100年の歴史を誇る京の町屋というふれこみだが、……ただの古い家であった。
東山散策には絶好のロケーションだが、今回そんなヒマないし、
4畳(半なし)素泊まり7500円は割高であるなあ。
京都の老舗ライブハウス、磔磔(たくたく/磔は、はりつけ、を変換)では、
4度目のソロライブ。
関西での知名度ゼロの私ゆえ、毎回微々たる動員ながらやらせてもらっている。
特に世話人がいるわけでなし、会場が呼んでくれるわけでなし、
勝手に私が行ってるわけで、場所を提供してもらえるのは本当にありがた〜いことである。
開演前だというのに、ドアの外には雨の中、開場を待つお客様1人。
まずはほっと一息。

さて、時間が来て、舞台に登場する私を迎えてくださったお客様の数は……。
とてもここでは書けない。
民宿の部屋でも開催可能であった。みなさん、ありがとう。


2004年11月19日 (金) 真っ昼間からハーレム電車

レコード屋まわり。
京都/JEUGIYA(十字屋)三条本店、河原町オーパTOWER、
   河原町ビブレHMV、北山優里奈
神戸三宮/TOWER、HMV
大阪梅田/HEP5・VIRGIN、マルビルTOWER
時間切れで、心斎橋には行けなかった。
仕入れ担当に会えたのは、JEUJIYAと神戸TOWERのみなので、
注文してくださる方は、そのへんをひとつよろしく。
神戸のタワレコは、いち早く注文を入れてくれた偉い店である。
これ、発売されてもず〜っとたなざらしだと、非常によろしくない。
2度と補充してもらえなくなるのねえ。
河原町から十三(じゅうそう)経由、三宮へは阪急電車。
いつもながらシックな電車に、発車間際に飛び乗り、
前向きのシートに体をうずめる。
疲れた。
婦人専用車に気付いたのは降りる直前であった。
隣に人が座んなくてよかったなあ。
まあ、阪急のことだ、タカラヅカの役者と思ったに違いない。

蓬莱のブタマン買って、近鉄特急で名古屋入り。


2004年11月20日 (土) ばんそう考

名古屋の本日は晴れとなり、小春日和。
道路が広くて、家並が低いから、青空が大きく広がる。

うっかり、本番で使うCD-Rを、会場行きで出した宅配便の荷物に入れてしまい、
しかも営業所に問い合わせると、到着が19:00になりそうで、あわてる。
クロネコとちがって、ペリカンは夕方の時間帯設定が長かったのね。
無理言って早めに届けてもらう。
さて、今池・TOKUZOも、会を重ねて6回目。
ライブハウスの中でも、あくまで飲食店営業で儲ける、という方針と見えて、
磔磔同様、出演者の取り分の多いありがた〜い場所。
しかも私のお客はオーダーも多く、不本意ながら開演時刻が遅れる。
今夜もそのつもりでゆったりと構えていたら、「定刻でお願いします」。
案の定、客席もゆったり。
前回の評価が動員に反映されるわけだからなあ、次回はもうあかんか。
後半は、今度のCDの曲からカラオケで熱唱。
伴奏のデキがいいから、舞台はなりたつのだが、かなりキケンな試みである。
ミニアルバムを企画した段階で気付いていることだが、伴奏付を聞かせてしまうことは、
真空ギターの魔法がかからなくなるパンドラの箱のフタなのだ。


2004年11月21日 (日) 営業

帰京前の時間を利用して、
名古屋のレコード店(CDショップ)をまわり、「俺様と私」発売のあいさつ。
発売前にどれだけ注文が入るかが、まず勝負なのである、よろしくね、皆様。
肝心の、CD注文の権限を持った担当(バイヤー)にはあまり会えなかったんだが、
栄のHMVで偶然、
桃梨(ももなし)というバンドがインストアライブをやっていた。
旅先で東京の知り合いとでっくわすってのは、5月の「航空電子」以来。
ボーカルの上やん(かみやん)とベースのJIGENさんというユニット。
和もの。おすすめ。
しかもアコーディオンのCOBAプロデュースだって(面識ない有名人につき呼捨御免)。

名古屋は上天気だったのに、東京は小雨かね。
我が家がイチバン……、なんてことはなく、
できればまだ帰りたくないんだが、ツアー中、さらに懸案事項積み増し。


2004年11月22日 (月) 変わってもダミ声かな

ドラえもんの声優が引退して、一斉に入れ替わる、来春。
ってのが、しばらく話題になりそうね。
そうなると気になるのはサザエさん一家だが、まあ、サザエ、フネ、波平以外は、
少しずつ変わってる。うまあく世代交代している。
あれ、タラちゃんは変わってなかったかな、今、見てないからよくわからん。
で、サザエさんについては、おそらくもう、ありとあらゆる言葉をしゃべってると思うので、
今までのストックのつぎはぎでいけると思われる。
! サザエさんの声まねするヒトっていないねえ。

ワハハ本舗製作映画「冬の幽霊たち」の試写へ。
コメディではなくハートウォーミングなこの作品に、
まじめ〜に、ちょこっと出演している。
来年1月レイトショー公開、渋谷シネ・ラ・セットにて。
その後、銀座伊東屋、注文した品を受け取りに。
DMの紙をはじめ、なにかと頼りにしているのだが、
生活様式が世間とズレるにつれ、ここですら手に入らないものが増えて困る。
コピー原稿用の青色方眼紙、愛用の物は店頭から消えてしまったのね。
伊東屋の営業時間が夜8時まで延長されている、年の瀬の迫るを実感。


2004年11月23日 (火) おぼえがきサンダーゲート

浅草東洋館。
珍しくも仲入あと(クイツキってやつだ)の出演。
冒険なくソツない高座。

喫茶アンヂェラスの店員の立居振舞いが、相変わらず清清しい。


2004年11月26日 (金) 浅草東宝の予告編タイムは わずか5分

とても遅れたバスの後には、ガラガラのバスがすぐ来る。これは常識。
ところが、今日乗った浅草行の都バスは、後続も混んでいた。
はたと気付く、今日は三の酉だ。
東洋館の前まで座って行けてラクだから乗るっていうのに、立ってたんじゃねえ。
40人ほどに増えた乗客のうち、敬老パスじゃなさそうなのは5人てとこか。
1人で8人分をささえる、年金財政の未来の縮図であるな。
予想通り、竜泉で車内は空いた。

浅草東宝のなが〜いエスカレーター、上映しているのは「ハウルの動く城」。
2日間の興行成績を塗りかえたようだが、公開4日目、上天気の23日、祝日昼間、
「座ってごらんになれます」の札のかかっていた劇場。今や浅草唯一のロードショウ館。
最後まで面白く見たんだが、非常に説明を省いた展開に、
わけわからなくて心を閉ざす人も多そうである。
そもそも、山上たつひこの洗礼を受けた私に、理由は必要無い。
あ、もちろん、理由の大事な作品もあるけれど、
良いおとぎばなしは矛盾と?が多いものである。
木村拓哉が合ってたなあ。


2004年11月27日 (土) さすがに肩がこる

東洋館トンボがえり。
遅れまくっているDM作成。
1100枚両面プリントゴッコ。
もうそのくらいは屁でもない。
500枚分のカードたてを持ってる人は、そうザラには いまい。
一番不毛なのは切手貼りの作業である。

チラシには今回、やむなくパソコンが導入されているから、
せめてダイレクトメールは原稿手書きである。


2004年11月28日 (日) 十五日星取り終えて十六夜  寒空(ここはじゅうろくやと読んでね)

3行だろうが20行だろうが、人に読んでもらう日記を書こうとすれば1時間かかってしまう。
日記なんか書いてるヒマはないのだが、サイトが盛り上がらないと、
今後の銀座やCDの勢いに水をさすからなあ。
他人(ヒト)の1日を3日かけて過ごしている私が、ここのところ、逆になっている。

睡眠時間3時間のヘロヘロ状態で東洋館の高座にあがると、
力がいいアンバイに抜けて、ベテランのような語り口に。
お客にはそのほうが親切だしウケるんだけど、どうだかね。

浅草ヨーロー堂に挨拶。「俺様と私」が、もう店頭にならんでいる。
なんかたくさん仕入れちゃったみたいだから、買って頂戴。
仁丹塔跡のミスタードーナツでもうろうとしながら宛名書きをしていたら、
偶然にも東京タワー蝋人形館の支配人から声をかけられる。
何年ぶりに会うんだろう。あそこでライブやったのはもう6年前か。
まだ東京タワーの歌、レコードしか出してなかった時だ。

雲間から十六夜の月。


2004年11月29日 (月) 文章がおかしいが、のせておく。

京都からの、気さくすぎる賓客の東京タワーツアーに合流したあと、
渋谷パルコ劇場へ、先日のCDオンエアのお礼を言いに立川志の輔師匠を訪ねる。
志の輔らくごinParco。
赤いタートルに黒のジーンズはいつもの私の普段着だが、
劇場の造作の配色と同じである。
客席にいると溶け込んでしまうので、舞台脇の照明用の小部屋で息をこらして観賞。
1日450人、トータル5400人動員の会である。
内容、演出、スタッフワーク、全てにスキのない公演なのだ。
それを可能にする環境をつくりあげてきたというのは並み大抵の事ではない。
落語という演芸は非常にコストパフォーマンスに優れた芸能で、
まあ、それは私もそうなのであるが、
規模にみあった数だけお客さえ集まれば、普通、損をしない。いや丸儲けだ。
ところが師匠の公演、儲からないシステムである。
普通の落語会で使わないところにカネがかかっているので、
お客は晴れがましい気分でやってくることができる。
ゲタばきで気軽にのぞきに来られる会とちょいとすましてやってくるショーと。
その両立をしているところ、できるところ、私もめざしたいところなのだ。
あ、私の場合、内容のあやうさの方がまず問題か。
さて、終演。宿題をさておいても行くべき打上げだ、出席。


2004年11月30日 (火) 書くことのある日の日記

飄々としたイメージが売りだから、
あまりコマゴマとしたことを書くのはどうかと思うが、
毎日無駄にボ〜っと生きていると思われると困る事情もあるので、
たまには忙しそうな状況を記す。
……それらしいスケジュールがあるときくらい。

8時起床、打合せ2件分の資料作成。プリントアウトしたものの、持って出るのは忘れる。
11時すぎのバスで浅草へ。東洋館。
前座のこらく君は一人で二番太鼓を叩いていた(ふつう二人要る)。
12:15上がり。疲労困憊ながらほどよい出来。
ビデオ撮っとくといい資料になりそうな、15分の高座。
田原町へ急いで、銀座線と半蔵門線をのりついで大手町。
13:30、CDのプロデューサー十郎ザエモン氏と待ち合わせて、
読売新聞の演芸好き文化部Tさんに取材してもらう(ここ自慢)。
ついいらんことまでしゃべるので、あまり書かれたくないとこが採用されるであろう。
千代田線と日比谷線で銀座、絶妙の接続に助けられる。
15:00、お米ギャラリーで18日の舞台監督Y嬢と落ち合い、ガスホールで舞台打合せ。
先方は恐らくまだ不安だろうなあ。銀行寄って、17:00帰宅、サンプルCDの発送作業。
その後、昨夜に続いて、渋谷パルコ、立川志の輔師匠の会、千秋楽に途中から。
来客の中にちょっと打合せしたい人があったこともあるのと、疑問の検証を舞台袖から。
打上げ参加する時間的余裕なく、写真家・橘蓮二氏とラーメンすすって帰る。
地下鉄へ向かう途中のHMVで「俺様と私」陳列を確認。フライングだけど。
帰途、サミット(スーパーマーケット)で買い物して、
チケットの売れ行きとメールチェックしてDMの宛名書きは、もう日付けが変わっている。



 
6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2004年12月1日 (水) 祝!CD売出し

いろいろ宣伝の工作活動をしようと思ったが、来てしまった発売日。
もっとも、レコード店は到着次第、店に出しちゃってるんだろうが。
昼過ぎ、目黒のVIVID SOUNDにて、ミニFMへの電話出演。
遠く九州、福岡県は椎田町のスターコーンFM。
バイオリンの岡田鉄平君の出身地の近所なのね。
VIVIDの製作責任者と宣伝部、プロデューサーの十郎ザエモン氏と、
雁首つきあわせて固唾をのむが、電話だから何話してるかは私しか分からない。
鉄平君の演奏が入っている曲から、「谷底の百合」というムボウな選曲をしてみる。
「芸人さん」がCD出したっつって、これを聞かされるリスナーは、わけわからんだろうな。
町内じゃ買えないしな、きっと。
終わって、販売店への今後の働きかけなどを話し合うが、
どうやら初回200枚しかプレスしてないらしい。来週、追加プレスは届くらしいが。
期待されてるんだか、なんだか。信用ないのう。宣伝部も困ってる模様。
イベント用に大量に卸してる分もあるから、すでに出荷した分だけでショート状態、
つまり品切れなのだ。これ、売れてるって意味じゃなくてね。
というわけで、しばらく、私の手持ちもないので、銀座まで手売りは、なし。
夜、新大久保の水族館というライブバーで、高橋真之介君主催のイベント。
アコースティックな演奏者達にまじって、気持ちよく歌ってきた。


2004年12月2日 (木) ムダを売る商い

DMに関する記述を読んで、なんで今どき手書きなのか、
疑問な人もいるだろうなあ。
DMレボリューションという会員制DMクラブ以外に、
ソロライブの告知や時候の便りだけで年間2500枚以上のハガキを出すのであるが、
宛名はみんな手書きなのである。
ただ単に進化しなかっただけなんだけれども、
私自身が、あの、ペロっと貼られた宛名ラベルが、
あるいは直接プリントアウトされた住所氏名が嫌いなんである。
その時間をネタ作りにまわすべきなのは重々承知、
でもそのDMを含めて「寒空はだか」なのだ。
「いつも行けないけど、DMは楽しみにしてるから送ってね」という、
ありがたい言葉をよくもらうのだが、かまわん、かまわんからCD買ってね、その分。

銀座行ったついでに山野楽器とHMVを、そ〜っとのぞいて見た(メガネはずしてね)。
山野はインディーズコーナーに3枚ならんでいたが、HMVは発見できず。
誰かに聞きに行かそう。
DM作業の疲れを銭湯でいやす。
頭洗ってると無心になるねえ。明日に備えて「みそぎ」の気分だ。


2004年12月3日 (金) 日記つけてるのはすでに逃避行動(12/6記)

先日忙しいところを日記で披露したが、自慢というよりは言訳に近い。
反対に、具体的なことをあまり書いてない日は、きっとたいしてたことしてないだろう、
という読者諸兄の読みは、きっと正しい。あるいは余程書けない事情かどちらかだ。
単純にめんどうくさいというのもあるな。

なかの芸能小劇場、ウケをとりにゆく、ちょっとや〜らしい高座。
(スケベって意味じゃない。)
すでにあったまってる客席だから、思惑通りの笑いと沈黙をとれるけど、いいのか。
もちろん、心を閉ざしてる人もいるのは重々承知である。
若い観客からは、わりとベテランに見えちゃうだろうから、
もう、古い芸人でございと、演じる部分もあるんだが、ズルイよなあ。
でもパッション優先にするとカミまくるしな、
そういうどうでもいいとこで減点するからな、若い子は、よ〜し、ここは上手に見せとけ。
トリの清水宏は(敬意を表して呼捨)、きっちり演技力を見せつけて客席を圧倒。
万来の拍手。
きっちりシンをとっている。


2004年12月4日 (土) 「聴けば見えてくる、TBSラジオ。」真空ギターのことか?

坂本九リサイタルというLPレコードが実家にあって、
これが私にとっての「この1枚」である。親父のだけれども。
ライブ盤だから、あの九ちゃんの独特の歌い方が、いっそう際立つ。
東洋館で私がまねするところの「明日があるさ」は、そのナマの歌い方のコピーである。
小学校からの愛唱歌、「明日があるさ」の作詞は青島幸男さんだが、
このレコードのライナーノーツを書き、
言うまでもなく「上を向いて歩こう」の歌詞を生み出したのが、永六輔さんである。
その永さんが隣に座っているというのは、これすなわち、TBSラジオのスタジオなのだ。
演芸紹介家(今つくった言葉)木村万里さんのはからいで、電波にのっている。
「あなたはシャイでしょ」と言う永さんの問いかけに、
「はい、シャイなんです」とうっかり答える。それじゃシャイじゃないだろ。
裏番組の志の輔師匠の番組で宣伝してもらっているにもかかわらず、
同じ時間帯にヌケヌケと出演しているとは、八方美人の上に鉄面皮である。
そういう意味で、出たもんか逡巡したのだけれども、出ちゃったい。
無節操なことこの上ないが、どこにでもいる、というのが寒空はだかであると無理矢理肯定。

赤坂見附の駅ホームで、鳥居みゆきに(こっちをエラそうに見せるため呼捨)バッタリ遭遇、
「あいかわらず普段はオーラがありませんね」とにっこり毒舌を吐かれる。
カワイコチャンだから許すが(ちょっとネジとんでるし)、油断したぜ。


2004年12月5日 (日) ざわわざわわざわわ、ざわわ東北沢は

昨夜の暴風雨で路面に紅葉の錦である。
浅草の老舗レコード店、ヨーロー堂で、CD発売記念インストアライブ。
1階店頭ではなく、2階がまるまるイベントスペースになっていて、
ちょっとした舞台のバックには銭湯のペンキ絵のような富士山が描かれている。
氷川きよしをはじめ(有名人につき呼捨)、数々の演歌歌手が立った場所である。
私よりよほどしゃべりの達者でテキパキした(憧れるね)若旦那、もとい店長が露払い。
新CDの曲をカラオケで歌いまくる。ガスホールでもそんなにやらんぞ、カラオケ。
蛍光灯のもと、タキシードで歌う「谷底の百合」はもう、なんだかわからん世界で、良い。
ちょうど席がうまるくらいの迷える小羊達の前で、
すっかり新人歌手の気分を堪能させてもらってサイン会。

夜、札幌のMICABOXこと三上敏視さんが下北沢ラカーニャにライブしに来てるので、行く。
ついでにネタやってというので、ちょっとアダルトな感じにひとくさり。
何人かは銀座に来てくれるかな。
小田急のダイヤ改正で東北沢の通過待ちがなくなるという。なきゃないで淋しくなるね。
存在価値自体失われる気がする。あの長〜いベンチだけは永遠であってほしい。


2004年12月6日 (月) 新聞を疑え(それは産経か)

悶絶!6日の日記書いたのに保存せず消えてるじゃないか!
イチから書き直しだ!あいかわらずムダの多い人生だ。
浅草ROXの新星堂に挨拶に。
昨日ついでに寄ることも可能だったが、ついでじゃ失礼と出直す。ホントよ。
ポップを置いて面出ししてくれてる上に、小型スピーカーから「俺様と私」をリピート。
ヨーロー堂同様、こちらもよろしく。

浅草駅の売店で読売新聞の夕刊買って、いそいそと銀座線の中で開く。
載ってないじゃないの。
まあねえ、そんなもんだよね。私のために50円使ってくださった方、ごめんなさい。

今回は無計画にいろんなチラシを作っているんだが、
今頃、最終形が仕上がる。カラーの上、4000枚しか作ってないから割高だ。
無駄づかいだよなあ、今頃。
志の輔師匠のパルコ公演から折り込むが、15人は余計に来てくれないと、採算とれない。
どうせ余るから、銀座の会にも折り込む。

う〜ん、もっとなんか書いてあったはずなんだがなあ。


2004年12月7日 (火) 銀座雑感

まったくね、今さっき昨日の日記を書いたわけだ、再び。

営団地下鉄が名前を改めてから、大手町と銀座の駅の表示が、試験的だろうが変わった。
紺地がベースで見にくいのも問題だが、許せないのは、出口表示をみんな記号にしたこと。
日比谷線の銀座でホームに降りたら、まず、どっちが銀座4丁目か、数寄屋橋か考えるもの。
書いてないのよ!
そりゃ銀座線側が和光で、丸の内線側がソニープラザって脳内変換はするけどさ。
こういうデザイン重視の実用性無視ってのが大嫌いだ。
わざわざわかりにくく変えてどうする。
はじめに出口案内一覧の掲示板を見に行かないと記号の持つ意味がわからん。
のべつ使ってるから伊東屋へはA13とか覚えてるとこもあるがね。
試験的だったとしても不便なことはわかりそうなもんだ。
一番低いレベル、銀座を何一つ知らない人に合わせた検索方法とも言える。
東京の町名を軒並みのっぺりと書き換えた発想に近い貧相な考え方である。

というような細かいことに日々腹をたてている。


2004年12月8日 (水) 身の丈

近頃の一戸建ては3階建てで1階または半地下に車庫、というパタ−ンが多いんだが、
車庫に入りきらないクルマってみっともないよね、大きなお世話だろうけど。
一番情けないのは、鼻先がシャッターから飛び出てるヤツ。
なんかこう、分不相応の見本といえまいか。
しまえるクルマを買いなさい。
近所に新たにできた家に若夫婦、旦那はガイジンさん、が越してきた。
シャッターのないガレージには、自動車ではなく、自転車が2台、
並んで止めてある。
これはほほえましい光景であることよ。

銀座ガスホールには20畳敷の広〜い楽屋がある。
え〜と、今現在、その楽屋に会場を移そうかと考えてます。
……充分はいれそうな気がする。

銀座INZのHMV、外堀通り沿いの高架下にある店ね、
CDを面出し、つまりジャケットを向けて陳列してくれてるのだ。
強力にプッシュしてくれてるというより、売らなきゃ、って感じだ。
後ろに4枚あるってことは、入荷した分まるまる残ってるってことで、
挨拶しようかと思ったが、1枚でも売れてからにしよう。


2004年12月9日 (木) まず細木への勧告が先だ

「血液型番組に改善求める=BPO青少年委」 
■放送倫理・番組向上機構(BPO)の「放送と青少年に関する委員会」
は8日、
 血液型と性格などを結び付けた民放のテレビ番組について、
 「科学的根拠は証明されておらず、社会的差別に通じる危険がある」
 などとする要望を出し、事実上の改善勧告を行った。

BPOはみんなB型だな。


もちろん私は血液型を含めた、すべての占いを信じない。
結果を運命と受け入れても、未来に運命をあてはめない。
……それはただ楽天的なだけか?
未来より現実を直視すべきだな、私の場合。


2004年12月11日 (土) 来年はがんばろう

チラシを折り込ませてもらうためにいろんな会に顔は出すが、
なかなか、見て行く時間的余裕がない。
日本橋亭「自己忠臣蔵」、なかの芸能小劇場「扇辰日和」、
ロビーのハシゴ。どちらもゆっくりして行きたいけれども、早々に引き上げ。
カラーと簡易印刷1色と併用してるのだが、
別に格をつけてるわけせはない。
1色「磯フラぼん」バージョンもかなり気に入っている。
しかも貴重なのだ、1000枚しか作ってない。

リサイタルまであと1週間!
よ〜し、気合い入れてくぞ、という矢先、
浦和レッドダイヤモンズ撃沈。
しばし、思考停止。
いやあ、みんなが応援してくれても、うまく行くとはかぎりませんなあ。
ね?


2004年12月14日 (火) ♪ほんとにほんとにほんとにほんとに

良いお年を、というのはまだ早いのだが、いやあ、歳末であることよなあ。
今年もいろいろあったもんだ、御贔屓の皆様、今年もありがとうございます。
……、あ、いやいや、
まだイベント残っている、でもクリスマスには、わたしゃ思い入れないのでね。
ワハハ本舗の「ショービジネスのつくりかた」に、
チラシだけでも入れてもらおうと思ってたのに、とっくに終わってた、うっかりしてた。

行きつけの郵便局で「新聞見ました、おめでとうございます。」って、
こっぱずかしいなあ、でも悪い気はしない。
ヒゲ剃っといてよかった。
おめでとうってCDのことか、リサイタルのことか。
ん?……あ!まだリサイタルが残ってたか、今年。まだこれからだよね?
言われなきゃ思い出さないとこだった。うっかりしてた。

現実に戻る。

四谷2丁目からJRに向かって新宿通りを歩いていたら、
富士サファリパークの車が東に悠然と走り去る。
巨大なトラの形の自動車がな。
また現実から逃避しそうになるな。


2004年12月15日 (水) 赤と苦労

赤いポストの投函口が「年賀」と「その他」の区分に変わった。
来春は1月2日にも配達するというのだが、みんなそれを望んでるのか疑問である。
世の中は勤勉であることを良しとする私であるが、そこまでがんばらなくてもよろしい。
正月まで死ぬ気でがんばってもらって、1日くらい休みなさいや。
元日に配達できなかった物は、もう、ハードルを越えそこねてるわけだし、
年越し間際の差出しはどうせ2日にも間に合わんだろう。
賀状製作作業がギリギリになるのが見えてる私は、
配達の機会が増える分、こちらの猶予が減る気がして、ありがたくない。
もらうほうは早い方がうれしいけどね、そりゃ。

洗濯も怠けると困った物で、赤い靴下の左右をカップリングさせて干すのに、
無駄に時間がすぎて行く。
買う時はまとめて何足か同じ物を買うわけだが、
10足分もたまると、微妙にデザインと色とくたびれ方が違うので、パズルのごとくだ。
なんか印つけるってのもね。

創作落語協会SWAの公演、新宿明治安田生命ホール、
ホリ(照明で色をつける白いバックね)を赤く染めてかっこいいんだ。
赤好きの私としては、嬉しくもあり、困りもする。


2004年12月16日 (木) さすがにケツに火がついている。

雑誌に載っけてもらえるだけでも、もちろんありがたいことで、
非常に嬉しいことなのだが、
表現上の微妙なニュアンスのズレがちょいと気になる。元々、こっちの伝え方の問題だ。
「あんたゼイタクだ。」としかられるな。
愛のある書き方をしてもらってるのは何よりである。
レコ−ド屋で尋ねるのが恥ずかしい人は、掲載記事を見せて聞く、
なんて手もありますね。

吉祥寺のMANDALA-2で旧い知り合いが集まって忘年会ライブ。
誘われたが、銀座の準備で出られず、この上なく残念。
今年一番の、いやここ数年でも指折りの心残りとなろう。
スイマーズとスリーメン、やるって言ってたなあ。
結局ポシャったとはいえ今夜は、企業のパーティーの司会って仕事も、
以前は(仮)で予定されていたんだが、とてもそんな状況ではなかったな。
今年は忘年会1件も出ていないね、そういえば。


2004年12月17日 (金) アラウィー孝行糖孝行糖

小さく見えても えなり は でかい。


2004年12月18日 (土) 皆様に御礼申上げます

朝7時起床。支度して銀座へ。
久しぶりに、舞台監督から照明・音響スタッフ入れての公演、
制作スタッフも頼んではいるが、あくまで主催者は私なので、
劇場の開く9時にガスホールに入る。
淡々と準備は進み、実感のないまま、本番が近づく。

クリスマスソングの流れる銀座の街、
300以上入るホール、
客席に流れるBGMは映画「THE FIVE PENNIES 五つの銅貨」サントラ、
おりしも、主演のダニー・ケイ自ら歌う♪ジングルベルにさしかかったところで開演時刻。
(舞台監督に「これ最後まで聞いていい?」と尋ねたが、
「はじめましょう」とたしなめられる、そりゃそうだ。)
♪IN THE MOODのイントロで緞帳が上がると、
生演奏するStudio Four Big Bandの17人。
マル秘ゲストの春風亭昇太師匠をして「今年見た中で一番ワクワクするオープニング」、
と言わしめた高揚感が場内をつつむ。(このホメ言葉は、後のオチへの前フリだった。)
曲が♪東京タワーの歌に変わって、仮花道から思わせぶりに、タキシ−ド姿の本人登場。
万来の拍手、次の瞬間「ボコッ」という鈍い音、寒空はだか、マイクを落とす。
……、歌い終わってバンドが退場して、その後はいつものように、
いや、いつにも増してとらえどころのない空気が続き、第1部は終了。

休憩の後、歌のゲストと紹介して、客席後ろから、
昇太師匠がギターをかかえてあらわれる。
どよめく客席、大喜び、ああよかった。良かったねお客さん!

そのあと第2部はちらかしっぱなし。
作品としての評価は、はっきりいって採点のしようがないッ!
と胸をはって言わせてもらおう。みなさんありがとう。
現時点の寒空はだかはあれ以上でもあれ以下でもないということである。
「はだかさんらしい会で良かったね」という感想が伝わってきて、もっともではある。
……らしくない会をやろうと思ったんだが。
今回ほうぼうに気を使いすぎた、
もうね、40になったら迷惑かけまくってやりたいことをするぞ。

寒空はだか、30代最後の夜、それはただの通過点にすぎなかったのである。


2004年12月19日 (日) 不惑の稚気ルーム

反町隆史、エディットピアフ、……そしてブレジネフ元書記長。
これが今日誕生日の有名人で、「ベティブルー」のベアトリスダルは、
生年も一緒である。
知人にも3人いて、うち1人はやはり同い歳だ。

朝も早よから後片付けをしている。
大仕事を終えた脱力感とか寂しさとかを感ずることもない。
銀座の会のDMの切手は「キリの花」で、まさに「キリ」にかけたのだが、
次へのステップにすぎない位置付けになってしまったので、落ち着かないのだ。
あえて念を押す必要はないのだが、40年前の今日、
福島県須賀川市の公立岩瀬病院で我輩は生を受けた。
(母親の実家が福島だったからで、出身はあくまで埼玉県である。)
以前(20年くらい前だ)、「さだまさしのセイヤング!」という番組で、
「誕生日とは生んで育てた両親に感謝する日」というハガキが読まれていたがもっともで、
ファンの皆様、私より実家に物を送ってください、もちろん住所は明かさないけど。
アンケートを読んでいたら最後に親父の名前を発見、来てたのね。
わはははは、親に見せるような内容ではなかったぞう。
さっと来てさっと帰る、流石である、この親にしてこの子あり。
(母親はその頃、趣味で山に登っている、なんか4000m級の。)


2004年12月25日 (土) サンタクロースは二度ベルを鳴らす

朝日に輝く年末のゴミの山。
配りきれなかったアルバイトサンタの捨てたプレゼントも……。

栗コーダーカルテットが谷山浩子コンサートにゲスト出演するというので、
洲崎(東陽町)の江東区文化センターに、もぐりこむ。
10年ぶりくらいに聞くナマの歌声がまったく変わらず、驚く。

帰り道、投げ売りのクリスマスケーキがあったら買ってやろうと思ったら、
見つからず、ちと残念。


2004年12月28日 (火) 去る年

スマトラ沖地震救援に海上自衛隊の護衛艦を派遣、
「きりしま」と「たかなみ」。
……高波はまずいだろうよ。
TSUNAMIは世界共通語で、アメリカのニュース番組でもそう言っている。
ということは、あんまり日本以外の国には津波は来ないってことか?

年賀状のデザインに苦戦、ようやく決定。
年内は賀状製作で終わるなあ。
中央本線には山梨県内に猿橋という駅があって、次が鳥沢である。
できすぎだ。
その次が犬目宿、これはウソ。近くだけどね。



 
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